3-3 『セオドア王子の呪い』と『聖櫃』3

「……え?」

「最初に、俺達の目的を話そう」

 自嘲染みたニーオの言葉に被せるように、エレが口を開いた。


「セオドア王子が、イギリス人の高官達を呪い殺した。これを事実として話すけど───事実だと、───そもそも、我が身を犠牲にして他人を呪い殺すには、呪いをかけるためのが必要になる。ただ恨みを抱えたまま死んだからって、それで、自分に関係のない誰かに何らかの影響が出るわけがない。呪いを籠めてその意志が相手を害する、媒介となるものが必要になるんだ」

「呪いの、媒介……?」

「王子は自らの命を犠牲にして、呪い、あるいは奇跡を起こした。もともとは、そんなつもりじゃなかったのかもしれないけれど。王子は、命を懸けて働きかければ望みが叶うそれを、どこかで見つけてしまったんだ。俺達の目的は、王子が見つけ呪いの媒介に使ったそれを、取り戻すことだ」

 眉をひそめるジェイを眺めて、ニーオが深く息を吐いた。


「……便宜上、それは『聖櫃』と呼ばれていた。我々は単に『箱』と呼んでいるがね」

「箱?」

「そう。……パンドラの箱をイメージするとわかりやすいかな」

 神話に出てくる、あらゆる悪と災いを閉じ込めたという箱を思い浮かべて、ジェイは首を傾げた。


「それが、何時から何の目的で収集されてきた物なのか、私は知らない。部外者である我々には知らされないことのひとつだからだ。収集し続けてきた者達が、自らを何と称しているか知らされないようにな」

「………?」

「彼らの実態も知らん。ただ、遥か昔から世の中の裏側で存在し続ける彼らの……ごくまれに表舞台に現れる彼らをモデルとした民話や御伽噺は多いから、そのイメージはわかりやすい」


 皮肉な笑みを、ニーオは口元に刻んだ。

「魔法使い。……陳腐なイメージだろう?」


「逆に言えば、現実に彼らに遭遇した普通の人達が、こうした陳腐なイメージに変換しなければ理解出来ないぐらい、目撃した事態が異様だったのかもな」

「………」

「『セオドア王子の呪い』と同じことだよ。陳腐な与太話、御伽噺にしか聞こえないその裏の事実が、どれだけ凄惨なものかなんて、公には明かされない。ただ偽装した情報の一部だけが、馬鹿馬鹿しさを装って世の中に広まっていくんだ」

「私に彼らのことを教えてくれたモノの言葉をそのまま使って、我々は彼らを魔法使いコルドゥーンと呼んでいる。この世界に生きる大多数の『普通の人間』と、僅かに───あるいは、本当に根本から違っているのかもしれない、違うカテゴリーに属する存在だ。そう考えてくれればいい」


 それは神秘オカルト主義とか陰謀説と言うんじゃないかと、それこそ馬鹿馬鹿しいと切って捨てることは、ジェイには出来なかった。

 現にジェイも、にこうして巻き込まれているのだ。

 全面的に信じるか否かはともかく、ふたりの言葉の行き着く先に注意深く耳を傾ける必要だけは、感じずにはいられなかったのである。


「コルドゥーンという人々の間にも、もちろん派閥があり、敵対関係にある組織がある。その闘争の一部が手違いで……あるいは確信犯的に、表舞台に晒されるという事件が起こったことがある。四十七年前の日本でだ。──当時、私は単なる警察官でな。偶然その事件に巻き込まれ……否応もなく件の『箱』を開けてしまった」

「……は!?」

 目を見開くジェイに、ニーオは微苦笑を浮かべた。

「ちょっと待って! 四十七年前って、だってあんた……!?」

「ああ。事件後四十年、眠り続けていたからな。……言っただろう? 事件に関わっていたのは、魔法使いなのだと」

 絶句するジェイの胸の内でじわじわと、男の、少年の、その言葉が繋がっていく。


『セオドア王子の呪い』。

 金色の徽章の男達。

 義父。

 ……『箱』。

 魔法使いコルドゥーン───。


 それがひとつの絵となるよりも早く、胸に兆してくる不穏な気配に顔が引き攣ってくるのがわかった。


「コルドゥーンが、どうやってを『箱』に納めてきたのかは……封印してきたのかは知らない。箱の中身は、人間の目には……少なくとも私には見えないモノだったからな」

 ニーオは、苦く言葉を継いだ。

を何と呼ぶべきかは、な。それこそパンドラの箱の如く、悪や災厄でもいい。呪いでもいい。悪霊でも悪魔でもいい。あるいはウィルスと考えてもいい。なんらかの力を秘めた、目には見えない、しかし間違いなくこの現実を劇的に変容させることが出来るが『箱』の中にはひしめき合うように存在していたんだ」

「………」

「コルドゥーン達が、それを何と呼んでいるのかは知らん。知ったとしても意味がないからな。ただ、それは『箱』から解放してはならないモノだった」

「だけど、あんたはそれを開けてしまった……?」

「そうだ」男の端正な顔が歪んだ。「その場で、三百人以上の人間が巻き込まれた。……私が、彼らを殺してしまった」

「ニーオ」

 咎めるように、エレが男の名を呼ぶ。ニーオは静かに傍らの少年に目をやった。

「事実は事実だ、エレ。空港のロビーを鮮血で染めた三百人もの炸裂した死体を見た時、この『供物』によって私が悪魔を召喚したのか、それとも召喚した悪魔がこの惨劇を引き起こしたのか、とぼんやり考えたことを覚えているよ。もっとも、その頃にはほとんど意識など残ってはいなかったがな」

「………」


「それを為したのが、『箱』の中の……そう、一体と呼ぼう。が言うところの、一体のモスキートだった」

モスキート?」

「いや、毒牙モスキートだ。そして、その一体を残して、『箱』の中に封印されていた全てのモスキートは散り散りに飛び去った」


 一度目を伏せ、ニーオはジェイをまっすぐに見つめた。

「逆説的な言い方だが、『箱』の中のモスキートが悪魔であれウィルスであれ、それ自体だけでは、世界を変転することは出来ない。媒体となるものがなければな。悪魔もウィルスもそれを求めるのは、説法でも現実でも同じことだ。意志的と言ってもいい。そして、モスキートちからは常に変化を指向する」

「だから、媒体やどぬしとなる存在を捕まえる。擬態して」

 エレが溜息を吐いた。

「モスキートに自我があるかどうかはわからないけど、少なくとも目的はある。そのために媒体の利益を───望みを叶えることを条件えさにして寄生するんだ。そして、条件と引き換えに目的を果たそうとする。……少なくとも、最初はね」

「最初……?」

「モスキートは目的を果たすために媒体を必要とする。でも、引き換えにする望みは、媒体本人のものである必要はないんだ」

「───!」

 思わず肩が跳ねたジェイを、エレは悲しそうなまなざしで見つめた。

「つまり、そういうことだよ。それが今の君達が……ジェイが置かれている現状だ」


「なんで……なんで、そんなことがわかるんだよ!?」

 反射的に、思わずジェイは反論していた。

 小さな頃、聞かされていた『セオドア王子の呪い』───その結末が、現実として自分達に降りかかってくることを、薄々悟ってはいる。けれどそれを断定されることは、どこかで認めることが出来ないままだった未来を突き付けられたに等しい。


 怖かったのだ。───認めたくはなかったのだ。


 エレは、小さく頷いた。

「……ここじゃない国でね。俺もまたサクリファイス───モスキートの媒体だったからだよ」

「───!」

 目を見開くジェイに、少年はゆっくりと笑みを作った。

「他人事じゃないんだよ。他人の望みのために、犠牲として差し出された身としてはね」


 苦い表情で口を噤んでいたニーオが、小さく息を吐く。

「もう、君も予想がついているな? ……セオドア王子は、おそらくモスキートの一体と接触し、契約をしてしまった。それがどんなことか、理解していたかどうかは定かではないがな。そして、『呪い』は発動した」

「そう考えなければ、『セオドア王子の呪い』は成立しない。王子の死後、この四十年ほどの間に失踪した複数の子供の存在が、公には隠蔽されてきた理由もね」

「………」


「───事実、つい先日この国でモスキートの力の発現が……犠牲者サクリファイスの死亡が観測された」

 青ざめるジェイに気遣わし気なまなざしを向けながら、ニーオは言葉を継いだ。

「コルドゥーンといえど、一瞬の力の発現……解放される力の波動を捉えることは難しい。そして、その一瞬の機会チャンス以外に、モスキートの存在を発見するすべはないんだ」


「何処へともなく散ったモスキートを、今もあらゆるコルドゥーンが探し続けてる。モスキートの力は、コルドゥーンにとっても特別なものらしいから。それでもこの広い世界の中で、たった一瞬の火花みたいな波動を血眼になって探し続けるなんて、狂気の沙汰だと思わないか? それを成し遂げちゃうコルドゥーンも、大概だと思うよ」

 呆れた口調で、けれどやはり心配そうにこちらを窺うエレに、ジェイは一度目を閉じて息を吐く。


「……トゥームセラでモスキートを見つけたのは、本当にそのすごい偶然によるもの、だったの?」

「いや。もちろんそれ以前から、コルドゥーン達は各国で情報を収集していた。この国でも『セオドア王子の呪い』の話を、異国人にはまず漏らされない話を、長い潜伏の末に調べ上げている。……数年ごとに失踪する子供の存在についてもだ」

「それは、いつ……?」

 痛まし気に眉を顰めて、ニーオが首を振った。

「我々には、モスキートの力の発現が確認されて、その大まかな位置が確定されて初めて知らされる。情報を掴んで位置を確定するまで、どれほどの時間がかかるものなのかは、知りようがないんだ」


 胸の奥から、痛みにも似た暗い気持ちが込み上げてくるのを感じて、ジェイは顔を歪めた。


 ───もっと早く、モスキートという呪いの媒介が取り除かれていれば。

 連れ去られた子供は、もっと少なかったのかもしれない。

 サミーが目をつけられることも、なかったのかもしれない。

 自分達家族は、今でも幸せなまま───父が死ぬようなことはなかったのかもしれない。


「……すまない」

 沈鬱なニーオの声に、ジェイは唇を噛むしかなかった。そうしなければ、発作的に彼を責めてしまいそうだったのだ。


 現在の自分やサミーの、自分達家族の不幸の遠い原因が、彼に因るものだとニーオは告白した。

 しかし、だから、とすぐに彼を罵ることが出来るほど、ジェイにはまだ話が呑み込めてはいなかったのだ。

 たった今聞いたばかりの話は、未だ実感を伴わない。

 つい数時間前に出会ったばかりの人に、己の仇だと申告されても、怒りや恨みを感じるのは難しかった。


 何よりも、ジェイが何を言うまでもなくニーオが自分自身を責めているのが、ジェイにはわかってしまったのだ。

 騙されているとは思わない───今のジェイを騙して、彼らに何らかの利があるとも思えない。だから、ニーオの話も……彼がひどく悔いているのも、事実なのだ。


 喉の奥が震える。……泣き出してしまいそうな己を、ジェイは必死に抑えつけた。

 いくら自分が不幸なのだからといって、何を言っても何をしてもいいというわけではない。

 ましてやニーオは、初対面のサミーが安心しきって懐けるような……おそらくは、とてもいい人なのだ。

 そんな彼に、まだ憎しみすら感じられない彼に、それでも、今、口を開いたら、ジェイは酷いことを言ってしまいそうだった。

 八つ当たりのように、ニーオの預かり知らぬ全ての憤りを悪意に変えて、彼に叩きつけてしまいそうだった。

 あんたのせいだと、擦り付けてしまいそうだった。

 に。


 それはたとえば、刃を持っていたからという理由だけで他人を傷つけることにも似た、きっと自分を許せなくなるぐらいに、酷いことだ。

 罪悪だ。

 そう思うのに。


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