第2話 街灯の羽アリがいなくなった日(わかば)

 子供相手の仕事というのは、この仕事はこの季節のような長期の休みでもない限り、彼らの学校が引けてランドセルやその他の鞄が揺れるようにならなければ金になる業務は始まらないという意味を持つ。

 今日の日中に空がどんな色をしていたか、なかなか思い出せない。8時間の仕事の内、6時間を終えて休憩に入ると、もう太陽は沈んでいた。都市部ではないにしろ、市内の商業施設が立ち並ぶ唯一のエリアであるこの辺りで星を見上げようとも思わない。

 仕事仲間と会話をしていては疲れが抜けない。ずっと事務所で職場の空気を吸っているのも体に悪そうだ。そう思って屋上駐車場の隅にある、下層階に繋がるエレベーター前のスタンド灰皿の一部に陣取るようになってはや3ヶ月目。今日も1箱320円のわかばに火をともして、頭上で光っている店名を照らすライトを見ながら煙を吐き出して、仕事モードだった自分の脳をにごらせる。濁らせて、それでも浮かんでくることを思考で突っつきまわす。

 たとえば今日は、子供に「先生って、300歳?」と言われたことと「バケモノ!」と言われたことを思い出していた。

 自慢するようなことではないが――これも一種の自慢だと思う――普通の人達よりは辛く感じた経験が多い。小学校入学から7年間続いた虐め。両親が経済的に豊かではなかったが故に、幼い頃から最近まで続けた不必要な我慢と遠慮。そこから生じる、終わりの見えない苦しみの連鎖を想像する心と癒されない日々(これを打ち消すのが最も大変だった)。

 つまり何が言いたいのかと言うと、今の自分の心の片隅では「それらを乗り越えた私はもはや無敵に近い」と考えている節がある。ということだ。

 「それは正しいと思っている私」と「「それは正しいと思っている私」を客観視して笑っている私」が「私」に住んでいることを自覚して、他人が見たらなんとも気持ち悪いだろう笑みをこぼした。口から煙を漏らしながら。


 そのうちハッとして周りを見渡し、相変わらずどこにも車のいない駐車場――別に立体駐車場があり、そこには多くの車が駐車されている――で、ひとり安堵あんどともなんとも取れない長い息を吐いた。

 最後のひと吸いと思ってちょっと多めに口に含んでから肺に送り、あおいでライトを見つめると、先週まで賑やかにやっていた羽アリが姿を消していることに気が付いた。あの時は人のシャツにまでわんさか寄って来て、半分吸い終わってやっと大人しくなってくれたと鬱陶うっとうしがっていたのに、いなくなると何故か少し寂しい気持ちにもなった。

 子供は作れず、電気が作った幻に寄せられているのだとすれば、私も羽アリといい勝負だ。

 今月末は夏の集中教室がある。羽虫よりも大きくてやかましく、そしてそれなりに可愛げもあるヨウセイが、私をヘロヘロにするだろう。


 第一回宣言を終え、網戸を見ればナナフシがいた8月4日になりたての夜

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