頭領は今日も溜息を吐いている ー港町狂騒曲ー

寅ノ尾 雷造

第1章 このお姫様凶暴につき………

 下町にある小さな酒場『陸亀亭りくがめてい


 普段この酒場は、街の人々が一日の労をねぎらい合う、憩いのオアシスだった。


 だが今日に限り様相が一変し、ねぎらいの言葉とは程遠い、聞くに堪えない下品な言葉と、ガラの悪いダミ声に支配されていた。


 愚連隊を自称するゴロツキ達が押しかけ、そのまま酒盛りを始めた為だ。


 大人しく飯を食べて酒を飲むだけなら、多少人相が悪くても問題無いのだが、そのゴロツキ達はその人相に相応しく素行も非常に悪かった。


 或る者はウエイトレスの腰に手を回し、又或る者は他の席で食事をしている若い女性に絡み、同席していた男性を威嚇する。


 そして、店の中にいた他の客たちが辟易へきえきし始めた所で事件は起きた。


 突然ゴロツキ同士の喧嘩が始まったのだった。最初は感情的な言い合いだったが、やがてそれがお互いの暴力へと発展し、手近にある物を投げ合うようになった。


 少し離れた所で晩酌を楽しんでいた黒髪の男、レイことレイドリック・ヴェクターは、後ろで始まった乱痴気騒らんちきさわぎを一瞥だけすると、再び目の前に置いてあるコロコロ鳥の香草焼きを酒の肴に、晩酌を続けた。


 向かいの席に座る蒼銀の髪を短く切った少女、ミオことミレオノーラ・ヴァレリーなどは、その乱痴気騒ぎが視界に入っている筈なのに、その程度の事など目の前の香草焼きより些末な様で、脇目も振らずに料理と格闘していた。


 一方喧嘩の方は、夢中になったゴロツキが、木製のエールジョッキを掴んで喧嘩相手に投げつける暴挙に出ていた。


 だがそのジョッキは、投げた男の意に反して目標を大きく外れ、すぐ後ろの席で背中を向けている、レイの後頭部めがけて飛んでいく。


 多くの者が次の惨劇を予測して、手で顔を覆ったり、目を逸らせたりした。


 ところがそのジョッキを、レイは背を向けたまま、軽く頭を傾けて躱したのだ。


 もっともそうして避けた所で、ジョッキの運動エネルギーはいきなりゼロになる訳も無く、それを少しずつ失いながら、放物線を描いて飛び続ける。


 そしてついには、充分な運動エネルギーを残したまま、向かいに座っているミオの香草焼きを弾き飛ばしてテーブルで跳ね返り、未だ食事中の彼女に襲いかかる。


 だが実際は、そうならなかった。


 彼女が寸前に空いていた方の手を繰り出して、ジョッキを叩き割っていたからだ。


 一瞬店の中が、凍り付いたように静かになった。


 飛んで来たジョッキを見る事無く躱す男と、飛んで来た木製のジョッキを素手で叩き割る少女に、周囲の者は戦慄を覚える。特に、軽い木製のジョッキを、空中でたたき割れると言う事は、それだけ彼女の拳が鋭い事を物語っているからだ。


 喧嘩に夢中のゴロツキ達は、意図しないままにとんでもない者達の逆鱗に触れた。少なくとも周囲の人達にはそう思えた。


 そして、その危惧は的中する。


 ミオはエールまみれのまま静かに立ち上がり、軽く飛んでテーブルに足を掛けると、今度はレイの頭上を飛び越えて彼の背後に着地する。


 そして、ジョッキを投げたとおぼしき男に駆け寄って、飛び蹴りをブチかますと、ひらりとその場に着地して、居並ぶゴロツキに人差し指を突き付けて啖呵たんかを切る。


「貴様ら‼ 食事の時は静かにするように、親から教わらなかったのか!」


 突然現れた敵の襲来にゴロツキ達は、先程までお互い喧嘩をしていたのも忘れて、急遽団結をして目の前の少女を取り囲む。


「何だ‼ てめえは!」


「よくもやりやがったな‼」


 ミオを取り囲んで、ゴロツキ達が罵声を浴びせていると、その中からリーダーらしき男が一歩前に出てきて、少女に対して凄んで脅しを掛ける。


「嬢ちゃん。よくも俺の弟分に手え出してくれたな。この落とし前はどう着けんだ?」


 型通りの脅しなど、欠片も気にしないミオは、脅しをド正論で切り捨てる。


たわけた事を言うな! 貴様らこそ勝手に始めた喧嘩で回りを巻き込み、私の楽しみを台無しにしたんだ。落とし前を着けるのがどちらかは明白であろう」


 恐れを知らぬ彼女の言動に、店中の人達がハラハラする。


 手練れとは言え、一見幼気いたいけな少女に見える彼女では、目の前の荒くれ者達は荷が重そうに見えていた。唯一の例外は、元の席で酒を口にしながら、成り行きを見守っているレイだけだった。


 その様子を眺めていたレイは、むしろゴロツキ達に同情を覚えている。今彼はどのタイミングで介入して、彼女を止めようかとすら考えていた。


 しばらく成り行きに任せているのは、下手に止めると機嫌を損ねて二、三日は機嫌が直らないからだ。


 ミオの一言に青筋を立てて、怒りを露にするゴロツキのリーダーは、さらに脅しを強めようと怒鳴りながら彼女を脅す。


「てめえ! 俺らが誰だか知ってて、めた口聞いていやがんのか!」


「知る訳が無かろう! 自意識過剰も大概にしろ‼ 大体舐めるだと? 誰が貴様らの様な不味そうなつらを舐めるものか‼」


「このクソガキ! 言わせておけば………」


 その過剰な自意識を両断して挑発的な言葉を口走るミオに、その男は怒りも露わに拳を振り上げて殴りかかる。しかし彼女はその拳を完全に見切り、最低限の動きでそれを躱すと、勢いづいてつんのめる男の足を払って転倒させる。


「何しやがる! このガキ!」


 リーダーの傍に控えていた男が、自分達のリーダーを軽くあしらった少女に、大声で怒鳴りながら殴り掛かる。


 しかし、彼女は再びその一撃をひらりとかわし、その躱した勢いで左向きに体を一回転させて、更に勢いのついた左の裏拳を、タイミング悪く彼女に振り向いた男の顔面に叩き込む。


 見かけによらず重い彼女の拳を受けた男は、そのまま吹っ飛ばされて柱に激突すると、そのまま伸びてしまった。


 彼女の拳は彼女自身の特性によって、常に魔力が拳に乗っていて一撃がとても重い。そのため、彼女の拳は下手な鈍器よりも威力があった。


 吹き飛ばされた男を見た周りの仲間たちは、一瞬腰が引ける。


 だが、ゴロツキのリーダーが、立ち上がりながら叫ぶ。


「誰でも良いから、その猛獣みたいなガキを取り押さえろ!」


 彼の命令で後方にいた男が動き出して、ミオを取り押さえようと飛びつく。


 しかしその様な事など先刻承知のミオは、その場を高く飛翔してバック宙をすると、宙返りによってついた勢いで、飛び掛かって来た男の背中を蹴っ飛ばす。


 そのゴロツキは勢いの乗った蹴りで前に吹っ飛ばされた上に、正面にいた男を巻き込んで柱に激突した。


 七人までいたゴロツキ達は、リーダーを含めてあと三人残っていたが、それぞれがミオとの実力差を目の当たりにして腰が引けていた。しかしミオは、そんな彼らでも容赦しなかった。


 ミオが右側に立っている男と距離を縮めると、その男は慌てて手に持っていたナイフを彼女に振りかざす、しかしミオは凶器があろうと無かろうと関係ない。


 突き出されたナイフを躱して、下から男のあごに拳を突き出した。


 そしてその拳打を受けた男は顎をのけぞらせながら後ろ向きに吹っ飛び、顎に受けた重い一撃は、男の意識を刈り取った。


 彼女が右の男に気を取られていると思った左側の男は、無防備に彼女に飛び掛かった。だが、ミオがその気配に気付いてない訳が無く、素早く振り向くとその男の無防備な脇腹に横薙ぎの蹴りをお見舞いする。その男の鳩尾の近くにヒットした彼女の蹴りは、その重さもあって蹴られた男を悶絶させる。


 そして全ての子分を倒されたリーダーの男は、ゆっくりと振り向くミオに戦慄を覚えながら、なけなしの勇気を振り絞って強がりを言う。


「や、やるじゃねえか。こいつらはこれでも、それなりの使い手の筈だぜ」


「フン! この程度で使い手とは笑止! 悪い事は言わない、貴様ら全員、荷物をまとめて故郷くにへ帰るがいい‼」


 ミオは男に近づきながら、彼の強がりを一刀両断にした。


「ク、クソ! このガキ! 調子に乗るんじゃねえ‼」


 プライドをとことんまで打ち砕かれたその男は、怒りに任せてミオに襲い掛かる。


 しかし冷静さの欠片も残っていない男に、一分の勝ち目も残っている訳が無い。


 ミオは男が繰り出す拳を軽く躱すと、かさずにカウンターを入れた。


 男はその一撃を食らってよろめくが、何とか踏み止まろうとする。


 だがミオは容赦無く無言で追い打ちを掛けて、左右の拳打を交互に男の顔へ何度も繰り出す。そのラッシュに男が耐え切れず、とうとう倒れてしまうと、そのままマウントポジションを取って、止めを刺そうと拳を振り上げた。


「や、やめて……くれ。ころ……さ…ない……で…く……れ」


 男は顔をらしながらうめくように懇願こんがんするが、ミオは眉を吊り上げて言い放つ。 


「貴様らはこんな所で暴れ回って、ここに居る皆の楽しいひと時と、私の唯一と言って良い楽しみを奪った。あまつさえ、注意されたにも拘らず反省の色一つ見せない上に、あろう事か私に襲い掛かって来た。最早この所業は万死に値する。貴様はおのが振る舞いを反省して、大人しく私の制裁を受け入れろ!」


「た、たす…けて……お、おね……が…い……!」


 ミオの口上を聞いた男は本気で殺されると思い、出ない声で必死に懇願する。しかしミオは、その懇願を聞き入れる様子を、微塵も感じさせず、振り上げた拳を振り下ろそうとした。


 ところが突然ミオの後頭部に衝撃が走る。彼女は拳を作っていた方の手で頭を擦りながら後ろ振り向くと、彼女の後ろにお皿を持ったレイがしゃがんでいた。


「レイ! 何をする! 痛いではムグムグムグ、ゴクリ………美味しい」


 レイはミオが大口を開けて、彼に抗議をしている所に、切り分けてある香草焼きをフォークに刺して、彼女の口に押し込む。するとミオはもごもごと口を動かして、それを飲み込むと、幸せそうな顔をして感想を口にした。


 その幸せそうな表情の彼女に向かって、レイは説教する。


「ミオ、やり過ぎだ。お前さんの価値観は兎も角、飯の邪魔だけで殺すのは魔物だけにしておけ。第一、こんな街中での人殺しは御法度だぞ、牢には入りたく無いだろ?」


「う、うむ。確かに……」


「なら、これを食って大人しくしてくれ」


 そう言いながらレイは、香草焼きの乗った皿とフォークを差し出して、彼女に受け取らせると、立ち上がってゴロツキのリーダーまで近づき、その横で再びしゃがみ込んで話しかける。


「取り敢えず金貨一枚出せ、無ければ有り金全部だ。――――あと、お前らもだ!」


 リーダーの男に要求すると、気絶から立ち直り六人で固まって店の隅で震えていた子分達にも要求した。


 やがて全員からの集金を終えたレイは、未だに香草焼きを貪っているミオの前に立ち、手のひらを差し出す。


 ミオは香草焼きの最後の一切れを口に放り込んで咀嚼しながら首を傾げ、それを飲み込むと改めて疑問を口にした。


「レイ、何だ? その手は?」


「お前も出すんだよ。金貨一枚」


「な! 悪いのは、あいつらでは無いか!」


 ミオはゴロツキを指さして不満を口にするが、レイは首を横に振って彼女を諭す。


「喧嘩両成敗。暴れたのはお前も同じだ。俺も出すから納得しろ」


「ム! 分かった………」


 彼女は仕方なく納得して、財布から金貨を取り出すとレイに手渡す。


 レイはそれを受け取ると、自分の財布からも金貨を取り出して、集まった財布の中身や金貨を、床に転がっていたエールのジョッキに纏めて入れて、この店のマスターの元に歩み寄る。


 店のマスターは少し身構えたが、レイが無防備で近付いて来たので、彼が自分に危害を加えるつもりが無い事を悟って身構えを解いた。


 レイはマスターの前に立ち、カウンターに貨幣の詰まったジョッキを差し出して、マスターに話し掛ける。


「マスター。足りないかも知れないが、一先ず店の弁償をこれで勘弁してくれるか?」


 マスターは差し出されたジョッキを、引っ繰り返して中身を確認すると、レイに向かって頷いて答えた。


「これで十分だ。なんだか悪いな、集金までさせて」


「いや、構わん。――――あと、これは俺達と迷惑の掛かった客、それと後ろの馬鹿共の飲み食いの代金だ」


 そう言って財布から更に一枚金貨を取り出して、カウンターの貨幣の山に足す。


「おい、これじゃ多すぎる。ちょっと待ってくれ、今計算して釣りを渡すから」


「構わんから取って置いてくれ。どうしてもと言うなら、今度来た時にサービスしてくれれば良いさ」


 レイはそう言うと、ミオの肩を叩いて「出るぞ」と言って酒場を出た。


 外に出ると、もうすっかり夜のとばりが下りていた。遅れて出てきたミオがレイのかたわらに立って彼に尋ねる。


「これからどうするのだ? 私は少し食べ足り無いが………」


「そうだな。『怪魚亭』辺りで飲み直すか?」


「うむ、そうしよう。あの店の風船魚ふうせんうおの刺身や、大口魚おおぐちうおの鍋が中々の美味だからな」


「どうでもいいが、どっちも値が張るぞ? 財布の中身は大丈夫か?」


「大丈夫だ、問題ない。それに、私は美味しい物には金を惜しまない」


 レイの心配を余所に、胸を張って能天気に答えるミオに、レイは溜息を吐いて忠告する。


程々ほどほどにしとけよ。宿代ひねり出す為に、退屈な薬草摘みを延々とやるのは嫌だろ?」


 この街は衛士という警察のような組織がある為、冒険者の仕事があまり多く無い。ギルドに回ってくる仕事も報酬の少ないお使いや薬草採取ばかりで、大規模な討伐でも無い限り魔獣退治などの仕事は殆ど回って来ない。


 ミオもその事を身に染みて理解しているので、それを聞くと渋面じゅうめんを作ってうめく様に呟く。


「分かった、肝に銘じよう。薬草集めはもう嫌だからな」


「なら結構。じゃあ行こうか」


 レイはそう言って、ミオと共に『怪魚亭』のある方に足を向けて歩き始めた。




 *****




 ドン ドン ドン


 微睡に沈んでいたレイは、入り口の扉を乱暴に叩く音で目を覚ます。


 昨日、あれから店を変えて飲んでいたが、港に着いたばかりの船乗りの一団と鉢合わせると、お互い意気投合して深夜まで飲んでいた。


 その時した深酒がまだ残っているのか、ノックの音がやけに頭に響く。


 ドン ドン ドン


 朝っぱらから迷惑な話だとレイは思った、ここは一軒家などじゃ無くて宿屋の一室である。当然、部屋同士隣接しているし、その部屋ではまだ寝ている人達もいるからだ。


 ドン ドン ドン


「レイドリック・ヴェクター! 衛士隊だ! 昨日の件で話を聞きたい」


 今度は怒鳴り声も追加されてされて、更に彼の頭を責める。


 レイは堪らずベッドから飛び起きて、乱暴なノックと怒鳴り声を止めさせる為に、普段着を急いで羽織ると入り口に立って扉を開いた。


 入り口の外にはフル装備の厳つい男たちが並んでいる。


 レイは居並ぶ暑苦しい男達を一瞥すると、そっと扉を閉めようとした。


「待て待て待て! ドアを閉めるな!」


 真ん中にいた男が慌てて閉めようとした扉を押さえるので、レイは仕方なく扉を閉めるのを諦めて大人しく開いた。


「なぜ閉めようとした!」


「ドアを開けたら、爽やかな朝の空気をけがす暑苦しい空気が流れ込んで来たので、たまらずに………」


 少しも物怖じした様子を見せないで、平然と皮肉を言うレイにその男は半ば呆れつつ、仕切り直す為に一つ咳払いをしてレイに話し掛ける。


「コホン! レイドリック・ヴェクター、昨日の『陸亀亭』での一件を覚えているか?」


 先程から話し掛けているこの男が、この衛士達を率いているようだ。


 彼はレイから昨日起こった、『陸亀亭』での大乱闘の事を聞きたいらしい。下手に隠し立てすると後々不利なので、レイは正直に且つ簡潔に答えた。


「ああ、覚えているぞ。主に隣の奴が殴って蹴って大暴れして、俺がその後始末をしたな」


 レイはそう言いながら、親指で隣の部屋を指した。


「その件でもっと詳しく事情を聴きたい、詰所まで同行してもらえないだろうか?」


 その男は横柄な衛士が多い中でも珍しく礼儀正しかった。レイも特に隠し立てする理由もないので、快諾しようと口を開きかけた。


 しかし次の瞬間、隣の部屋が何やら騒々しくなり、その部屋のドアを開かれると中から、女性衛士に両側から挟まれるようにして、腕を組まれたミオが出てきた。


「何をする! は、な、せ! この無礼者が!」


 身長差のせいか、両方から腕を組まれた彼女は、捕獲された宇宙人の様な格好でぶら下がっていた。


 しかしレイにとって、その様な事はどうでもよかった。彼女が上げる甲高い大声が、レイの頭にクリティカルダメージを与えたからだ。


「イ、痛ッ。ミオ……頼むから大声を上げないでくれ。お前の甲高い声は頭に響く」


 しかしミオはレイがそう懇願するにも係わらず、全く配慮の無い大声で捲し立てる。


「だってレイ、こいつら酷いんだぞ! まだ早朝だというのに乱暴にドアを叩いて、睡眠を妨害するんだ。腹が立つので文句を言おうとドアを開けたら、私を再び部屋に押し込んで無理やり服を着せて、また部屋から引きずり出したんだぞ、無礼極まるにも程がある!」


「イ、痛ツッ。まあ確かに早朝から押しかけて来るなんて、褒められたもんじゃ無いけどな……んっ? ちょっと待て!」


 痛む頭を手で押さえながら、ミオの言葉の端で何か嫌な予感がして会話を止める。


「ん? レイ、どうかしたか?」


「なあ、もしかしてミオ。まさかお前、また素っ裸で寝ていたんじゃないだろうな?」


 レイは思い当たる可能性を恐る恐る尋ねると、ミオは胸を張ってドヤ顔で答える。


「折角の個室だ。勿論その方が良く眠れるからな、遠慮なく裸で寝たぞ」


 得意げに語るミオの様子に頭を抱えつつ、その時の情景を頭に浮かべる。衛士隊は基本的に男所帯だ。勿論、女性衛士も居るのだが、どうしても人数が少ない。


 年頃の少女や妙齢の女性を連行する時は、最低限の女性衛士を付けるが、それ以外はどうしても男だけになる。


 勿論、今回もミオの脇を固めているのは女性衛士だが、それ以外はやはり男だけだ。


 そんな中にまだ未成熟とは言え、年頃の少女が素っ裸で姿を見せた時は、さぞや周りの衛士達も度肝を抜かれた事だろう。


 それにしても、度肝を抜かれたのにも拘らず素早く反応して、ミオを部屋に押し込んだ女性衛士のファインプレーが光る。


 ミオは以前、泉で沐浴中に盗賊に襲われた事があった。だがその時彼女は、襲われた恐怖より裸を見られた羞恥心が先行して、その場にいた男の盗賊全員の目玉を潰すと言う暴挙に出たのだった。


 だが今回は、女性衛士達の機転で羞恥に染まったミオが、男性衛士の目玉を潰して回るという大惨事を回避出来たのだ。流石に並み居る男を押し退けて衛士隊に入るだけの事はある。


 レイが彼女達に深々と頭を下げると、この場にいる男達の目玉を守ったヒロイン達は、苦笑いしてそれに応える。


 勿論、彼女達はそこまでの大事を成した事には、気付く筈もないが。


 レイはミオに振り向くと、溜息を吐きながら今迄に何度もした注意を再び繰り返した。


「はぁ……。ミオ、何度も注意したよな。素っ裸で寝るのは止めろと」


「一緒の部屋の時は我慢している、個室にいる時ぐらい良いじゃないか」


「あのなあ、あれだって我慢してるとは言わないぞ。未婚の女性が下着姿のままで、家族でも無い男の前で居るのは、異常だとは思わないか? 大体、何で他の男は目を潰すぐらいアウトなのに、何で俺だけセーフなんだよ?」


「そんなのレイが許婚だからに決まっているではないか、父上と約束したであろう? 家(うち)で面倒を見ると」


「許婚って……、そいつは初耳だぞ。大体そんなもの、試練を潜り抜ける事が出来なければ意味無いぞ。それが出来無かったら、放り出すとも約束したからな」


 どうやら彼女の行動原理が、組織(うち)と家(うち)を勘違いしている所から始まっている事が分かり、レイはそっと溜息を吐いた。


 しかし、ミオの次の一言でレイは凍り付いた。


「父上が言ってた。『何としても試練を潜り抜け、あの男の正妻か妾の座を射止めろ』と」


 レイは「あの狸オヤジ……」と呟いて歯噛みする。勘違い等では無い、あの父親は言質を取った上で、それを利用してこの娘をけしかけたのだ。


 その事実を今更ながらに知らされて、自分の未熟さを痛感した。


(『ミカゲ』の頭領ともあろう者が、いとも容易く手玉に取られるとはな)


 未熟さを思い知り反省ひとしきりのレイに、衛士のリーダーが声をかける。


「それじゃ、悪いけど詰所まで同行してくれないか?」


 声を掛けられて我に返ったレイは、最初に聞かれた時に決めていた答えを口にする。


「ああ、いいぞ。ここで拒否してもロクな事にはならないだろうからな。ミオも大人しくするんだぞ。ここで暴れても何一つ良い事は無いからな」


「分かった」


 ミオはそう言うと、先程から女性衛士の戒めから抜け出そうと、もがくのを止めて大人しくなる。その彼女の反応に、女性衛士はこれ以上の抵抗は無いと踏んで、彼女の戒めを解いて床におろした。


「それじゃ、二人とも付いて来てくれ」


 二人はその衛士の言葉に従って、衛士の一団と一緒にこの宿を後にした。




 *****




 二人が衛士の詰所に連れて来られると、意外な展開が待っていた。


 ミオとは別の部屋に案内されたレイは、部屋に入るなり衛士に勧められて席に着くと、その衛士は向かいの席に座り、レイへ話し掛けてきた。


「自分はサイラス・スタンレイだ。あんた方には昨日の酒場での話を教えて頂きたい」


「俺、いや、こっちの自己紹介は不要だったな。で、何を聞きたい?」


 単刀直入に、質問の内容を聞いてくるレイに、少しだけ苦笑いしながら、サイラスは話を切り出した。


「昨日、港にある倉庫街の辺りの海で水死体が発見された。どうやらその死体、あなた方が『陸亀亭』大立回りしていた時に居合わせた客だったらしい」


「あのゴロツキの誰かでも死んだのか?」


「いや、殺されていたのは、あの時酒場にいた二人組の男女だった」


 レイは意外な話に驚きながらも、ここに連れて来られた経緯を思い出して皮肉る。


「ほぉー。俺はてっきり、あのゴロツキの一人がミオの拳打の後遺症で死んだから、ここに呼ばれたと思ったんだが。何せここに連れて来られる時は、随分と物々しかったから」


「はっはっは。その件は申し訳ない。あの時点ではまだ容疑が掛かっていたんでね」


 サイラスはレイの皮肉に、笑いながら詫びて事情を話した。


「で、何で容疑から外れたんだ?」


「彼らが殺された時間帯、あんた方は『怪魚亭』で、船乗り達と酒盛りをしていた事が分かってね、朝早くから聞き込みさせていて助かったよ。聞き込んだ者が船乗り達に『あの連中に何かあったら、てめえら纏めてサメの餌にするぞ!』と言われて凄まれたらしい」


 困った表情で肩を竦めるサイラスに、今度はレイが笑いながら船乗りたちを弁護する。


「はっはっは。おかよりも厳しい海で生きているんだ、多少の気の荒さは仕方ないさ。でも根は良い奴らばかりだから許してやってくれ」


「根は良い奴らかもしれないが、衛士を脅すのは良く無いな。心証が悪けりゃ余計な勘繰かんぐりを受ける羽目にもなるからな」


「ああ、お前さんの忠告、連中にも伝えておくさ」


 サイラスはレイの返答に頷くと、彼らを呼び出した本題に移る。


「前置きが長くなったな。本題に移させてもらうけど、構わないだろうか?」


「ああ、何でも聞いてくれ」


「それでは昨日、『陸亀亭』に入ってから出るまでの間の出来事を、出来る限り克明に教えて欲しい」


 レイはサイラスにそう言われると、店に入った時のそれぞれの客の配置から、ミオがゴロツキに叩き込んだ拳打や蹴りの数や、ゴロツキから回収した店の弁償代、店を出る前の客達の配置まで克明な情報をサイラスに話した。


 余りにも詳細に記憶しているレイに驚きながらも、聞きたい事を全て聞いたサイラスは、雑談でもする様にレイに話し掛けた。


「あんたの連れは一体何者だ? 育ちは良さそうなんだが少々荒っぽ過ぎないか?」


 少しだけ見た印象で育ちの良さを見抜いたサイラスに感心したレイは、さらに続いた彼の疑問に苦笑いしながら肩を竦めて答える。


「まあね。とある貴族の娘なんだが、小さな頃から正義感が強くてな、曲がった事が大嫌いな性格だったそうだ」


「ほう、やはり貴族の娘だったか。しかし、その性格じゃ周囲の大人達とは合わなかっただろうな。あの世界は見た目と違い、かなり世界だからなあ」


 サイラスも貴族の出なのだろう、どこか遠い目をして昔を思い起こしている様だった。


「よくご存じで。あんたも貴族出身か?」


「まあな、昔の話だ」


「それなら、その先の展開も読んでいるだろうが、彼女は更にこじらせていてね。周囲の大人どころか同年代の子供達とも話が合わなくなってな、よく貴族街から抜け出して、平民の子供達と徒党を組んで正義ごっこに明け暮れていたらしい」


「確かに俺も親や周囲の大人達に反発はしたが、そこまではしなかったな」


「で、流石に親も心配になって、縁談を画策したんだ。彼女の家柄はかなり高くて、姻戚いんせき関係を結びたい貴族も引く手数多だった。ところが、だ、彼女の為に開かれたお見合いパーティーの時に大事件が起きたんだ。一人の候補者が半ば強引に寝室へ連れ込んで、彼女をモノにしようとしたんだな。しかし、彼女はあんたが知っている通り拳法の使い手、その馬鹿な候補者をサンドバック代わりにして、折角のお見合いパーティーも滅茶苦茶にしたんだそうだ」


 その話を聞いたサイラスは、呆れたような表情で感想を口にした。


「彼女は不埒者ふらちものを成敗しただけかもしれないが、周りの反応はドン引きだっただろうね」


 サイラスの的確な評価に、レイは流石という表情をして先を続ける。


「正にその通りで、彼女のぶっ飛び具合が帝国中の貴族に知れ渡るのに、それ程時間は掛からなかったらしい」


 そして、レイは肩を竦めて大きな溜息を吐くと、現在に至る後日談を語った。


「まあそれ以来、彼女の縁談話はぷっつりと途絶えて、すっかり貰い手の無くなった彼女を持て余した父親が、半ば俺に押し付けるようにして預けてきたのさ。俺も一度は断ったんだけど、最後は狸オヤジの必殺技、泣き落としであえなく陥落さ」


 しかしその後日談を聞いたサイラスは、ミオの正体に気付いてレイに尋ねる。


「それじゃあんたの連れは、あのヴァレリー家のご令嬢なのか?」

「元貴族とは言っても流石に知っていたか」

 別に隠している訳では無いが、五百年来続く大貴族の令嬢である。帝国領でもあるこの街の貴族に知られたら、頼みもしないおもてなしを申し出て来かねない。


 この先の展開に溜息しているレイに、彼の心配を察したサイラスは、その心配が杞憂である事を彼に伝えた。


「心配の必要は無い、今回早々に容疑者から外れたのは天祐だった。もし容疑が掛かったままだったら、上司に彼女の素性を話す事になっていただろう」


 サイラスはそう言って更に顔を寄せて、レイに耳打ちするように話す。


「それに自分の上司は、例の事件でサンドバッグ代わりにされた張本人だよ。今でも彼は、その時の夢をよく見るらしい。そして、その夢を見た時は、決まって必ず仕事を休むからな。そんな彼に彼女を引き合わせたら、半年は仕事に出て来ないかも知れない。こっちも仕事にならなくなるのは困るから、余程の事がない限りは彼女の事は伏せて置くようにするよ」


「そうして貰えると助かる。因縁の二人が鉢合わせして、第二ラウンドが始まるのも困るしね。まだ、多分彼女の中では、あんたの上司は不埒者のままだろうから」


 サイラスはレイの言葉を聞いて深く頷くと、一つお願いをしてきた。


「ところで、もし差し支えなければ、被害者の遺体を見てくれないか? 酒場で見かけた時との違いがあったら教えて欲しい」


「ああ、良いだろう。案内してくれ」


「それじゃ、付いて来てくれ」


 サイラスの言葉を合図に、二人は席を立って部屋を出た。


 廊下に出て遺体安置室に向かう途中で、ミオが入った取調室の前を通り掛かると、丁度中から女性衛士が出てきた。彼女は通りかかったサイラスを見て、それまでは硬かった表情を崩して話し掛けてきた。


「サイラス班長! 丁度良かった。朝連行した彼女、何を聞いても『無礼者に話す舌は持たん』と言って、それ以上話してくれないんですよ」


 本当に困ったという表情で訴える女性衛士の様子に、サイラスも助けを求めるようにレイに視線を送る。レイは少し溜息を吐くと、女性衛士に話し掛ける。


「彼女は礼儀正しい者に対しては、相応の態度を取ってくれるよ。もし高圧的に話していたり、礼を失するような事を言ったりしたなら、一度謝罪をして礼儀正しく対応すれば彼女もきちんと話を聞いてくれるし、知っている事なら何でも答えてくれる筈だよ」


 レイのアドバイスを、ポカンとした表情で聞いていた女性衛士に、サイラスも彼女に助言する。


「彼女の事を良く知る彼のアドバイスだから、一度試してみたらどうだい?」


「はい! 試してみます、ありがとうございました!」


 彼女はサイラスとレイに敬礼をすると、再び部屋に戻った。


「済まなかったな、助かったよ」


 アドバイスをくれたレイに、サイラスは頭を下げて礼を言う。


 しかしレイは、気にするなと言う風にヒラヒラと手を振ってサイラスに応じる。


「なに、本音を言うと、こっちも早々に彼女を回収して、あんたのボスとの血と涙の再会だけは避けたかったからね。つまらん事で、もたもたして欲しく無かったんだよ」


「至らない部下で済まない」


 サイラスはレイの本音を聞いて更に頭を下げるが、レイは彼女に対するサイラスの評価に異議を唱えた。


「至らない訳じゃ無い、少し経験が足りないだけさ。何せ彼女ともう一人の女性衛士は、あんた等の目玉を守ったヒロインだよ。彼女達のお陰で惨劇を防げたからな」


「目玉? 惨劇?」


「以前彼女、沐浴中に野盗に襲われてね。羞恥に染まった彼女が、その場に居た男の野盗全員の目玉を潰して回ったんだよ。一歩間違えてたら、あんた等もそうなってた」


 サイラスはその話を聞いて、思わず両目を塞いだ。


「まあそう言う訳で、あんたが考えている以上に、あんたの部下は優秀だよ」


 身の毛もよだつ裏話を聞かされたが、レイに部下の事を褒められて、悪い気のしないサイラスは、上機嫌になって声を掛けた。


「それじゃあヴェクター殿、行こうか」


 レイはサイラスの案内に従って遺体安置室に向かった。




 *****




 案内された遺体安置室は、地下の一角に存在していた。サイラスに案内されて部屋に入ると部屋の中は非常に涼しく、死臭を誤魔化す為のお香の匂いが鼻に付いた。


 部屋には八台の寝台が置かれていて、そのうちの左端の台とその隣の台に遺体が横たえてある。


 恐らくは今回の被害者なのだろう。頭の近くの花瓶には一輪だけ花が生けてあった。


 レイは二体の遺体へと近づいて顔を確認する。確かにあの酒場で見た二人だった。


 あの後すぐに殺されたのか、二人の格好は酒場で見かけた時とほぼ同じ格好をしていた。


 更に頭の先から足の先まで遺体を観察すると、僅かだが未だに全身が湿っていて、微かに潮の香りがしている。発見場所は汽水域の近くだが、長く海水に浸かっていたなら、もう少し潮の香りが強い筈だ。


 二人とも胸の辺りに大きな穴が穿たれていたが、円錐状の物で刺されている事が分かるだけで凶器がよく分からない。


 レイは少し気になって、上半身だけ開けさせた。


 普段なら止める所だが、サイラスは何か思う所があって彼の思う様にさせる。


 傷口を露出させて更に観察を続けると、傷口の周囲に凍傷を起こしたような跡が残っていて、更に傷口から奥に掛けても同じように凍傷の跡が残っていた。


 少し納得したような顔をしたレイは、次に足元のテーブルに目を向けた。


 遺体には、発見された当初を保存する為に、衣類を着せたまま置いてあるが、剣やナイフと言った装備品は外して、遺体の足元にあるテーブルに並べてあった。


 レイは装備品に近づき、記憶を辿りながらチェックすると、女性のベルトに装着していた投げナイフが二本足りない事に気付いた。


「ナイフが二本足りない」


「そうなのか?」


「ああ、確かに店の中では七本差していたのに、ここには五本しか無い」


「発見した時は五本しか差していなかったなかったが」


「なるほど、ところで凶器は特定出来たか?」


「いや、まだだな。勿論、凶器らしき物も見つかっていない。今も、鋭意捜索中だ」


 サイラスの返答を聞いたレイはしばらく考え事をしたが、やがてサイラスに向き直ると再び口を開いた。


「そうか……。だが、もうこれ以上の凶器の捜索は必要無いかも知れんな」


「何故そんな事が言える。じゃあ彼らはどの様に殺されたんだ?」


 レイが口にした助言の意味が分からなかったサイラスは、彼を問い詰める。


 しかし、レイは彼の詰問を、一先ず流して更に尋ねる。


「最近、魔法を使った犯罪は多いかい?」


「いや、元々それを使える連中は、食いっぱぐれが少ないせいか、犯罪に走るものが殆ど居ないからな。自分がこの仕事に就いてからこの方、一度も聞いた事が無い」


 それを聞いたレイは納得した、彼らは魔法を使った犯罪にはあまり免疫が無い。


 扱った件数が圧倒的に少ないせいで、経験が不足しているのだろう。


 レイはサイラスに彼らの本当の死因を告げた。


「彼らのあの傷口は魔法で穿たれたものだ」


「何故そう言える?」


「傷口を見れば一発だろう? 〈氷槍〉という魔法を知っているかい?」


「〈氷矢〉なら知っているが?」


「〈氷槍〉はそいつの上位版だ。矢のような小さな礫等では無く、騎士が馬上から振るうランスの様な、氷の槍を飛ばして標的を貫くんだ。しかもその氷の槍の温度は非常に低く、傷口を中心に凍らせる。高位の術者だとそこを中心に、体全体を凍らせる程の威力がある。だからこの被害者達の傷口は、何れも激しい凍傷を起こしているんだよ」


「成程、その凍傷はそういう意味だったのか。――――申し訳無い、我々の経験不足の結果だ。治安を守る衛士隊等と持て囃されて居るが、死体の検分一つ満足に出来無い。情けない事だが、これが我々の現状だよ」


 この街の衛士隊の歴史は浅い。元は軍の一部門だったが、人口が増えるとどうしても治安が悪くなる。そこで、街の治安を守る専門の組織の必要を感じた先代の領主が、三十年前に軍から衛兵の部門を切り離して衛士隊を結成した。


 そしてノウハウを求めて、衛士隊の歴史も深い帝都へ指導役を要請した。しかし、送られて来る人材は二流以下で、指導内容も薄かった。そのせいで指導不足、経験不足の衛士隊が出来上がってしまった。


 肩を落としながら現状を嘆くサイラスに、レイは彼の肩を叩いて励ます様に話し掛けた。


「まあ、今回は貴重な経験をしたと言う事で、資料を残して衛士隊の改善に努めれば良い。俺達は神様じゃ無いんだから、最初から完璧に機能するシステムを作れる訳が無いんだ。必ずどこかで想定外が起こるし、時代の移ろいで対応出来なくなったりするんだ」


「確かに………。それじゃあ早速この経験を生かす事にしよう」


 レイはサイラスの決意に対して、更に助言を送る。


「医術を修めた者は希少だから協力を求めるのは難しいけど、この街なら食いっぱぐれたベテランの冒険者でも、良い教師役になれる奴は居ると思うぞ」


「あんたがやってくれないのか?」


 助言を聞いたサイラスがレイに教師役を打診すると、レイは肩を竦めて問題点を挙げる。


「その願いを聞いても良いが、付録に漏れなくうちの問題児が付いて来るぞ。俺も彼女を野放しにする訳には行かないのでね」


 それを聞いたサイラスは、顔を青くしながら首を横に振って前言を取り消す。

「そ、それだけは勘弁願う。済まないが、今言った事は忘れてくれ。」


「ああ、聞かなかった事にするさ。こっちも無駄な刃傷騒ぎは勘弁願いたいからな」


 そう言いながら、遺体の服を整え直し、遺体に向かって五百年ほど前に伝わった合掌と言う儀式をしてサイラスに声を掛ける。


「そろそろいいか?」


「ああ、お陰で色々と参考になったよ。それじゃあ戻るとしようか」


 サイラスがレイに声を掛けると、二人して遺体安置室から離れた。




 *****




 遺体安置室を後にした二人は、取調室には戻らずに詰所の休憩室に入る。


 すると中には、既に取り調べが終わったミオと、先程泣きついてきた、女性衛士が待っていた。


 レイは椅子に座っているミオに肩を叩きながら声を掛ける。


「ミオ、待たせたな。それじゃ帰ろうか」


 その声に反応したミオは、直ぐに立ち上がりレイに向かって頷くと、彼はそのまま彼女を伴って休憩室の外へ出た。


 部屋に残された二人が、それぞれの側にある椅子に腰を掛けると、サイラスの方から、部下のダイアン・ハミルトンに話し掛ける。


「で、ハミルトン衛士長補、上手く行ったかい?」


「ええ、彼のアドバイス通りにしたら彼女、面白いほど話してくれましたよ。あ、それと彼女、ヴァレリー家のご令嬢だったのですね」


「ああ、その様だな。だが、彼女の話はうちのボスにはするなよ、ボスの女嫌いの源流は彼女にあるからな」


「え、そうだったんですか? 初めて聞きますよ、班長はそんな情報どこから仕入れたんですか?」


「蛇の道は蛇と言う事にしてくれないかな。男にだって話したくない過去の一つや二つはあるからね」


「すみません。これ以上の詮索はしません。それより、これからどうしますか? あの酒場で暴れた愚連隊の連中を、もう一度締めあげますか?」


「いや、不要だ。連中を釈放しろ」


 思いもしないサイラスの返答に驚いて、ダイアンは問い返した。


「えっ? どうしてですか?」


「凶器が判明した。連中には不可能だ」


「それなら、早速現場に戻って捜索しないと」


「それも不要だ」


 ダイアンはどうしても彼の言う事が納得できず、食って掛かる。


「何故です! 捜索もしないなんてあり得ません!」


「あれは魔法による傷だそうだ。いくら探しても凶器など出ないとさ」


 今までに無かった新しい見解に、ダイアンは驚きすぎて思わずどもりながら尋ねる。


「だ、だ、誰がそんな事言ったんですか?」


「ヴェクター殿だ。――――彼の見立てだと、〈氷槍〉の魔法が使われたらしい。被害者は胸に大きな氷柱を突き刺されて死んだんだ」


「本当ですか? あの男が、適当な事を言ったんじゃ無いですか?」


「それは無い、君にも的確なアドバイスを出しているし、傷口の状況を見ても、彼の言っている事が一番理に適っている。余り適当な事は言わないと俺は見たんだか?」


「あの男は部外者ですよ? なのに、その男の言い分を全面的に信じるんですか?」


 サイラスは信用している様だが、ダイアンはレイの事を信用出来ない様だ。


「ハミルトン衛士長補。ヴァレリー家と言えば、帝国十傑に入る名家だ。その名家の当主が、問題が多いとは言え自分の愛娘を、得体の知れない男に預けると思うか?」


 そう言われてダイアンは、ミオが名家のお姫様と言う事を思い出す。


「た、確かに………。――――それじゃ、あの男は一体何者なんですか?」


「さあ、俺にも分からん。言える事は、ヴェクター殿が帝国屈指の名家と対等か、それ以上の地位に相当する後ろ盾がある事ぐらいだ」


 現状で分かっている事をサイラスが口にすると、二人の間を沈黙が支配した。

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