第12話 予兆

 予兆は以前からあった。

 かの年の六月の中頃、梅雨の合間のある晴れた日のことである。SNSで幻日環の写真が広く拡散された。太陽は暈と左右に二つの幻日を伴っている。そしてその二つの幻日を結び、太陽を貫くがごとく、天球をぐるりと一周するのが幻日環である。いずれも虹と同じように、大気中の氷の結晶による光の屈折が原因である。写真はすぐにまとめサイトに転載され、ネット記事に頼るのを常としていたとあるワイドショーがそれを取り上げた。コメンテイターは無知な無邪気さで「綺麗ですね、見えた方にはよいことがあるかも」などと語った。

 とんでもない。幻日環とはすなわち白虹である。それが日輪を貫いている。『白虹日を貫く』と昔の人が呟いた不吉な兆であることを、今となって世人は思い知ったのである。

 七月末、愛媛県西条市にある香園寺をみどりさんは訪れた。この寺は聖徳太子の建立と伝わり、四国霊場の札所でもある。そこで新たに聖徳太子の書いたとされる文章が見つかった。中身は一旦簒奪された皇統が再び本来の持ち主に戻るという文言があった。いわゆる太子未来記の類である。これをみどりさんは丹生谷に報告し、御前殿をはじめとする太政官はとき来たれりと考えた。

 そして八月一日、夜中に善通寺の勅使門が開かれた。いや、開かれたという目撃談があるのが正確である。目撃談はさらに、それは天狗のごとき異形の集団であったと伝える。勅使門とは天皇もしくは天皇の使い専用の門である。いったいどちらの使いであったのかはわからない。だが、その直後にみどりさんは善通寺を発って剣山へと向かっていた。惜しむらくは私がこの話を知ったのはずいぶん後からで、彼女に真実を確認するすべを持たなかったことである。

 これらはすべて超常的な事象や予言の類である。だが予言というものは成就されたからこそ予言として伝わるのであって、予言とされた時点でその内容は決定的なのである。

 そしてそれに先立ち、実際の世間でも変異は起こっていた。

 先帝退位の翌年、省庁再編が行われた。上皇陛下は御所に入られ、そのため京都事務所の職務は肥大化して京都上皇庁として独立するようになった。東宮職も皇嗣庁と改められ、それに伴い宮内庁は宮内省に格上げとなった。文化庁も京都に移ったが、ひそやかに陰陽寮が文化庁の外局として設置された。これは外国人観光客誘致のためであるとか、皇室祭祀のため新たに太陰太陽暦を制定するためと言われるが、真意はわからない。また総務省もいくつかの内閣府の外局を合併し内務省と名を改めたが、その中には同年徳島の神山町に移転した消費者庁も含まれていた。

 先帝の退位と時をおかず行われた陰陽寮の設置と、内務省の出先機関が徳島に置かれたこと。これがはたして今回の事件を予期した初動であったのかはわからない。初動としてはやや迂遠に思われるが、新憲法制定を目指す与党は自衛隊を動かすことで受けるであろう批判を避けたかったのだ。


 だがいまや自衛隊が投入された。政府はジェリコの喇叭を鳴らした。東京政府の思惑は外れ、丹生谷は開戦に踏み切った。四方の道路を封鎖し、正統な皇位を主張した。神器を――壇ノ浦に沈んだとされる草薙剣を持ち出してきた。

 神山は狼狽した。自身らの目と鼻の先をすり抜けて神器が持ち去られたのだ。もともと批判も少なくなかった退位と皇位継承である。その正当性確保のためにも、神器が東京政府の管理下にあることは必須条件であった。もはや軍事行動はやむを得なかった。

 

 上空を通過していく自衛隊の偵察機を眺めつつ、胸騒ぎは治まらなかった。偵察が終われば次は侵攻だ。自衛隊は四方から丹生谷へと侵入するだろう。神器を争奪し、政府は主上を偽帝として糾弾する。そして我々は悪ければ内乱罪だ。

 どうにか手段があるはずだと考える。だが答えが浮かぶはずがない。

「あかん、結界を閉じるのを忘れとったわ」突如後ろから声がした。聞き覚えのある声だった。

 私とみどりさんは振り返る。数メートル後ろに立っていたのは巫女装束に身を包んだ二十歳ばかりの女性であった。髪を伸ばしていたので一瞬気見間違ったと思ったが、間違いなく見覚えのある顔だった。

「テレビ局のヘリを呼んだときに開いたんや。自衛隊まで来はるとは思わなんだ」彼女は続けていった。そこで私の顔に気づいた。一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに普段の不敵な笑みに変わった。

 みどりさんは唖然としている私を見て、私がこの人物が何者なのか理解しかねていると思ったのであろう、彼女の紹介を始めようとした。

「ええと、この方は神祇伯従四位下の…」

斎部美嘉いんべみか」私はみどりを遮るように言った。

「えっ」みどりさんは驚愕と戸惑いの表情をを浮かべた。巫女装束の彼女は顔色を変えない。

「美嘉、どうして君がここにいる?」私は訪ねた。

「阿波忌部いんべの末として当たり前のことをしに来ただけや。天子はんには先祖がえらいお世話になりましたからな」彼女は不敵な笑みを崩さず言った「それより水澤はんも、こんなとこでなししてはるんや?」

 私が答えようとした時、今度はみどりさんが割り込んできた。「私が連れてきたのです、宝剣の運搬を手伝ってもらいに」そしてややためらうように、訪ねた「水澤さんと、お知り合いなんですか?」

「以前、お世話になった仲、とでも申し上げさせてもらいます」

そして彼女は私を一瞥した。

「えらい久しぶりですな、一年ぶりくらいになるんかな」

「そうだ。十ヶ月前の稲荷山以来だ」私は答えた。

 はたして私がどのような表情を浮かべていたのかわからない。ただ美嘉は表情を崩さず、みどりさんは場の空気にどうすべきか戸惑い、私の顔を見てさらに混迷を深めていたのだった。

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