【転】第三章 吾が地より火は踴る

#12 出現 上天に崩るる光


 ある日、晴天を舞うものがあった。

 ある日、碧落へきらくに群れなすものがあった。

 烈日にも似る神のまなこに落ちたちいさな塵の一粒のような、蒼昊そうこうの欠けの影色かげいろは、各々が意思持つように閃いて、時折流星のように一条ひとすじの線を描いた。


 それは奇妙な光景だった。少なくともその空を眺める人々にとってはそうだった。黒点は鳥の群れにしては疎らで、羽虫にしては遠く、大きい。星空であるならば昼夜も白黒も逆である。真昼の黒い流星なんて、誰ぞ聞いたことがあろうか?

 気付いた者からざわめきは海嘯のように広がり、街の隙間を縫って渡った。

 餌を待つ小鳥のように、子供たちは口々に何かを言いながらこぞって上空に指を向ける。大人たちは空を見ながらも忙しそうに歩き続けるか、そうでないものは皆揃って懐から板のようなものを取り出して首を傾げた。

 やがてまた一つ真昼の流星が落ち、それは興味津々に目を丸くして指差す一人の子供のほうへと少しずつ輪郭を歪めながら降下し、両翼を弛め、大きく裂けたあぎとを開いて、それを攫って上天へと消えた。


 一息に肺の潰れる音を他に聞いたものがいなかったのは、幸か不幸か。

 血飛沫と共に天より落ちた幼子の首を見て、脱兎の如く隠れられたものがいたのは、幸か不幸か。

 死者は既に物言うこともなく、生者が後に論じたところで詮無きことだった。


 上天を舞う有翼蛇ワイアームの群れに、夏空を一瞬赤く染めあげながら散っていく蒼氓そうぼうの民を、運良く難を逃れた人々は呆然とただ眺める他なかった。

 果たしていかなる気圧のへし合いが起きた結果か、気付けば蒼天に一塊ひとかたまり、雷を纏う分厚い積乱雲があった。

 青白い光と共に、雷雲を内側から引き裂いて、漆黒の舳先が姿を現す。やがて雲からは激しい驟雨しゅううが降りそそぎ、諸々の窓や壁に張り付いた血糊を洗い流していった。


 そうして、天を舞う巨大なふねが――夥しい数の飛竜と妖魔をまとって、アメリカ合衆国ニューヨーク・シティ上空に現れた。




 ――――


『俺達の異世界転生物語がどうにも思ってたのと違う件について』

  (原題 『盈虚の円環、あるいは朔望の終焉』)


 三


 ――――



 時は僅かに遡る。


 仄暗い牢獄の石畳の上で、彼らは対峙していた。

 ヨゼフ・グライフェルト――それは物理化学と素粒子物理学双方の権威であり、父・冴羽義隆や、一宮嗣巳博士がかつて学生だった頃の恩師の一人であり、所属研究機関同士の幾度いくたびかの日独共同研究を経て、ドイツの山奥に位置する彼の個人的な研究所で二人が働いていたこともあるという、理学博士Dr. rer. nat.の名だ。

 父と母が写っている昔の写真の中に、その男は柔らかな笑顔を満面に浮かべて立っていた。この一番偉そうな人は誰だ、と一宮博士に訊いて、その名を聞いた記憶がある。

 ――有り得ない。そのような確率は。二十五年前に死んだはずの彼が、虚数質量体振動による自然転移現象によってアルフェイムに辿り着いていたとしても、その教え子である父と、その子である紫音が、どうしてこんな神殿の地下の一室で偶然巡り合うことができようか?


 ならば――というのか?

 父が、一宮博士が、量子的多重構造論と亜空間素粒子放射の研究に拘泥したのは何のためだ? 兄の行方不明を結びつけたのが直接の原因ではなく、二十五年前の事故に関する疑惑を確信に変えただけではないのか? 彼らがそれらの成果を残せたのは、すでに、一歩先に行われていた研究を、再び呼び起こしたからではないのか? 父がここに囚われた理由は、おのずから彼を『捜した』ためではないのか?

 すべては、その時から始まっていたのだとしたら。

 紫音は震える手で元凶に銃を向けながら、倒れ伏す父の肢体をちらと見た。グライフェルト教授もまた、釣られてその視線の先に目を遣り、至極残念そうに小さな溜息をついた。


「『魔人』は遺伝的にはホモ・サピエンスの変種の一つなのは解っていたのです。惜しいことを、彼は世代を経ない魔人化現象の貴重な実例だっ――」


 銃撃。紫音は躊躇わずに銃爪ひきがねを引いた。彼は紫音にとって興味有りげな話をすることで時間を稼いでいると判断したためだ。

 三度みたび爆ぜて飛んだ鉛弾は、教授がゆるやかに掲げた左手の前に散り散りに逸れて背後の壁を穿った。青白い光の帯が腕の先から剥落する。


「先生の話を遮るとは。彼らは何を教えていたのでしょうな」

「魔法……を……っ!?」

「ええ、私は自然転移者ですが……自前でね。彼と同じですよ。私はの方ですけどねえ」


 そう言うと、教授は丸眼鏡の奥に煌めく金の瞳を細め、その左手を薙いだ。はっきりと白く形骸を持つほどに凝集された風の刃が複数、彼の周囲に形成されて紫音めがけて飛来する。

 気流を掻き裂く甲高い風籟ふうらい。されどその鋭い刃が紫音に届くよりも前に、宙空に展開された光の防護膜が、圧縮された大気を弾いた。断熱圧縮現象によって高熱を帯びた空気が、渦巻く熱風となって四散する。

 エナは、対話の間にさり気なく斜方に位置取って身を弛め、即応の姿勢を取っていた。

 防護膜を張ると同時に、姿勢を低く弧を描いて側面から距離を詰めた彼女に、教授が応じて振り返る。――それこそが狙いだ。近接格闘において側面を取る位置取りは、対手に『正面に向き直る』一動作を必要とさせ、瞬間的に懐まで踏み込む一瞬の隙を作ることができる。当然、右方・左方に関わらず、真横からの攻撃に真横を向いたまま対応するには選択がきわめて限られるからである。

 エナの突き出す右手の指先に、青白い電撃が迸った。親指と中指、それぞれに分けて蓄積した局所的な電位差が維持の限界に達し、大気中分子を絶縁破壊してイオン化させているのだ。


「むっ……」


 迎撃するには危険と見たか、教授は竜巻のような風を纏って跳躍の動作を補助した。後方への退避を行うとともに、同時、炸裂する凄烈な雷撃を気圧の壁で散逸させる。電撃系魔法の軌道制御には、予め人為的に作り出した低気圧領域のガイド・ラインを用いていると明確に知っている者の動きだった。

 そうして外の通路に着地した教授を、その着地時の不安定な姿勢を狙うように、立て続けに魔法の矢が襲う。実際のところ、これも電磁気制御によって糸状に集束した高エネルギー粒子の塊を複数の電磁場のリングによって射ち出すものだ。しかしそればかりは読まれていたのか、教授はわずかな詠唱によって電磁場と重力場による不可視のシールドを同時に展開し、亜光速で飛来する荷電粒子線を背後の壁に逸した。

 だが、強力な防御魔法を張らねばならない時、攻撃の手は必ず止まる。

 エナはその瞬間に位置と構えを取り直し、強い半身の体勢を作って、ぴたりと教授に手のひらを向けた。


「ほう……」

「私は……リオに護ってもらったから」


 グライフェルトの感嘆の声を、凛として睨めつける青い瞳が貫く。


「リオにもらった生命で、今度は私が『彼の大切なひとシオン』を護る」


 その言葉を体現するように立つエナの背後で、紫音は拳銃ではなくアサルトライフルを腰溜めに構え直していた。エナの細い身体の隙間から銃口を覗かせ、指先は下部の拡張型擲弾筒EGLMのトリガーにもすぐさま掛けられるよう銃身に這わせている。

 何を思ってか、教授は頬肉をわずかに歪めて嬉しそうに嗤った。


「ほう、ほう……」


 卒爾そつじ、地響きが紫音の視界を揺るがし、ぱらぱらと壁から剥落した石片が足元に転がった。

 教授はその衝撃に気を取られている様子で、構えを解いてちらと周囲に目を遣る。陽動組の行動が効いているのか、何か別の懸念があるのかは不明だが、彼は笑みを崩さぬまま、言葉をアルフェイム公用共通語に切り替えて慇懃に言う。


「上ですか。いやはや、なかなか考えるものですな……軍事作戦については門外漢ゆえ、舌を巻くばかりです」


 そう言って、彼は周囲に風を纏いながら、丁寧に礼をした。


「またお会いしましょう」

「ッ……教授!」


 炸裂する閃光。目眩ましの魔法と同時、飛来する火焔をエナが角度をつけた防御膜で二つに割いて後方に流す。

 光が止んだ時、すでにグライフェルトの姿は無かった。紫音は弾かれるように駆け出し、通路に銃口を出して狙いを定めようとするも人影は見えず、歯噛みして銃を下ろした。『認識阻害』の魔法も一瞬疑ったが、フィーネ曰く「これは透明化ではないので、特定個人を意識的に探そうとしている場合はどんなに強力でも効かん」とのことだった。ならばそれで隠れるのは不可能だろう。


「……シオン……!」


 エナの呼ぶ声に室内に視線を戻せば、彼女はその手を血に染めながら、呻く義隆を前に、目で何かを訴えていた。回復の魔法というものも無くはないはずだが、恐らく彼女のそれでは既に手の施しようがないのだろう。あれは確か自然治癒力を高める程度のものだったはずだ。

 紫音は苦痛に震える父に駆け寄り、その傍らに跪く。


「と……父さんっ、まだ生きて……」

「いや……私は捨て置け、それより……地球を……」


 彼は血混じりの泡を吐きながら、もはや殆ど聞き取れない声で告げる。

 紫音の手を取り、握りしめる彼の指は、ひどく冷たかった。すでに生命が失われつつあることを、その温度越しにありありと感じる。


「どうでもいいだろそんな事ッ! あんたは……あんたは俺の……ッ」

「紫……音」


 喚く子を、親は制する。細めた薄紫色の瞳で、その顔を愛おしげに眺めながら。


「すまなかった。……お前は、私のようには……」


 そして、言葉は最後まで紡がれることなく途絶えた。

 触れていた手の指先が、ふっと力を失うのを感じた。傷口から溢れ出る血の脈動が、明確に弱まっていくのを感じた。口許くちもとにあった空気の流れが、完全に絶えるのを感じた。


 ……すまなかった、か。

 紫音はゆっくりと息を吐き、その手に握りしめていた手を離した。


「もしまだ聞こえてんなら胸を張れよ。

 確かに愛情は感じなかったけどさ……兄さんはあんたに憧れてたし、俺はあんたに憧れる兄さんに憧れてた。……充分だ。あんたの背中は、追うに値した」


 人は他の誰をも束縛することはできない。

 自らの意志で、誰かに束縛されてやることしかできないんだ。


 紫音はいつか聞いた言葉を想起しながら、静かに立ち上がり、物言わぬ屍に背を向けた。


「……俺は好きに生きる。あんたが好きに生きたように」


 一呼吸分の瞑目。紫音は肩から下げた銃を再び取り直してから、躊躇い、戸惑うように隣に立つエナに、穏やかに声をかける。


「行きましょう、エナ。遺体を運ぶ余裕はありません」

「……うん」


 彼女の小さな手が、血に濡れたロケットペンダントを、ぎゅっと握りしめた。



*



 『賢王』と生きながらにして謳われた国王グリン・メオ・ファント・アーデルクラムは、理知的にして思慮深く、まさに賢君と言って相違ない人物であった。

 己の保身や権力に固執せず、何よりも民を想った。しかし民を想うがこそ、彼は誇りを持って油断なく国を育んだ。何も単なる慈愛博愛によるものではない。聡明であったがゆえに、国益の何たるかを明瞭に理解していたためだ。

 彼の治世は国の隅々まで滞りなく行き渡り、アーデルクラムに永い平和を運んだ。

 西のグィアラ卿は商業と経済を、東南のオシェアノ卿は戦術と軍略を、そして末子である北のフェルド卿は政治と理学を、偉大なる父王から学び活かしたのだと、一説には言われる。下々の民が冗談交じりに語ることには、子らに唯一共通する『負けず嫌い』の血が、間違っても他の兄弟と同じことをやってしまわぬようにそうさせたのだとも。


 ――彼は、賢すぎたのかもしれない。

 あるいは、理想を追い求めすぎたのか。


 シス達は、ザックの遺した情報を元に、三国に跨る『円環』の中枢拠点を一つ一つ潰しては断片的な情報を集めてきた。場所、物資、資金の流れ――何もかもから、より深くを探れる材料を洗い出そうとしてきた。組織の者が掲げる、三重の円の紋章は、そのいずれにおいても共通した特徴であった。

 彼らが神殿地下の構成員を殲滅し、退路を確保するため神殿に繋がる王城の脱出路を遡行していた際、行く手に立ち塞がった紋章入りのゴーレムを見た時点で、漠然とした疑念は確信的な懸念に変わっていった。

 そしてその道を切り開いた時――これだけの騒ぎの中、ただの一人の護衛も立たせずに勇者達を出迎えた老齢の賢王の姿に、彼らは全てを悟って身構えた。


「……ようやく会えたな。賢王グリン……いや……」


 豪奢なガウンを脱ぎ捨てた彼の胸に、その護身用のプレイトに刻まれた紋は、月と翼の国紋ではなく……重なり合った三つの円。


「いかにも……我が名は『円環』、我が名は『世界』、我は全てを統べるもの――」

「我らは秩序の代行者にして秩序に非ず、正義執行装置にして正義に非ず――」

「過ぎたる薬は毒なれば、我は繁栄の守り人として、貴君等を――」

「この名は一切の躊躇なく、貴様を――」


 そうして、


「「――粛清するッ!!」」


 戦いは始まった。



*



 立て続けに響く轟音が、神殿の地下を揺るがしていた。

 陽動の一環にしては激しすぎる震動に嫌な予感を感じながら、二人は所々崩落しかけた通路を駆ける。恐らく物質の固有振動数なんて知らずに造っているはずだ。急がねばなるまい。

 走りゆく中、またも大きな縦揺れが走った。震動に足を取られて転びかけたエナを、紫音は咄嗟に銃を持った腕を横向きにして抱きとめる。


「大丈夫ですか、エナ」

「へ、平気……です。急ぎましょう、すごく嫌な感じがする……」


 紫音は頷いて、再び駆けた。


 神殿の中には、既に人っ子一人いなかった。生きているものといえば、神経麻痺の魔法で拘束した二人の見張りくらいのものだ。

 紫音たち二人は増援の量によって逃走経路を変えるという手筈自体に影響はないが、逃げ道ではもう少し戦闘があるものと想定していた。紫音は警戒しながら来た道を引き返し、予め決めていた合流地点に急ぐため神殿内を走り抜けていく。

 そして神殿に勤める聖職者たち用の裏口に向かっていった瞬間、真夜中のはずの空が、あらゆる窓越しに真昼のごとく明るくなった。


「えっ……!?」

「何だッ!?」


 爆風を警戒し、すぐさま壁際に寄って身を伏せる二人。しかし光はただ光でしかなく、それ以外のいかなる衝撃もやってこなかった。

 しかしそうして足を止めた瞬間、気付く。ちいさな震動を伴って大地を渡る、遠い戦闘音に。

 二人は外の安全を確認してから、真夜中の庭園を駆け、広い通りに顔を出す。そしてその瞬間――ひとすじの光線が夜空に閃いた。


「な……にっ」


 それは、その光線の射出口にあったものは、巨大な金属の塊だった。

 柔軟に動く四脚を持つそれは、月下に輝く白亜の王城を踏みしだき、機動の衝撃で崩落させながら、時折中央の眼球にも似た結晶体から集束した光の帯を炸裂音とともに夜空に撃ち出していた。光に触れた城壁は、一瞬のうちに溶解し、蒸発して消滅していった。

 二人は互いに驚愕を顔に浮かべ、その姿を見上げて、瓦礫だらけの荒れ果てた道路を後退る。


「め、メタルゴーレム……すごく大きな……!」

「今……あんなに高精度なコヒーレント光放射……高エネルギー兵器だっていうのか……!?」


 ――学者であればこそ、紫音の驚きは殊更であった。

 本来不可視のレーザー光があれだけ眩い光と音を放っていたとしたら、考えられる要因は熱である。熱された金属が赤、黄、白とスペクトルを変遷させながら激しく発光するのと同様の、シュテファン=ボルツマンの法則に記される熱輻射による電磁波の放射だ。大気を構成する気体分子や微細な塵などを一瞬にして加熱し、熱は光を生み、そして瞬間的に熱膨張した気体が炸裂音を発生させるのである。

 それを連射するだけのジェネレーター出力と、冷却機関、高熱に耐えられる部品素材、焼け付かない発振装置と射出口――これらを完璧に兼ね備える技術とは、文明に比してあまりにも高度なものだった。

 驚愕に値するのはそれだけではない。遠くから見える限りでは、恐らく関節部を装甲とは違う有機部品で造ることによって部品損耗を軽減し、また多重装甲板によって弱点を補っている。四つの脚は安定性に優れ、どうやら接地圧力も上手く制御して分散しているように見える。恐らく脚を一本失った程度なら、問題なく稼働し続けることができる設計だ。

 今の地球でなら――造れるかもしれない。だが、現状ですら技術の粋を極めねば無理だ。量産性、整備性、規格……それらを鑑みると、兵器として制式採用されるようなものではない。運用には予算と時間がかかりすぎるのだ。

 だからこそ、間違いない。

 あれは――単体で言うならば、地球の兵器を超えている。


 戦慄に目を見開く紫音の元に、慌ただしく駆け寄る影があった。足音に振り返れば、その姿は夜間にもはっきりと解る。雨森真輝那だ。その両手には宿に置いていた二人の荷物が抱えられている。


「紫音さんっ、エナちゃん! 良かった、無事だよね!? 見てよアレ、なんかおばけアッザムみたいなのが急にっ!」

「アッザム……?」

「いやゴメンうちの家庭環境は特殊なんだった! とにかく逃げよ、絶対ヤバいよあれ!」


 言われた二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。



*



 シス達の戦いは熾烈を極めた。


 賢王グリンの召喚したメタルゴーレムは、間違いなく勇者達がこれまで戦った中でも最高の性能を持つ一体だ。奴らは膂力も装甲も強靭だが、命令を遂行するだけの単純かつ無機的な動きしかできず、戦闘行動アルゴリズムも疑似感覚器官センサー類も簡単なものであるため、ある程度の達人にとってそれは巨大なだけの木偶人形に過ぎなかった。フィーネは『人工知能は、推測の可能性や選択肢分岐を増やしすぎると、演算に無限に時間を使い硬直してボコボコにされるポンコツに成り下がるからだ。故に彼らも巧遅より拙速を尊ぶ』と言っていた。

 その弱点を――まさか、自ら搭乗して操ることによって補うとは。

 確かにゴーレムと術士が組んで戦う場面はこれまでにもあった。だがそれは、狭い通路にゴーレムを待ち受けさせて術士が背後から挟撃するとか、ゴーレムに前衛を任せて術士がその後ろから遠隔攻撃魔法を撃つとか、そういったものだったはずだ。できる術士は、ゴーレムに隊を引き付けさせて別動火砲隊が側面を取って合図を待って十字砲火を放つくらいはしてきたが……いずれにせよ、全て術士の知性が優秀なだけで、ゴーレムはただのゴーレムだった。

 一般的にこれらの操り人形は、身体に刻まれている『真理』の文字列コードを打ち消すことで、ただの土塊に還る。それが術士本体による駆動エネルギーの供給源となっている、いわゆる受信回路だからだ。だがこれは――それすらも無い可能性がある。

 勇者は『加速魔法』による補助で脳内物質を増強され、緩慢に進む知覚の中、その超重量の踏みつけを跳躍で躱し、傷だらけの脚部装甲をまた斬りつけた。


 月下の廃城に、幾重にもなって剣風が舞い、炎が踊った。


 凝集された光の一撃は、生半可な防護膜では偏向防御すらも許さず貫いてき尽くす。のみならず、瞬間的に数千度にまで加熱された輝く熱風があちこちから吹き荒れ、電離した大気の炎が渦巻いて四散するのだ。その暴威からの防御には、そもそもの回避と、全方位防御、そして瞬時の冷却魔法による相殺が必要不可欠だった。

 龍鱗をも裂く魔力回路の光を帯びた魔剣で幾度斬りつけても、層を成した分厚い強化合金装甲に阻まれて中枢に届かず、小さな傷をつけるだけに終わった。

 だが、決して無傷ではなかった。

 魔法による超自然的な加速を得た、シスとエレインの雷を纏った同時斬撃――電磁気による剪断せんだん力強化の魔法の副産物だ――が、装甲板をまた僅かに抉る。放たれた迎撃の脚を、ミルトの爆裂魔法が弾いた。バランスを崩しかけた機体を瞬時に制御し、四本の脚が巧みに崩れかけた王城に張り付く。そこに襲うのは――連続魔法である。ミルトが放った万物を斬り裂く真空の刃の一刀が、王城の壁を断崖の如く両断する。大きく体勢を崩したメタルゴーレムに、フィーネの掲げた漆黒の魔剣が上天から振り下ろされる。――脚が一本、ついに折られた。悲鳴のごとく薙ぎ払う光が空と大地とを灼き、高熱が一帯を吹き荒れてゆく――。

 それはまさに、嵐のような戦闘だった。

 本来、主君の敵を撃退するためにここにいたはずの兵士達はこぞって逃げ出し、逃げなかった者は全て死んでいった。

 ただひとり、夜空の闇の中に立つ――


「王。我らが王よ」


 ――アーデルクラム王国に名だたる『魔導博士』ヨゼフ・グライフェルトを除いては。


「潮時です。戯れに魔法力の無駄遣いをなさいませんよう……」




*




 遠く湖を挟んだ丘の上から、紫音は目眩を覚える頭を押さえながら、ふらついて倒れそうな足をやっとの思いで踏み留めた。


「ばっ……馬鹿な! こんなもの……この世界どころか、地球の文明レベルですら造れるはずが……ッ!」


 予め避難していたキララクラムとシパード、そしてお互いに震えて縋る真輝那とエナもまた同様に呆然と空を見上げる。

 その視線の先には、夜空の漆黒にもなおはっきりと月光に照らされて浮かぶ、黒く巨大な艦があった。どこかから飛行して現れたのではない。恐らく光学遮蔽装置クローキングデバイスによって夜空に完全に溶け込んでいたものが、もしかしたら最初からずっとそこに浮かんでいたのかもしれないそれが、突如、姿を現したのである。

 あまりに巨大すぎて遠近感が掴めないが、恐らく王城と比較するに、艦の全長は差し渡し一千メートルを下らない。流体力学がさほど考慮されていないのだろうか、あまり細身ではなく、全幅はその三分の一ほどだ。

 メタルゴーレムが残る三本の足を器用に使って跳躍し、その船体上に取り付くのが見えた。


 ――報せなければ――


 瞬間、紫音の脳裏に、父が死に際に呟いていた言葉が蘇る。


 ――地球が――


「まさか……」


 紫音は呟きながら、得体の知れぬ方法で浮力を得て宙に浮かぶ巨体を見る。


 アルフェイムでも、地球でも、造れるはずがない物体。だが、結果として実在しているのなら、それを存在させた理由が、原因があるはずだ。物理法則は奇跡ではない。地球の技術では作れなくても――そうだ、歴史学者や人類学者が何か言っていた。『神』。神話に刻まれたモノ。地球外の文明ならば、あるいは。だが、だとしたら――その遺産が成し得る事象は――


「……まさか……ッ!!」


 焦燥に突き動かされるように紫音が身を乗り出した直後、その巨大な艦は、亜空間素粒子のもたらすバブル状の転移放射光を遺して、消えた。


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