第9話 主上

 

 私は久保さんの言葉に絶句し、そしてみどりさんを見つめた。みどりさんもやや俯き、申し訳なさそうに、そしてまた同時に困惑の色を浮かべている。昨晩の記憶が駆け巡る。私は「皇族」に対しあんなことやこんなことをした可能性があるわけだ。恐ろしい。

 みどりさんは顔を上げると、私に言った。

「確かにわたしは安徳天皇の子孫にあたります。だけれども、私には皇位を望むつもりは全くありません」そして久保さんの方を向くと、困惑したように続ける「わたしは革命には協力する、だが皇位にはつかない。そういう条件で戻って来ました。天子の位など、私には堪えられません」

「だが他にはいなかった。貴女の父は、貴女の代で我々の悲願を成就させることを望まれていた。だからこそ貴女は東京に行き、そののち各地を放浪した、そうではなかったのか。貴女が奥吉野で感得したという法力は、なんのためか」

「天子自ら法力を使い軍を率いるなんて、神話の時代を除いて例がありません。わたしの力は、位に就かれる方の右腕となるためのもの。天子様はあくまで、無垢でなければなりません。父はわたしに皇位を望んだかもしれませんが、決して私はその器ではありません。それにわたしは今はいわば修行者の身、娑婆の人間でない者が皇位に就くなどありえないでしょう。出家したも同然である以上、皇籍を離脱したと考えてください」

「やはりその考えは変わらぬか」

「はい」彼女は力強く言った。

久保さんはそれを聞いてはあ、とため息をついた。そしてフッと笑った。

「失望ですか」みどりさんが尋ねる。

「いや、変わっていなくて安心した。変節するような人間なら軍を任せられぬからな。しっかり新王朝のために働いていただこう」

「もともとそういった条件だから戻ったんです。言われるまでもありません」

「ならよろしく頼んだぞ」

 さてこれで一件落着、というわけにはいかない。少なくとも聞いていた私は納得できない。

 みどりさんが安徳天皇の子孫であり、どうやら皇位継承権が現在第一位であることはわかった。だがみどりさんには天皇になる気はない。それを久保さんも了承している。みんな妥協案で合意できてよかったね、となるだろうか。本当に肝心なものがやはり抜け落ちている。

「ええと…」私はおずおずと切り出した。「状況はわかりましたが、しかし、結局肝心の天子様はどうされるんですか。空位のままというわけにもいかないでしょう」

 久保さんは私に鋭い視線を投げかけた「うつけが」

「これはあらかじめわかっていたことだ。昨年、計画を浅葱みどりに伝えた時から、この様子だ。その場合代案を立てぬわけがない」そして再びみどりさんに視線を戻す「入道殿にご相談した。そしてほうぼう探したのだ、ほかに皇位を継げる人間がいないかと」

「いたんですか」

「貴女には弟がいた、そうではなかったか?」

みどりさんはその言葉にきょとんとした。「ええ、そうですが、でも…」困惑した様子で答える。「いまどこで何をしているのか知りません。両親の死後、祖父に引き取られた私とは違い、まだ幼かった弟は、赤ん坊を育てる余裕のある、遠い親戚に預けられました。そこからの消息はわかりません」

 みどりさんがそう話していたとき、役場前の国道を一台の黒い車がこちらへと走ってくるのが見えた。車種は詳しくないのでわからないが、黒塗りで、高級車であることはわかる。車は役場のすぐ前で停車した。ドライバーがまず降りてくると、続いて後部座席のドアを開けた。手を引かれて、中から姿を現したのは、白いワンピースに身を包んだ少女だった。年の頃は十歳ほどだろうか。黒い髪が背中まで垂れていた。

 少女は、我々三人の方に歩み寄る。我々もそちらへと視線を向けた。

 久保さんは笑みを浮かべていた。みどりさんは、その困惑した顔が、しだいに驚愕へと変わっていった。私だけは、事情がよく呑み込めないでいた。

 少女は久保さんの前で立ち止まると、丁寧にお辞儀をした。

「遅くなって申し訳ありません、御前さま」年よりもはるかに大人びている様子である。顔だちも端正で、子供のあどけなさがあるが、しかし気品と美しさも兼ね備えている。

御前さま、と呼ばれた久保さんは少女に答えた「頭を上げてください。いま丁度そろったところです、待ってなどおりませんよ。それにわたしにさま付けはやめてください。わたくしたちは臣下なのですから」

「ええと、では」少女は少し考えてから言った「御前どの、お出迎えありがとうございます」

 そして、なお目を点にしているみどりさんに、少女は話しかける。「ご無沙汰しておりました、お姉さま」

「もしかしてあなたは…」みどりさんの声が震えている。

「はい、言仁ときひとです。あなたの弟です」彼女は微笑んだ。

 ちょっと待ってくれ。

 いま目の前にいるのはワンピースを着た美しい少女だ。だがいま目の前にいる少女は、自身を浅葱みどりの弟だといった。すると答えはただ一つ。彼女の弟が、女装しているのだ。そりゃあみどりさんも驚いて口をきけなくなるわけだ。生き別れの兄弟が女装して目の前に姿を現すなどだれが想像するだろうか。そしていったいなにゆえ女装しているのか。彼自身の趣味の可能性もあるが、それはさすがにあの年の少年(少女?)に責任をかぶせるのは大人げない。では久保さんや、「入道殿」の趣味だろうか。あの生真面目な顔で女装ショタ好きとかスキャンダルものだろう。いや、そういえば貴人の間では子供に幼少期女装させるという習慣を聞いたことがある。昭和帝や、海外でもマッカーサー元帥や英首相チャーチルの女装写真も見たことがある。そういうことなら頷ける。そういうことにしよう。

そしてもう一つの問題は、このあと彼をなんと表記するかだ。見た目と性別が一致していないから、性別のある代名詞は使いにくい。諱で呼ぶのも失礼だ。だからここから先は、彼のことは、「天子様」もしくは「主上」と呼ぶことにする。

 ともかく、茫然自失したみどりさんを横目に、今度は主上は私に視線を投げかけた。

「この方は?」主上がお尋ねになる。

「協力者です。名前は確か…みず…」

「水澤肇、です」私の名前を曖昧にしか覚えていないことにむすっとしつつ、私が答えた。

「水澤さん…」主上はその名前に思い当たるところがあるように、考え込むそぶりをされた。そしてはっとひらめいたように顔を上げるとおっしゃった「昨晩夢で見ました。夢の中で、私は沢に流れる水の音を聞いています。すると川の上流から、宝剣が流れてきます。それを拾い上げるところで目が覚めました」

「なるほど」久保さんが相槌を打った「沢を流れる水の流れに乗って、宝剣がやって来た。たしかに、このたび宝剣も、この水澤肇の車により運ばれた。そして肇、という名前も新王朝をはじめるにあたっては縁起が良いです」

「その通りですね」主上は微笑んだ「御前どの、この人を登用しましょう。きっと、よき働きをしてくれるに違いありません」

「御意です」そして久保さんは顔を上げ、視線を主上から私にうつした「というわけだ。陛下からのお許しも出た。貴様も、ばりばり働いてもらう」

 さきほど協力する、と言ってしまったものの、どうしようか悩んでいた私であるが、ここでこうしてこの反乱への加担が決定事項とされてしまった。ああ、大丈夫かな。たしか内乱罪は死刑ではなかったか。死なないためには、死ぬ気で戦うしかない。

 そう考えを巡らしていたとき、ふたたび道路の向こうに影が見えた。今度は数人である。学校のグラウンドの方から、こちらへ向かってきている。

 さきほどのヘリコプターのテレビクルーたちであった。

「陛下、テレビ局の者たちが来ています。私が呼びました」久保さんは主上に言う。「いま役場の方へ向かっています」

「あっ、そうですか。ご苦労様でした」そして主上は踵を返すと、役場の正面玄関の方へ向かう。自動ドアが開き、そこでまだ外にいる我々の方を振り返る「それでは、朕の最初のみことのりを、全国民に伝えに参りましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る