9-1 変容する世界1

 薬剤を───少なくとも彼の生命を維持し、容体を安定させるための薬物を流し込んでいた輸液用の針を全て引き抜く頃には、仁尾は激しく喘いでいた。

 胸郭の内側に、息を吸い込む度に破裂しそうなほどの痛みが弾ける。

 強烈な拒絶反応のようなそれに、吸い込んだはずの酸素が体内に入ろうとする前に弾かれ、呼吸という生理機能が働かない。吸っても吸っても、まるで水中にいるかのように───空気の代わりに水が雪崩れ込んでこないだけましだが───息が出来なかった。

 酸素が足りない、という肉体からの必死な訴えに、鼻腔が、口腔が、忙しなく喘ぎを繰り返す。

 脳に酸素が回らないどころか、おそらくは血中に急激に増加した二酸化炭素のせいで、手足が冷たく痺れてくる。一気に血の気の引いた頭───頬や顎までもが、痺れて硬く強張っていく。

 窒息するのではという、本能的な錯覚が押し寄せてきて、意識するまでもなく息遣いが荒くなっていった。


 アキがいる以上、この体が滅多なことで死へと墜ちることはないと、わかってはいる。

 けれど、頭の中の理解と、理性に制御されることのない身体の反応とは全く別のものなのだという事実を、仁尾は初めて痛感せざるを得なかった。


 ほぼ意識がなかったとはいえ、この肉体は確かに一度、死の淵ぎりぎりにまで滑り落ちたことがある。

 仁尾自身の理性おもいよりも肉体からだは、覚えているその恐怖に囚われて正直に竦み、呆気なく混乱に陥ったのだ。


 切り裂かれ、引き千切られるような激痛よりも、無意識に当たり前に出来ていた生命維持活動が機能不全を起こす苦しさの方が、より強く死を想起させる。

 そんな本能的な恐怖の前には、自身の意志など物の数ではないという現実が、容赦なく彼を打ち据えたのである。


 激しい痛みよりもなお肉体を狂乱させる苦しさに、思わず固く瞑っていた目を、仁尾は歯を食いしばって再び抉じ開けた。


 皮肉交じりの揶揄いを含んだ笑い声が、からだ。

「よかったじゃねえか。テメエも一応は正常な人間だったって証明されたんだ」


 激しく喘ぎながら、小刻みに震える自らの両腕を睨みつける彼に、が言葉を重ねた。

「少なくとも、俺が知識として得た人間の正常な状態ってもんが、テメエにも当て嵌まったってこった。

 普段はどんな事だって出来る、してみせるって思っている奴だって、実際に危機に瀕しちまえば、生物としての本能が勝つってな。テメエもだったってわけだ」

「……楽しい、か? アキ。 私の、今の、状態が」

「おうよ。この世界、人間、社会、その全てが興味深いけどよ。中でも一皮捲れたその内側ってえのは別格だ。

 いやあ、大抵のことは意地で押し通すテメエにも、通し切れねえ状況があるとはな」


 無理矢理に絞り出した問いかけに、脳内の面白がる声が返って、仁尾の唇の片隅が吊り上がった。

 苦笑のかたちをしたそれは、けれど、限りなく獰猛な気配を纏っている。


 苦痛を、恐怖を振り払い、無理矢理にでも意識を耳へと傾ければ、耳を劈く警報が、彼の息遣いにも負けぬほどの激しさで室内中の大気を殴打している。

 今、この瞬間にも、エレとジェイを襲っているかもしれないの咆哮を思わせるそれに、苦しさに眇められていた目が強い光を放った。


 燐の光───モスキートの波動に輝くそれでは、ない。

 アキの力を帯びた、そんなものではない。


 どんなことだって出来る。

 してみせる。

 そんな思い上がった気持ちではない。


 やらなくてはならない。

 それ以外は、許さない。

 たとえ、どんな状況であろうとも。

 守るべき子供、救うべき子供が、そこにいる以上は。


 ───仁尾が抱えているのは、そんな、人としては異常なほどの、もっと傲慢な意志だったのだから。


 忙しなく吐き出される息は、酷く熱い。

 回る視界を見定めようと目元が歪み、眉間に深い皺が刻まれる。

 おそらく凶悪と言ってもいい様相の中で、爛々と目を光らせ、獰猛な笑みの気配を口元に漂わせている男は、確かに常軌を逸していると言って差し支えないだろう。

 ───それぐらい、わかっている。

 そんな自らを嘲笑いながら、仁尾は激しい喘ぎと小刻みに震える体に拘泥することなく、ベッドから足を降ろしたのである。


 永い眠りから目覚めて七年。ここまで酷い状況ではないが、今までも負傷したことがないわけではない。

 その時にアキと取り決めていたことを、今も、こんな状況に陥ろうとも、それでも仁尾は撤回するつもりはなかった。


「これは、私の意志で始めたことだ。強制でも義務でもない。

 ましてやおまえがいて、私が死ぬ確率は極端に低いのだろう?

 そのうえでさらに私のリスクを減らす謂れはない」


 私は、神でも悪魔でもモスキートおまえでもない。多少変化したとはいえ、ただの人間なのだから。

 痛みすら感じずにいていいと、優遇されるような謂れのあるはずがない。


 そう言った時、完全に呆れ返った仁尾自身の顔で、アキは首を振ったものだった。

「おまえな。

 実はマゾだろう? そうだろう?」

「人聞きの悪い。私は私の身勝手さを弁えているだけだ。

 この体がおまえの物でもあるとはいえ、自分の身勝手さを貫く以上、それに付随するリスクを投げ出すつもりはない。

 おまえの存在をいいように利用して自分の望みを叶える、そんな都合のいい考えなら、最初からやらない方がましだ」


 ───それでは、贖罪にさえならないじゃないか。


 僅かの間絶句した後、アキは胡乱な眼差しで彼を見据えた。

「……いいけどな。

 まあ、確かに痛覚ってストッパーがないまま、自覚もなく取り返しのつかない無茶をされるよりはましか」

「取り返しがつかない?」

 鼻で笑った仁尾に、アキが嫌そうに口元を歪めた。

「たとえ八つ裂きにされたところで、確かに俺は、テメエの体を再生してはやれるけどな。損傷の度合いが酷けりゃ、時間だってかかるんだよ。

 動けない状態でどこぞのコルドゥーンに取っ掴まって、また封印されるような真似は二度とごめんだぜ」


 なるほど、と頷いた仁尾と「痛みってえのも滅多に味わえねえ面白い感覚だし、まあ、いいか」と呟いたアキの妥協によって、こうして今も怪我を負えば痛みに身を焼かれる当然の摂理を、仁尾は甘受しているのである。

 その当然のことわりを、どれほど激痛に苛まされることになろうと、彼は今も後悔するつもりはなかった。


 ───もっとも、その数年後に、彼らの傍らに身を置くことになった少年がアキにその話を聞いて首を傾げたことによって、多少の変更が余儀なくされることになったのではあるが。


「ニーオの言うこともわかるけど。

 でも実際に『仕事』中に自由に動けない状態になったら、元も子もないんじゃないか?

 モスキートを封じてサクリファイスを助ける、それ自体が失敗するようなことになったら、ニーオにとってはそっちの方がよっぽど許せないことになると思うんだけど」

 その言葉を聞いて、アキは肩を竦めて同意したらしい。

「そりゃそうだ。自分に厳しいのはともかく、それでガキを犠牲にでもしたら面倒なことになるな、あの野郎。

 ……ふん。条件付きの限定解除が妥当かね?」

「条件付きの限定解除?」

「ああ。坊主、おまえにもその反動が跳ね返ることになるだろうけどよ。それも条件のひとつになるのは、仕方がねえ。

 で、どうするよ?」


 アキの言葉に、そして、エレがあっさりと頷いたのだと、後に仁尾はアキに聞かされたのである。


 仁尾の与り知らぬところで一方的にに決められ、事後承諾せざるを得なかった『限定解除』。

 どうやら、初めてそれを発動することになりそうだった。


 口元に漂っていた苦笑の気配が掻き消え、奥歯がぎちり、と鳴った。

 エレに、彼自身のものではない無用の負担をかけることに……己の不甲斐なさに落ち込むのは、しかし、今すべき事ではない。

 今は、子供達を助けに行くことが何よりも優先される、仁尾に課せられた急務なのだから。

 謝罪も自己嫌悪も、アキのに甘んじるのも。

 全てはあの子達の無事を確かめ、あの子達を取り戻してからのことだ。


 血と煤にまみれボロボロになった服を纏ったまま、ゆらりと立ち上がった姿は、まさに悪鬼じみているだろう。荒い息を吐き汗をにじませて、鬼気迫る表情でよろけながら踏み出した男の瞳には、燐の光が宿り始めていた。


 仮の病室であるこじんまりとした───それでも、一般的なホテルの部屋などよりもよほど広い───天井や壁面の装飾こそ豪奢な一室には、医療機械のカートと簡易ベッドだけしかない。

 それらを後にした仁尾は、覚束ない足取りながらも、閉ざされたままの扉に歩み寄った。

 扉に寄りかかるようにして体を支え、ノブを握るが、当然のことながら施錠されたそれは、固い手応えだけを伝えるばかりで虜囚の解放を阻む。

 自らのぬくもりを帯びていく金属を握ったまま、仁尾はただそれを見下ろした。


 鳴り響く警報や彼自身の荒い息遣いに紛れて、微かに小さな音が響き始める。彼の手に伝わってくる微かな振動は、仁尾自身の震える掌によるものではない。

 震えているのは───ノブだ。


 そして。

 突然、仁尾の手の中のノブが、彼の行く手を阻む重厚な扉が、音をたてて崩壊したのである。

 一瞬前までは確かに存在していた扉だったモノ、ノブだったモノ、壁、床板……。それらが、一瞬にして砂のように極微に分解され、支える何物をも失って崩れ落ちたのだ。


 水が時に氷となり、あるいは時に気化するように。

 この世界で最もで安定しているあらゆるは、加えられるによって如何様にも変化する。

 言ってしまえば、この世のあらゆる物質に、完全なる安定を保つものなどない。

 人間が、決して変わることなどないと信じている、世界を構成しているあらゆる事象は、そのじつ、永遠にそのままであるとは限らないのだ。


 人間の認識出来る領域だけで、世界は成り立っているわけではない───。

 石が、永遠に石であり続けるとは限らない。

 花が花のままであるとは、人が人のままであるとは、限らない。

 それを───魔法使いコルドゥーンでも一部の者しか知り得ないだろう理を、仁尾もまた、今となっては理解せざるを得ない立場にいた。


 ───ただ、その力が人に認知出来る次元のものではないだけなのだ、と。


 モスキートの持つ力……その最大の特性は、この世界のでの安定を、変化させることだった。

 その変化は力の加減、あるいはそれを行使するモスキートの意図によって、いくらでもバリエーションや規模を変えることが出来る。

 そう、仁尾は


 発火物はおろか、何も存在しない場所で───それこそ、大気しか存在しない航空圏の直中だったとしても───モスキートには、いきなりそこに爆発を起こす程度、造作もない。

 何もない場所で、どこからともなく岩石や金属、時によっては神の子のように加工物であるはずのパンを生み出すことさえ容易く出来る。


 何もないと一口に言っても、この世界にある限り、大気や水分や熱、微小な生物に満たされていない場所など、ほぼ存在しないからだ。そのいずれか、あるいはその全てを変質させ、全く違うに変えてしまう。

 モスキートのもたらす、

 それは無から有を生み出すことも、有を無へと還元することさえも容易い。

 世界の理───あらゆる物質、法則に則った安定を無効にして、有意に無限に改変することが出来る。

 それがモスキートという存在なのだと、仁尾はこの思い知らされたのである。


 壁で我が身を支え、のろのろと足を引き摺るように、ゆっくり仁尾は廊下を進んでいった。

 仁尾の体を支えていた壁が、床石が、彼が離れた直後に音を立てて、砂塵と化して崩れ落ちていく。大地に受け止められ、かつては人に加工された建材だった物質は、次の瞬間、ふっと消え失せた。

 否、消えたのではない。

 この世界にある、人に見ることの出来ない物質───あるいは、モスキートのみが作り出せる分子、あるいは霊子とも呼ぶべき存在へと変化していったのだ。


 一歩踏み出すごとに耐え難いほどの痛みが突き上げてくるが、それで傷口が開くことも、内臓が破れることも、手足が砕けることもないと、仁尾は

 たとえ肉体がそれを死の手前で点滅する危険信号だと訴えて、絶え間なく本能的な恐怖を掻き立てようとも。それは、まだの中に身を置くことを自らが望んだからこそ感じられるだけで、現実には、アキに支えられているこの生命は理の外に在る。

 それを、仁尾は知っている。


 ならば仁尾にとって、焼けるような痛み、神経が引き千切られるような痛み、本能が喚きたてる恐怖、そのいずれもが顧みる必要のないものだった。

 顧みている余裕を、自らに許すことの出来ないものだった。


 荒い息を吐き、まるで睨み据えるような眼差しで前を見据えながら、仁尾は歩き続けた。

『病室』を出た瞬間から、大気中を埋め尽くすような警報に紛れて、まさに銃撃戦であろう激しく交錯している銃声を耳は捉え続けていた。

 地響きに揺れるこの建物は、直接のでこそないものの、おそらくは爆発の衝撃波でだろう、窓が破れ、壁が崩れ落ちている。そこから炎に焙られて流れ込んでくる熱い大気と相まって、まさにすぐそこに戦場があることの疑いを持たせない様相を呈していた。


 セイングラディード島という隔絶された大地に隠されたこの宮殿の中で、今、無軌道な戦闘が繰り広げられているのだ。


「坊主もなあ。おまえがいねえと、割とえげつねえ手を平気で使うからなあ」

 笑いを含んだアキの声が、脳内で響く。

 モスキートの波動の発現を感知した瞬間、ほぼ同時に、アキは再び斥候として力の一部を島全体へと伸ばしていた。

 そしてアキと仁尾は、モスキートの覚醒と時を同じくして、エレの四人の傀儡が宮殿───おそらくは機関の中心である本宮のあちこちで、無差別に周囲の人間や機材に向けて発砲を始めたことを知ったのである。


「なあ、ニイオ? おまえと、自分と同じ境遇の犠牲ガキ者共以外は、あの坊主、根本的に人間が嫌いなんじゃねえか?」

「………」

 体中の痛みに引きずられるように、上手く思考がまわらない頭の中でも、アキの声だけははっきりと意識に届く。ぼんやりと、そうであってもおかしくはないな、と仁尾は心のどこかで思った。


 命そのものを危うくするほどの虐待を彼に強いたのは、人間……暴力を伴った権力を持つ驕慢なだ。

 幼かった日のその恐怖が、無意識に憎悪に変化していったところで、確かに不思議ではない。


「せいぜいおまえが監督していなきゃ、いずれ碌なことをやらかさないとも限らねえぜ?」

 言葉だけなら心配ともとれるそれを面白そうに嘯くアキの声に、仁尾は眉間に皺を寄せた。

 いっそ凶相といってもいいほどに、表情が険しくなる。


 それは、アキの言葉に対するものであり───同時に、視界に現れた人影に対するものだった。


 は、ちょうど病室のあった奥棟───おそらくは離宮から、アーチ状の回廊へ出たところだった。

 美しいアーチを描く天井を支えて並ぶ柱には豪奢な彫刻が施され、その下のモザイク状に色彩の異なる煉瓦が敷き詰められた通路は、車道ほどもの幅がある。

 美しく丹精された中庭に面した回廊は、しかし今、激しく揺れる振動によって、装飾の一部がひび割れ、雨のように降り注いでいた。

 百メートル程も続く回廊のその先に見える石造りの宮は、少なからず破壊されて火の手が上がり、炎と黒煙を中庭へと吐き出している。

 中庭を抜ける風によって時おり千切られる黒煙に向かって、躊躇いなく歩を進めていた仁尾は、そして黒煙の切れ目に、こちらへと走り込んでくるひとりの男を見つけたのである。


 半ば視界を遮っていた黒煙が切れたことで、男も仁尾に気付いたのだろう。

 ぎょっとした顔で、慌てて足を止めた。

 麻のスーツの胸元に金の徽章を付けているのは、この宮殿に属する男達と同様だ。

 しかし、皺の刻まれ始めている顔に浮かんだ表情は、常軌を逸するものだった。

 死にかけている状態で運び込まれた仁尾が自力で歩いているのを、目撃したこと。そんな驚きの程度ではない。化け物でも見たかのように、盛大に引き攣らせたそれは、確かに仁尾に対する恐怖をまざまざと浮かび上がらせていたのである。


 もちろん、その表情を見るまでもなく、その身に纏う空気だけで、仁尾には十分だった。

 常人の持ち得るものとはあきらかに───もっとも、それを知る者だけが判別することが出来る───気配。


「『聖櫃』……!」

 鋭い目を恐怖に身開いた男……トゥームセラの国家機関に潜り込んでいたコルドゥーン。

 おそらく無意識にだろう、その唇がそう動くのを、仁尾は視界に捉えたのだ。


『セオドア王子の呪い』の機関を利用して、意識のない仁尾を、膠着状態に陥ったあらゆる陣営のコルドゥーンからも人間からも隔離したのは、この男だろう。

 本来なら、機関の男達の意識がジェイに向けられている隙に密かに味方の陣営を引き入れ、仁尾を封印して連れ去るつもりだったのは、想像に難くない。


 しかし、封印し無力化する前に、こんなにも早く彼が自力で動き出すとは思っていなかったのだろう。

 宮殿のあちこちで一斉に起こった異変を察知した男は、おそらく慌てて仁尾の身柄を確保しようと、こちらに向かう途中だったのだ。


 そして魔法使いコルドゥーンである男にとっては、燐の光を目に宿し殺気立つ仁尾は……コルドゥーンにすら制御出来ない数多のモスキートをその身に呑んでいる仁尾は、まさに化け物に等しい。

 恐怖に顔を引き攣らせた男の魔力が、跳ねるように沸き上がったのは、だから、おそらく反射的なものだった。


 その体が、淡い光を纏った陽炎のような揺らめきに包まれる。

 次の瞬間、それは強烈な眩しさの光を放つ力の軌跡となって広がった。

 床の煉瓦を抉り立ち並ぶ柱を砕きながら、一瞬にして巨大な球状の力が仁尾に迫る。


 しかし。

 仁尾は指一本動かさなかった。

 ただ苛立たしげに、僅かに顎を上げただけだった。


 その眼前で、燐の輝きが展開される。そして、迫りくる力の奔流や弾き飛ばされた瓦礫の嵐を音もなく呑み込んだ。

 コルドゥーンの放った力を消滅せしめた燐光は、そのまま、まるで押し返すように奔りながら瓦礫と化した回廊を、舞い上がった粉塵を、呑み込み、砂礫へと分解していく。

 対手が断末魔の叫びをあげる間もなかった。


 己が攻撃を放った次の瞬間には、仁尾の封印を目論んでいたコルドゥーンは、血飛沫すらあげられぬまま砂礫と化して吹き飛んだのである。


 回廊もそれに続く石造りの棟も、緑に満ちていた中庭さえもが、一瞬にして消え去っていた。

 それをなした男は、黒ずんだ血に染まったシャツの上から傷口を庇うように腹部に手を当て、憮然と前屈みに佇んだままだった。


「……子、供達が危……い、んだ。貴様……の、相手をし、ている、暇は、ない」

 荒い息の下で、それでも苛立ちを吐き捨てずにはいられなくて、切れ切れに仁尾は声を押し出した。

 それだけ済ますと、歯を食いしばり再び歩を踏み出した。

 縋るための壁を失ってもなお、辛うじて進める程度の足取りではあったが、着実に波動の発現地点への距離を縮めるべく歩き出す。


「……なんだよ。犠牲ガキ共だけじゃなく相棒が絡むと見境がねえのは、テメエもか」

 呆れたような声が、脳裏に響く。

 仁尾は口元を歪めた。


 ───おまえこそ。

 長い付き合いになるが、そんなにおせっかいだったか? アキ。


 心の中でのみの問いかけは、しかし、共生している悪霊には届いているはずだった。

 返答こそ返ってはこなかったが、姿が見えていたなら肩を竦めていただろう。そんな気配だけがあった。


 そして、ふと、その気配が跳ねた。何かを思いついた子供のような、ちょっとした高揚にも似たそれが、仁尾の意識を掠める。


「テメエ、容赦なくやるつもりなんだよな?」

 件の玉座であれば、にんまりと笑っているのが見られただろう。そんな気配を感じさせる声で、アキが呟いた。


「つまり、今、結構テメエ、手加減が出来ねえんだな?」

「……アキ?」

「こりゃあ、チャンスって奴だよなあ?」

 楽し気に弾む声が響き。

 そして。


 ───金色の光が、炸裂した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る