#8 雑駁 身じろぎする睡(ねむ)れる海


 アーデルクラム王国フェルド公爵領北部――ティルフルグ高原、仮称『異界駅ステイション』暫定敷設予定地。

 簡素な鉄塔を規定高度までよじ登り、科学者の男は通算四通目の『量子メール』を地球に送信し、そのまま十数メートル下の、衝撃吸収ポリマーマットの上に背中から飛び降りた。

 そのまま暫く待っていると、一瞬の青白い発光ののち、一枚の紙切れが――恐らく手紙が無事に到着したことを通知するメッセージがひらひらと降ってきた。それを確認して、男は静かに安堵の溜息をつく。


「……おっと、そうだ」


 彼は、立てたままになっていた鉄塔を、複雑に折りたたむようにして小さく収納し、規定の位置に戻してカバーを被せた。

 さっき返事が来る前に迅速に飛び降りたのと同様、地球側から何か急な用事があって転移してきた誰かの肉体としまわないための措置だ。まだ実験していないので何とも言えないが、そういうことにならないとは誰にも言い切れなかった。


 第一次調査隊の転移成功から、既に三日が経過していた。

 冴羽義隆博士からの手紙が発見された当時から、説として予想されていたことだが、どうやらこの異世界では、地球のおおよそ半分の速度で時間が経過していくらしい。冴羽紫音博士が言うには、時空間そのものの歪曲率が地球上と違うため、その重力負荷によって発生している現象と見られるとのことだ。まだ詳しい法則性はわからないが、恐らくこの相対時間差は一定ではなく、早くなったり遅くなったりを繰り返しながら、平均として半分程度を維持するようである。

 つまり地球時間ではおおよそ倍、出発よりそろそろ一週間、と言ったところか。

 現時点においては、調査は概ね順調である。各分野一人という限定的な人員では手に余るような、本格的な分析調査は、複数人の専門家が来られるようになってから行うべきだとしても、『別分野の専門家との意見交換ができる』という第一次調査隊固有の特殊性もまた、良い方向に働くことが多いようだ。


 特に歴史学者と言語学者の噛み合い方といったら、これまで会ったことも無かったという事実が嘘のようだった。

 彼らの言語法則を聞きながら二人で話しているうちに、あれよあれよと言う間に、それがケントゥム語系の発音法則や、シュメール文字の構造をより複雑化させたものに似ていると気付き、『アルフェイム人』のルーツに言及し始めた。第二次子音推移とまで似た形跡が見られるだとか、伝説の印欧祖語がどうとか、kとkwの発音の差がそのまま残っているだとか、興奮気味に話されてもその辺りの話は科学分野の学徒には意味がわからなかったが……ともかく、『アルフェイム人』もまた、どこかのタイミングで現生人類ホモ・サピエンスから分化した民族の一つ……学術的に分類するなら『アルフェイム語話者』ということになるのだろう。

 アルフェイムという言葉も、古代印欧祖語からの変化の法則に基づけば、恐らく『精霊郷』というような意味だと推測できるらしい。それについては、なるほど『エルフ』と同じ語源か、と漠然と納得した。エイム、ないしフェイムというのが国や世界を表す言葉なのだろう。

 生物学者はというと、その話に乗じて、アルフェイム人は顔付きや肉体的特徴を見るに、遺伝形質的にはコーカソイドを主体としながらネグロイドの染色体が入っているだろうと分析していた。これについては組織サンプルのDNA分析待ちである。


 他にも興味深い事として挙げられたことの一つには、様々な単位が異なるアルフェイムにおいて、時間単位『秒』や『分』などの考え方と体感時間の長さが全く同一であるという点がある。

 暦自体は、違う。太陽暦でも太陰暦でもなく、一週間を五日、一月を九週間……即ち四五日間として扱う特殊な暦を採用しており、春夏秋冬それぞれに二月ずつが当て嵌められている。前春月の次に後春月が来て、その次に前夏月が来るといった具合だ。一年間はぴったり三六〇日で閏年もないのだが、不思議と季節にずれは見られない。そもそも空に見える太陽のような何かが、地球における太陽とは全く別物なのだろう。

 だがそこまできて、一日の時間の分け方がぴったり現在と同一なのだ。このように秒まで細分化した時間単位の考え方は、地球では西暦一〇〇〇年ほどに至るまで現れていない。これが何を意味するのかは不明だが、もしかしたらそれ以前の転移犠牲者が考え方を根付かせたのかもしれないというのが暫定的な結論だ。


 これは余談になるが、他の単位としては……長さについては、テトゥム、セタという単位が主に使われる。一テトゥムは一.八二メートルに相当し、単位を定めた時の王の身長と記録には残っている。それを百分の一にしたもの……つまり一.八二センチメートルが一セタだ。この寸法は紐にインクで印をつけて複製共有されるのだが、これは伝言ゲームになるため、共有されている街ごとに微妙に差が出て違ってしまう。故に寸法の重要なものを売る行商人は、新しい町に着いたらまずその街の『テトゥム定規』を複製するのだそうだ。

 重さの単位はテリといい、一立方セタの体積を持つ水の質量が一テリとされる。まだ温度や気圧によって水の体積が変動することについては考慮されていないようだが……つまりは一テリ=六.〇二グラムだ。人間の体重がちょうど一万テリ(約六〇キログラム)を標準として考えられるというのも単位定着に一役買っていることだろう。

 地方では物々交換もまだ主流だという話だが、貨幣経済は広く普及している。おそらく金本位制経済で、ある程度の質量の金や銀を価値の基準にしているようだ。小金貨一枚が一オルと言われ、その価値は小銀貨百枚……百ゲントに相当する。これについても、言語学者はラテン語の『オーラム』と『アルゲントゥム』との共通性を指摘していた。他にも換金が容易な大きな市場を擁する街では、ジェム貨幣(代替貨幣の一つ。宝石をその価値相当の貨幣として扱い取引をする文化)なども広く根付いている。


 さらに地質学者が話に加わるには――この地で最も注目すべきは『神話』だそうだ。これについては多くの専門家の意見が一致している。


 『楽園を棄てた神が現れ、獣に過ぎなかった我々に知恵を与え人たらしめた』――これは進化論を理解していなければ絶対に出ない一節である。

 似たモチーフは確かにある。例えばキリスト教ではアダムとイブが神から知恵を奪ったが、彼らは最初から人だった。キリスト教の原点であるユダヤ教では、最初から人は人として数多くの動物と共に神に造られている。人は昔は人では無かったなんて、普通は思いつかないものなのだ。科学が証明しない限りは。

 そして更には……ここだ。『大地に突き立てられた火の柱から、黒雲が吹き上げて天空を覆い、封氷が大地を閉ざした』。

 紀元前約七万年に発生したスマトラ島トバ火山の大噴火と、それに伴う地球寒冷化、ヴュルム氷期(最終氷河期)への突入――いわゆるトバ・カタストロフ理論の経緯を、明確に想起させる。

 このトバ事変によって現生人類の近傍種はほとんど死に絶え、クロマニヨン人などの現生人類ホモ・サピエンスと、ネアンデルタール人ホモ・ネアンデルターレンシスだけが残った。ボトルネック理論の最たる例である。

 その後、クロマニヨン人は一度は脳容積や体格で勝るネアンデルタール人の勢力に押され、ユーラシア大陸の西海岸付近に追いやられるも、不思議なことに短い期間で『知恵』と『言語能力』、そして『道具』を扱う技術が向上したらしく、怒濤の勢いで勢力を盛り返しネアンデルタール人を駆逐してしまう。

 神話の続きに刻まれた『選定にたる民』とは、そのことを指しているのか、それともこの精霊郷アルフェイムに移住した人類を指すのかは解らないが……口伝の神話にしては、あまりにも保存情報がきれい過ぎる。

 地球上において初めて文字が現れたのは、およそ紀元前三五〇〇年。その時点でさえ、七万年前の事件を記すには、あまりにも時間が経ちすぎている。

 いや――それでも、最も気にかけるべきは、そこですらない。


 では、ここまで正確に歴史的事実を記述した神話に刻まれている『神』とは、何だ?

 『滅びた楽園』を棄て、この地球上に現れ、『獣を人へと進化させた』という神とは一体、何だ――?


 学者であるがゆえに、みな確証のない断言は避けた。だが我々は、とんでもない歴史の真実に、指をかけているのかもしれない。



*



 そしてアルフェイムへの第一次調査隊派遣から、地球時間において一月が過ぎようとしていた。


 このアルフェイムの地には、豊富かどうかはさて置き、様々な資源や独自の技術、芸術などの文化資産や独特の生態系など、着目すべき事象事物が遍在している。

 一昔前だったら戦争の火種にでもなっていたであろうところだが、技術の発達や人類全体のモラルレベルの変化により、今や戦場の焦点は一次資源の争奪戦ではなく、民族間の遺恨や思想問題、より上位の情報や経済的利益にシフトして久しい。

 たとえば、もし資源目当てにアルフェイムに手を出すような不届きな国家があれば、その他の全ての主要国家から集中的に批難を受け、国際的立場は地に落ちるだろう。そうなるとその国は悲惨なもので、『防衛』の名目で列強国がこぞって軍事派遣をしてくれば、私利私欲で始めた争いに勝ち目はない。他国も味方をしたところで全く利が無いからだ。そうして『世界の敵』を追っ払った後で、味方をした国々は極めて友好的に輸入・輸出の取引ができることだろう。

 だから、やるならもっとうまくやるべきだ。それは、どこの国家も当然わかっていることだった。


 事実、国連はアルフェイム主要国家群に対して、可能な限り平和的な関係を築くことを会議により決定。自衛や反撃以外の一切の武力行使を禁止するとともに、ひとまず国連の許可を得ていない一般渡航もまた原則禁止とした。そして、お互いの世界の病原体や、蛋白質等の毒性に対する慎重な耐性検査を進めながら、長期目標として、両世界の自由な行き来を可能とする施設の構築と、経済的な交流の確立、『魔法』技術や『異世界』の来歴についての共同研究などを定めた。

 この対応については、蚊帳の外に出された――いや、最初から入れてもらえてもいないのだが――後進国からはさて置き、先進諸国の国民には概ね妥当な方針と捉えられているようだ。世界間戦争の勃発を危惧する声も多く聞かれる中、少なくとも慎重な姿勢を見せたことは賢明だったと言えるだろう。……後々何かが起きても、とりあえず『できるだけのことはやった』と言い訳もできる。


 アルフェイム主要国家の一つ、アーデルクラム王国の公子にして第三王位継承権を持つ『世捨卿』キララクラムは、当初の転移実験室からの出口が自身の領内にあることや、たった一人の通訳者を予め擁していたという最大の有利から、地球文明の国家や各企業に対して迅速に会談を行い、協力体制を締結した。

 すなわち領内における固有資源の輸出契約や、転移のための出入口・研究拠点建造のための領地の割譲、また現地住民をその労働力として雇用するための斡旋を提案するのと引き換えに、地球物資の輸入や情報、高度な学問に関する知識、教育カリキュラムやインフラの整備についてのノウハウなどを供与するよう求めたのである。

 ただし、彼は自分から、そのようなをすれば、隣国であるエメリス帝国や、四年前に当時の魔王を失うという衝撃があったとは言え、緊張した関係が続いている魔国ベネギアとの関係を刺激しかねないということを指摘。故に、地球側から両国にもある程度平等に経済的取引を持ちかけてもらうと共に、場合によっては和平条約の締結に知恵を貸してもらう必要がある、とまで述べた。

 この点については現在も会議が続いており、現在書面が交わされているフェルド卿との協力関係も、ひとまず暫定的なものとされている。


 また、唯一生存が確認された転移被害者、雨森真輝那は、本人の希望もあってフェルド卿の下で通訳の仕事を続けており、日本政府に要求したものは保護ではなく『両親への伝言』と『メッチャ気をつけてたのに最近ちょっと怪しくなってきた右上の奥歯を診てもらうための歯医者』だけだった。

 この要求により、歯科医一名の世界間渡航が例外的に許可された。


 次いで、転移被害者の一人であると目されていた冴羽梨緒が、アルフェイム人、エナ・フルルティシュトンの証言で死亡していることが完全に判明。

 首相が深い追悼と遺憾の意を表明する(これは日本に古来から伝わる宗教的儀式の一種で、特に意味はないがよく行われる)とともに、現地の言葉で『魔人(DeeVwnと発音する。Deeve=魔・邪悪、-wn=~の人/接尾辞)』と称されるというベネギア人に対する危険視の風潮が高まった。


 そして同様にアルフェイムにいるとされる彼の父親、歴史上最初の転移実験被験者である冴羽義隆博士については、依然、ようとして行方が知れず、第一次調査隊に本人の希望で同行していた弟の冴羽紫音博士は、初期調査が一段落ついたため、アーデルクラム王国の王都クランリッドにまで捜索の手を広げたいと表明し、行動の許可を求めていた。

 無論、調査は調査として継続され、王都へはフェルド卿キララクラムと、通訳の真輝那、また、彼の兄を知る少女エナも同行する予定である。


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