第11話 叙位

 記者会見が終わると、西日本放送協会のクルーは薫御前に連れられ、会議場を後にした。後に残ったのは私とみどりさん、主上、そして入道殿と呼ばれた僧衣の中年男性である。入道殿はみどりさんの手を取った。

「浅葱殿、よく戻られた」入道殿は剃り上げられた頭を下げる「我々は貴女を待っていた」

「頭を上げてください。入道殿、私は戻ってきましたが、このとおりの姿なのです」みどりさんはそう言って自分の白衣の裾をつまんだ「貴人ではありません」

「しかし戻られた。主上をお支えするには我々臣下だけでは不十分。皇族が必要であろう」顔を上げた入道殿は彼女の肩に手を置いて言う「還俗されよ。内親王を名乗られよ」

「それは頼もしいですね」主上は笑っておっしゃった。「姉上がついてくださるなら心配事などありません」

「しかし……」みどりさんはそう言って言葉をつぐんだ。ちょうど主上と目が合った。主上は屈託のない笑みを浮かべている。彼女はそれに根負けしたのか、首を横に振った。

「……いいえ、なんでもありません。そうですね、この子には支えが必要でしょう」

「わかって下さったか」入道殿は安堵したように言った。「宮号はいずれ決めるとして、さて」そして私のほうに視線をやった「水澤さん、あなたも主上に仕える身となる」

 いきなり話をこちらに振られ、私は言葉に詰まってしまった。きょとんとしている私に対し、入道殿は言葉を続ける。「昇殿するとなると、無位無官というわけにはいきませんな。いきなりではあるが、従四位下じゅしいのげ左近衛中将さこんえのちゅうじょうはどうか」

 従四位下、左近衛中将。いきなり飛び出した中世的官職に戸惑いを隠せない。それがどれくらいの位であるか読者諸氏にはお分かりであろうか?

 近衛中将はその名の通り近衛府に属する。近衛府は禁中を警護し、行幸の際には供奉するものである。近衛府は左右に分かれており、その長官はもちろん左右の近衛大将である。近衛中将はそれに次ぎ、左右合わせて四人置かれた。

 ……といったようなことを知ったのは後の話であるが、中将の上には大将がいるくらいのことは想像がつく。私は近衛府の次官になるわけだ。

 だが見回してみればわかるように、近衛府の人員がそうそろっていそうには見えない。はたして長官たる近衛大将はいるのか。おずおずと尋ねてみた。

「それは久保殿である」

 頭がくらくらしてきた。薫御前が私の上司だって? 

 美人上司でのぼせているわけではない。銃を突きつけられながら仕事なぞしたくはないのである。彼女は、撤退など進言しようものなら、督戦隊を率いて背中を撃ってくるだろう。

 だから、入道殿のつぎの言葉を聞いて安堵した。

「だが久保殿はほかの官職の仕事が忙しく、実際の職務は水澤殿がすることになりましょう。具体的には、兵部卿たる宮のもとで防衛任務につくことになる」

 私はみどりさんの方を振り返る。やや申し訳無さそうな顔をしている。

 その顔を見ることもなく、入道殿は主上に言った「そういうことでいかがでしょうか」

「そういたしましょう。水澤殿には、その官位を授けます」主上はおっしゃった。まったくもって大人びたしっかりした物言いであった。主上は御年十歳である。

「それと、右大臣入道殿、朕から提案なのですが」主上は入道殿を見上げておっしゃる。

 なんとこの男は右大臣であったか。となれば私よりも位階は遥かに上だろう。右大臣入道と呼ぶのも長いので、唐名を借りて丞相入道と呼ぶことにする。

主上は続ける「朕に味方するわけですから、水澤左中将殿に、平の姓を授けるのはいかがでしょうか」

またも中世的な話題が飛び出してきた。つまりたいらうじを賜姓されるわけである。そして氏が平ならかばね朝臣あそんと決まっている。

従四位下左近衛中将平朝臣肇じゅしいのげさこんえのちゅうじょうたいらのあそんはじめ。あまり語呂が良くない。名前が二文字なら良かったか。

 まあしかし、貰えるものは病気以外は貰うべきだろう。知人にはわざわざ夜の街に病気を貰いに行くような輩もいるが知ったことではない。

「それはいい案ですな」丞相入道は言った。「いかがかな」

「つつしんでお受けいたします」私はうやうやしく頭を下げた。


 形ばかりの叙位を終え、みどりさんと一緒に私は役場を出た。役場の看板は上から横断幕に覆われ、太政官庁と書き換えられていた。

 聞いたところによると、現在太政官だじょうかんのメンバーは五名であるという。太政大臣と左大臣は空席であり、右大臣が事実上のトップである。そして旧丹生谷村の元村長が権大納言正三位ごんだいなごんしょうさんみで次に偉い。

 三番目に来るのが権中納言従三位ごんちゅうなごんじゅさんみの久保平朝臣薫である。彼女はほかにも近衛大将、そして検非違使別当を兼任しているという。多忙すぎる。

 その下に参議が二名。一方はこの地区出身の県議会議員で、正四位という。そしてもう一人の参議の職についたのが、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやこと浅葱みどり内親王である。

 みどりさんは浮かない顔をしていた。しぶしぶ皇籍への復帰に同意していたし、もしかしたら今回のこの反乱にそれほど乗り気ではないのかもしれない。わたしは訪ねた。

「わたしのことは大きな問題ではありません」彼女は首を横に振った「私の血の問題ですこれは。それよりも、あなたのような関係ない人をうかつに巻き込んでしまったことをお詫びしたいのです。ほんとうに、無理にでもあの時次郎笈へと抜ければよかった」

 そう言って彼女は頭を下げた。

「そんなことをおっしゃらないでください、頭を上げてください」私は言った「不可抗力があったとはいえ、協力すると言ったのは私です。捕虜に甘んじることももちろんできたが、それでも協力を申し出たのは私ですよ」

 半分は彼女を慰める嘘である。ものすごく後悔しているのは確かである。銃を突きつけられては正常な判断もあったものではない。しかし考えてみたらわかるだろう。ここの人々がいかに中世フリークだからといって、中世人ほど野蛮な仕打ちを捕虜にするとは思えない。矢の練習の的にされたり生皮剥がれたり首を切り落とされたりするよりは、もっと文化的で人間的で人権に配慮した待遇を得られるとは思う。やはり捕虜が良かったか。

「そ、そうですか……」彼女は顔を上げた。「ならいいのですが……」

 その時、上空に爆音が響いた。ゴーという鈍い音が空から降ってくる。

 私たちは空を見上げた。谷間の霧とはうって変わった、どこまでも突き抜ける青空が頭上には広がっている。太陽はちょうど南中していた。

 そしてその中を、ひとつの黒いシルエットが爆音を響かせながら通過していく。

みどりさんは懐から双眼鏡を取り出した。覗き込んで見上げると、彼女は唖然とした。私も双眼鏡を受取り、空を見上げる。

 一機の飛行機が、上空を飛んでいた。

 機体は黒塗りで、テーパー翼を備えたグライダーのような姿をしている。胴体後部にエンジンを積んでいるように見えた。大きさはここからはよくわからない。そして、機体に描かれた日の丸が識別できた。嫌な汗が背中をつたうのがわかった。

「自衛隊だ」みどりさんは絞り出すように言った。声が震えていた。「早すぎる」

「おちついてください」私はなだめるように言った。「あれはおそらくグローバルホーク、偵察機です。爆弾を積んではいません」

「でも、しかし……」彼女は頭を振りながら言った「政府はすでに自衛隊に命令を出したのです。いまに攻め寄せてくるでしょう」

「いえ、きっとただの偵察です、現状把握のためです。自衛隊の本格的投入はその後決めるんですよ、きっと」私は言った。彼女というより、自分自身を安堵させようとしているようだった。

 そう、あんな大演説を全国に流したからと言って、こんな山奥にいきなり軍勢を差し向けるようなことを東京政府はしないだろうと思った。まずは現状把握と話し合いだ。しかしなんだこの胸騒ぎは……。

 胸騒ぎの原因はわかっていた。わざわざ三機しかないグローバルホークを自衛隊は投入してきたのだ。ただの山村を偵察するだけなら、ヘリコプターで十分なのだ。通信の結界があるとはいえ、その範囲はそう高くまで及ばないし、通行は可能なのだ。そこへわざわざ、横幅四十メートルもあるような飛行機を使うとは、もしかすると……

 私は自分の言葉を一つ一つ否定するように首を振って、心の平静さを取り戻そうとしていた。だが胸騒ぎは治まらなかった。

 そして結局のところ、胸騒ぎは当たっていたのだ。

 ――興徳元年八月四日十二時前、日本国政府は自衛隊に対し、戦後初となる治安出動命令を下した。世にいう興徳事変の始まりであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る