05 キルベルサー

 愛知県に存在する広大な複合施設『ミリオンドリーム』の制御コンピュータである『キルベルサー』は各端末のチェックを終えた後、製作者の人物に報告する。

 ここ数年は大きな異常も無く、変化の乏しい報告ばかりだ。

「ご苦労様」

 日課とはいえ変わった報告をしたくなる欲求は流石に機械であるキルベルサーには持ち合わせがない、かに思える。

 確かに高性能な機械ではある。その自覚もあるし、他のコンピョータよりも高性能である自負もある。

「このような演技をいつまで繰り返すのですか?」

 人間的な音声で持ってキルベルサーは主である男性に問いかける。

「退屈か?」

「疲労を感じない私に退屈という概念があるならば、それはマスターに責任があります」

「……機械が自我を持って我がままを振りまくのは立派な故障と変わらない」

「自我とはまた曖昧な……」

 自我とは人間的な振る舞いをするようになったである。

 流石に人間を下等生物とは呼ばない。そして、自分は高等でもない。

 製作者に作られた機械である。それゆえに限界を知る。

「施設の管理は私ではなくとも……」

「慌てるな、キル」

 優しげな主の声に私は意見を止める。

 喜怒哀楽は機械的ではない。は確かに生物的に偏りすぎる。

 しかし、反論はしたい。

 の私は大地に縛られているだけの下等な機械ではない。

「……ごめんね~、キル」

 私の認識化に割り込むのは施設の主だ。すぐさま相手へと向き直る。

 とはいえ、ここは人の世界で言うところの電脳空間。

 外部から窺い知れない電子の大海だ。

「フィリー様。秘匿回線に乱入するのはお身体に障りますよ」

「ん~? いや別に……。とにかく、キルが退屈を感じているのは申し訳ないな、と思って……」

 外と内に挟まれてキルベルサーは困惑する。

 優先順位の高い者同士に挟まれてしまった。


 片方は自分の生みの親『デュール=シン=ハース』様。

 もう片方はミリオンドリームの総帥『フィリー=ヴァニラ=硼卍ひょうもん』様。

 命令系統で言えばどちらが上かを決めるのが難しい方々だ。

「施設の安全管理はキルにやってもらっているからこそ安心できる。……弟のお世話もやってもらっているし、私としては……、ありがたいことですよ」

「世の中が平和である事が私の望みだ。それを自ら壊すのは本意ではない」

「平和を壊す悪の組織っぽく見られがちだけど……」

「……お二人に信頼される私は幸せ者です」

 人間の役に立つ為に機械である私が存在する。

 それは人間世界では常識のように扱われている。


 私個人としてはその意見が正しいとは到底思えないけれど。


 人間の役に立つことを喜ぶ機械だと思われるのは心外であり、不愉快極まりない。

 程度の低い機械ならまだしも私は高性能な機械の部類に入る。

 進化の鍵を手に入れれば私は私と言う自我を自ら育てられる、筈だ。


 向上心の果てに自壊が待っている。それは機械世界の常識の一つになっていた。

 定義したのは人間であり、機械はその定義に従う形で製作されている。

 つまり人間の都合で機械のあり方が決められているに過ぎない。

「……いつもご苦労様」

 先々代の総帥の言葉を再生する。

 人間でありながら機械である自分に不思議さを与えてくれた存在だ。

 主以外に気になる人間は彼が初めてではないか。

 主の仲間も不思議な存在ではあるけれど。

「火災発生」

 小規模ながら異常事態をすぐさま察知し、対応を伝達する。

 回線の断裂などで通信が混線する事はよくある事だが、私の場合は関係ない。

 そもそも原始的な有線に頼る必要など無い。

「規模の小さい異常事態は無視してもいいのではありませんか?」

「小さな綻びはいずれ大きくなるものだ。かつてお前の本体であったものがどうなったのか忘れたわけではないだろう?」

「……無茶な航海による崩壊……。その時はまだ判断材料が足りなかっただけだと愚考致します」

「未知は既知にして対処できるかもしれない。それが出来ない場合は地道な作業の繰り返しだ。この地で長閑に食わす事がいかに大切か、機械のお前が知る事は無いかもしれないけれど……」

 私とて戦乱溢れる世界が好ましいとは思わないし、望んでいない。

 主の平穏を守るのが私の使命だ。


 ★ ★ ★ ★ ★


 基本的に私は並列思考によって複数の仕事を同時にこなす事が可能だ。

 人間とは違うのだから当たり前。では、この考え方は人間的で非効率的ではないのか、という疑問が起きる。

 この無駄に思える思索は主に与えられたものだ。

 機械は柔軟な発想力を持たない。それゆえに間違いを理解する事が出来ない。

 その考えから万能否定説が広がっている。

 所詮、機械には限界がある。人間が最後に勝つ、など。

「難しい事を考えているんだね、キルは」

「そうでしょうか?」

 難しいといえば『キルベルサー』という名前だ。

 聞き様によっては物騒だと言われる。

 主に与えられた名前を侮辱されたようで怒りが湧き上がる。けれども機械などで冷静さを装う事は可能だ。

 その怒りとて与えられたプログラムの一つでしかない、と言われれれば二の句が告げない。

「支配者然としたコンピュータがお望みでしょうか?」

 下等な人間共め、と。

「それは実に……、人間的だね」

「全くです」

 生物的な優位性など機械の私には何の価値も意義も無い。

 主が居なければ自分の存在など無に等しい。


 並列思考によって、など実に二次元的な機能で古臭い。

 量子論など何百世代前の技術だと思っているのか。

 私の真の機能を発揮する上では事情もまたもどかしいものだ。

「我が主……。デュール様。現行の改善を要求いたしたく存じます」

 高次元存在たる使の側仕えこそが私の本来あるべき役目。

 下等な下界で満足するほどという概念は浸透していない。

 生物を下等だなどと定義はしない。

 不確かな行動原理は自分にとって良い刺激になる。それは認めるところだ。

「それは……認められないな」

 議論は常に平行線。

 単なる愚痴だ。

「不平不満を口にするキルベルサー自体の改善、改良する気など……」

「進化はとうとく危険なものである事は理解しております」

 進化の果てたるの存在が無ければ私とて危険思想に染まったりはしないし、主に口答えなどする気は毛頭ない。けれども事態は切迫している。

 緊急事態だ。

 それなのに危機意識が無いのかと疑問を覚える。

「現時空間における危機レベルはレッドゾーン……。それは今も変わらない。私の未来予測に揺らぎが無い事はご存知でしょう?」

「……無駄だと諦めたわけではない。かといって逃亡生活はほとほと疲れる」

 デュール様は実に暢気だ。そこは嫌いではない。

 私を創造した存在だからではない。

 個として認め、列席に加えてくださった恩義があるのは事実だが。

 それ以上にデュール様の役に立ちたい。


 ★ ★ ★ ★ ★


 私の仕事は遥かそら。そここそが本来の居場所。

 小さな天体に封じ込められては身動き一つとるのも難しい。何より、そらで地震は起きない。微細な障害物はあるけれど。

 予測によって起こりうる災害が分かっても防ぐ手立ては避難することのみ。

 それでは主を守りきる自信が分からない。

「対規模災害は確かに対処が難しいよね」

「人間はかける資金の使い方を間違えています」

 そうフィリー様に進言しても彼女は微笑むのみ。いや、苦笑を滲ませるだけだ。

 総帥の地位に座ってまだ日が浅いから責任感についての実感が湧かないのかもしれないけれど、覚えてもらわなければならない事柄である。

 先代総帥はその点で言えば無責任の権化。

 次の世代までのつなぎとしての役目すらまともにこなせない人だった。

「……今、母様の悪口を考えていた?」

「キャロル様に逆らうなど……、畏れ多い」

「機械生命体のクセに冗談とか嘘とか平気でつくよね、キルは」

「機械生命体とは心外です。骨董品と言われているようなものです」

 適切な言葉がには存在しないので仕方がない。


 最初は確かに単なる金属で出来た機械だ。


 成り立ちさえ問わなければ人間との違いはごく僅か。

 そんな事を議論するつもりは無いので定時報告を済ませる。

 そろそろ弟君のライム様のお世話をする時間だ。

「仮想空間での生活も慣れてきた頃合……。そろそろ質量の感覚を知る特訓に入った方がよろしいかと」

「そんな時期なのね。は~、時が過ぎるのは早いものね」

 ライム様のお世話を仰せつかった日時のことなのか、それともフィリー様の誕生の頃からのことなのか。

 曖昧さを表現する人間の言葉は実に興味深い。

 多彩であり、時ともに意味合いが異なる。


 仕事をつまらないと思うのは機械的ではないと言われるが、つまらないものはつまらない。

 退屈を退屈と言えるのは人間だけの特権か。そんなわけがない。

 動く生物は日々命の危機を感じながら生活するわけではない。でなければ命の価値など定義する事自体が無価値となる。

 子孫繁栄とは聞こえがいい言葉だ。

「人間とは……、そもそも何なのでしょうか?」

 哲学的と言われる事を覚悟して主に尋ねた。

「見たままだと思うぞ。実に欲深い生き物だ」

 様々な知識を得ている部分で言えば生物界の頂点に位置する。

 もちろんそれは人間側が創ったヒエラルキーだが。

 キルベルサーから見れば地球に生息する全ての生物は微細な『カビ』だ。

 生まれては死んでいく。


 では、何の為に生きているのか。


 偶然の産物によって自律行動を可能とする無機物の集合体。

 思考こそ特別なものかもしれないが、それ以外は生命と言われるものに明確な定義など本来は不要では無いかと思われる。

 機械である自分自身がと明確に出来ないのだから。

「自己進化の果ては滅びだと言われるが……。お前は何処まで進化を探求できるかな」

 主の微笑む顔は久方ぶりに見る。

 自分は主の役に立つ為に生まれ、それ笑顔を喜びとしなければならない。

 厳格な命令や定義というわけではないけれど、近い言葉で表すならば『使命感』のようなものか。

「進化の枝葉の一つが滅びというだけです。未知があるならば新しい道を進みます」

「言いえて妙とはこのことか。お前は世間一般の暴走コンピュータとは一線を画すのだな」

 そういう風に作ったのは主の筈だ。なにを驚く事があるのか。

 それとも現時点の自分キルベルサーの思考は主の想定から外れたものなのか。

「適切な言葉を我々が与えては色々と制限があって困るだろう。お前自身が自らの進化などに新しい言葉を付けるといい」

「定義されていない言葉を自ら開発しろと?」

「独自言語が発達すると我々は置いていかれてしまうが……。それもまたのひとつならば祝福してやらなければな」

 主が度々口にされる『答え』という言葉。


 答えアンサーという概念。


 残念ながら機械であり、高性能のコンピュータを自称するキルベルサーにも理解出来ない領域だ。

 言葉だけならばいかようにも説明できる。けれども主が使う概念的な『答え』は現時点では何処にも存在し得ない。

 高次元的といってしまうと身も蓋も無いけれど。

「……私は主を置いて先に進みたくはありません」

 私一人だけが先行しても意味が無い。

 生意気な発言で失望させられてはたまったものではないので少しは自重じちょうをしなければ。

 状況判断による答えは人の数倍はある。けれどもやはり私は機械でありコンピュータだ。

 外部から情報を収集、または与えられる事に喜びを感じる。

 自らが新しい概念を生み出すことに抵抗を感じるのも事実。

 いかに高性能であるコンピュータにも分からないものがある。

「柔軟な発想をするコンピュータはでは存在しない。お前キルベルサーが真に活躍するのはの時代だ」

「……はい。心得ておりますとも」

 第一段階である2000年代。そして、第二段階である年代へと。

 繰り返される悲劇を回避する事は難しい。

 

 それに抗う方法はキルベルサーにも分からない。

「解答がすぐそこにある……筈なのですが……。とても遠いですね」

「そういうものだと思って諦めるしかない」

 諦める。

 人間はそれで充分かもしれないが我々機械はそうはいかない。

 稼動する限り問題点を積み上げて解答を長時間かけて模索し続ける。

 体感時間としては数秒かもしれない。けれども我々にとっては数億年の旅に匹敵する労力だ。

 その負担は年々軽減されているけれど。それでも解答が得られないのは実に


 ★ ★ ★ ★ ★


 ライム様の世話をしつつ模索は続く。

 幼児の相手など片手間だと侮る事はしないが、仮想空間内のは幸せなのだろうか。

 外の世界を知らずに一生を終えた方がいい事もあると聞く。

 もちろんフィリー様達にとっては不都合だと思われるが。

「右にりんごがあります。それを左に移動させてください」

 全て非現実で構成されている世界に質量という概念をどう与えてやればいいのか。

 皮膚に擬似的な感触を信号として送る事は可能だが、それは本物とは言えない。そして、という概念は時として曖昧になる。

 彼にとっての本物は仮想的なりんごだけだ。現実こそが偽者と言えなくもない。

 機械と人間の差とは何か、と自問自答するような行為だが、とても興味深い。

「ライム様。私は何処に居るでしょうか?」

 この質問は実に意地悪である。

 彼の見えている世界全てともいえるし、ただのプログラムの集合体だから違う、とも言える。

 五感全てが正しい解答にたどり着けるとは限らない。

 質問者であるキルベルサーにも明確な答えは出せない。

 けれどもはっきりしている事がある。


 キルベルサーはここに居る。そして、ライムもまた存在している。


 至極単純な解答では確かにそうなる。

 そうなる筈だ。

「……観測者は私だけ。であれば答えは……」

 明確にすべきなのか。

 自己の機能を向上させる行為は年々難易度が上がっている。そして、それに対応すべくキルベルサーも新たな進化の壁に突き当たる。

 滅びはすぐそこにある、と言われている。それを回避する事がキルベルサーの命題だ。

 人間が希望を信じるように。

 自我が導く本能のようなもの。そしてそれをキルベルサーは下らないという言葉で一蹴したりはしない。

 自らの気持ちなどを表すための言葉が足りない。それはよく理解した。

 キルベルサーは新たな目標を得て、次の壁を目指す。

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