4話 『ビンセントの昔話』

【バルカス邸】

 昨夜、ダボとケニーの二人と別れてバルカス邸に着いた。

 ビンセントとカミラは酔ったバルカスの相手をしながらも、バルカスに部屋を案内してもらい、

そのまま礼を言って別れると、ベッドに入りすぐに眠った。

バルカスは三人に案内をした後、暫くその部屋の扉前に座っていたが、結局は自室に戻って眠りについた。


 朝、大きなベッドの上でビンセントは目を覚ます。

(なんだ、今の夢……)

 おかしな夢で寝ぼけたビンセントの横には、ミルを挟んでカミラが寝ている。

 厚いカーテンは朝日を遮光しているが、窓縁からは光が漏れている。

 ビンセントはベッドから起き上がるとカーテンを開けて室内に光を取り入れ、窓を開けると背伸びをしながらバルコニーに出た。


「あぁ、気持ちがいいな。……うん、朝からこの景色は贅沢だな」

 バルコニーから見える景色は、早朝の淡い、ほんの少し暗さが残る空だ。

真ん中の景色には海が見え、離れたところにはシザ国の東部である、昨日の夜を過ごした場所がうっすらと見える。

 カーテンが風でなびくのと共に、鼻を通る海の匂いは清々しさを増幅させる。

シャワーを浴びないとスッキリしないビンセントであったが、この潮風でも眠気が消えた。


「お、あれは」

 バルコニーから下を見ると、自分の身長程ある大きな荷物を背負ったバルカスが館に向かって歩いてきている。

 バルカスはバルコニーのビンセントに気が付いたようで右腕を上げて挨拶をし、ビンセントもそれに答えた。

(バルカス、ずいぶんと朝早いな。昨日の夜あんなにべろんべろんに酔っぱらっていたのに)

 ビンセントはそう思いながら部屋の中に戻り、窓を閉めると着替えた。

「でっかい荷物だし、ちょっと手伝ってくるな」

 ビンセントはまだ寝るカミラとミルにそう呟きながら頭を撫でると、部屋を出ていった。


 バルカス邸は美しい。

(中広いな、バルカスさんの館より大きいんじゃないのかな。……そういえばバルカスは王女か。忘れてた)


 通路を渡って吹き抜け部に対に伸びる階段を降りると、下はホールになっている。

階段から見て正面の北面は大きなステンド硝子の窓があり、光は多色に刺して館内に響く。

西側の壁一面には美しい金の装飾がされたパイプオルガンの管が覆っている。

天井を見上げれば息を呑む程美しい絵が描かれている。

 パイプオルガンは三段の広い階段を上った先の、ホールから見れば高い位置に在り、装飾も合わさって神々しく見える。


(夜は何気なく通ったから意識してなかったけど、館内綺麗だな)

 ビンセントは階段を降りると、階段側、つまりホールの南面に掛け飾られている絵画見ながら玄関へと向かっていく。

(絵は全く分からんが、綺麗だな。コレは草原か? ……これはたぶん教会の絵だな。で、これは――)

 ビンセントは一つの絵の前で立ち止まった。

並べられている絵は殆どが縦一メートル程の大きさがある。

しかしビンセントが見ていた絵は、それの半分程の大きさの絵だった。


(真っ白なドラゴンか? なんだかドラゴン状態のミルがでっかくなったみたいだな。……よく見たらなんか小さい白いドラゴンがもう一体だけ描かれているな。これこそミルみたいだ)


 ビンセントは絵を見る目の無さを自覚しているので、苦笑しながらそのドラゴンの絵から目を外して、次へ次へと観て歩を進めていく。


 飾られている絵は、風景画や何か物を描いた物がある。

中には、なんでわざわざこんな物をという、綺麗に描く必要も無いような器にオーブンやペン、馬車等の、街に行けばありふれている物まで、事細かく丁寧に描かれている。

(こう普通の物も綺麗に描くっていうのが画家さんなのかな)

 ビンセントがそう思いながらまた絵を観て歩いていると、雪国の風景画の隣にまた小さめのサイズの絵があった。


(……なんだか怖いな)

 その絵には、兜を持たない黒い鎧が右手にブロンズ髪の少女の首を抱き、左手には首無しの体が抱き描かれている。

(えぇ、これってなんだろ。この左の体って、右の女の子の首の体……なんだよな? それに後ろも不気味だな)

 ビンセントが絵をじっと見詰めていると、元気な声掛けをされた。


「よぉ! おはようビンセント」

「うぉあっ!? 」

 あまりに集中していたせいで、突然の声掛けで驚くビンセントは変な顔をしていた。

「すまない驚いてしまって、おはようバルカス」

「……お前絵が好きなのか? 」

「いや、どうなんだろうな。俺は絵が全然分からんし。ただ何が描かれているのかなって思ってな。

それより、でっかい荷物だな、手伝うよ」

「ん? あぁ助かる」


 バルカスが背負う大きな何かは、麻布でグルグル巻きにされているが、麻から赤い液体が滲み出ている。

 ビンセントがバルカスから受け取って肩に担ぐと、その荷物はずっしりと重かった。


「……これなんだ。なんか、血みたいのが滲み出てるぞ」

 少し不安そうにバルカスに聞くと、明るく笑いながらビンセントの背中を叩く。

「なんだその不安そうな顔は、朝飯だよ朝飯! ただの野生の牛だ」

 バルカスが早起きの理由はどうやら、野生の牛を一頭狩ってくる為だったようだ。

それをそのまま朝食に。というのだから恐れ入る。

「朝っぱらから狩してたのか!? というより朝何時に起きたんだ」

「いいんだよ私は朝いつも早いし、それにいい運動になるしな。じゃあそれ持ってキッチンにまで付いてきてくれよ」

 ビンセントは荷物が一瞬人の死体だと思っていたことは伝えず、安心して牛を境界内にしまった。

「……それ便利だなビンセント」

「あぁかなり便利だ」

 二人はキッチンへと向かった。


 キッチンに着くとバルカスは大剣を壁に立てかけてエプロンを着た。

「でかい調理場だな」

 ビンセントは空間からさっきの牛肉を出した。

「助かったよ。この上においてくれ」


 ビンセントが牛を大きな調理カウンターに置くと、バルカスは壁の調理器具ハンガーから肉包丁を抜いて麻布を解き、その中身が露わになる。

 中身は首無しの四肢が捥がれた牛の成体丸々一頭だった。


「重い訳だ。こんなのよく運んできたな」

「私も並みの体力ではないからな」

 そういうとバルカスは麻布をかごに放り込んで牛の皮を剥ぎ始めた。

「バルカスが調理するのか? この国の王女だろ? 昨日から見かけないが、召使とかはいないのか? 」

「このアジトには私だけなんだよ。 訳があってな、人は入れてはいけないし入れない。 怖がってパッシィオーネの連中もここにはこれないのさ」

「……俺達入ってるが、いいのか」

「泊まれって言ったのは私だしな。いいと思うぞ。それに普通に入れたんだからいいんだろう」

「そうなのか」

「あぁ、いいと思うぞ」


 バルカスの妙な言い方に疑問を感じたが、触れないことにした。

「それはそうと、俺も何か手伝うよ」

「あぁ、じゃあオーブンつけてくれ。なんか知らんがその魔導オーブンな、魔力注がなくても使えるからな。魔法があんまり使えない私にとってはお前の境界みたく便利だよ」


 とても年代物のオーブンとだけは見て分かった

「ほんとだ、詠唱文字が光ってる。これは便利だな、大きなオーブンだが使い方は同じなのかな」

 ビンセントはオーブンの光る文字をなぞった。

すると石作のオーブン内で炎魔法が発現した。

背後から聴こえる高速な肉の切断音が気になるが、ビンセントはオーブンの鉄扉を閉めた。

「オーブンつけたぞ」

 ビンセントが振り返ってみると、バルカスは既に牛一頭の肉分けを終えていた。

「もう終わったのか?! 早いな……」

「まぁ慣れてるからな」


 バルカスはせっせと今使わない肉を保存庫へ入れ、調理を始めた。


「ビンセントこれ食ったことあるか? 」

 バルカスは何かの生地を手に持つと、平らな調理台の上で生地を伸ばしてから手に持ち、今度は手で生地をまわして伸ばし広げていった。

「なんだそれ?! 」

「はは、料理の事となるとよく驚くなビンセント。慣れてないみたいだな」


 手で回している生地は薄い円形に広がっていく。

「コレはピザっていう食べもんの元でな。まあ楽しみにしとけよ。美味いぞ、きっとみんな喜ぶ」


 伸ばした生地にオイルを塗ると、保存庫からペーストされたトマトソースとチーズ、ナスと香菜を出してきた。

 ナスはスライスされ、香菜はちぎって生地に並べられた。

 肉もふんだんにのせられ、その上に大量の玉の様な白いチーズをのせた。


「この地域は水牛が多くてな、こういう弾力のあるチーズもあるんだ。クロイスは水辺が無いから作れないし、こんなのは食ったこともないだろう」

 固唾を呑みながらビンセントはそのピザという物を見ていた。

「今日は人が多いし、朝もいっぱい食べるだろ。特にミルがな」

 ビンセントは苦笑して調理を見守った。


 バルカスが手早く仕込みをすると、大きなピザの元が五枚できる。

そのピザを取手の付いた薄い木板にのせた。

 バルカスは厚手の布手袋を着けてオーブンの鉄扉を開くと、木板にのせたピザをオーブンの中に入れる。

広いオーブンの中で最適な位置にピザを置いて木板を引き抜くと、残り四枚のピザもオーブンに入れて鉄扉を閉めた。


「このオーブンはすぐ焼けるからな、そんなに時間もかからんだろ」

「バルカスは料理が得意なのか」

「まぁ、ここの街にいりゃ大体はできるようになるさ。ビンセントは料理が好きなのか? 」

「料理を食うのも好きだし、料理が上手くなりたいってのもあるな。俺達三人がこのシザに来たのはそれも理由なんだ」


 シザ国へ来た理由が食の為と言われてバルカスは少し笑ったが、食の為に来たのであればシザは間違いなく環境が整っている。


「それは間違いない選択だな。俺達って、カミラとミルもか? 」

「あぁ、ミルは純粋に食べるのが好きでな。そして自分でも作ってみたいらしい。カミラは能力を駆使すれば料理だろうが何だろうができるのに、料理は自力で上手くなりたいらしい」

「……いい女だな」

「カミラの良い所の一つだな。無理のし過ぎっていうのがたまに傷なんだがな」

「そこはお前の助けがいるんだろう」

「できる限りはする。そう決めたからな」

「へぇ、カミラとビンセントの昔話も聞いてみたいな」


 ビンセントは暫く沈黙したが、別に悪い気を起こしているわけではなく、微笑んで答えた。

「大した話じゃないが、またいつかな」

 バルカスは少しムッとしてオーブンの方を見た。

「ピザ焼き上がんのにもう少し時間が掛かるんだ、その間話してくれよ。その代わり、私の事はもう話したが、この館の事を話すよ。あの絵とかの事もな。て言っても、私も絵には詳しくないんだがな」

 どうしてもビンセント達の過去が余程気になるのか、バルカスはそれなりに本気で頼んでいる。


「うーん、そうだなぁ」

「じゃあ私がパイプオルガン演奏してやるよ」

「お、弾けるのか? 聴いてみたいな」

「だろ? 」


 ビンセントは少し考えた後、カミラの眠る部屋の方を見て答えた。

「そうだなぁ。……少し俺の昔話と、カミラとの出会いを話そうか」

「おー! それは楽しみだ。 ピザと秘密と音楽が待ってるぞビンセント! 早速頼む」

「何から話そうか――、そうだ、あれからだな。昨日バルカスが話していたようなところからだ。……あれは今でも忘れられないよ――」


****【ビンセントの昔話】

 ビンセントは七歳の時、奴隷馬車の最後尾に乗っていた。

最後尾の馬車内にいるのは監視役の雇われ用心棒が二人と、ビンセントを含む奴隷が十五人。

 グラグラと馬車が揺れて何処か分からぬ場所を進む中、何か問題があったのか馬車は止まり、用心棒二人が呼ばれて馬車の外に出ていった。

 二人の用心棒が出ていくのを確認した、ビンセントと同じ位の歳の男の子の奴隷が、自分の手枷と足枷を抜き外そうとする。


 異常に痩せていた少年の手足から枷はあっさり抜けて逃げようとする。

少年は逃げようとすると時に、自分と同じ位の歳のビンセントが目に入った。

 少年は自分一人逃げるのを止めてビンセントの手枷と足枷を無理やり抜こうとするが、その手脚は少年の物程痩せていなかった為に、皮膚は剥がれて血が出ていた。

 痛いのを我慢してビンセントも必死になって抜こうとすると、手枷と足枷は血を付けながらも抜けた。


 少年二人の行動を見ていたビンセントの隣に座ていた老人は、自分の座っていた場所を退いた。

老人が座っていたところには薄い板が乗っており、それを取り払うと地面が見えた。


 老人は仕草で二人にここから逃げろという。

 ビンセントと少年は周りの奴隷を見るが、誰もかれもが少しの羨ましさを混ぜた表情を持っていたが、

無言で首を縦に振り、微笑みながら逃げるように伝えた。

ビンセントと少年は顔を合わせて頷くと、その小さな穴から馬車の下へ出た。


 周りを見ると馬車が走っていたところがどういう所なのかが分かる。

人が寄り付かない様な、人と遭遇するより魔物と遭遇する確率が遥かに高い深い森の中だったのだ。

 わざわざ魔物のいる場所を進むという事は、売り元か買い手が人身売買を罪に咎める国圏に住んでいるという事だろう。

それに付け加え、万が一のことが起きれば魔物が証拠を消してくれるという訳である。

少年のビンセントは全く以て人ではなく、所有者がいる物。所有者の都合により生かされ処分されるのだ。


 逃げられる状況下にあるか、二人の少年は用心棒達の姿を捉えた。

 奴隷商と共に用心棒が馬車を出たのは、馬車の進行を妨げていた倒れた樹木を退かせる為だったのだ。

未だ樹は進路を塞いでおり、力を合わせている用心棒達の監視が少年二人に向けられる事は無かった。


 ビンセントと少年は奴隷商と用心棒の目を盗んで森の中に逃げ込むと音を立てないように進み、振り返ることなくひたすら森の中を進んだ。

 自分達を逃がしたあの老人が、周りの奴隷達がどうなるか、二人は生きる為に考えるのを必死に踏みにじった。


 逃げる物音が奴隷馬車にまで届かなくなる程離れると、二人は走り出した。

どこか安全な場所を探して走るが、安全な場所が無ければ走るのも長く続かない。

 ビンセントは走る中、少年に対してどうやって生きるかを尋ねたが、後ろから答えが帰ってこなければ、少年の気配も消えていた。


 ビンセントは不思議に思って後ろを振り返ると、遠くで少年が倒れているのが分かる。

駆け寄ると、少年は声を擦れさせながら何かを呟いている。

 少年の痩せ様は以上で、逃げたとしても生きられるような体ではなかったのだ。

肉も無く、骨と皮の様だ。

奴隷商の元からは逃げられたが、結局は死から逃れられなかったのだ。


――――

「……それで、その子供は、ビンセントになんて言ったんだ? 」

「あぁそれでな。その人は俺に、何でもいいから生き延びろ。って言ったんだ。声は擦れていて断片的にしか聞こえなかったけど、繰り返し俺に言ってたな。俺がその声を理解したのは、その繰り返しの七回目くらいかな」

「……生き延びろか」

「あぁ、それとな」

「……なんだ」

「腹減った。ってさ。最期の最期、俺が先に行こうとした時に、やっぱり擦れてたが一番大きな声で、それも一番はっきりと言ったんだよな、笑いながら」

「その子供の名前は? 」

「知らないな、奴隷に名前なんてなかったさ。その時は俺もな」

「……悪い」

「謝る必要はない」


****

 ビンセントは少年の言葉を聞いた。

少年は、口を動かすのがやっとな様で、何度も何度も繰り返した。

ビンセントが少年の言葉を理解し、少年の元から立ち去ろうとした時にビンセントは最後にもう一度だけ振り返った。


 少年が最期、笑顔でビンセントに伝えた言葉は彼の中で忘れられない言葉の一つになった。

 笑顔の少年に対してビンセントが笑顔で答えると、少年は自分から目を瞑って力尽きた。

その後ビンセントは二度と少年を振り返る事無く前を走った。


 時には魔物から身を隠し、時には食べられそうな木の実を食べながら何日も森の中を歩いていると、森が拓けた場所に出た。


 そこには柵で囲まれた石造りの寺院があり、子供達の声が聴こえる。

ビンセントは人の声に対しても怯えるが、同時に希望を覚えて森をでた。

 何日も森をさまよっていたビンセントの体力は既に限界を通り越しており、森から出てきてぎこちなく歩く姿を最初に見つけたのは、かけっこをする男の子だった。


 その少年が庭を見守る大きな男に声をかけると、その男は警戒しながらビンセントを見た。

警戒をしていたその男はビンセントの服装と状態を見た瞬間に察し、柵の扉を開いてビンセントに駆け寄った。


 男に心配の声を掛けられ、現在の状況を尋ねられたのでビンセントは隠す事なく、彼にとってはあまりに少ない全てを話して聞かせた。

 話を聞いた男は納得するとビンセントを連れて柵の内に入り、再び扉を固く閉めた。

 遊んでいた子供はビンセントと同じ位の歳の男の子が一人、年上の少年が一人と一番小さい女の子が一人と全部で三人おり、寺院の中に連れられるビンセントを皆見ていた。


 男は急いでビンセントに食事を出した。

 パンとシチューを出されたビンセントは、名も知らぬ少年の代わりをするように、その少年の分も腹いっぱいになるまで必死になって食べた。

 食事を終えたビンセントは庭の井戸水で体を洗い、男から麻ではない布の服を貰った。

体を綺麗に洗ったビンセントを休ませることにして、男が寝室に連れて行ってベッドで寝かせた。


 何も夢を見ずに、起きたのは夕日が沈む頃だった。

 ベッドの横には女性とさっきの男がおり、ビンセントが落ち着いたのを話して確認すると、寺院の事を話してくれた。

 男と女は夫婦であり、二人には子供ができずに孤児とビンセントのような元奴隷の子供を、親代わりに育てているらしい。

 しかし女の方は病気で体も弱く、寝ている事が殆どだという。


 女はビンセントに対して名前を聞くと、ビンセントは質問に対して疑問を感じた。

名前という物を知らなかったのだ。


 哀れんだ夫婦はビンセントの目の前で、彼の名前を真剣に考えだした。


――――

「凄い夫婦だな。そんな人がいるとは、この世界も捨てたものではないな」

「目の前であんなに真剣に考えられたからな、名前ってのを知らない俺に対して、『こんなのはどう? 』って聞いてきたからな」

「真剣だな……」

「どんな名前が候補にされたかは忘れたが、結局は今のビンセントだ」

「なるほど。それで『ビンセント・ウォー』の誕生ってわけだ」

「まぁな。だが、ビンセントって名前は貰ったが、『ウォー』っていうのは少し後からの付け足しだ」


****

 夫婦は顔を合わせて笑みを浮かべ、名も無き少年に『ビンセント』と言い合った。

それからビンセントの名前はビンセントとなる。

 夫婦が部屋の中に寺院の中の子供三人を呼び入れた。

三人がそれぞれ挨拶をして、それぞれが自ら名乗って自己紹介をした。


 一番大きい男の子が『マクスト』次の男の子が『カイ』一番小さな女の子が『クラリア』と名乗った。

名乗りという事が何の事かよく分からないビンセントに変わって、女がビンセントがビンセントであることを三人に伝えた。

その時、ビンセントは名前という物を段々と理解し始めた。


 その後数日間でビンセントは三人と仲良くなり、夫婦の手伝いをしながら遊んだり勉強をしていた。

マクストはおとなしいが勉強ができて、言葉や文字もよく理解していた。

カイは活発だが頭はそれほど良くない。特徴としては元気で行動的だった。

クラリアも活発だが、カイと違って物覚えがよく、夫婦の料理の手伝いもしていた。


 とある勉強の時、カイはマクストに教えてもらった異国の単語を、知らないビンセントに教えて自慢していた。

 『クック』や『クリーニング』、『ウォー』や『ステンドグラス』といった感じに、カイはその単語の意味はうろ覚えであったが、新しく覚えた事だと嬉しそうに自慢してきた。

ビンセントは時にカイの自慢を嫌がりながらも、そんな事も含めて日々を楽しく過ごしていた。


――――

「どこにあるんだよその寺院、私その夫婦に挨拶しに行きたいな」

「どこだったかな、俺もウロチョロし過ぎて場所が確かじゃないが、東の地当たりの森の中だったな。……だがな」

「だが? 」

「だが、もう――」


****

 ビンセントが寺院に来てから二年が経った。

 その間で基本的な知識を覚えたのだが、男であったマクストとカイ、ビンセントは、もしもの時の護身術という事で、男から剣も学んでいた。

 重い剣を扱うのは難しくても、三人にはそれぞれ一本のナイフを渡して携帯させており、もし魔物や奴隷商に襲われそうになったらナイフを使って抵抗し、ここまで逃げてくるようにとの事だ。


 カイとビンセントがナイフと非常食を持って、森から食用キノコと食用木の実を調達した帰りの事だった。


 時刻はおよそ昼をまわった頃だったが、寺院を出て森に入った時と比べて今の森の感覚が何か違っていたのだ。

 鞄一杯に食べられる森の幸を詰めた二人は、皆の喜ぶ顔を浮かべながら話し合って帰り道を歩いていた。

 森の変化に気が付いたのはカイだった。

 初めは少しきょろきょろと周りを警戒して見ていたが、カイの中で考えが確信に変わるとすぐに、ビンセントに魔物が近くにいる事を話した。

 カイの言う通り周りを注意深く確認しながら寺院に向かっていると、周りから魔物の鳴き声や呻き声がが響いてきている。

 魔物の存在を近くに感じた二人はナイフを取り出して警戒しつつ、寺院に向かって歩いていった。


 寺院の近くまでくると、今度は寺院からも何か聴こえてきた。

それを聞いて、二人は顔を白くして合わせると全力で走り出した。


 聴こえてきたのは男の雄たけびと魔物の鳴き声、そして小さく交戦の音が聴こえる。

寺院は、多数の魔物の襲撃を受けていた。


 男が怒りの表情を浮かばせながら手に握る、普段カイのイタズラで持ち出される長く重い剣は、魔物を何体も断っていた。

ビンセントの視界に入ってしまった男の背後には、目を背けたくなる状態のマクストとクラリアの姿があった。

 カイとビンセントは怒り、ナイフ片手に魔物群がる寺院に突っ込んでいく。

その二人を確認した男は、とっさに逃げろと叫んだ。

しかし二人は止まらなければ、止まれもしなかった。

 二人の目には明らかな怒りと共に涙が浮かんでいたのだ。

その顔を見た男は魔物に対する怒りよりも、皆を守る力が自分に足りない事に対しての悔しさが心を占めていた。


 ビンセントは精一杯の力を込めてナイフを魔物の背中に突き立てると、運よく鱗の隙間に刃が入り、体に突き刺さった。

驚いた魔物は体を振って、ビンセントとナイフは振り抜き落とされた。

 カイも魔物にナイフを突き立てる。

器用に目を狙ったナイフはそのまま正確に刺さり、魔物は絶命した。

しかし他の魔物がカイを弾いて、カイは地面で痛みにもがいていた。

地で崩れるカイに寄ってきた魔物を、カイの真似をしたビンセントが目を狙ってナイフを突き立てた。

魔物はカイにとどめを刺す前に息絶えた。


――――

「なんでそうなっちまうんだよ」

「なんでだろうな。今じゃありえないが、あの頃は魔物が普通の存在だったよな。今思えばあの寺院、魔物が潜む森に囲まれてたんだ。むしろ今まで襲われなかったのが凄いくらいだ」

「……そう、なのか」

「あぁ、そうだよ」


****

 魔物を仕留めたビンセントが倒れるカイを心配して振り向くと、カイは笑みを浮かべて大丈夫だと伝えた。

大丈夫と言うカイのその姿は、明らかに苦しんでいた。

胸を強打されたせいかカイの体は崩れかけており、呼吸がままならない状態だった。

 カイがビンセントに向けて、二本指で招く。

ビンセントが周りを警戒しつつ耳を貸すと、カイは擦れた声で喋り出した。


 ――ビンセントは自分を呪った。

この光景に目の前のカイと、二年前の名も知らぬ少年が重なってしまうからだ。

自分の周りの者は不幸になると、その時ビンセントは思ったのだ。

カイは、あの少年の様に呟いた。


――――

「……カイはなんて、言ったんだ」

「夫婦と同じことを、カイが俺にしたんだよ」

「そうか」

「あぁ、カイは俺のもう一人の名付け親って感じだな」


 バルカスに自分の昔話をしている中に、その光景が改めて鮮明に蘇った。

ビンセントの記憶の中ではカイは笑いながら、またいつか見た自慢するような顔で、それもいつか聞いたような得意げな言い方でビンセントに呟いていたのだ。


「カイはまた擦れた声で自慢げに喋るんだ。なぁビンセント、お前『姓名』ってやつ知ってるか? 知らないだろ。俺はマクストから教えてもらったんだ、ってな」

「……」

「もう喋らなくてもいいのに擦れた声で単語を繰り返すのさ。ウォーウォーウォーウォーってな。俺がなんだそれは? って聞いたらカイは、ウォーってのは戦いって意味だっていうんだ」

「……そうか」

「聞いたところ、マクストとカイ、そしてクラリアは密かに自分の性名を考えていたようで、俺の性名も密かに相談して決めて、後で俺にプレゼントしたかったみたいなんだ。それを、あんな状態で、どうだ、気にってくれたか? っていうんだ。俺はもう、頷くしかないよ。名も知らない少年の言った、何でもいいから生きる、に戦いを付け加えたんだ」

「……それでか」

「うん、そうだな。俺はそれから戦って生き残ることにした。あくまで、生きることが最優先だがな。俺は弱いから、すぐ負けてしまうんだ」

「ビンセント……ビンセント・ウォー……」


****

 擦れた声でカイはそう言うと、名も知らぬ少年と重なって死んだ。

 唖然としていると、魔物が横からビンセントを攻撃する。

攻撃は直撃し、カイと同じように地面で悶えることとなる。

 転がり様に寺院を見た。

視界いっぱいに広がる絶望だ。夫婦の男は剣を魔物に突き立てながらも捕食されていた。

魔物は寺院の中に先を競うように侵入している。

恐らく夫婦の女はベッドで寝ているのだろう。中を見ずとも、何かの能力があるわけでもないが、未来が分かってしまう。

 転がり悶えるビンセントは決意をする。


――――

「この目の前の蛇野郎殺してから、俺は全力で逃げることに決めた」


****

 ビンセントは吐しゃ物をまき散らしながら魔物に突貫した。

モンスターの攻撃を無視した捨て身でナイフを構えた。

 小さな死闘の中、ビンセントは魔物を意識して殺しに行った。

小さい力ながら魔物の喉をナイフで裂いて、両手で引き抜くと頭部へ突き刺した。

魔物は息絶えて徐々に体が崩れるが、それでもビンセントは何度も何度も刺突した。

 命が抜けて白骨化する魔物を見てビンセントはナイフを鞄にしまうと、カイや無残な姿の男とマクスト、クラリア、寺院の中、姿見えぬ女の方を見ると、一目散に駆けだした。


――――

「こういう事は繰り返されるよ、弱いうちはな。何度も繰り返す。必死に抗おうとしても魔物は強いから、負けることの方が多い」

「ビンセント、しかし――」

「だがなバルカス、今世界は平和だ。少なくとも魔物の脅威はなくなったからな。昔と比べれば平和だ。

だがそれでも、俺は強くならないといけないのさ、まだカミラより遥かに弱いが、俺はカミラとミルを、

俺の手で守らなくっちゃぁいけない。絶対にだ。だからこんな世界でも、鍛える機会がある時、表では必要ないのではと、あいまいに接してきたが、当たり前かもしれないが、俺なりの全力を持って取り組んだよ。少なくともクロイスで教えてもらってた師匠よりは強くなってるから、今回のシザの事、信頼して任せてもらっていい」

「ビンセント、そうか、そうだな。もちろんだ! だが言っておくが、私は疑ってはいない」


 それを聞いてビンセントは苦笑すると、何やらいい香りがするのに気が付く。

「いい匂いだな。もしかして、ピザってやつが焼けたのか? 」

「お、あぁそのようだな! 」

「俺の昔話だけになってしまったな、カミラとの出会いはまたいつかだな」

「あぁまた、いつか聞かせてくれ。無理のない程度で構わんがな」

「いいさ、俺の事は全てカミラに話してあるし、カミラの事も俺は全て知っている。

 ミルも含めてだが、俺達三人の間に隠し事はない。それに、バルカスも俺等に話してくれたんだ、バルカスに対しても隠す気は無いさ」

「それは嬉しいな。私の事は全て、話したが、約束通り私の知るこの館の話もしよう」

「ピザと共に楽しむよ」

「フッそうしてくれ。ただの昔話さ、ただのな」


 バルカスはオーブンの詠唱文字を指でなぞって炎魔法を止めると、厚手の手袋をしてオーブンを開ける。

 中から流れ出る匂いは食欲を誘う。

木板で焼けたピザを取り出し、大きな皿に五枚それぞれ乗せた。

 ビンセントが見たことの無い丸い刃物でピザを切ると、バルカスはピザの乗った皿をカートに乗せた。

「よし、朝飯が完成だ。ビンセント、カミラとミルを起こしてきてくれ」

「よし! 起こしに行ってくる」

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