第94話

「さらさら……」


 速度を上げてゆくに伴い、花びらは舞う……暗かった車内が明るくなり、視界は回復する。


 少女は、膝元に迷い込んだ花びらを手で掬い、甘い香りを楽しみ、窓から手を伸ばして花びら達を舞わせる。


 空は、花びらよりはやや濃く、若干の赤とラベンダーの色調が混ざり合う複雑な色で覆われている。


 不思議と恐ろしい感覚はない……寧ろ心が和む。


 車は桜の花びらが舞い散る道を進む……。


 ふたりの間に会話はない……会話など交わさなくても、心で意思疎通が可能な関係……。




「この世界は、永遠に続くの……」


「いいえ……この世界にも終わりはある……全てのものに始まりと終わりは用意されている……」


 私は少女の心に問い、少女は私の心に答える……。


 完璧な意思疎通……。




「いつ、終わるの……」


「それは……」


「そう……もうすぐ終わってしまうのね」


「あなたにとってこの世界は美しく、心地良い……あなたが心の奥底で密かに描き、望んでいたのかもしれない。でも、この世界では生きてはいけない。美しくも、危ういの……この世界は……」


「それって……」


「あなたがこれから戻る世界は美しいものと、そうでないものが混在し成り立っている世界……あなたはその世界の住人。だから、この世界では生きてゆけない……」


「私……ここにいたい……」


「ここにいても、すぐに死んでしまうわ……美しいけれど、ここは無の世界。何もかも満たされている様で、何もない世界……」


「…………」


「だから、あなたは還るの……」


「…………」


「この世界は、あなたのほんのひと時の心の、魂の休息の場……」


 少女の手が、私の左手にそっと触れる。


 温かい……ふんわりと左手から全身に温もりが沁み渡り、心の芯がぽかりと熱を帯びる……。




 ゆく手にトンネルが不気味な口を開け、私達を待つ……。


 私の、ずっとこの世界に身を委ねていたいという想いを嘲笑い、私を誘う。


 回避する道は、ない……。


 ブレーキペダルを踏むも、車は減速しない。


 導かれている……。


 覚悟の決まっている少女は、じっと前を見据えている。


 車はトンネルに入った……私は一切の運転操作を放棄した。強力な牽引力で導かれていて、何をしても無駄なのだから……。


 内部に照明はなく、オートライトも機能しない。重苦しい暗黒の世界が続いてゆく。




「嫌…………」


 闇の車内で、少女の手を貪る……。


 優しく握り返す温もりの手が、不安な気持ちを安定させる。




 微かに光の点が見えた……私と少女の心と魂の旅路の終着点なのか……。

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