第29話 潜入

 敵陣に潜入し、敵情を視察せよ。それが検非違使別当の命令であった。いや、正確には検非違使別当が発案し、兵部卿宮がその実行に名乗りを上げた。そして自動的に私も参陣することとなった。私は安全装置の外し方をその場で説明され、拳銃を一丁だけ渡された。なにもないよりはマシであろうと検非違使別当は言ったが、どうせ当たらないのだかから持っていてもいなくても同じだろう。それを告げるといざとなればその身を盾となし宮を守れと言われたのであった。ともかく拳銃はお守り以上の意味はないだろう。

 彼女が用意したヘリは自衛隊から鹵獲したUH-1Jである。機体に遁甲の術のための呪符が所狭しと貼られている。呪術ステレス迷彩である。

 そしてそのように準備が整えられた機体の前に簡易的な祭壇が組まれていた。御幣の後ろにはシキミが備え付けられ、その手前に米や酒などが供えられている。祭祀を執り行うのは神祇伯であり、穢れを祓わんと大幣を我々の頭上に振りかざしたあと、祭壇に向かい戦勝祈願の祝詞を奏上した。式典の終わりに、参加者に水杯が配られる。

「我々はこの聖域を敵の第一撃から守り抜きました」兵部卿宮ことみどりさんは言う。「だがそれだけではこの維新革命を守りきったことにはなりません。攻撃こそ最強の防御です。我らは敵陣へと強行偵察を行い、敵への撹乱工作を行います。極めて危険な勤務と言えるでしょう。だからこそ、私自身が名乗りを上げたのです。崇高なる義務を果たす責任が私にはあります」

 彼女は私達を見回した。

「そして、この任務に随行する貴君らに協力に感謝の言葉もありません。あなた方の名前は、この皇統の続く限り、永遠に語り継がれるでしょう」

 そして水杯を掲げる。

「乾杯!」彼女は言うと、杯の中身を飲み干した。我々も唱和し、彼女に習う。空になった杯を地面に叩きつける。土器が飛び散る。

「万歳! 万歳! 万歳!」我々は声を張り上げ叫ぶ。万歳三唱は谷間にこだました。私も叫びながら全身の血が沸き立つ感覚を抑えることができなかった。ついに出陣である! 私自身が今度は青史を綴るのだ!


 ヘリコプターの乗り心地はお世辞にも良いとは言えなかった。

 操縦を行っていたのは袋井氏という中年男性である。以前は報道ヘリなどを操縦していたらしい。そしてコパイを務めるのがヘリの免許は持っているという三条さんという若い女性であった。よくヘリのパイロットといった人材を揃えることができたなと感心する。てっきり捕虜にした自衛隊員に銃を突きつけながら操縦させるのかとも思ったが、そういう訳にはいかないというのが検非違使別当の判断であった。彼女はああ見えて法学部を出ているらしく、捕虜をそういうふうに使うのは交戦規則上よろしくないらしい。日本の正統政府を名乗る以上、国際法には準拠すべきだ、というのが彼女の考えであった。微妙なところだけリアリストだ。

そして潜入部隊は兵部卿宮ことみどりさん、私、そして先程戦功を上げた本田左衛門尉俊光である。彼はおそらくは二十代前半であり、ぼさぼさの髪であった。とても戦闘が得意とは思えないが、なぜか戦功が評価されこの任務に抜擢されたのである。

 ヘリコプターは丹生谷を覆う霧へと突入した。機体が大きく揺れる。私はなんとか機内の手すりに捕まっている。みどりさんは相変わらず法衣を着ており、隠形印を結び摩利支天の真言を唱え続けていた(声自体はプロペラ音にかき消されよく聞こえなかったがこれは読唇から得られた結論である)。これでステルス効果が高まるのだろうか。

 ほどなくヘリは霧を抜ける。眼下に広がるのは那賀川の流れ、それを取り囲む緑の山々である。川に沿った狭い土地には畑や田んぼ、集落がある。

 みどりさんは真言を一旦中断し、双眼鏡を取り出す。ドアを開ける。風が流れ込んでくる。

 身を乗り出すように東の山を見る。そしてその麓へと視線を下ろした。

「見えた」彼女は声を張り上げていった。そうしないと聞こえないからだった。「あの山が太龍寺山、そしてその麓が鷲敷の町です。鷲敷の町の学校の校庭にテントや車両が見えます。おそらく自衛隊と思いますが。数はここからでははっきりとわかりません」

 そう、今現在我々は敵陣の上空へと差し掛かろうとしているのだ。心拍数が上がるのがよく分かる。心臓が口から飛び出しそうだ。願わくは、遁甲や隠形の術が効果を現していること、そして自衛隊が地対空ミサイルを持ってきていないことを祈るばかりである。

 ヘリは川に沿って飛びながら太龍寺山山頂を目指す。私の目にも眼下に展開する自衛隊がわかった。2つの学校の校庭にテントを建て、装甲車が並んでいるようである。何もしてこないところを見ると、我々のステルスは成功しているらしい。

 山の頂上付近にはヘリを着陸させることができるスペースなどはなかった。唯一ひらけているのが太龍寺山の境内か駐車場である。駐車場は境内まで三十分以上の距離にあるため、頂上に近い境内への降下が適切であった。

 ロープウェイの山頂駅のほとんど真上にヘリコプターは静止すると、ロープを地面まで垂らした。みどりさんは先陣を切って懸垂降下で滑り降りる。私と本田左衛門尉もそれに続いた。ヘリは我々を降ろしたあと再び西へと飛び去る。なお、私は懸垂降下などといった曲芸じみた真似はできないので、ハーネスで吊り下げられて降下したことを付記しておく。

 我々が降りたのは山頂駅前の少し開けたスペースであった。駅と反対側には大きな階段が上まで続いている。左右に向かって道が伸びている。あたりに人の気配はなかった。ロープウェイの駅も無人であり、おそらくは戦場に近いため自衛隊による退避命令などが出たあとであろうと推測された。寺の方はわからなかった。

「まずは寺の方を見に行きましょう」彼女は駅舎から向かって右を指さした。「正面の階段を上れば本堂ですが、本坊は右手へ進んで鐘楼門を抜けたところです」

「人がいればどうするんですか?」私は言った。

「相手の出方によります。ここの住職は私の顔を知っています。そのために四国を廻ったのです。協力が得られればよいのですが。できれば境内での戦闘は避けたいところです」

「祈るばかりですね」本田氏が言った。

 そして我々が本坊の方へと歩き出そうとした時である。我々の背後――すなわち駅より左手の方からなにか人の気配がした。我々は振り返る。

 微かに砂利や枝を踏むような音が聞こえてくる。駅の左手の道は森に分け入るようになっており、それは弘法大師の修行した阿国太龍嶽――舎心ヶ嶽へと続いているのである。

 やってくるのは誰か。脂汗が流れる。みどりさんは刀に手を添えていた。本田氏もいつでも使えるようライフルを取り出している。

やがて足音の人物が姿を表した。それは少女であった。彼女は我々を見て目を丸くした。

「なんだ、登山者ですか」みどりさん刀の柄から手を離す。本田氏もライフルを下ろした。

 だが私だけは、立ち尽くしていた。おそらく私も目を丸くしていたであろう。まったくもって鳩が豆鉄砲を食らったような、そういう状態であった。

「どうしましたか?」みどりさんが私の様子に気づいて声を掛ける。

千歌ちか…」私は呟いた「なんでここに?」

 みどりさんがぎょっとする。だが周りの反応などはどうでもいい。彼女がそこにいることのほうが、よっぽど驚きであり奇怪であったのだ。

 少女はしばらく目を丸くしていたが、私の言葉を聞いて我に返ったようである。そして涙を浮かべつつ絞るような声で言ったのであった。

「お兄様……よくご無事で!」

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