第93話

 いっそ……このまま埋もれてしまおうか……。


 目を閉じる……花びらが積もり、触れ合う音を感じながら……。


 花びらは舞う……。


 私の想いに応える様に……。


 すうっと、意識が遠くなってゆく。


 命が……終わる。




「誰…………」


 ふと、誰も乗っていない筈の助手席に気配を感じ、不確かな声で言った。


 私が「心地良く」独占し、命を終わらせようとさえしていたこの世界に、突如として現れた人物。


 少女…………。


「あなたは……」


 少女は、花びらに埋もれたフロントウインドウを見つめ、何も言わない。


「何処から来たのですか……」


 あまりに佇まいが凛としていた為に、少女に対して敬語を使い、問いかけていた。


 少女の横顔を見つめる……葵やアリスとほぼ同世代だろうか……しかし、少女から放たれている気は、幼さや狡賢さの類ではなく、永い時を生きた者が会得した知己と高尚さを兼ね備えたものに感じ、私は圧倒される……。


 少女がゆっくりと私を見た。


 蔑んでいるのか、憂いているのか……時に微笑み、私をこの世界もろとも包み込もうとしているのか。


 万華鏡の様に変化する少女の眼と潤う瞳……。


 この眼……この瞳……。


「もしかしたら……」


 私がヴィーラヴのマネージャーにと誘われたあの時、私ともうひとりの私は対峙した……そしてふたりを後押しして、この世界まで私達を導いた第3の声は、隣に座っている少女ではないのか……。


「間違いない……」


 心が、魂が確信した……。


 声など聞かなくてもわかる……。


 助手席にきちんと身を正し、手は膝元に上品に置かれ、肩より少し伸びた髪が艶やかな光沢を放ちつつも、じっと見惚れていると闇に吸い込まれそうになる相反する性質を備えた黒髪……。


 同世代の少女達、いや私の世代さえ持ち得ない大人の女の色香を漂わす美しい出で立ち。


 羨ましかった……女としての艶と趣……。


 どうすれば、この領域に踏み入れられるのか……けれど、無理なのだろう。少女が到達している領域は「人間」が決して到達してはならない世界。


 少女は深層に潜む「私」なのか、それとも……。




「走りなさい……」


 少女が静かに私を見て、心に語る。


 車を前へと進める……前方の視界は皆無。


 しかし、フロントウインドウに積もった花びら達を、ワイパーなどという「野蛮」な装置で払い、視界を回復しようとは思わない…。


 フロントガラスとゴム製のブレードに挟まれ、引き裂かれてゆく花びら達の断末魔など、聴きたくない。


 少女も同じ気持ちに違いない……。


 右足に神経を集中させ、慎重にスロットルを開放する。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る