#14 襲撃 遥か碧落に昏みて墜ちる夢を見よ
ティルフルグ高原、調査研究拠点のすぐ付近に敷設された地球帰還用転送施設。デザインセンスが度外視され、ほとんど仮組みのような鉄骨をむき出しにした、間に合わせの小屋のようなそこには、自動小銃を手にぼうっと立った見張りが一人いるだけだった。
ここにいると言うことは、魔人化現象――改め、『反動性細胞変質症』の抗遺伝子を持つ貴重な人材だ。
紫音はいつものように調査用の資材を大きなバックパックに詰め込み、見張りに手を上げて略式の挨拶をした。
「お、冴羽博士。そろそろ地球にお帰りで?」
「ええ。通行許可を願います」
「了解、少々お待ち下さいねえ~っと」
彼はそそくさと転送機を起動し、メモパッドのように印字された専用の書面を一枚ちぎってその床に置き、地球に転送した。
数秒の間があり、所定の位置に別の紙切れが返送される。向こうに何かあるかもしれない時、突然大質量のものを送り込んだら危険なため、こうやって転送機の上を空けているのだ。
「安全確認できました。どうぞ」
「ありがとう。見張り任務、気をつけてくださいね」
紫音はにこりと笑って見張りに手を振り、簡素な階段を登って転送機上に立った。カウントダウンの音声が響き、泡状の転移力場が広がって周囲を包む。
青白い光が一瞬弾け、次の瞬間には景色は変わっていた。二重の気密ドアを開き、警備服姿の男が部屋を覗き込む。
「あら冴羽博士。お帰りなせえ」
「あれ。警備員さんですよね。どうしました?」
紫音が問うと、男はやれやれと腕組みをして苦笑した。
「いえね。さっきから一宮博士が実験時の記録で気になることがあるって言うんで監視カメラの映像記録をガチャガチャやり始めて……監視にならないじゃないですか。仕事は仕事だし、念のため見にきたんスよ」
「それはまた……ご迷惑おかけします」
「や、冴羽博士が謝ることじゃねッスよ。昔は緊張してたけど正直何か起きた事なんてないですし……まあ無事そうなんで行きますわ」
「そうですね、細胞変質症の事が解ってから人員もすっかり減っちゃったし……じゃあ私は二、三検査をしてから行きますね。ありがとう、お仕事頑張ってください」
紫音は微笑んで手を振り、どこか照れた様子の男を見送ると、視線を動かさずにアルフェイム語で呟いた。
「……解いていいですよ」
その背後から、ゆらりと姿を現す人影があった。
いや、最初から姿を消してなどいない。ただ、まるで視界に映っているはずの物品を失せ物と思ってあちこち探してしまう時のように、その姿はあらゆる意識の外側に落ち、彼以外には気にも留められなかっただけだ。
この手段によって転移バブルに入れることのできた人影は、紫音以外に五人。
エメリスの『勇者』シス、『魔王女』ギオルフィナイト、『破戒の盾』の戦士エレイン、『魔導少女』ミルテアイリスの四人と、そして前と同じく紫音の供回りを買って出てくれたエナだ。
紫音はちらりと五人に目を向けて、小さく囁いた。
「ここで私にも認識阻害魔法をかけ直して、一気に車まで走りましょう。博士が監視カメラを切ってくれてる間に」
一同は頷き、フィーネとミルトが同時に密やかな詠唱を始める。
*
あの時――彼らによる『円環』の地下研究施設襲撃に便乗して以降、帝国の勇者たち四人との繋がりは続いていた。
主に彼らの知りうる他国の情報や、世にも珍しい魔人と人間の混成集団というその事情に興味を示したフェルド卿キララクラムの計らいであった。紫音はほとんど軟禁状態であったため直接の関係は薄かったが、王城近辺の街が受けた被害からの復旧を支援するため奔走してくれていたと真輝那やエナから聞いている。
そして以前は深く詮索しなかった彼らの事情も、大まかに聞いた。と言っても、各々の持つ復讐心や義憤から帝国の暗部を探っていたら『円環』の秘密に行き当たってしまい、それによって生ずる末端の者達の悲劇をこれ以上起こさないために潰そうとしているということだけだ。紫音はそれ以上を聞かなかった。彼らには彼らの物語があり、それはここで語られるべきではないというだけの話だ。
ただ、利用できると思った。
そう言うと聞こえは悪いかもしれないが、紫音が『教授』を許せぬ気持ちと、彼らの『円環』を許せぬ気持ちは、お互いに利用し合えると思ったのだ。
故に彼らは、今、隣り合ってここにいる。
さて、あれから紫音たち科学者チームが分析を重ねたところ『魔法』とは、アルフェイム人――特に魔人や『とんがり耳』の種族が持つ、特殊な遺伝子配列が鍵となって発生する物理現象だ。
正確にはその遺伝子配列から生合成される一種の蛋白質が脳神経に働きかける時、意識体のもたらす虚数質量体振動が特定の共振波を発して、様々な力場や他者の意識などに干渉し、現象を誘発するのだが――仔細な中間理論は割愛する。つまりは真輝那や梨緒のような人間が、意識体の強いショックによって虚数質量体振動を起こし『転移』現象を発生させてしまったのと似た原理によるものだ。
たとえば今の『認識阻害』は自分周辺の他者の意識に干渉するものであるため、カメラの映像はごまかせず、遠隔地からの監視などには無意味である。
ここでまず問題となったのは、地球の――正確には地球周辺の宇宙の――虚数質量体密度はアルフェイムに比して著しく低く、どうやら思い通りの現象を起こせるようになるまで幾らかの慣れを要するということだ。月の重力下での運動に慣れていた者が、地球に降りた際には満足に跳躍や歩行ができなくなるようなものだろう。
事実、最初に研究所から車まで走り抜ける際にも、想像以上に早く認識阻害魔法の効果が切れてしまい、ちょっとしたスニーキングアクションののち、迅速な行動のために二人の罪もない研究員を『催眠』の魔法で一日野宿させることになってしまった。……後日、彼らは過労を疑って休暇を取ったと聞いた。
ともかく、この差異のせいで予定は少し伸びたが、適応までにそれほど長い時間は要さなかった。魔人のフィーネも、半人半魔のミルトも、『とんがり耳』のエナも、それぞれ魔法適性が高い種であったのが幸いしたのだろう。
彼らに地球上の生活というものを少しだけ体感させてやることもできたし(ちょっと変装する必要はあったが、特に皆を水族館に連れて行った時の反応は最高だった)、想定外の事態も悪いことばかりではないと思うことにした。
――――そして。
地球適応訓練を経てなお効果時間の短い、意識干渉系の魔法をどうにか駆使して、パスポートを持たない紫音以外の五人を密航させ、アメリカ合衆国を西から東に横断すること数日間。
ようやく辿り着いた東海岸で、紫音たち六人は、某
軍需産業会社のツテから辿って、予め協力を取り付けてあった企業だ。業務としては『武装警備員による要人警護』――という扱いになる。
必要以上に細かい話は説明していないはずだが、事情は粗方察しているらしく、強面のヘリの運転手は出発前に「頑張れ。俺も、アレは嫌いだ」と一言だけ呟いた。邪魔にならない位置に飾られた、お守りのような小さな写真には、若い彼とその家族らしき人物が、ニューヨーク市街の景色と共に笑顔で写り込んでいた。
日本を出る時以来だろうか、おそらく人生二度目に見る一面の漣の燦めきに、彼らは見惚れるように目を向けていた。
やがて、その水平線の彼方から、宙に浮く漆黒の艦が顔を出す。
『黒艦』。いつしか皆の知るところとなった、アルフェイム語での名称は――――『
「見えたな」
窓の外にはっきりと見えるそれを両の瞳の中央に映し、エレインが口角を上げてぼそりと呟いた。
それを受けて、紫音は一つ深呼吸をしてから、丁寧な英語で運転手に告げる。
「では今から、シールド破りを実行します。艦の五百メートルほど上空から様子を見ますので、あれの上、シールド有効半径外まで上昇してください」
「危険だと判断したら退くぞ。いいな」
「問題ありません。こちらがスピードを上げてぶつからない限り、概ねただの壁と同じです。……ミルト、念のため強力な防護魔法の準備だけしておいて」
紫音たち六人を乗せた中型ヘリは、ぐんぐんと高度を上げて、ただでさえ高い位置に浮遊する『黒艦』のさらに上空へと位置取った。両側のドアが開き、高空の凄まじい気流が吹き抜ける。
――これまで、平和を掲げる『円環』による迎撃行為は確認されていない。ただ、近付きすぎた航空機などが
そして――
「……よし! 降下してください! フィーネ、ミルト、波長を合わせた電磁場と重力場を相互展開!」
「ふん」
「はあいっ!」
――その正体は、それぞれ異なる波長を持つ二重の電磁場と、電気的に密閉された空間内に充満したエネルギーによる局所的重力場という三層の力場である。
アルフェイム人が使う『防御結界』の魔法とそれぞれは本質的に同じものだ。シスが語った、前魔王ギオルジェダインの守護結界をフィーネが破った時の話でピンと来た。波長を合わせた魔力――すなわち、干渉同調させた同質の力場をぶつけることによって、このシールドはお互いに無力化できる。
ヘリが纏った薄い光球の膜と、『黒艦』の防御光壁同士が、激しく干渉して光を散らす。力場そのものが発する光ではなく、魔法発動時の余剰エネルギーが光として放散されているようだ。紫音はすぐさま次の号令を飛ばした。
「エナ!」
「はいっ!」
合図と共に、エナは両腕を大きく広げるように振り、直後、遠く艦のシールド上に無数の爆発が巻き起こった。
爆裂魔法の衝撃に、ヘリの機体が僅かに揺れる。力場展開に集中していたフィーネとミルトが危うくバランスを崩しかけたが、シスとエレインが互いにその身体を支えた。
シールドに関する紫音の推測はもうひとつ。
これだけ巨大な艦だ、総合出力は恐らく相応に膨大なものだろう。だが、この巨体の全域を守らねばならない分、常に最大出力を発揮していては、その消費エネルギーは想像を絶する。
この艦の基礎設計として、格下相手の防衛や短期的な決戦しか想定していないのなら、それもいいだろう。だが『同格の相手』を想定した時、技術者はどう考えるだろうか。常に最大出力のシールドを張り続けている機体と、必要に応じてシールド出力を変動させ、機体方面によって分散させることができる機体とが戦った時、どちらが有利だろうか。
これは観測からくる推測というよりは、紫音の学者としてのカンだった。『自分が開発者なら、そうする』。ただそれだけの仕様だ。
だから一種のダメ押しとして、エナに有効射程ギリギリの爆裂魔法を無数にバラ撒かせ、シールドの反応出力を分散させようと試みたのだ。
作戦が確実に功を奏したのかどうかは、解らない。だが、その次の瞬間、フィーネとミルトは同時に叫んだ。
「抜けたぞッ!」
「いけますっ!」
『黒艦』を覆っていた力場の障壁の上に、穴が空いた。
あとは合図を出している暇などない。シスがフィーネを、エレインがミルトを、そして紫音がエナを抱きかかえ、一息にヘリから飛び降りた。
「頑張ってこいッ! 息子の……仇を討ってくれッ!」
駆動音と暴風に半ば掻き消されながら、ヘリの運転手が叫んだ。相殺する波長の力場を展開していた二人が降下することにより、シールドに開いた穴はゆっくりと閉じる。二人一組になって降下したそれぞれの背中から、フィーネから提供された『有翼甲冑』の技術を応用した翼が展開し、各々の風魔法によって姿勢を制御しながら、ゆっくりと甲板に降りていった。
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