3-2 『セオドア王子の呪い』と『聖櫃』2

 そして今、こうしてジェイとサミーは陽の射し込む明るいリビングに座っている。


 やがて人数分のカップを乗せたトレイを持って、ニーオが現れた。

 ジェイの前に二つ、その正面に座るエレの前にひとつカップを置くと、その隣に自分のカップを置いて腰を下ろす。

 上背のある彼が斜め向かいに座ったのは、自分達を威圧しないように、という気遣いなのだろうか、と考えながらジェイは対面のふたりを眺める。


 ───何故だか、並んだふたりを見ていると、何かが引っかかるような気がした。


「温かいうちに飲むといい。気分も落ち着くだろう」

「ニーオはお茶を淹れるのも上手いからさ。美味しいよ?」

 さっさと彼らがカップを手にしたのは、こちらの緊張感を和らげようとしているからだろうか……。

 さっきから、つい彼らの意図を探ろうとしてしまう自分は、確かに未だ気持ちが尖ったままなのだろう。

 それほどあからさまに態度に出ているのだろうか、と思いながらジェイもカップを口に運んだ。


 やわらかな香りが鼻先をくすぐった。微かな苦みを感じさせる温かなお茶は、渋みもなくすっきりと優しい味がする。

 家を出てからほぼ半日飲まず食わずだったジェイの体に、その温かさは染み渡るようだった。

 ───美味しい。

 小さな溜め息が、唇から零れて落ちた。


「さて」カップを静かに置いて、ニーオが目をあげる。「まずは、現状の話から始めよう」

 見返すジェイに、彼は穏やかにその口を開いた。


「君ぐらいの年頃の子達には、八十年近く前の戦争は、完全に歴史の一ページでしかないだろう? 中世の出来事と何ら違いはない、遠い昔の話だと」

「………」

 二十代半ばか、せいぜい後半といった男の台詞にしては、少々奇妙な言い草に、ジェイは目を瞬かせた。

 特に笑みを浮かべるでなく、さりとて無表情というわけでもない男の落ち着いた低い声には、ジェイに警戒心を抱かせるような響きはない。

 変に下手に出るわけでも、媚びを売るわけでもないそれは、子供の相手に慣れている人間のもののようにジェイには思えた。


「大義名分はともかく、領土と資源を奪い合うことから始まった第二次世界大戦は、各国がそれぞれ総力戦になだれ込んだことで、その後の力関係を完全に塗り替えてしまった。それまでの列強国の論理と力が失われたわけだ。それに伴って、それまで植民地の立場に甘んじてきた国々に独立の機運が沸き上がった。……当然、トゥームセラにもだ」


 どこまでこの人達は知っているのだろう、と微かに眉を顰めるジェイの前で、ニーオは再びカップを口に運んだ。


「それまでトゥームセラの宗主国は、イギリスだった。欧州とアジアを繋ぐ交易拠点として栄えていたトゥームセラは、イギリスにとって重要な『資源』だったから、簡単に独立を認めるわけにはいかない。だが、すでに国際情勢は変わっている。下手を打ってを敵にまわせば……うかうかしているうちに、他国に権限を奪われかねない危険性もあった。それに、当時すでにインドの独立でかなりの痛手を被っていたからな。トゥームセラの独立を認めずにいることが、どれほどの愚行となるか、嫌と言うほど予測がついていたのだろう。だから、イギリスはトゥームセラの独立を拒むことはしなかった。もっとも戦後の復興に続いて様々な駆け引きの末の独立だったから、実際にトゥームセラが独立を宣言したのは、戦後十年近くが過ぎてからだった。……そしてイギリスは、独立に際して巧妙な、というよりは、悪辣な手段を取った」


 テーブル越しに指を伸ばしたエレが、サミーの手をつつく。嬉し気に笑って、弟はその褐色の指を握りしめて、小さく振った。

 お遊戯のように繋いだ手を揺らすふたりを眺めながら、ジェイはニーオの言葉に耳を傾ける。


「それまで長く為政に関わらせなかった国王に、全権を譲渡する、と。国の最高責任者に全てを返還するのだから、話としては確かにおかしくはない。しかし自分達で隔離し、実質的に国政に関して素人同然に仕立てあげてきた国王に、すぐに国を背負うことが不可能であることぐらい、イギリス側がわからないはずもない」

「………」

「もとより、既に交易拠点としての繁栄を極めていたトゥームセラだ。この地に物資、情報、金融、あらゆる物流をもたらす各国との交渉、規制……積み重ねられてきた表裏様々な駆け引きの集積を、今さら失うわけにはいかない。せっかく独立しても、最大の国益であるそれらを失って国が貧しくなってしまっては、本末転倒もいいところだからな」


 腕の中で、サミーがはしゃいで笑っている。その頬をくすぐりながら、エレが優しい目を向けていた。


「しかし当然のことながら、そうした権限、条例の優劣、時には道理を掻い潜れるほどの強権……つまりは権力を掌握していたのは、赴任しているイギリス人の高官だけだった。僅かに補佐的な役割として関わっていたトゥームセラ人の官僚もいたが、その悉くが戦後すぐに解任され、地位を追われていた。……政権を返還されても、国王にはそれを統治する地盤もブレインも与えられなかった。独立を宣言しながらも、実際はイギリスの介入を拒むことは出来ず、主導権はイギリス側に握られたままというわけだ」

「………」

「そうした状況は、十五年に渡って続いた。そのことに不満を募らせるトゥームセラ人は多かったが、闇雲にイギリスを排除することの愚も、やはり理解していたのだろう。良くも悪くも、トゥームセラが様々な国の人々を受け入れていることで繁栄があると、長くその仲介の実績を重ねてきたイギリスを、確定的な代案もないままに切り捨てることは出来ないと、理性的に判断するほどその統治の影響力は強かったのだろうな。今さら自国民のみの国粋主義を振りかざしたところで、やがて訪れるのは混乱と不利益のみだと、誰もがわかっていた。だからこそ尚更に不満は燻り、国内情勢は不安定の一途をたどるという悪循環が続いたわけだ」


 まるで歴史の授業だ。

 淡々と語るニーオに、ジェイは浮かびそうになる苦い笑いを奥歯で噛み潰した。


「そうした時、当時の第一王子がラジオで国民に訴えた。『必ず自分がこの状況を変えてみせる。だから、今しばらくは耐えて欲しい』と。時間がかかりつつも独立を成し遂げていく周辺諸国……変動し続ける世界情勢に、まだ二十歳そこそこの王子もまた理想に燃えていたのかもしれない。あるいは国の現状が、彼の王族としての使命感を駆り立てたのか……。いずれにしても王子が、何の実力もない王族のひとりであることに違いはなかった。その放送も、あくまでも王族として国民に平静を呼びかけるパフォーマンスに過ぎないと、トゥームセラ人はもとよりイギリス人にも思われていた。……ここまでが公の話、だな?」


 ジェイは黙ったまま、ぐっと顔をあげた。正面から、まっすぐにニーオの顔を見つめる。本題がここからだということを自分も承知していると、彼に知って欲しかったのだ。

 ニーオは少しの間ジェイの顔を見つめていたが、そっと目を細めた。何だかその眼差しが、サミーを見ている時のエレのそれに……保護すべき幼い者を見る優しい表情に似ているようで、ジェイは唇を引き下げた。


「それ以降、王子は人前に姿を見せなくなった」

 無意識のジェイの不満の表明に、気付いたのだろう。ニーオは小さく笑った。

「放送の約二年後、王子の死亡が公表された。そしてほぼ同じ頃、権力を握っていた件のイギリス人高官達が事故死、あるいは病死で次々に亡くなるという異常な事態が起こった。謀殺の可能性はゼロだと、当時彼らそれぞれに随行していた複数のイギリス人が証言している。……しかし、一連の事態に動揺するイギリスの間隙を突いて、有無を言わさずトゥームセラ国王が閣僚の首を挿げ替えたのも、また事実だ」

「……セオドア王子の呪い」

「トゥームセラ人の間では有名な話らしいな。己が命を懸けて、王子は敵を呪い殺すことで国を取り戻したのだ、という趣旨の話だと」

 与太話を笑うような様子でもなく、ニーオは頷いた。

「我が身を捧げたセオドア王子の志に打たれて、即座に国王は政権をイギリスから奪い返した。むしろ、事態に対する国王の早すぎる手の打ちようは、救世主である王子の導きによるものなのだと、是非の不穏さはさておき、トゥームセラの人々は受け止めたわけだ」

「子供騙しの御伽噺だよ。サンタクロースやブギーマンと同じだ」

「だが、トゥームセラの子供であれば必ず聞かされる話だ。そうだろう?」

「………」


 ───どこまで知っている? この異邦の人は、何を知っていて……それとも鎌をかけているだけなのだろうか。

 ジェイは再び、用心深く口を閉ざした。


「何よりも国王に新たに任命されたトゥームセラ人の大臣や長官達が、それまでイギリスに押さえられていた情報、システム、人脈、国の資産である税金、有価証券……その全てを、。権力闘争すら起きていないというのに、だ」

 僅かに俯いて、エレが呟いた。

「有り得ない話だよな。大規模な裏工作があった気配さえないのに、まるで転がり込むように、トゥームセラ側に全ての権限が自動的に収まるなんて。それも国を牛耳っていたイギリス側に、その予兆を悟らせる余地さえ与えなかったって」


「エーエ?」

 不思議そうに呼びかけるサミーの声に少年はすぐに笑みを浮かべたけれど、一瞬昏く陰った青い瞳をジェイは見逃してはいなかった。

「………?」


「しかもそれは、再びの他国からの介入を許さない鉄壁の体制をすでに組み上げた後での話なんだろう? 実質的に、きっちり国政からイギリス人を追い出したわけだ。けれどそれって、それまでの人的、能力的なトゥームセラの状況から見たら、常識的に有り得ない流れだ。誰だって、人智の及ばない力が働いたんだと思って当然だよ」

 カップを傾けるエレの口元が、皮肉気に歪んだ。

「だから何も知らなくても、皆が不穏なものを感じて『呪い』なんて呼ぶのかもな。もっともこの国の人々にとっては、呪いというよりは奇跡と呼ぶ方が相応しいのかもしれないけれど」

「呪いであれ、奇跡であれ、この話がトゥームセラの人々の間で今でも語り継がれているのは事実だ」

 ちらり、とエレを見やってから、ジェイを見据えてニーオは言った。


「語り継がれる必要があるからだ。……それは、『セオドア王子の呪い』が今もまだ続いているから、なのだろう?」

 問いかけるような言葉とは裏腹に、その口調は断定する響きを帯びていた。切り込むようなニーオの眼差しに弾かれて、ジェイは視線を己の膝に落とした。


『こうして、勇気あるセオドア王子の正義の力が悪い人達をやっつけたのでした。今もトゥームセラは、セオドア王子に守られているのです。もしもまたこの国に災いがもたらされるようなことがあれば、王子は再び降臨されるでしょう。何故なら偉大な王子はこの国の子供達ひとりひとりの中から、今もトゥームセラを見守っているからです───』


 幼い頃、人の良い子守りの女性が繰り返し繰り返し話して聞かせてくれた御伽噺が、脳裏を過る。

 それが本当は、『呪い』の話なのだと、誰からともなく聞かされたのは学校にあがってからだった。


 呪われるのは、トゥームセラに仇なす人間。

 そして───トゥームセラの子供。


 それは、トゥームセラ国民だけの、公然の秘密だった。


「ジェ?」

 見上げてくるサミーを抱く己の両手が、無意識のうちに固く握りしめられているのが見える。テーブルの向こうからは見えていないだろうそれに気付いているかのように、ニーオの声が和らいだ。

「……何故、トゥームセラのこの話が語り継がれているか、君はもうわかっているんだな?」

「………」

 強張る指先に目を落としたまま、ジェイは頷いた。


「ジェイ」

 男の声が、静かに空気を揺らした。

「私達の目的は、あるモノを取り戻して『セオドア王子の呪い』を断ち切ることだ。そして……私個人の望みとして、何としても君とサミーを無事に助け出したい」

 思わず顔をあげたジェイは、そこに、まるで裁きを待つ罪人のように目を伏せる男の姿を見た。


「セオドア王子から始まる代々の犠牲者達が、虐げられ、殺されてきたのは、元をただせば私のせいなのだからな」


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