第8話 鶏合
ベン、ベン、ベン。バチが鳴る。バチが鳴る。琵琶を鳴らすは盲目の法師か、それとも弁天か。
――元暦二年三月二十四日の卯刻に、豊前国門司・赤間の関にて、源平矢合とぞ定めける――
世にいう壇ノ浦の合戦。元暦二年(寿永四年)三月二十四日、ユリウス暦一一八五年四月二十五日、源平両軍は関門海峡で衝突した。潮の流れは当初平家に有利だった。だが日が高くなるにつれ、潮の流れが変わった。戦いの流れも変わった。義経の目の前に八幡神の奇瑞が現れる。源氏は次々と矢を射かけ、平家は次第に追いつめられる。平家の劣勢と見た諸侯は次々と義経方に投降し寝返った。そしてついに…
――源氏のつは物共、すでに平家の舟に乗り移りければ、水手・舵取ども射殺され、きり殺されて、舟をなほすに及ばず、舟そこにたはれ臥しにけり――
源氏の兵士たちが次々と平家方の舟に乗り移る。操舵手や漕ぎ手は殺され、舟は潮に流されるままである。平家はその滅亡を悟った。二位尼は、神璽を脇に挟み、宝剣を腰にさすと、主上の手を引いた。
――主上ことしは、八歳にぞならせおはします。御歳のほどより、はるかにねびさせ給ひて、御かたちうつくしく、あたりもてりかがやくばかりなり。御ぐしくろうゆらゆらとして、御せなか過ぎさせ給へり。あきれたる御さまにて、「尼ぜ、われをばいづちへ具してゆかむとするぞ」と仰ければ、いとけなき君に向かひたてまつり、涙をおさへて申されけるは、「君はいまだしろしめされさぶらはずや。先世十善戒行の御ちからによつて、いま万乗のあるじと生むまれさせたまへども、悪縁にひかれて、御運すでに尽きさせ給ひぬ。まづ東に向かはせ給ひて伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、その後西方浄土の来迎にあづからむとおぼしめし、西にむかはせ給ひて、御念仏さぶらふべし。この国は粟散辺地とて、心うきさかひにてさぶらへば、極楽浄土とて、めでたき処へ具しまゐらせさぶらふぞ」と泣く泣く申させ給ひければ、山鳩色の御衣に、びんずらゆわせ給ひて、御涙におぼれ、ちいさくうつくしき御手をあはせ、まづ東をふしおがみ、伊勢大神宮に御いとま申させ給ひ、其後西にむかはせ給ひて、御念仏ありしかば、二位殿やがていだき奉り、「浪のしたにも都のさぶらふぞ」となぐさめ奉って、ひいろ底へぞ入給う。――
先帝入水!
ああ、琵琶を鳴らせ。かき鳴らせ。幼帝への追悼歌だ。
二位尼に抱かれ神器とともにわずか数え年八歳、つまりは六歳の安徳帝は壇ノ浦に身を投げた。悲しきかな、悲しきかな。冷たい春の海に、その幼き玉体を沈め奉る。悲しきかな、悲しきかな。
そして、安徳帝とともに三種の神器も波間に消えた。鏡と玉は回収されたが、剣――草薙剣――は海中深く没し、ついに見つからなかったという。
ついに平家の命運は決した。平家の栄華の象徴ともいえる安徳天皇が波の下にその姿を消した。平家は総崩れとなり、次々と武者は討ち取られていく。
――海上には赤旗、赤じるしをなげ捨て、かなぐり捨てたりければ、竜田川の紅葉をば嵐の吹き散らしたるがごとし。みぎはによする白波も、薄紅にぞなりにける――
そして平家の旗印――赤い幟は海上に打ち捨てられ、波間に漂った。あたかも、神代も聞かず竜田川、唐紅に水くくるがごとく、一面の海上を染め上げた。やがて日は傾く。辺り一帯は朱に染まる。
そして今、その赤旗が、赤い幟が、目の前ではためいているのである。
「つまりあなた方は平家の再興を目指しているというわけですか」私は言った。「この時勢に、武家政権を?」
久保さんは首を横に振った。「お前はわかっていない」彼女はそしてたしなめるように続ける。「平家の再興は我々の悲願だ。それは間違いない。だがもっと重要な問題がある。いまだ帝がおわすのに、新たな帝を立てる。これがどれほどのことかわかるか?」
源氏に追われ都を平家一門とともに脱した安徳天皇の代わりに、寿永二年八月、後鳥羽天皇が立てらてた。これにより数年にわたり二人の天皇が存在することとなった。
「われわれは後鳥羽の子孫を帝とは認めない」久保さんは力強く言い切った。
先帝の退位せぬうちから勝手に擁立された帝。たしかにそれを認めがたいのはわかる。
だがしかし。
安徳帝は壇ノ浦に身を投げた。わずか八歳で。安徳帝の子孫がいれば話は別だが、そうでなければ後鳥羽天皇側に皇位が移るのも致し方ないと思われる。
私の返答を聞いて、久保さんは答える「たしかに子孫がいなければ皇統は別の系統に移る。それは道理だ。だが、それはほんとうに壇ノ浦に御身を投げていれば、の話だがな」
「ほんとうに?」
「聞いたことはありませんか、平家の落武者伝説を」そこでみどりが口を開いた。「安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、平国盛に連れられ、四国へと落ち延びたというのです」
その話は聞いたことがあった。壇ノ浦の戦いの後、平家の武将、平国盛は安徳天皇を連れ四国へと落ち延びた。行き着いたところが阿波国祖谷であった。その折に祖谷よりほど近い剣山へと宝剣・草薙剣を納めた。これが剣山の名前の由来となった。平家再興の夢を胸に国盛は山あいの村に潜伏したが、安徳帝は九歳で崩御なされた。平家再興の望みが絶たれた。平国盛はそのまま祖谷に土着し、現在に至るという。
「そう、それが現在流布している伝説です。安徳帝は落ち延びたにしろ、九歳でこの世を去った。そう世間は思っている」
「違うのですか?」
「そう、我々が思わせたのです。安全のために」
久保さんが付け加える。「もしも安徳天皇が生きながらえていると知れば間違いなく鎌倉方は追っ手を差し向ける。安徳帝がいまだ位におわすうちから、別の帝を立てた連中だ。それくらいのことはしても不思議ではない」
「だが、連中は安徳帝はともかく幼なくして没したと信じた」私は言った。
「そうだ。そしてその血脈は現在まで受け継がれている。我々平家の血脈と同様に」久保さんは言う「我々は祖谷渓より南下し、宝剣を剣山に奉納したあと、この地へと降り立った。安徳天皇は世継ぎを残したあと、この地で崩御されたのだ」
「ははあ、全て繋がりました!」私は合点がいき、声を上げて叫んだ「あなた方は平家の末裔で、源氏や後鳥羽天皇により不当に掠め取られた皇統を取り戻すべく、政府に対し反乱を起こした。皇位を名乗るには神器が必要で、そのため、昨日みどりさんが剣山へと出向いた。そして細長い桐箱を持ち帰った。だがしかし、皇統を名乗るには肝心のものがかけていませんか」
「肝心なもの?」久保さんは聞き返す。
「帝です。安徳天皇の子孫は、どこにおわすのですか」
久保さんは、はあ、とため息を付いた。「そうか、まだ言ってなかったのか」とつぶやく。みどりはやや俯いて、申し訳無さそうな顔をしている。
「安徳帝の子孫は、ここにいる」私を見据えると、久保さんは力強く言った。そしてみどりの方に視線を投げかける。「いまここにいる浅葱みどりが、安徳帝三十二代の子孫だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます