10 チェロキー族の涙の旅路

       *


 二日連続で高校に行くなんて久々だったからか、須賀原まで驚きを露わにしていた。


 二時間目の世界史の授業中、遅刻してやってきた須賀原は、教室に入った途端に目を丸くして僕を見た。教師に注意されながら隣の席に座ると、開口一番に「二日連続なんて、本当に雪でも降るんじゃないだろうな」と言い、大袈裟に驚きながら窓の外を確認した。無礼な奴だが、仕方ないかと溜飲を下げる。一応、出席日数は計算しているけど、最近は休みが多かった。


「することがなくてね」

「そうなんだよなー。さぼってもさ、二時間テレビ見たらもう飽きちゃうんだよな。だらだら飽きて、三時とかになってて、あぁ行ってもよかったかなってなるんだろ?」


「そうだねー」とは言ったものの、実際はそうではない。夕食が終わった後に、またココペリに説教をされたのだ。


「私が思うに、お前のいいところは、ぼーっとしているがうじうじしていないところだと思うぞ」


 自分の長所に合わせて、何かを探した方がいいか、とココペリに相談すると、彼はそう言った。悲観的であったり、うじうじはしていないが、焦ってはいる。なので、どっこいどっこいではないだろうか。あと、ぼーっとしているというのは長所ではないのでは?


「お前はなんだかんだで、外に出るじゃないか。お前の考えていることは、大概変なことで理解に苦しむが、何かを探そうとしているのだと、私は思う。見聞を広めるために、外に出るのはいい。褒めてやる。あれだろ?」


 なんだろうか、と自分の中の無意識的な何かが答えを知っているのか、と期待する。


「外に出て自然の力を頼りたいんだろ?」


 僕はただ家にいてもあまりすることがないので、散歩しているだけだった。だけど、自然の力を云々というのは的外れだが、見聞を広めるのは悪くないなと思った。だから、散歩するよりも見聞は広がるだろうと思い、今日も学校へきてみたのだ。


 だけど、相変わらず、ぼーっとするばかりで特に何も思いつかない。


「お前、書いたか? 進路希望調査用紙」


 僕は首を横に振る。声色から察するに、須賀原も困っているようだ。


「どうする?」

「とりあえず、よさそうな大学の名前でも書いておくしかないだろ。なんかさぁ、こう、助けた老人が偶然、大企業の社長で俺の面倒を見てくれる、とか起こらないかねぇ」

「まず、須賀原は老人を助けない」


 そしてふと、昔ココペリに訊ねられたことを思い出して、「もし」と僕も訊ねてみることにした。


「もし、精霊が現れてさ、須賀原の願いを聞いてくれるって言ったら何てお願いする?」

「なんだよそれ。……でも、そうだな。とりあえず、遊んで暮らせるだけの金でももらうかなぁ」

「お金なんだ?」

「当たり前だろ。金が無きゃ生活できないし、幸せになれねえぞ」


 普通はみんな、そういうことを願うのか、それとも須賀原だからだろうか? 願い事があれば、それに見合った進路を考えられるのかもしれないな、と思った。

 僕の願いごとは、なんだろう。まだ、ちゃんと持てていない気がする。机の引き出しから進路希望調査用紙を取り出そうとしたら、一枚の紙が落下した。慌ててそれを拾い上げる。


 それは昨日、織野さんからもらった絵葉書だった。月明かりの中で、青い花が咲いているあれだ。織野さんは絵を、僕っぽいと言っていたが、なんだったのだろう。そう思案していると、絵のタイトルが目に入った。


『Late Bloomer』


 レイトブルーマーとは、なんだろうか。須賀原の電子辞書を拝借し、和訳する。キーボードを操作して調べてみると、「遅咲き」という意味と「一人前の人」という意味が載っていた。だが、ピンとこない。


 僕は全然、一人前ではないだろう。遅咲き、ということだろうか。でも、だけど、僕はこれから何を咲かせると言うのだろうか。織野さんは前に、僕には僕のペースがあると言ってくれていた。僕が僕のペースで、何かをすると思ってくれているというのだろうか。だとすると、買い被りですよ、と嘆きたくなる。


 僕は、何をしていいのかわからないし、種をまいてすらいない。


「アメリカ先住民族」


 教師の口から読み上げられたその言葉に、はっとする。自分が呼ばれたかのような錯覚を覚え、驚いた。そして、今の授業が世界史であり、イギリスのアメリカ大陸への介入の話をしているのだと、黒板を見て知る。大きく白チョークで鯨が描いてあり、何故クジラが? と思ったのだが、どうやらアメリカの地図らしい。赤文字でアメリカと書かれていた。無理矢理だな、と苦笑しながらも、教師の話に耳を傾ける。


 髪を七三分けにし、大きな眼鏡をかけている恰幅のよい教師が歩くたびに、教壇がぎしぎしと悲鳴をあげている。そして、その悲鳴に共鳴するかのように、教師はアメリカ先住民族の話をした。


「チェロキー族という民族は、自然を尊重して生活していたんだ」


 チェロキー族という民族を、僕は知っていた。ココペリが前に話していたことがある。道に生えている変哲のない草を、ココペリが「これは薬草なんだ」と教えてくれた時のことだ。チェロキー族は薬になるハーブなどの植物を精霊界からの贈り物だと考えており、大切にしていた。しかし、彼らは動物を狩っても礼儀や敬意を払わなかったらしい。


 それに対して動物の精霊が怒って、病気をもたらそうとした。チェロキー族は、ピンチに陥ったのだが、その時、植物の精霊が哀れに思い、薬草として自らを使うようにと提供したのだそうだ。


「なんかそれ、ファンタジーですよ」と生徒に失笑と批判をされながらも、教師は「そういう信仰をしているんだよ。自然を大切にだ」と言って、続ける。教科書のページを指定し、開くように生徒に呼びかけた。僕も開く。そこには、砂埃の立ち込める土地を、荷馬車を携えて歩いている悲壮感たっぷりの人々が描かれていた。

『チェロキー族の涙の旅路』と書かれている。


 ココペリの話から出てくる先住民族たちは、自然を大切にしていたり、踊っていたり、変てこな儀式を必死にしていたりと、どこか滑稽で憎めない愉快なイメージだけだった。なので、この悲しみ、途方に暮れ、肩をすぼめながらどこかへ行こうとしている人々とは相反するものだ。僕は困惑する。


 教師が説明するには、イギリスがチェロキー族から鹿の皮を輸入する代わりに、鉄製農具などを輸出すると持ちかけたのが悲劇の始まりらしい。鉄製農具を欲しがったチェロキー族は、鹿の乱獲を起こしてまで、のめり込んでしまったそうだ。


 大地から鹿がいなくなり、狩猟する相手がいなくなったチェロキー族は必然的に農耕へとシフトしてしまう。するといつの間にか、農民化されたチェロキー族にとって、広大な土地は手に余るものになってしまった。チェロキー族は長年の策にまんまと嵌められていたのだ。


 彼らは新しく生まれた合衆国の強制移住法によって、親しんできた広大な土地を奪われてしまうことになる。教科書の絵はその、土地を奪われ、どこかへ立ち去ろうとしている姿が描かれたものなのだそうだ。


「ぼーっとしてると、騙されるってことだな」


 須賀原が何の気なく、そう呟いたが、僕は別のことが気になっていた。ココペリだ。


 ココペリは、彼らの話をよくした。それだけではなく、様々な先住民族の話をしていた。この策に落ちたのは、何もチェロキー族だけの話ではなく、アメリカ各地で自然や精霊などの信仰を大切にしていた先住民族たちは土地を奪われて追い出されてしまったらしい。


 去りゆく先住民たちを見ながら、ココペリは何を思ったのだろうか。昨日まで、自然を畏怖し、尊敬し、共生していた人々が目の前から消えてしまった。誰もいなくなり、閑散とした砂埃の立ち込める、広大な赤土の大地で彼は何を思ったのだろうか。自然を尊敬し、人々の為に豊作祈願をしたり、日光を浴びながらステップを踏む彼は、独りになって、何を思ったのだろうか。新しくきた人間たちによって略奪を受け、家に火が放たれ、暴力に屈していく友人たちを、見ることしかできなかった彼は、何を思ったのだろうか。


 しかも、彼らが奪われた土地はその後、核廃棄物投棄施設にされたそうだ。昨夜ココペリが話していた、ゴミを捨てる云々とはこのことなのかもしれない。自分の大切にしていた土地を汚されて、落胆、いや、失望や絶望に近いものを感じたのかもしれない。それで、祈ることをやめてしまったのかもしれない。

 人間のためにやっているのに裏切られた彼はさじを投げるように笛を吹くことをやめてしまったのかもしれない。同情したいけど、ココペリがどのくらい深い悲しみに襲われたのかわからない。しかし、それがとてつもなく、残酷であることは僕にもわかった。


 急に、自分が広大な大地で一人ぼっちになったイメージが思い浮かび、離れなくなった。周りには誰もいない。僕は身震いしながら、急激な寒気と全身の力が抜けるほどの寂しさを感じた。手を振り回しても、虚空を掻くばかりで何もつかめない。誰の声も聞こえず、風の声だけが笑っている。冷たさもない代わりに何の温もりもない。それはまさしく、孤独だった。世界の中で自分がとても小さくなり、ちっぽけで、消えてしまいそうなほど脆弱だと知る。わずかでもいい。小さな光を探した。


 何か、大切なことに気づきそうだった。しかしその時、盛大な音を立てて教室の扉が開かれ、別の教師がやってきた。僕の思考と授業が中断される。場違いな登場に、生徒がざわめく。僕も同様に視線を送る。その教師は僕と目が合うと手招きをした。


 僕は、父が倒れたと告げられた。

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