第52話

 すくっと立ち上がり、ふざけた口調のアリスは入り口のドアノブを握り、にやける……。


 ドアを勢い良く開けるアリス……。




「キャアァァァァーーッ!てっ、店長さぁん何するんですかぁ……やめて下さいっ……」


 アリスが叫んだ……事の重大さに「ああっ」と川井出が立ち、アリスの肩に手をかけて室内に引き戻そうとする。しかし、アリスは踏ん張り、さらなる演出のスパイスを辺りに撒き散らす。


「店長さんも保安員のオジサンもキスだけじゃ物足りないなんて、アリスもうお嫁に行けないよぅ」


「なっ、何もしてないじゃないか……」


 葵の様に甘く、かつ涙声をまぶして叫ぶアリスを必死で否定する川井出……多田坂は自分の世界に入り込み、ぶつぶつと呟き動かない。


 二人は激しくもみ合い、その拍子でアリスのブラジャーの右肩のストラップが外れるが、保身の為に構わず中へ戻そうとする川井出。


「やめて下さいっ」


「いいから中へ入れっ……」


 尚も二人はもみ合い、遂に左肩のストラップも外れてしまう。




「いやぁっ!」


 身を屈め、両手で胸元を隠すアリス……川井出は怯んだ隙を逃さず、アリスの両肩をがっしりと掴む。これで何とかなると思い……しかし、次の行動に移行しない……。




「あっ……」


 敗北を認めた川井出の淡白な声……。


 私は淡白な声の先を辿る。


 あの、怒号を浴びせられていたパートの女性が立ち止まり、こちらを見ている。


 怪訝な表情で川井出を突き刺す様な眼で見る。


 耐えられず、女性に背を向ける川井出……この店の中でのパワーバランスが逆転した瞬間を私は体感した。あの社員は店長派……その社員に怒号を浴びせられた女性は、アリスの策にはまった川井出の「恥部」を目にした。この「好機」を女性は最大限に活かすだろう。


 私の推測を裏付ける様に、女性の視線はアリスへと向かう……アリスも「意味深」に応え、視線の対話が続き、二人の間で密約でも成立したのだろうか、互いに「こくり」と小さく頷き合い、女性は勝ち誇った表情で去ってゆく……。


 そしてタイミング良く、自らの惰性でゆっくりと閉まってゆくドア……。


 ふらふらと力なくソファーに落ちる川井出……もう何もかも終わったかの様に目線が泳ぎ、絶望が究極化した薄ら笑いさえ浮かべている。


 多田坂は呟きをやめ、アリスを抱けなかった自分の弱さを「あぁぁぁぁ……」と表現し唸り、宙に目線を泳がせる。


 再び自分の立ち位置に戻りながら、軽く私にウインクしたアリスは、右肩のストラップだけを直し二人を見下げ、最後の仕上げに入ってゆく……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る