4 自然に触れるのはいいことだ

       *


 あの日以来、ココペリは僕についてくるようになり、もう一ヶ月が経つ。僕以外の人からはココペリのことが見えていないらしく、今は家族にばれることなく僕と一緒に部屋で暮らしている。


 食事は別に食べなくても大丈夫らしい。大自然の力云々の説明を受けたが、よくわからなかった。光合成でもしているのかもしれない。


 僕は布団からのそのそと這い上がり、自室を出て一階のリビングへ向かった。両親は共働きで、兄さんは留学中なので、日中は僕一人がこの家にいる。


「朝飯はちゃんと食えよ」


 訂正だ。日中は僕とアメリカの精霊がこの家にいる。気のない返事をすると、「大地の恩恵に感謝するんだぞ」と言ってココペリはソファーにふんぞり返った。


 食パンをかじりながら、なんの気無く食卓の上にあったリモコンを掴み、テレビをつける。報道番組とは呼び難い、情報提供番組をやっていた。芸能人の麻薬、政治家の裏金、企業の癒着、新しい手口の詐欺事件、それらのニュースが流れたと思えば料理が始まったり、映画の紹介が始まったり、通信販売が始まる。さっきまで世の中の巨悪に憤慨していたコメンテーターたちは、ゲストのアイドルにへらへらし、野菜を一瞬にしてスライスする機械を見て大げさに驚いている。


「今日は外に出ないのか?」ココペリは、いつもそればかり気にしている。僕と違ってアメリカの広大な土地の精霊だから、一日家の中でだらだらしているのは性に合わないのだろう。

「どこに行こうか」

「決めろよ。デートの時に、どこでご飯食べようかってずっと訊く男は嫌われるぞ」

「別にデートじゃないだろ……山下公園にでも行こうか」僕が横浜にある海に面した大きな公園の名前を口にすると、すかさずココペリが「デートコースじゃないか!」と噛みついた。


「でも、まぁ山下公園か。私もあそこは好きだ。海はあまり知らなかったからな。自然に触れるのはいいことだ」


 今日は温かそうだから、散歩日和だなぁとぼんやり思う。日差しを浴び、海風を感じながら歩くのは心地よさそうだ。散歩はお金がかからないので、助かる。


「電話だぞ」


 ココペリがそう言いながら、窓辺に移動してステップを踏み始めた。朝とは少し動きが違うので、これは熊の踊りなのかもしれない。いや、手が角のように頭の横にあるからバッファローの踊りだ。

 僕は精霊の踊りにばかり詳しくなっていくなぁ、と思いながら電話の方へ移動する。


 緊急事態を告げていますよ、と大袈裟な義務感を持っているかのように電話が呼び出し音を鳴らし続けている。受話器を上げ、耳に当てた。大方、セールスか何かだろう。


「はい、森野です」

「もしもし! 忠志ただしか?」


 テンションの高い声に圧倒されながらも、この声には聞き覚えがあるぞ、と声の主が誰か思案する。思い当たる人物が一人いた。


「ええっと、兄さん?」

「そうだよ、兄さんだ」

「兄さん留学中じゃないの?」

「お前は学校じゃないのか?」


 兄さんはそう言うと、快活な笑い声をあげた。僕もつられて笑い、まるで二年前に戻ったような気分になる。視界の隅に見えたココペリは踊りを止めて首を傾げ、不思議そうな顔をして僕を見ていた。

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