5-2 追撃2

 固い音を立てて、ジェイ達へ近づく、その先陣を切る男の足元の地面が、弾けた。


 義父の銃口から上がる細い煙が消えるよりも早く、振り返った男のひとりが無造作に引き金を引く。

 躊躇いも、感慨すらない、流れるような動きだった。

 ───義父に、己の身の危険を悟らせる余地さえ与えない、機械的と言ってもいい一動作だった。


 銃声と共に、義父の体が赤い血の帯を空に描きながら弾き飛ばされる。

 その身が、背後のセダンに叩きつけられ───シャーシが陥没する響きと共に、硬い車体に激突した肉体の、骨の砕ける無慈悲な音、肉が弾け、血管が破裂する気配が、凍り付いた大気を震わせた。

 まるで壊れたマネキンのように、義父だったモノの体が崩れ落ちるのを、ジェイは呼吸すら忘れて、見つめることしか出来なかった。


 悲鳴になり損ねた声が、喉に詰まっている。

 恐怖を吐き出すことなど、出来ようはずがなかった。


 半円を描くようにジェイとサミーとを包囲しながら歩み寄ってくる、十数組もの足音だけが、不気味な程に静まり返った大気に響いている。

 黒いセダンに取り囲まれた舞台の中央で……その後で凍り付いている数十人もの観客おとこ達すら歯牙にもかけず、銃口をこちらに向けたまま、男達が近付いてくる。


 義父を撃ち抜いた凶器が、今まさに、半円を描くそれぞれの位置から自分達に狙いを定めている。

 恐怖を吐き出すことなど出来るはずがない。

 小さな弟を抱えたまま、引き攣り硬直した体の中に冷たいものが満ちてくるのだけを、ジェイは感じていた。


 歩み寄ってくる男達の足が、止まった。

 反射的に、ジェイは目を瞑った。

 咄嗟にジェイに出来たのは、そして、覆いかぶさるように小さな弟の体を抱えて、しゃがみ込むことだけだったのである。


 幾重にも轟いた銃声が、聴覚を一瞬にして圧殺した。


 びくり、と大きく跳ねた体に、しかし、何の衝撃も襲っては来なかった。


 感知したのは、自分達の周囲で複数の重い物体が倒れる、音と気配だ。

 思わず顔を上げたジェイの視界に、黒いセダンの壁を盾に、銃を構えて身を乗り出している男達の姿が映った。

 先程まで呆然と凍り付いていたのが嘘のように……我に返ったらしい『セオドア王子の呪い』を継承する男達が、油断なく状況を窺っていた。いかにも訓練された者の隙の無さで、発砲したばかりの銃口は、いつでも次弾を撃てるよう体制を整えている。


 そして。

 彼らと自分達の間で……ジェイとサミーを取り囲むように、こちらへと銃を向けながら踏み出してきた男達が、悉く地に倒れていた。


 おそらくは咄嗟の判断で、男達は仲間だった者達を射殺したのだろう。

 しかし彼らにしても、未だ現状が理解出来ているというわけではないようだった。遠目にもその表情が強張っているのが、ジェイには見えていたのである。

 もちろん、彼ら同様、何が起きたのかわからなかったのは、ジェイも同じだ。


 義父を始めとするこの男達は、ただジェイとサミーを拉致することだけを目的としていたはずだった。少なくとも、義父の言動からもそれ以外の目的があったとは思えない。

 しかしそれならば、丸腰の子供ふたりに、わざわざ複数の凶器を突き付ける意味など全くないだろう。

 ───ましてや、仲間である義父を射殺してまで。

 そんなことをすれば───現にこの状況が示すように───周りを取り囲む仲間達に、翻意と取られて攻撃されることなど、わかりきっていただろうに。


 それなのに不可解にも、排除されたこの男達は、わざわざジェイとサミーに銃口を向けて歩み寄ってきた。

 その本意は何だったのだろう。


 十数人もの男達の血が、じわじわと周囲に広がっていく。凍りついたように強くサミーを己の胸に押しつけたまま、その光景に目を奪われていたジェイは、しかし次の瞬間、ついに悲鳴を抑えることが出来なくなった。


 血の海に沈んでいた男達の体が、ぴくり、と小さく動いたのである。

 もがくように、赤く濡れそぼった手足がゆっくりと折り曲げられる。それは壊れたパペットを、もつれた糸を無理に引いて動かしているかのような、ぎこちなくも不自然な動きだった。

 あるいは幼児が人形を弄ぶような、圧力による体の構造を無視した、生物のものではない動きとでもいうべきものだった。


 そしてついに、不自然に揺れながら血塗れの体が徐に起き上がったのである。


 もはや視線を逸らすことも出来ず、サミーを全身で庇ったまま、ジェイは喉も裂けんばかりの金切り声を迸らせずにはいられなかった。


 ぎこちなく揺れる度に、男達の銃創から血が噴き零れる。

 ばたばたと大地にそれを撒き散らしながらのろのろと立ち上がった男達は、無表情に、再びジェイへと銃口を向けようとしていた。


 恐慌状態に陥った者が本能的に迸らせる絶叫が、黒い車体の壁の向こうからも湧き起こり、ジェイのそれにも劣らぬ常軌を逸した響きを夜の街に投げつけた。

 恐怖に駆られた不穏な不協和音に引きずられるように、続く数多の銃声が、豪雨のそれのように大気を満たす。


 銃口を向けたままジェイに迫ってきていた血塗れの男達が、体中のあちこちから更なる血を迸らせながら弾き飛ばされる。


 しかし。


 筋肉をズタズタに吹き飛ばされているのが如実にわかる動きでありながら、一生物としての体の制御などもはや不可能であることがあからさまな状態ながらも、全身を血に染めた男達は、再度、ゆらりと立ち上がったのである。

 かろうじて、という動きながらも地面に落ちた拳銃を拾い上げて、その銃口をのろのろと上げる。


 流れ落ちる血も、土埃に塗れた赤黒い顔や服にも、一切無関心に───中には、鼻先からずり落ちた眼鏡さえそのままにした男もいた───ただ自分達に迫ってくる男達は、もはや人間とは思えない。

 まるで傀儡の群れのようだった。


 痛みも不具合もまるで感じていないような男達を、悲鳴すら途切らせて、ジェイは凝視せずにはいられなかった。

 頭の中が、真っ白になっていた。


 異様な状況に直面した人間の束の間の忘我は、弾丸を撃ち尽くしたのだろう、セダンの向こうで立ち竦んでいる男達も同様だったようだ。

 あるいは恐怖に麻痺した理性が、新たな弾丸を再装填する必要性をも見失うほどに、現実を認められずにいるのか。

 耳を聾するほどだった銃声の響きが消え去った後には、奇妙な空白せいじゃくが夜の街を満たしていた。


 奇妙な、静寂。


 住宅街の真ん中で夥しい銃声が轟いたというのに、自分達の周りに聳え立つアパートメントは、沈黙を続けている。灯りひとつ点くこともなく、驚いて窓を開ける者もいない。

『セオドア王子の呪い』に関しては見て見ぬふりをする人々も、己のすぐ傍で発生した犯罪、あるいは事故の気配に───己にも火の粉が降りかかるかもしれない不測の事態に、とっさの反応を返さずにいられるほど無頓着でいられるはずがないのに───。


 どこか遠いところで他人事のような呟きが聞こえる。

 現実逃避のように奇妙に冷静なそれが、自分のものであることを、ぼんやりとジェイは自覚していた。


 ゆらり、と血塗れの男達が迫ってくる。

 幾つもの黒い銃口。

 ぐずぐずに破壊されていながらなお動く、異様な赤い男達。

 もはや呆然と、ジェイはそれから目を逸らすことも出来なかった。


 その頭上を。

 突然、獲物に襲い掛かる必殺の鋭さで、猛禽が滑空した。


 刹那、そんな錯覚を覚えるほどの並外れたスピードで、何かが突っ込んできたのである。

 異様な状況の中に、投擲された武器のように飛び込んできたふたつの影が、ジェイに正気を取り戻させた。


 ジェイが目を瞬かせるよりも早く、そのひとつが低く地を蹴る。

 小さな細い体が、猫科の獣のように猛然と赤い傀儡の群れに迫る。その手が閃くのと同時に、街灯の光を反射して小さな刃が空を切った。

 薄く四角い、カードのような刃だ。

 もはや人ならざる男達の、銃を持つその腕が、少年の手が閃く度に投擲された小さな刃に切断される。

 声ひとつあげない男達の今度は足を止めるべく、少年が容赦なく更なる攻撃に移るのを、ジェイの目は捉えていた。


 少年。

 そして、ジェイを庇うようにその目の前に立ち塞がる、長身の後ろ姿。


「ニーオ……。エレ……」

 呆然と声にならぬ声を漏らすジェイの前で、男は片手で背に抱えるように持っていたライフルを、軽々と振り下ろす。

 微動だにしない立ち姿のまま肩撃ちの姿勢を取るなり、スコープを覗くと同時に引き金を引いた。


 二発。


 無造作に連射された銃弾が、耳障りな金属音と共に、一台のセダンの車体を傾かせる。一発目でホイールを歪ませ、二発目でサスペンションを撃ち抜かれたセダンから、ホイールごとタイヤが弾き飛ばされたのだ。


 きれいに反動を逃がしているらしい男の、その姿勢が崩れることはなかった。

 対物ライフルであったなら、固定もせずに狙い通りの射撃など成し得るはずがない。しかしその威力は、とても対人ライフルのそれとは思えなかった。

 神業のような連射でセダンを制御不能にした銃口が、次々に新たな獲物に襲いかかる。


 一台目が仕留められた瞬間、反射的に保身のための回避行動を取った男達は、自分達に向けて銃弾が放たれたことでようやく我に返ったのだろう。

 慌てて弾倉を再装填しているようだが、その間にもニーオのライフルは、停車したままのセダンを単なる鉄屑へと変えていく。

 やがて弾を打ち尽くしたらしいニーオは、左手にその銃身を掴み、右手に新たな拳銃を抜き取る。


 銃撃戦が始まった。

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