17話 『沈黙の狼煙 3』

【ガルド第十砦】

 広場を囲むコの字型の砦にはアーチ状の大きな開口が正面にあり、それと似た小さめの開口がいくつも開いている。

 元々その開口には巨大な鉄の扉が付いていたが、今や風が通り抜けられる状態になっており、物理的防御力は無い。

 第十砦が機能していた頃はこの砦を城門として扱っていた。

砦内も籠城するには十分なスペースがあり、上部からは弓士の為の設備もある。

左右に中規模な駐留基地もあったが、今はただの物置と化している。

 そんな範囲的に大規模な砦が囲むのは、ガルド国中央地点に存在する憩いの大広場である。

中央に噴水があり、冬国でありながら、地に描かれた国の模様に沿って、魔法植物で緑化がされている。

辺りは雪で覆われているが、魔法植物の為に、この広場に雪は殆ど残らない。

 戦後の比較的暖かな時にはガルド国民の安息の地、憩いの場として皆が集う場所だ。

そんな場所が、今は中央を開け、魔物がその周辺を覆っている。

 城へ繋がる北の道は開口もろとも魔物で詰まっており、西側も同じく詰まっている。

南側は魔物の進軍路となっていたのだろうか、今現在では魔物はいないが、その代わりに多数の人間の死体が路上に出ている。

通り沿いの建物の扉は破られ、建物の上階を見ると、ベランダの柵にもたれて死んでいる人間もいる。

 襲った魔物はまだ進軍を止めない。

きっと抜けられた第十砦の内部も、魔物の唸り声以外が聴こえないところを見ると、南側の通りの建物と同じ状態なのだろう。

第十砦からは交戦する音も、人間の悲鳴すら聞こえないのだから。


 周りを蠢く魔物と変わり、広場の中央。

 愛を持った待ち合わせ場所としてふさわしいであろうこの場所に、不相応な者達が集まっていた。

巨大な黒馬の死体が地に横たわっており、その後ろには兜以外の、影の無い巨大な防具と、巨大なランスに円形の大盾が散らばっており、四体のイビルナイトは何かを待つようにその黒馬の死体と散らばる装備品を囲んでいた。


 無音で待つ沈黙の装備品と黒馬の死体に向かい、東の街路から無音で飛んで近づく低級魔物がいた。

その魔物は自身のキャパシティーを遥かに超えている物を吸収したせいか、コントロールをしきれずに、吸収した物を漏らし散らしながら飛んでくる。

 滴る液体は落下地を溶かして穴を空け、発する瘴気は空気を溶かし歪ませる。

低級魔物のシャドウバードは目的地に着いたのか、高度を落として、イビルナイトの影に飛び込んだ。

イビルナイトは鎧のこすれる音を出しながら、地に散らばる装備品に近づく。


 シャドウバードが飛んできた東の街路は、さっきまでアンデッドやゴブリン、イビルナイトにハーピー等の魔物で埋め尽くされていた。

 しかしシャドウバード以外の魔物がこの街路から戻ることは無く、代わりに隻腕の男が歩いて来る。

「ほぉ、アレが生まれ変わった奴か」

 隻腕の騎士ハーベルクは、姿は少し違えど、より強大となった仇のオーラを感じ取った。

(俺の最期の闘争だ。文字通り死力を出してやるさ)

 ハーベルクにはもう、能力である毒を持っていないが、鍛え上げられた戦闘神経を元に、必要スキルを開放する。

 死を覚悟しているだけあって、自身の五感が研ぎ澄まされているのを感じる。

ハーベルクは、自身の能力のキャパシティーを超えた。

 強化されたアンデットの比ではないスピードが出せる。

またかかる負荷も比ではないが、身体能力のリミットも完全に外れている。

 体を最大限使用して駆ける最中に、隻腕の騎士は己の仇の変貌を見る。

四体のイビルナイトは、吸いに吸い取ったであろう影を、地に転がる巨大な装備品に吸収されて、膝から崩れ落ちる。またイビルナイトの象徴的な漆黒の鎧も、元の本体もろとも吸収されて消えていく。

 バラバラの防具がズリズリと、まるで一つ一つが意志を持っているように動いて、一つとなった。

兜の無い巨大な鎧は、まだ地に転がっているランスと盾に手を伸ばして装備し終えると、

巨大な首無しの騎士が地に立った。

(デュラハン――。魔物というより、完全に騎士。そんな雰囲気だ)

 首無しの騎士が立ち上がり、重さを感じさせる事無く大きなランスを天に掲げる

(ナイトメア、コシュタバワー、バンシィ、あれが死の精霊か)

 地に転がる巨大な黒馬の死体が、首無しの騎士の祈りを受けて起き上がる。

黒馬の姿は、強靭な肉体とは間違っても思えない、巨体で貧弱で、朽ち果てた馬だった。

 馬の黒皮は所々剥がれ、目は窪になっており、肉は腐り白骨が見える。

肉体が腐り落ちて空いた穴から向こうの景色が見える程に、この肉体は朽ち果てており、動く機能が無くなっている。

それでもデュラハンの魂宿るこの黒馬は、死を運ぶ精霊なのだろう。

 首無しの騎士はランスを地に刺して黒馬に乗ろうとすると、黒馬は主の為を想い、自身の体を低く屈めた。


 精霊と怨念の融合体。デュラハンの事を魔物という者もいれば、精霊という者もいる。

大昔から存在していた首無しの騎士は、人々が魔王という者を認識する前から存在していたという。

どこから生まれたのか、いつ生まれたのかも分からない。

どこからともなく現れて、数多の戦場を駆けるところを見ると、デュラハンは複数体いるのではないかという者もいるが、実際勇者一行に倒された一体しか確認されなかった。

 その首無しの騎士が、ハーベルクという敗者の目の前に再び現れたのだ。

 黒馬は体をゆっくり起こし、首無しの騎士はランスを引き抜き構えると、漂う雰囲気が爆発する。


 首無しの騎士『デュラハン』降臨――――。


 圧倒的な存在感。

デュラハンと遭遇した絶望は計り知れない。

周囲が無に感じる様に、デュラハンから絶えず圧が漏れ出しているように感じるのだ。

「デュラハン! 久しぶりだなァッ! 全力だ、俺は全力だ!! 」

 ハーベルクは知らないし知ろうともしない。

彼の体は、デュラハンのオーラを受けて悲鳴を上げている。

 それでもハーベルクは、絶望に跳び込む事に対して止まりもしなければ、止まろうとも思わない。

 既に人間に出せる勢いではない、ハーベルクは神速で駆けて跳躍する。

対象は前に、ならば剣先を前へ、凝縮された全力の突きを繰り出した。

 凄まじい衝撃をハーベルクは片腕で、デュラハンは大盾で容易く受けながら、彼の全力の突きを弾いた。

パワーを比べてしまうとデュラハンの方が格上らしく、ハーベルクは突きを防がれる延長で大きく吹き跳ばされた。

「チッ」

 最大まで高めたオーラだった。剣は折れていないが左手の痺れが尋常ではない。

ハーベルクに向け、死の精霊バンシィが、デュラハンがやってくる。

(流石に強いな)

 デュラハンが発するオーラは魔物の物ではない。真に黒いその純度は、並の人間が見ればそのまま生気を吸われるだろう。

高位魔物の様に、暴風の様に荒れているわけではない。それらとは魂が違い過ぎるのだ。

 ハーベルクに向かう馬に勢いは無い、ゆっくりと確実に向かってきている。

体勢を直したハーベルクは馬を搔い潜り、デュラハンの後方へ回ると首の穴めがけて剣を突く。

(――!? オールガード――)

「グゲェ――ッ!! 」

 ハーベルクの攻撃は通らない。

ランスの横払いは、瞬時に張ったオールガードを粉砕してハーベルクを弾き跳ばす。

幸い左側からの攻撃だった為、デュラハンを突こうとした剣を戻して防御態勢をとったが、横払いの力に負けて剣は圧されて剣の腹は左腕にめり込んだ。

 ハーベルクは跳ばされた先で受け身をとろうにも、衝撃を受けてふらついた体では、上手く受け身が出来ずに、そのまま地面を転がり落ちた。

 痛みを意識が越えて、前提を無視した事をハーベルクは自分が思う冷静を持って考えた。あいつは、どうやったら殺せるのかと。

(影ではないな。あれはあくまであいつの分離体で、影が抜け出ることは無い。あの鎧の中はさっき見た通り空っぽだった。だとしたら、何を壊せばこいつは死ぬ? )

 考えても答えは出ない。ハーベルクは痛む全身を無視して立ち上がりながら、対象を観察する。

(当然イビルナイトとは別物。だとしたら何か核があるはずなんだ、シンプルに、鎧や武器を破壊したら死ぬ、とかか? 亡霊なら、流水ってのはどうだ? )

「やってみないとわからないなぁ」

 どう考えても、出る物はハーベルクの記憶の物だけである。

それでもハーベルクは、正常ではないにもかかわらず、無意識に自分の正常を創り出して、考えた事を実行し、石造りの噴水を叩き斬る。

 破壊された水道管から勢い良く噴き出す水は、デュラハンに直撃する。

しかしデュラハンは意に介さず、ゆっくりとハーベルクに近づく。

(流水は駄目か、やっぱり鎧の破壊か? )

 ハーベルクは更に距離をとってデュラハンを見ると、彼の目は大きく見開かれた。

噴水の水で濡れていたデュラハンの身は、今見た時には何事も無かったように乾いているのだ。

(――いや、そこじゃない。奴の周り、あの瘴気……『アレ』は『俺』だ)

 デュラハンにかかった水は、表面に出した毒により気化していた。

ハーベルクは理解した。シャドウバードに喰われていた時にもわかってはいたが、仇がこうも普通に能力『沈黙』を使ってこられては、元の能力者であるハーベルクは反応に困った。

「俺の特異点がお気に召したか? いい乾燥機じゃないか。存分に使えよ」

 デュラハンが発する沈黙の瘴気は、辺りの空気を、石造りの噴水や石の地も溶かしていた。

しかし離れているとはいえ、まだ毒の範囲内であるハーベルクが無事というのが救いだった。

(これだけ接近しながらも、俺の体は無事だ。シャドウバードじゃ喰いきれなかったようだな、毒無効はそのままだ)

 ハーベルクに毒は効かない。その事を理解したデュラハンは『沈黙』を消した。

(わざわざ消すところを見ると、沈黙の持続力がかなり落ちてるみたいだな)

 思わず苦笑してしまう。

力の差が過ぎる上に、自分に対して無力とはいえ、自分の能力をとられたのだ。

(全力だったんだがな、最初の突き。……更に、自分を越えねば)

 右腕のあった場所を握りしめ、皆殺しにされた自分の部下を、鮮明に思い出す。


 規模は大隊、それでも一人一人の名を浮かべる。

自分が弱いのは分かっている。守れなかった結果があるから、死にたい程理解している。

 こんな自分に付いてきてくれた部下が、瀕死状態のハーベルク一人の退却の為に、身代わりとなった部下、千七百八十二名。

ガルド史に残る、敵一体による一方的な大敗だった。


 魔物との野戦に勝ち、帰還を命令する際に何処からともなく現れたデュラハン。

力の差を感じながらも、ハーベルクは魔物の殲滅を命令してしまった。

一体の敵を葬る為に、部下を死に届けたのだ。

初めて見たデュラハンは遅いものの、帰路の方からゆっくりと確実に近づいていた。

 だがハーベルク大隊を敵と確認したのか、デュラハンは瞬間的に豹変した。

さっきまでは、徒歩の方が早いのではないかと思う程の巨大な遅馬が、豹変後は風の如く駆けだし、デュラハン一体を仕留めに行く部下は、その時既に無残な姿で宙を舞っている。

 ハーベルクが気が付いた時には既にデュラハンは目の前にいたのだ。ハーベルクは毒剣で応戦するも、剣は折られ、利き腕の右腕ごとランスで突き砕かれた。

 判断が遅かった、見た瞬間に『帰還』『撤退』『退却』そう叫べばよかった。

それを今更口に出したのだ。

退却命令を叫び、ハーベルクは落馬しそうな自分を奮い立たせ、全力で退却した。

その際に深く刺さっていたランスは、一振りでハーベルクの腕を引きちぎる。

その光景を見た部下は、自分達の主が臆しているのにも関わらず、その主を退却させる為に自ら盾となった。

 舞う血液、肉体、それらをハーベルクは見れなかった。見なかった。

ただ音だけは正しく聴こえる。

肉を裂き骨砕くその音、部下の絶叫、後方からやってくる馬の蹄が地を打つ音。

 気が付けば音は何も聞こえない。ハーベルクは一人、自国の国境線である第二十砦まで、一人で帰還してきたのだ。

 声すら出ない。魂を刈り取られたような感覚になり、ハーベルクは堕ちた。

 将軍としてのこの大敗の責務として、死刑を軍大将会議で言い渡されたが、そんな時出会ったのがガンツという男だ。

 ガンツは先に控える大戦でハーベルクを部下として最前線に連れていく事を提案したのだ。

どうせ殺すなら戦場で殺そうと皆に言い、ガンツは彼を連れて行った。

 ハーベルクは失った部下を初めて思い返した。

自ら逃げていた現実から、その時初めて目を向けたのだ。

 ガンツ自身、多少の情による提案だった。だがいつの時か変わった、ハーベルクの覚悟を感じてから、ハーベルクに対する気持ちは完全に改まった。

 ガンツの下で戦果を上げ、将軍として第四砦の将軍、最高責任者の席に戻るのはそれから十年後となる。

愚かな卑劣な毒のハーベルクではなく、隻腕の騎士として生まれ変わったのだ。

 ガンツは知っている、この男は真の強者であることを。

またハーベルクは知っている、己は真の弱者であることを。


 部下を忘れたことは、初めて思い返した時から一度もない。

(また少し力貸してくれよ。そしたら、俺は強くなれる。……ガンツ、俺はお前みたいに強くなれるかなぁ)


 戦場で見たガンツは、ハーベルクが憧れる強者だった。

 数年前の掃討戦で噂に聞く『紅蓮の闘神』カミラ・シュリンゲルという者の名も、彼が近くで見てきた槍士のガンツの前ではかすれて見えるようだった。


「超えたよ、俺は」

 ハーベルクはオーラを纏う。より一層強く、彼は一線を越えた。

「俺は、弱いぞ。だが、最期となるであろうこの戦場、俺は超える。俺は強者だ! 」

 ハーベルクが剣を振るい、デュラハンはそれを受ける。

 もう弾き跳ばされない。ひたすら早く、早く攻撃をする。

(少しでも、かすり傷でもいい。あいつの体を削る。少しでも破壊するのだ! )

 ハーベルクの突きも、デュラハンはその大型槍で、およそ不可能な速さで受け続ける。

「まだまだまだまだまだまだまだまだァ――!! 」

 馬を狙えど、本体を狙えど全て防がれる。デュラハンは防ぐ間にも攻撃を入れてくる。

彼も攻撃を防ぎ、一騎打ちは続く。


 ガンツ騎馬隊は第十砦の北面まで進撃している。ここからだとまだ距離があるが、アーチの状の開口から目標が見えた。

「見えたぞ! ここからが俺達の闘争だ!! 」

 ガンツが叫び部下も叫ぶ。

「ハーベルク様確認! それと――、あれはデュラハン!? デュ、デュラハンを確認!! 」

 ジースが驚きに声を裏返しながら情報を伝達。

「魔物共は以前変わらず古城への進軍が最優先らしいな、俺達にはさほど興味はないらしい」

 正面から対している時は襲ってくるが、ガンツ騎馬隊が通り過ぎた後を魔物達は追わずに、進行方向を古城に戻していた。

「リクトルは運が良かったな先に逝けて、恐ろしいぜこっから」

 ケスラが苦笑しながら言った言葉に対し、皆も額に汗を浮かべて同感だと笑いながら頷く。

 対峙する魔物を斬り捨て、いよいよ第十砦内のアーチ状の開口を駆け抜ける騎馬隊四名は覚悟を再度決めた。

「砦抜けるぞ! ジースは全員に毒耐性を頼む! 各自耐性付与されたら防御スキル忘れるな! いざとなりゃオールガードを惜しむな! 総員、全力で戦闘開始!! 」

 砦の中から広場中央向けて騎馬隊が駆け出てくる。

広場中央での一騎打ちはまだ続いていた。

 デュラハンは何も変わっていない。

対するハーベルクは――。

「ラァ――――ッ!! ゴホッゴホッ――ォ、壊レロォ――ッ!! 」

 攻防を続ける体はとっくに消耗しきっており、瀕死状態だが気力で闘い続けている。

ランスの連撃をかわし損ねたのか左目は骨もろとも引き潰されており、体にも大きな傷が幾つもある。

いつ死んでもおかしくない量の出血をしていた。

(かすり傷でも何でもいい! 俺は弱い! こいつにかすり傷を付けて死ねるならそれでいい!! あいつらは、セリーヌは! 俺を笑って迎えてくれる! )

 ハーベルクは歯をむき出して食いしばり、剣を構えてデュラハンの懐へ踏み込んだ。

「ただでは死なん! 弱者の魂を受けてみろ! 俺を迎える死よ!! 」


 馬が接近する、早い。騎手は槍を手に持ち、攻撃対象に突貫する。

「オラァッ!! 」

 馬の勢いに付け加え、ガンツが全力で槍をいれた。

凄まじい衝撃だが、デュラハンが引くことはなかった。

 だがガンツの突きを盾で防いだ一瞬。一瞬だが、デュラハンに隙ができた。

ハーベルクは見逃さない。ガンツが与えてくれた己が人生の二回目のチャンス。

「ラァッ!! 」

 一閃。

 盾もランスもないデュラハンの腹部をハーベルクの剣が走る。

剣の一線上には黒馬コシュタバワーの首もあり、黒馬の首は地にずり落ちた。

 首無しとなった馬は、座るように姿勢を落とし崩す。

デュラハンの腹部装甲に走る一筋のひっかき傷。

それを与えたハーベルクの剣は折れ、本人の表情は、満足。この一言に尽きる表情をしている。

 馬と共に崩れるハーベルクであったが、すぐさまジースが馬で駆け寄り、瀕死のハーベルクを回収する。

 ガンツは盾に槍を押し返され、デュラハンによるランスの一振りで攻勢を押されて一時撤退した。

 ガンツとハーベルクが邪魔しなくなってから、デュラハンは愛おしそうに愛馬の首の断面を愛でると、大盾の内面を近づけ、首の断面に触れさせた。

大盾を離すと切断されて地に転がる頭部は霧となり消え、大盾に触れたであろう首の断面が蠢く。

その光景はジースの顔をひきつかせた。

「うげぇ……まじすか」

 馬の骨が生成され、肉が湧き、黒皮が覆う、眼球も揃った。

ハーベルクに首を斬り落とされた前の朽ち馬の頭が嘘のように、生成した首部分だけ生前の姿の様な、しっかりと肉と皮のある立派な馬の頭部となっていた。

 ガンツは黒馬が再生された事に舌打ちをしながら、ジースにハーベルクの回復を頼んだ。

「ジース、そいつの回復を頼む」

「はい! ……って言っても、ハーベルク様瀕死状態ですが……」

「動けるようになればいい、意識戻ったらまた奴に跳びつくだろうしな」

 ガンツに頼まれた事である。ジースは限りの魔力を手の平に集中させ、気絶したハーベルクの体に触れて回復に専念した。

ジースの回復魔法により淡く光る緑の魔法光が、満身創痍のハーベルクの肉体を優しく包む。

深い傷は治まらないが、血が止まって肉体の疲労が徐々に回復していく。

「目が覚めるまで少し時間が掛かります! 」

「了解だ! 」

 ジースの報告を受けたガンツはデュラハンの突きを受け、自身の槍で突きの軌道を変える。

騎乗という同じ条件ながら、相手が相手。避けの自由が殺されている。

(このまま騎乗でやり合ってたら、悔しいがいつか突き殺されちまうな)

 デュラハンが突いてきたところでガンツは馬の綱を引き、急前進して旋回。

「フンッ! 」

 デュラハンの背後をとり、がら空きの背中を狙う。

(――何!? )

 背後からの突きにもかかわらず、デュラハンは腕を背後に回しての無理な体勢でそれを防いだ。

(それで俺の槍を当然のように受け止めるのか、力の差がありすぎるぜ)

 冷や汗がおさまらない中に、ガンツの想像外の速さでデュラハンの横払いが迫る。

そこにケスラの槍が割って入り、ガンツと共に受けるが吹き跳ばされて落馬する。

落馬して転げるガンツは、受けた衝撃で生じた手の痺れに歯を食いしばりながら耐え、ケスラの生存を確認した。

(こいつも凄まじぃが、こいつじゃない。俺が見た奴は、もっと絶望的だ)

 デュラハンと対しているこの絶望的状況下、それでもガンツが見て感じた絶望とは違っていた。

ガンツがデュラハンを見定めて考えると、ジースの感動を帯びた叫びが聴こえてくる。

「ガンツ様! ハーベルク様の意識が戻りました! 」

「おぉう! 助かるぜ! ソラッ!! 」

 瀕死状態のハーベルクの意識が戻ったと分かれば、ガンツは考えるのを止めて馬の腹を蹴って敵に向かった。

「ハーベルク!! 目ぇ覚めたら頼むぜ! 」

 ガンツの声を聞いてその方を向くハーベルクの眼は、ガンツを見ようとしたが別の物に釘付けになった。

彼は思わず眼を見開いた。デュラハンから薄く、自分の瘴気が溢れ始めていたからである。

「ガンツ引け! 下がれ!! メルもだ! 」

 ハーベルクが能力『沈黙』用の耐毒効果をかけようにも、距離が離れ過ぎている。

ガンツはハーベルクの言葉に対して、わき目も降らずに馬を旋回させてデュラハンとの距離を離すが、

ナイフ片手にデュラハンの後ろから跳びつくメルは、回避方法が存在しない。

もう跳んだ、先には蹴る地も壁も無い。

デュラハンめがけ宙に軌道を描いて死に近づく。

 次の瞬間、デュラハンの周りに瘴気が湧き出た。

デュラハンを覆う毒の膜は、ガンツやジース、ケスラにも見えている。

「メル!! 」

「ワァァ―――……」

 メルの高い叫びが毒に沈む。

その後溶解物が気化する音が響くが、後は暫く、その能力の名前の様な沈黙が続いた。

「……おい、あれお前の毒だろ? ハーベルク」

 溶けた部下の場所から目を離さずに、ガンツは沈黙の中ぽつりとハーベルクに問う。

それに対し、ハーベルクは淡々と答える。

「あぁ、毒を盗られた」

 ハーベルクに表情は無い。

「一応耐毒かけたんだがな、効いてないらしいな」

 表情が消えたのはガンツも同じだった。

「ジースに耐毒かけてもらったんだな、俺がかけなおす。ジース頼む」

 ジースはガンツとケスラに馬を操って近づき、すれ違いざまにジースの後ろに乗馬したハーベルクが専用の耐毒性魔法をかけなおした。

「すみません、力不足でした」

「いやジース。俺が言うのもなんだが、あの毒が特別過ぎるんだ。お前には既に耐毒をかけてある。毒はもう安心しろ」

 ハーベルクから奪った能力でガンツの部下一人が死んだが、耐性魔法をかけた今ではその毒を恐れることはない。

しかしデュラハンのその能力はあくまで付け足しであって、デュラハンその者の脅威が去った訳ではない。

「ジース助かった。ありがとう」

 ハーベルクは馬を跳び降りるとガンツのもとへ行く。

「ガンツ。大丈夫か」

 ガンツの目先は変わらず、デュラハンを見続けている。

「あぁ大丈夫だ。メルも覚悟の上だった。それにこれで近づけるな、行くぜハーベルク」

 ガンツはニヤリと笑った。

「あぁ、行こう! 」

 ハーベルクが走り出し、ガンツは馬で駆ける。

それを見たジースとケスラも馬で駆ける。目標は首無しの騎士デュラハン。


 デュラハンに近づいた時だ、鳴き声が聴こえる。地獄の最下層から出るような鳴き声。

「ヒ――――――ン……」

 擦れて大きくは聴こえない。

見た目からまるで鳴き声を上げたり、素早く動けそうにもない鳴き声の主は――。

(なんだこいつ、あんあふうに動けたのか)

 ガンツは黒馬、コシュタバワーの姿をこの眼で見たのはこれが初めてで、その馬の印象は見た目通りの鈍い馬のゾンビだった。

それが今ではまるで違う馬の様に、蹄を激しく地に打ち付けている。

 このコシュタバワーの動きを知る者は、過去にデュラハンとの戦闘経験があるハーベルクのみであった。

 ある瞬間から、デュラハンの動きは豹変する。

死の精霊は死を運び、死を強制する。

「用心しろ! こいつの本気だ! 」

 元敗者の叫びの中、高く大きく前脚を上げる黒馬コシュタバワー。

その動きはゆっくりとしている。高みのピークを過ぎ、蹄は地に戻って行く。

「こっちも本気だ! オラァ! 」

 地に足が戻る寸ででガンツが突貫する。デュラハンに槍が届くには少し時間が掛かる。

ガンツの槍が届く前に、コシュタバワーの蹄が地面に舞い降りた。

「噴!! 」

 ガンツの顔は狂戦士のそれであった。

彼の槍には感触があったが、それは彼の想定する感触のどれにも当てはまらない、初めての感触。

その感触とは、横からの衝撃で自分の槍が折られた感触だった。


 ガンツは宙を舞う。

意識が極限に凝縮されて、何もかもが遅く感じられた。

凝縮された意識下で目に映るのは、切断された愛馬の首と折れた槍、自身の右腕、串刺しにされて掲げられる部下。

横目に見えるのは跳ぶ親友ハーベルクの首。

「ガぁァああぁ!! こんのぉおォ! 」

 串刺しにされたケスラはデュラハンの首元開口に槍を投げた。

投げられた槍が何に刺さる訳でもなく、カランという虚しい乾いた音が空洞に響くだけであった。

「――ブッ」

 デュラハンにランスを払われ、ケスラの体は千切れ跳ぶ。

ジースは馬上で死を前にして無意識に口を開けており、そんな彼に大盾が勢い迫る。

あまりにもあっさりと、馬の上部と共に体が弾け跳んだ。

 残ったのはガンツ一人。

戦争に生きたハーベルク達は、少し遅れて戦争により死んでいった。

「あぁ、俺も逝くか」

 潰れている腕の痛みは凄まじいが、死と面向き合うと安心して感じられた。

近づいてくる死の精霊の隣に人が現れる。

 ガンツは近づく死を無視してその者を見た。

「何者だ、いつからいたんだ。いや、わかんねぇが、今いきなり現れたんだな。お前は――」


 ガンツはその男の顔を見ると、思わず微笑んだ。

この人を見れば人は光を見る。

この人を見れば人は勝利を確信する。

この人を見れば人は希望を得る。

そんな人物の顔をガンツは確認したのだ。

「あんた、こんなとこにも来てくれるんだな。数年ぶりの魔物だぜ……また、頼むよ――」


 男の顔を見て完全なる希望を抱いたはずだったガンツは、思い出した。

今日最初に感じた、圧倒的絶望を。

「まじかよ、あんたが、あんたらが」

 無視していたガンツの死は、降りかかる黒馬の蹄により落ちてきた。


 デュラハンはコシュタバワーを座らせて、男は噴水跡の瓦礫に座って一息ついた。

ガルド軍と戦っていた時にも気になっていたが、空からは雪が降っている。

「この国もだいぶ変わったんだろ? 昔は凄かったって聞いてるよ。……それよりも、流石だよデュラハン、――いやメリダか」

 男はデュラハンの鎧の中に入った槍を拾ってやり、空間を歪めてできた亜空間内に放り投げた。

「雪、懐かしいんだろ。メリダの故郷は雪が降ってたんだってね」

 デュラハンは頷く首が無い。代わりにコシュタバワーが頷いたが、それを見て男は笑って黒馬を撫でた。

「君が愛した人の能力はもう始まっている、だからまた会えるよ」

 コシュタバワーが頷くのを見て、男は続けた。

「そうだな。ミレニアムは無理かもしれないが、双子のロムレスやミーレアイン、リヴェルとか、後イヴにも会える」

 デュラハンはそれを聞くと、自身の大盾を男に見せた。

「うん、近々ね。ただもう少し準備が必要だ」

 男は瓦礫から立ち上がると、天を仰ぎ見て苦笑する。

その後男が空間を歪めると空中に穴が空き、男とデュラハンは空間を飛び越えてガルドの古城へ入った。


 ガルド国内で交戦の音は聴こえなくなり、人が消えた後で魔物も消えて無音となる。

 今日、ガルドは沈黙した。

この出来事は誰も知らない。

ただ静かに、誰も知らないところで狼煙が上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る