5話 『バルカス邸』

 階段を上がり終えると通路を渡り寝室の扉を開けるが、中の二人はまだ寝息を立てて眠っていた。

(ぐっすりだな。気持ちはわかるけど)


 ビンセントとバルカスの起床が早いだけで、この時間まで眠っている二人が遅い訳ではない。

時刻は七時十二分。

暫く二人の寝顔を見て時間が過ぎていく。


(あ、いかん。バルカスが朝食作ったんだ)

 時刻は七時二十五分。二人に起きる気配はない。

 ビンセントが二人を起こそうと手を差し伸べると、ホールの方から響く音がこの部屋にまで響いてきた。

単音は一定で強弱が少なく力強い。

一直線のどこまでも長く吹き抜ける、棒ような音が幾つにも重なって旋律を生んでいる。


 急に響き流れるその音。

初めて聴いた音に対してビンセントは音の鳴る方を向いたが、

その音に反応したのはビンセント一人ではない。

カミラは起き上がって周りを見回して、ビンセントと同じように音の鳴る方を向いている。

ミルはその音楽を聴くと、あくびをしながら両手を上げ体を伸ばして音の鳴る方を向く。


 結局ビンセントが起こす前に、部屋に響く音楽により二人は起きる事となった。

聴いた事の無い美しい音楽にビンセントとカミラは心を奪われる。

しかしどこかで聴いた事があるのか、ミルだけは鳴り響く音楽を懐かしく思っていた。


「わぁ、久しぶりに聴いたよ!! 綺麗だね!! 」

 ミルが笑顔で二人に顔を移す。

「おはようカミラ! ビンセント! 」

 呼びかけられた二人は心を奪われているせいで反応するまでに少し間があり、ミルの挨拶に気が付いた二人は顔を合した。

「お、おう。おはようミル、カミラ」

「おはようビンセント、ミル。驚いたわ、この音は何かしら」

 カミラはビンセントの髪形を見て疑問を生んだ。

「あれ? ビンセント、今日は寝癖が無いの? なんで? あぁシャワー浴びたのか」

 カミラに寝癖を指摘されて事に気が付くビンセント。

「いや今朝シャワー浴びてないよ……って本当だ。寝癖が無い!? 」

「珍しいわね」

 普段寝癖の酷いビンセントとミル共に寝癖は見られなかった。

「たぶん、寝具が良かったんだろうな」

「そうかもしれないわね」

 ビンセントは髪を触って形の確認をするが、どれだけ触っても普段の様に何かが形成されているという事は無かった。

ソレよりもビンセントは、自分が起床した後にシャワーも浴びずにそのままバルコニーに出て外を眺めたという事が恐ろしく感じた。


 カミラとミルはベッドから降りて着替えだした。

「バルカスが朝飯作ってくれたから、着替えたら下に行こう」

「あらバルカスが? 楽しみね」

「楽しみ! 」

 心躍らせながら着替えるミルに対して、カミラは浮かない顔をして着替えていた。

「ん? どうしたカミラ。気分でも悪いのか? 」

「え? あ、いや。気分が悪い訳ではないんだけど、なんかおかしな夢を見てね」

「カミラもか、俺もなんか変なの見たけど」


 カミラとビンセントは互いの顔を見つめ合っていたが、次第に両者とも笑みがこぼれて笑いあった。

「二人で変な夢見るとはな、ミルも何か夢見たか? 」

 ビンセントが興味本位でミルに尋ねると、着替え終わったミルはいつもとの通り元気に答えた。

「見たよ! 」

「おぉ、どんな夢だ? 」

「私がお父さんの上に乗ってて、変な格好した人達が私達を拝んでたんだ! それでこの音で目が覚めたよ」

 いつもの様な得意げに両手を腰に当てながらミルがそう言うと、ビンセントも同調する。

「俺もそんな感じだった、なんかひたすら拝まれてたよ。変な夢だよな」

 更には着替え終わったカミラも同調する。

「皆同じなのね、私も拝まれてたわ。ミルと同じくこの音楽で目が覚めたよ。なにかしらね」

「皆で同じ夢見るのって不思議だな。よし、準備もできたようだし下に急ごう。バルカスを結構待たせてるしな」


 未だ音楽は絶えずに鳴り響いている。

部屋を出ると音は更によく聴こえる。

 通路を渡ってホール上の通路の手すりに手をのせていると、美しいパイプオルガンから鳴り響く曲とそれを奏でる奏者に、心だけでなく体の動きまで奪われる。


 今朝ビンセントが起きて通った場所と同じ場所とは思えなかった。

演奏を加わるだけで、元々美しかった館に更に映えさせる余地があったという事実に、ビンセントは自身の理解を越えている物としてただ感じた。


 三人は静かに階段を降り、演奏に近づく。

ホール下で、音楽の美しさにカミラは思わず天を仰ぎ見るが――、

(あぁ、こんなにも……)

 カミラの目を待つ物は、ドーム型の大きな吹き抜け天井に描かれた無数の天使達の姿だ。

(まるで、天使たちが謳っているようね)


 ホール北面のステンドグラスを通して朝日が幻想に輝く。

聴覚と視覚、この場の空気の匂いと、触れる触覚、唾液すら味覚により感じ得られるが、コレは五感ではは感じられず、また感じきれない物だった。

恐らくはコレが芸術だろう、ビンセントは理解を諦めていた。

理解を越えているからこそ、感覚をもって感じるのだ。


 ミルは非常に愉快であるのか、興奮混じりでたまらない様子だ。

三人が奏者バルカスに近づくに連れて曲調は激しくなっていく。

 一歩、また一歩。

彼等が一歩を進むごとに曲は激しくなる。


 その曲は今のミルその物であり、その逆もそうだった。

ミルは歓喜の記憶に本能が混じる。

いつしか聞いた曲、鳴り響くこの音楽は、ミルの初めて聞いた曲と酷似していた。


(私の誕生曲!! )

 ミルは駆け足になって走る、嬉しくなって音源に近づく。

二人は嬉しそうなミルを微笑ましく思って姿を見守るが、次の瞬間表情が凍り付く。


 ミルは跳躍すると、背から翼を出し、腰からは尻尾を出した。

姿こそは少女だが、彼女は白いドラゴンであり、鳴り響く曲が彼女を喜ばせて祝福していた。

 奏者バルカスは駆け足の音が聴こえて嬉しくなり、曲はラストスパートに入った。

ミルこそ嬉しくなって頭に角を出すと、淡く白く輝く。

 ホール内を飛び、天井の天使に微笑むとゆっくりと滑空していった。

天使の謳は静かになっていく。


 ビンセントは『境界』をバルカスの横隣に引き、カミラは『力』を解放して神速で近づく。

一秒と経たぬうちに皆が一つの場所に集まり、演奏を終えたバルカスは晴れ晴れとしていた。


 憑き物でも取れたかのようにバルカスは鍵盤から手を下ろした。

一息つこうとしたその時、真横から感じる圧倒的威圧感に汗をどっと出しながら振り変えると叫びながら椅子から転げ落ちた。


 バルカスと言えど無理は無い。

気が付いて横を見ると、そこには最強の生物ドラゴンと、境界と力を解放させた能力者がいたのだ。

むしろ気絶して失禁せずに絶叫で済んだバルカスは流石だろう。


「……ビンセント、カミラ。ごめんなさい。つい……、バルカスも驚かせてごめんなさい……」

 二人に止められて、バルカスに全力で恐怖されたミルは、しょんぼりして人型に戻ると三人に謝った。

「まぁ、戻っちゃったのは仕方ないさ。次は気を付けようなミル」

「外では絶対だめよミル。本当に危ないからね」

 カミラが注意しながら優しくミルを抱いて頭を撫でる。

「うぅ、ごめんなさいカミラ、ビンセント」


 ――口を開けて唖然としている女性が一人、三人を見ていた。


「バルカス、驚かせて悪かったな。この際だから言おう、ミルはドラゴンだ」

「ドラ、ゴン!? 」

「でもどうか怖がらないで、ミルは優しい子よ。危害を加えることは無いし、今はもう私達が愛する家族なの」

 バルカスもミルの優しさは知っているので、心を落ち着かせて自分を正気に戻した。

「あ、あぁ。なんだ、こちらこそあんなに驚いてすまない。なるほど、ミルはドラゴンだったのか」

 バルカスは心ではそう思っていても、まだ体が反射的に恐怖していて思うように動かせない。

震えながら立って、震えた手でミルの頭を撫でると、体も理解したのか震えが収まった。

「あぁ、ミルだな。私は何を恐怖していた、……すまない」

「ごめんなさいバルカス」

 謝るミルに、バルカスが抱いて頭を撫でる。

「何を謝ることがあるんだ。ミルはミルだろ」

 バルカスの優しい言葉にミルは嬉しくなる。

「バルカス、ミルがドラゴンなのは誰にも言わないでくれないか。事情があってな、ミルの命が危険にさらされるんだ」

 ビンセントの必死の頼みを受けてバルカス彼の肩を叩く。

「安心しろ。ここでのことは一切話さん」

 バルカスの答えに安堵し、ビンセントとカミラは深く礼を言った。

「ありがとう」


 頼まれなくても、二人がミルの事を何も言わないのを知っていたバルカスは、ミルがドラゴンと分かった時点で誰にも言う気などなかった。


「当然だ。もうそんな顔をするなよ、せっかくの美味い朝飯が冷めるぞ。みんなで食おう」


 この二人が、ミルを守る為にドラゴンだという事実を隠すという事の理由はバルカスでも大体分かるが、ミルの命にかかわるという事に関しては少し引っかかった。

 何からミルを守っているのかが分からないが、ドラゴンを倒せるモノなど限られてくる。

エルフや精霊ではドラゴンに太刀打ちできない。

(それができる人間、そういう事か。……安心しろ、誰にも言わない)

 ミルを狙う者の事を察したバルカスは、何とも胸糞悪い思いになる。

しかし戦争に勝ち、栄光の上に君臨するという事は、そう言う事なのだろう。


 バルカスはミルの情報に関しての黙秘を誓うと、三人を連れて階段下の部屋へと案内する。

「ここだ」

 バルカスが扉を開けると、中からは良い香りが漂ってきた。

「いい匂い! 何この料理! 」

 匂いを嗅いで机を見ると、皿の上にまた薄い皿のような料理がのっていてミルは驚く。

「凄い、なにこれ? バルカスが作ったの? 」

「そうだよ。コレはピザっていう料理だ。さ、皆座ってくれ」


 バルカスに言われた通りにテーブルを囲んでそれぞれ席に着くと食事の前にバルカスが、昨夜酒場ペッシでダボがやったように祈りを捧げた。


「地中海の恵みが、我らを飢えから守り、また飢える者には地中海の恵みを贈り給わん。また、善き三人の友と出会わせてくれたこと感謝する……。よし、食おうか」

 四人はグラスに注がれた水をかかげて食事の挨拶をする。


「いただきます!! 」

「さぁ、自由にとって食ってくれ! ピザは沢山あるからな」

 それぞれピザを取って食べると、伸びるチーズに驚きと感動を受ける。

「美味しいー!! 」

「美味しいわね、初めて食べたわ」

「美味いなピザ」

 三人に満足されたバルカスは照れくさく感じるが、ピザの出来栄えは自分でも満足している。

「それは良かった。昨日はぐっすり眠れたか? 」

「えぇ、凄く気持ちよく眠れたわ。それに、ビンセントのいつもの寝癖もなくね」

「そうか、それは良かった。しかし、ビンセントの寝癖は悪いのか? 今朝は何ともなかったが、少し気になるな」

 笑われながら見られるビンセントだが、寝癖の話をミルにも宛て、笑いながら食事は続いた。


「バルカスの演奏凄く綺麗だったわ、気持ちよく朝を目覚められたよ」

「そうだな、あんなに綺麗だとは思わなかった、感動したよ」

「それは良かった」

 今朝の衝撃を思い返して三人はバルカスに称賛を送り、楽器を触った事の無い三人はバルカスに楽器について聞こうとしたが、バルカスはよく分からないと言った。

あれだけの演奏が出来て分からないとは変に思ったが、どうやらバルカスは本当に楽器に詳しいという事では無かった。


 ビンセントは話を変え、今朝見た夢の事について話した。

「そういえばなバルカス。今日俺達偶然にも同じような夢を見たんだ」

「へー、どんな夢だ? 」

「三人共、大勢の人に拝み崇められてたんだよな。正直反応に困った」


 三人は夢の内容を覚えている限り話し合ったが、その話を聞きながらバルカスは考えていた。

「やっぱり夢は見るんだな」

 バルカスがそう言うと三人はバルカスのに向いて話を聞いた。


「いや、少し長くなるがな。一年前にえらく年をとった爺さんと、もう一人私位の歳の男がこの館を訪ねてきた事があってな。

普段は誰も近付こうともしない館なんだが、ある日その二人が何故か必死で泊めてくれと言ってきたんだ。青年の方は老人を偉大な画家だと言って館に泊めてくれと言った。

だが老人の方はその青年の口を止めて、私とこの館を拝むようにして頼んできたんだ。

最初は断ったが私も根負けしてな、一泊だけ泊めたんだ」


 三人はバルカスの話にピザを食べながら夢中になって聞き入っていた。

「爺さんの方は泊って行ったが、青年の方はどうにもこの館の敷地を踏むと次第に苦しみだしてな、その青年は自分はいいからこの老人を頼むと言って消えていったよ」

「苦しみだしたのか!? 」

「あぁ、苦しんでたな。それで一晩泊めて、次の日の朝に私があの楽器の練習をしていると、起きてきた老人は私に礼を言って、見た夢の話をしてきたよ。

夢はビンセント達が見たような崇められるような夢だったらしい。それで礼にと、私に一枚の絵を渡して言ったんだよ。この絵を飾って浮かんだ曲を、次ここに泊まるような者があればその曲を弾いてほしいってな。

因みに、その老人の次にここに泊まったのがビンセント、カミラ、ミルの三人だ」


 不思議な話に三人は唖然としている。

「その老人は館を出るとどこへともなく消えていったがな」

「その絵、今も飾ってあるのか? 」

「あぁ、玄関廊下に飾ってあるよ」

 今にも見に行きたいようにソワソワしているビンセントを確認したバルカスは、ビンセントを制して話を続けた。

「まぁ急がなくても、後で見に行こう。それにそろそろ私も話そうか、ビンセントの昔話の礼にこの館の昔話もさ」


 ビンセントの昔話と聞いて鋭く反応するカミラだったが、ビンセントがカミラに朝の出来事を説明するとカミラは納得した。


「私の無理を聞いてもらったんだ、おかげで皆をもっと好きになれたし理解を深められたと思っている。

そのお返しにこの館の話を皆にするよ」

 この美しい館の話に興味をそそられる三人は、バルカスの言葉に耳を預けた。

「そうだな、じゃあ初めから。皆にはもう言ったが、私は元々ここに住んでいたわけじゃない」


****【バルカス邸の昔話】

 四年前、飼主を殺したバルカスは大剣を手に小隊を率いて、小隊長として独立していた。

バルカスが西の地に足を踏み入れて数週間で見つけた魔物や奴隷商、又パッシィオーネの盗賊行為を見つけては片っ端から斬り倒しながら歩を進めていった。


 元サンス王国の地にバルカス等が到着したのは一か月後で、バルカス等が到着した時には国が魔物に襲われているその時であった。

 バラカス率いる小隊は街に突入して魔物を屠る。

進撃をする中バルカス達は、街の隅々にまで魔物が溢れ、人々の死体や捕食後に残った部分が路地や建物内に酷く散らばっている状態を見て、人を救うには手遅れの状態だと判断した。


 バルカス達はこの街の人々を救う事から、魔物を殲滅して自分達がこの地で暮らす事に考えを変えた。

国を襲っている魔物は普通の民たちにとっては脅威だが、数の割にさほど強さはない低級魔物の群れは、バルカス達と対峙する度に斬り殺されていく。


 魔物との戦力差を確認し、バルカス小隊は散開して魔物を蹂躙する。

バルカス小隊が街へと突入した時は夕の時であったが、戦闘と共に時が過ぎて辺りはすっかり闇夜となっている。


 辺りの建物は壊されて光が灯っていないが、一つの建物だけ壊される事もなく光が灯っていた。


――――

「魔物か。その建物がもしかして」

「あぁそうだ。この館がその残ってた建物だ」


****

 建物にはバルカスだけがたどり着き、小隊の皆は別のところで魔物を討伐していた。

 辺りから戦闘の音が止んで、バルカスはその残っている建物に近づいた。

何も音が聴こえなかったせいで気が付かなかったが、建物の敷地の周りには多くの魔物が立ち尽くしていた。

 建物を囲んでいるのに襲う訳でもなく、鳴き声を上げる訳でもない魔物を、バルカスは大剣を抜いて背後から叩き斬っていく。

叩き斬られたのにもかかわらず、魔物は悲鳴の一つも上げずにただ倒れて死んでいった。


 まだ明かりがついているところを見て、生存者の確認をしにバルカスは建物の敷地内に入っていく。

庭を回って玄関まで歩き着くと、バルカスは館の扉をノックした。

 何度も魔物ではなく人だと告げてノックするが、館の中から返事は返ってこなかった。


 バルカスは一言断ってから館の扉を開いて足を踏み入れるが、それでも誰も何も言わない。

ただ数歩歩んでバルカスが館の中に完全に入り、扉が閉まったと同時にパイプオルガンの演奏が聴こえてきた。

綺麗な演奏にバルカスは戦闘状態を解いてしまう程に心を引かれ、曲と奏者に歩み寄った。

 パイプオルガンの段前で暫く立っていると演奏が終わり、一人の老婆が振り返って段を下りてくる。

呆気に取られていたバルカスは、老婆に話しかけられるまでの間気が抜けていた。


――――

「婆さんのあの演奏は綺麗だったな。街が魔物に襲われてるのにもかかわらず、しかも私が勝手に入ってきたのに、構わずに演奏し始めたのはかなり驚かされたがな」

「それは驚くだろう。バルカスの演奏も綺麗だが、その老婆は何者なんだ」

「その婆さんはなビンセント、お前の話の様に私に名前をくれたんだよ。バルカスってのは早い段階で私が自分で名乗った名前だけど」


****

 バルカスは老婆に名前を聞かれると、バルカスと名乗った。

老婆は名前に付け足すように、とバルバロッサの姓名をバルカスに与えた。

バルカスは急な事に驚いたが、嫌という事もなく素直に受け入れた。


 バルカス・バルバロッサがこの建物で誕生すると、老婆は微笑んでバルカスをパイプオルガンへと連れて行った。

 無論、奴隷から脱し戦場を駆けていたバルカスが楽器に触った事は一度としてなく、音楽を聴いたのもさっきのパイプオルガンの音色が初めてであった。


 椅子に座らされ、指を鍵盤の上に乗せられて、バルカスの手に老婆の手が重ねらた。

そして老婆の押す指鍵盤から静かに演奏が始まる。

 美しい音色に惚れたバルカスは夢中になって鍵盤を指で押していた。

とてもおぼつかない指だが、老婆の指にリードされる。

隣へ座った老婆の足が、下の足鍵盤に伸びて音が出る。

鍵盤が下にもあるという事を知ったバルカスは、今度は両手両足を使って演奏を始めた。


 足鍵盤の低音が、手鍵盤の高く響く高音と合わさり幻想を生む。

 老婆は横のバーを引くと、出る音色が柔らかくなった。

そのままの音でバルカスは演奏を続ける。

 暫くするうちに、バルカスは独りでに美しい演奏を続けていた。

老婆の手が離れていることに気が付くと、演奏を止めて辺りを見回した。

 老婆の姿は段下にあり、礼を言うと老婆は微笑んで返した。


 老婆にこの国の現状を伝えているバルカスの耳に、外から彼女を呼ぶ部下の声が聴こえてきた。

バルカスが老婆に一言断ってその場を去り、走って部下のもとへ行くと、確認できる魔物は全て倒して生存者も何人か確認したとの事だ。

 小隊の者全てが、今バルカスが出てきたこの壊れていない建物を不思議がっている

 生存者がいることを教えると小隊を連れて館に上がろうとするが、バルカス以外は敷地内に入れず、入った者は苦しそうにしていた。

 皆が館を気味悪がる中、食料を持った老婆がバルカス小隊のもとへ歩いてくると、その食料を皆で食べるように言って渡した。

 小隊の者達は喜んで老婆に礼を言うと、老婆は館について説明した。


――――

「なんて言ったの? 」

「その時は理由があって人が立ち入れない場所だと言っていた。今は自分一人で住んでいるとも言っていたな」

「老婆一人でこの館にか……」


****

 老婆が館と自分の事をバルカス小隊に話して聞かせると、皆は不思議に思っているが納得した。

それから老婆はバルカス小隊に、バルカスを今夜ここに泊まらせると言った。

 バルカスの過去を知る小隊の者は、バルカスが夜を安全な場所で過ごす事に皆が賛成したが、バルカス本人は皆と同じ場所で、同じ環境で過ごしたいと老婆に伝えた。

しかし老婆の方もどうか泊まるようにと願い、部下達も泊まるように押してきたので、バルカス一人この館に泊まる事になった。

 小隊とは明日の集合場所を今いる館の敷地前と決め、バルカスと小隊はそれぞれ散っていった。

小隊と離れたバルカスを老婆が館の中へ誘って中に入って行った。


 玄関の通路には絵ががたくさん飾ってあり、老婆は歩きながら説明し始めた。

 老婆が言うには、この館は元々ある種の教団の宗教施設であり、その宗教の信仰は人々から忘れ去られているとのことだ。

 廊下に飾ってある絵は、この宗教の神が創造したモノや、伝えられてきた人物や物が描かれているらしい。

 絵を知らぬバルカスは老婆の話すことを素直に受け止めて聴いており、その姿に老婆も安心していた。

 階段の下の部屋に入ると、老婆は水と、さっき小隊に配った様にバルカスにも食料を出して食べるように言った。

出された食べ物をバルカスは礼を言って食べ始めると、老婆はまた語り始めた。


 この教会で信仰していた物事は他の宗教よりも歴史が深く、より鮮明だと話す。

また歴史が深く真に迫っているが、宗教ができた当時は人からエルフまで種幅広くから一番嫌われた宗教という事もバルカスに伝えられた。


 老婆は厚い本を一冊取り出して、食事をとるバルカスに読み聞かせた。

本の中には世界創造の話、魔法の話や文明の話、魔物の無い世界や、精霊やエルフの話、人同士の戦争の話、更には魔物が生まれたという話もバルカスに読み聞かせた。


 その時のバルカスはとても理解に苦しんだが、そういうふうにも考えられるのかと、老婆の話を食事をしながら聞いていた。


――――

「面白いぞ。私は別に宗教家ではないが、あの話は面白かった」

 バルカスは席を立って、本棚から厚い本を取ってくると席に戻り、三人に見せた。

「コレがその本だ。世界がどうやって創られたか、文明がどうやって進化したか、魔物が何故生まれたのかも書いてあった」

 ビンセントはピザを置いて手をはらい、本を持って見始めた。


「読めるかな? 私はあの婆さんに教えてもらったからある程度は読めるが」

 ビンセントがめくって本を見てみたが、本は読めなかった。文字が理解できないのだ。

「――なんだこの文字、初めて見た」

 ビンセントがカミラに見せるも、カミラも解らないと言った。

しかしミルがその文字を見ると反応が違った。

「私その文字わかるよ! 」

 そう言ったミルに対し、バルカスを含んだ三人は驚かされる。

「本当に解るのか? ミル」

「うん。だって昔の人達がこの文字使って私達にお願いしてきたんだもん! 」


 カミラは読みたがっているミルに本を渡すと、ミルは嬉しがって受け取った。

「えへへ、じゃあ私が読んであげるね! ――双子の兄弟が現れた日! 世界に文明は無く! 神話に在った! 」

 ミルが読み始めて、バルカスは苦笑しながらミルを褒める。

「驚いた。本当に読めてるんだなミル、凄いな。それは文明創造の章だな。また後で私が読んでやろう。えっと、どこまで話したっけ――」


――――

 一通りこの建物の事を教えてもらったバルカスは、食べ物を食べ終わると老婆に礼を言った。

老婆は微笑んで返し、戦いで疲れているであろうバルカスを寝室へと連れて行った。

バルカスは礼を言うとベッドに横になり、そのまますぐに眠った。


 なんの夢も見ず朝を迎えたバルカスは、寝室を出るとホールにいる老婆に挨拶をした。

階段を駆け下り、老婆に対して泊めてもらった礼を言う。

すると老婆はいつもの様に微笑んで、ここは既にバルカス・バルバロッサの館だというのだ。

バルカスは驚き冗談と受け取ったが、老婆の眼差しにその事が本意である事が分かった。

 覚悟を決めてそれを受け入れたバルカスを見て、老婆はいつもの様に微笑んだ。


 バルカスが小隊のもとへ行こうとすると老婆もついてきた。

バルカスと小隊が敷地前で集合すると、老婆はこの館がバルカスの物になったと皆に伝え、

この国を治めてくれないかと願った。

元々そのつもりだった小隊は喜んで同意し、その姿を見て老婆は館へと戻って行った。


 バルカスはその後小隊と共に、生存者から英雄やリーダーとして扱われ、街を復興していった。

 夜にバルカスが館へ戻ると、老婆が晩御飯を用意して待っており、それを食べながらまた歴史と本を教えてもらった。

 そんな日が暫く続く。

街は復興されて、小隊と民の皆から推薦されたバルカスは、新しいサンスという国を造り、一国女王となった。

 女王となってからもその館に住み続け、日々老婆から色々と教わるが、とある夜――。

老婆はバルカスに別れを告げて、どこへともなく姿が消えていった。


――――

 バルカスの話を聞き終えたビンセント達三人は、ピザを食べながら読めない本を見ていた。

「と、この屋敷の歴史はこんな感じで、その本の宗教の宗教施設だったようだな」

「なるほどな。本当に何者だろうなその婆さん、話的にはその宗教の信者かな? 」

「そうかもしれんな、長い間この館を守っていたようだからな。私も楽器なんて演奏したことなかったが、あの婆さんに連れていかれて一緒になって弾いてたら、いつの間にか弾けるようになってたし」

「凄いわね。館の話を聞いたら、次はやっぱりその本の内容も気になるわ」

「じゃあちょっと読んでみるか。ミルがさっき読んでくれた、文明創造の章を読もうか」

 バルカスは本を持って読み始めた。

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