3 私の名前はココペリだ

 彼は、アメリカのネイティブインディアンの精霊なのだそうだ。アメリカから遠路はるばる、日本にやって来たらしい。日本とアメリカは全然違うな、とよく感想を口にしている。


 僕は電車に揺られながら考える。知らない町で、精霊に出会った。しかも、アメリカ先住民族の精霊だ。頭を捻り、腕を組み、唸り声をあげて、どうやら僕の頭は馬鹿になったのだな、という結論が出た。こんなところに、アメリカ先住民族の精霊がいるわけがない。まだ、妖怪がいる方が納得できる。目を強くつぶり、深呼吸をして、ゆっくり目を開けば、消えているのではないかと考え、実行する。


「私の話を聞いてるのか?」


 しかし、何も変わらなかった。

 僕の隣で彼はあぐらをかき、高校をサボっていることに対して説教をしてくる。不思議な街に迷い込み、幻想を見ていた、そういうアニメのような体験に留めたいけど、彼はついて来て語り続ける。


「いいか? 森野、お前が勉強できているっていうことは、お前を支えているものがあるからなんだぞ」


 ご両親が心配してるだろ、とか学校の先生が、とか言ってくるのだろう。げんなりしながら身構えていたら、彼はクイズの答え合わせでもするかのように勿体をつけて言った。


「そう、大自然の力だよ。お前は大自然の力のおかげで、飯を食い、勉強できるのだ」彼は得意げに右手の親指で自分を指差している。だから私に感謝しろと言わんばかりの威勢だ。


 僕は、怪訝な顔をしながらそれを聞き流していると、段々話がそれていき、彼は自分のルーツをぺらぺらとしゃべり始めた。


「万物の裏には、私たちみたいな自然の偉大な力があるわけだ。わかるか?」

「さっきから何を話してるのか、全然わからないよ」

「つまり、宇宙を総べる普遍的な偉大な力であり、自然界の万物の調和をもたらしているのが私たちだ」


 彼は僕の顔を見ると、出来の悪い生徒でも見るかのように、やれやれと溜息を吐いて首を横に振った。それに合わせて五センチほどのトサカが揺れている。


「学校を休んで、ぶらぶらしているからわからないのだ」

「学校でそんなことは習わないよ」


 彼が再び、ネイティブインディアンの自然信仰や、妖精や精霊云々の説明を始めようとしたので僕は慌てて止める。これ以上言われても混乱するだけだし、理解できるわけがない。


「じゃあ、君は神様とかそういうのなわけ?」

「神様じゃない。私はカチーナだ。カチーナというのは、『尊敬すべき精霊』という意味であり、神様と人間の間にいて、人間の願いを神様に届けたりしている」

「カチーナは名前?」

「カチーナは役職みたいなものだな。私の名前はココペリだ」


 ココペリは胸を張り、自慢げに答えた。ココペリはカチーナの中では偉いのだろうか。僕は、目の前の精霊であるココペリと電車に乗ってのんびり揺られている。何を話せばいいのか皆目見当がつかない。


 僕が押し黙っていると、ココペリが「なぁ」とぽつりと言った。


「ときに森野、私がお前の願いごとを聞いてやると言ったら、何と願う?」

「聞いてくれるの?」

「わからんが、お前だったら何と願うのか興味があるだけだ」


 窓の外を流れていく景色を見ながら、うーんと唸る。

 飛んでいる鳥が見えたけど、あんな風に飛べたらとも思わない。僕は健康だし、欲しいものも、欲しい才能や能力なんかも思いつかない。簡単に願いを叶えることがいいことかどうかとか、そういう倫理的な問題もあるけど、願いごとをしてまでなりたいものや、やりたいことが見当たらない。


「ないなー」


 僕の答えに対して、ココペリは目を丸くし、固まった。何か、考えを捻り出した方がよかったのだろうか、と申し訳ない気持ちになる。すると、僕の不安を吹き飛ばすようにココペリが大声で笑い出した。


「ないのか! お前、ないのかよ」とけらけら愉快そうに僕を見ながら言う。何だか馬鹿にされた気分になり、むっとする。「森野、お前は面白いぞ」と、右手で握っている筒を僕に向けてきた。


 僕は顔をしかめながら、「それは何?」と筒を指差した。よく見れば、クリーム色をしたその筒には、いくつか虫にでも喰われたような小さな穴が開いている。


「これは笛だ。祈りをささげる時に使う。私がこれを吹いて、豊作祈願をするのだ」

「へえ。じゃあ、アメリカから持ってきた大切なものってわけだ」と言いながら、彼が日本に来てからどのくらい経つのか気になり、訊ねてみる。


「もう五、六年ってとこだな」

「どうやってきたわけ?」


 僕が訊ねると、ココペリは可笑しそうに口をぱくぱくと開け、再び笑い声をあげた。


「お前、アメリカと日本だぞ。飛行機に決まっているじゃないか」


 色々なことに対して、理解が追いつかない。

 チケットは幾らした? とか訊ねようかと思ったけど、胸の中にしまっておいた。

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