01 霏死神ベアトリーチェ
教師の仕事を始めて一年も経たない内に救急車に運ばれること二十回を越えてしまった。
それ程、虚弱体質ではないと思っていたのだが、周りに迷惑をかけてしまうので申し訳ない気持ちになってくる。
体質的に合わない仕事とも思えないけれど。
数人なら何も問題は無い。
二十人以上だから駄目なのか。
自問自答しても答えは出ないし、医者も原因不明としか言ってくれない。
深刻な病気の方がまだ気が楽だと思うことはある。
二重月が昼間でも見える昼下がり。病室からの眺めは飽き飽きしていた。
地球からは決して全容が見えない月の影に隠れる
エターナリィ。
丸い球形の宇宙船で国家が形成されている。
それが『セフィランディア共和国』と呼ばれる彼女『
幼い時に地球に引っ越してから随分と経つけれど、中の様子はあまり変わっていないと思う。
変わっていくのは地球の方かもしない。
どんどん文明が発達し、新しい文化が生まれていく。
つい十年前まで無かったゲームや移動式の電話は
「リーチェ、寒かったら窓を閉めるわよ」
「……ううん。……大丈夫」
側に居るのはベアトリーチェの母親。
『霏死神
『叕夢』の『叕』は第三水準以上の漢字なので一部のコンピュータでは文字化けする。
出会いは宇宙船の中。そこからどういう恋が発展したのかは一人娘たるベアトリーチェはまだ知らない。というか聞きそびれていた。
ベアトリーチェは最初期に生まれた地球人とセフィランディア人とのハーフだ。
宇宙人、という偏見が最初はあったのだが、それらは時と共に薄れている。
今ではハーフは珍しくない。
時代は二十一世紀になろうとしている。
新時代の幕開け。
「あなたの生徒から手紙が来てたわよ。早く良くなってくださいっだって」
「……そう」
「生徒受けがいいのに……。難儀ねー」
ベアトリーチェは生徒達の顔を思い浮かべる。
これまで担当した生徒達は多いけれど、先生が倒れる印象しか与えていないのではないかと危惧している。
長く彼らと接したいところだが、持病のせいでうまく行かない。
多くの視線を受けると気分が悪化する病気。それはまだ症例が少ないらしく、治療法が見つからない。
他の人からは慣れればいい、と言われる。だが、教師の仕事を始めて改善の兆しが見えたことは一度もない。
確かに少人数なら平気ではあるけれど。
多くの生徒を前にすると脳が揺さぶられるようになり、具合が悪くなっていく。
吐血は無いが貧血や栄養失調では、とよく言われる。
食は細いがしっかりと食べている。
運動は残念ながら医者から止められている。
心肺機能が一般人より低い、ということなので。だからといって呼吸が苦しいわけではない。
「少しずつ頑張りましょう」
「……はい」
弱々しく答えているようだがベアとリーチェにとっては元気に答えている。
大きな声を出す事が出来ない。それは精神的な制約のようなものが影響している為だ。
小声でも相手にはちゃんと伝わっている。
生徒達には綺麗な声と評判が良い。
まだ二十代前半の恋する乙女である。
たくさんの恋愛系マンガを買い込み、愛読するのが密かな楽しみだ。
同じジャンルばかりでは飽きてしまうので少年誌も買う事がある。
男の子の好きなものを調べるにはマンガが一番勉強になるからだ。
退院した後、数日間だけマンガを読み漁り、本業に戻る。
教師は自分の夢の一つでもあり、必至に勉強して教員免許を手に入れた。
都会から少し離れた小学校の教師を始めて数年経つが、生徒数が多い教室は未だに慣れない。
生徒達が嫌いなわけではないのだが。
「
「お帰りなさい!」
と、元気いっぱいの生徒達の言葉。
死神はもちろん苗字からの愛称だ。
どうして『
セフィランディアの人間に漢字ブームが起きた事が原因だと聞いた気がする。
だから、変わった苗字がとても多い。ただし、それは日本人から見てだが。
尚且つ、ベアトリーチェの姿も異様と言えば異様だ。
全身のほぼ全てを黒で染め上げたような格好なのだから。
肌の露出がほぼ無い。
素肌部分は黒い包帯状の布で徹底的に包み隠している。
ちなみに黒色はベアトリーチェの好きな色だ。
顔を隠しているのも幼少期のトラブルが原因なので校長は少なくとも事情を知っている。
「……ありがとう。……先生、また倒れるかもしれないけれど、頑張る」
聞くものを
一時間目は滞りなく終えて職員室に戻ると、大きく息を吐くベアトリーチェ。
「……あっは~……」
全身から汗が噴き出すんじゃないかというくらい緊張した。
子供たちの視線に耐え切ったベアトリーチェはその場に崩れ落ちそうになる。
「ご苦労様です、霏死神先生」
「……あっ、いえ……。……
子供達に無様な姿は見せられない。それが大人というものだとベアトリーチェは思っている。
膝に力を込めて自分の席に向かう。
次の授業の準備を整えつつ必要な事柄を記入していく。
普通の事務作業は特に問題なく出来るのに人間相手は苦痛というのか、苦行というのか。
尋常ではないほどの疲労を感じる。
「先生、髪の毛随分と伸びましたね」
「……伸び易い体質みたいです」
真っ直ぐな黒髪で腰までの長さがあったのを首元まで切った。それが数ヶ月で腰にかかるほどの長さになっている。
腰まで来ると伸びは止まるようだが、切るまで気にしたことは無かった。
声が小さいのは顔を包帯で包んでいるからではない。
包帯を取っても同じだ。
「また先生の素顔を見たいものです」
「……機会があれば」
顔を隠しているからといって素顔を見せてはいけない掟は無い。
家族の中でベアトリーチェだけ全身黒ずくめだ。
顔を包帯で包めば他人の視線は全て包帯に向けられるし、自分も視線をあまり気にしない。という考えがあったのだが、甘かった。
向けられる視線はやはり精神的に苦痛だった。
それでも自己暗示的には役に立っているので包帯で肌の露出を抑えたりする事は既に日課だ。
ベアトリーチェの素顔には傷一つ無い。
見る者が見れば美人と言うだろう。
胸も大きめなので子供から大人まで人気があったりする。
学校の中だから大鎌は持ち込めないが、多くの者がベアトリーチェを見れば間違いなく『死神』という言葉が浮かぶ。
物静かで大人しい性格でもある。
なにより本人が死神というキャラクターが大好きだった。
昨今のマンガに出てくる死神はどれも格好が良い。その影響も過分にしてあると思われる。
少し前の死神は死者の姿が多く、おどろおどろしい恐怖の象徴だった。それが今は子供向けに改良されて可愛くなったりかっこよくなったりしている。
死神先生と呼ばれているけれどベアトリーチェとしては恋多き乙女だと思っている。
特殊能力と言えば触れれば霧と化す鎖『
際限なく黒い鎖が出せるけれど、これで物を掴んだり何かを繋ぎ止めておく事はできない。
触れれば壊れて消えてしまうので。
どうして黒い鎖が出せるのか、それは本人も知らない。
物心がついた時は出せてたから。
変な能力は子供たちに喜ばれている。もちろん、害が無いかは徹底的に調べられた。
というか、地球人は元々、よそ者に厳しい性質がある。
宇宙人とのハーフでも疑う種族だ。
それらの検査を乗り越えた者でなければ地球で生活など出来はしない。
「……そろそろ次の授業が始まりますよ」
「では、頑張りましょう」
そうして予鈴が鳴り、次の授業が始まる。
それから倒れずに授業を終えて帰宅する。
慎ましい一軒屋。
宇宙人とのハーフだからといって特別な住居に住んでいるわけではない。
他の者と大差のない一般家庭だ。
父は正真正銘の宇宙人で『霏死神ザイン』という。
街並みに放置すると見つけるのが困難なほど
一目で宇宙人だと思う人はほぼ居ない。
地球に移住して十年以上。
故郷に帰りたくないのだろうかと聞いたが帰るのに五千億円ほどかかると言われた事がある。
それは片道か往復か。
世界の宇宙進出は世紀末に近づくにつれて衰退していった。理由は安全にかける費用が膨大になってきたから。
今は人工衛星とか近場に打ち上げるのが精々だと言われている。
ベアトリーチェも十年ほど住んでいた故郷ではあるけれど、地球での暮らしの方が長くなってきて、忙しいこともあってセフィランディアの事は考えないようにしていた。
向こうに残してきた友人の事は気にしている。
連絡手段も無い。あったところで通信費用が物凄く高いと聞いた覚えがあるので使うに使えない。
宇宙人とのハーフだけど裕福というわけではない。
★ ★ ★ ★ ★
贅沢を言わなければ暮らしにくい事はない。
最初は色々と大変だったけれど。
世紀末が控えているせいか、日本人の多くが元気を無くしている。その中にあって明るい話題はあるにはある。
見た目は黒い姿のベアトリーチェ。彼女には好きな人が居る。
一目ぼれと言ってもいい。
直接会った事はまだ無いけれど、会いたいと思っている男性が居る。
セフィランディアでは有名なその人物は日本ではあまり知られていない。政府が公表を差し控えていると父親から聞いた覚えがある。
だが、セフィランディアでは有名人であり、英雄とまで言われている。
日本人でありながら
その理由として、セフィランディア共和国を治める『シルビア姫』がとても信頼をおいている人間であるということ。
『異世界転移』というマンガやアニメで使われるようになった概念が実は現実に起きていたこと。
歳はベアトリーチェより年上のようで、今も日本のどこかに住んでいる。
地球とセフィランディアの故郷たる星は数万光年では利かないほど離れている筈だ。現代科学の宇宙船でも片道で途方も無い年月が消費されてしまう。
それこそ瞬間移動でもしない限りは到底不可能。
色んなマンガやアニメでベアトリーチェはどれほどの荒唐無稽かは学んでいる。
だが、確かに彼は転移して世界を救った。
正確なことは分からないけれど地球では転移現象は割りとよくあるらしい。
その代表格が『東京タワーの怪事件』と呼ばれているものだ。
マンガやアニメでも題材として
消えた人間は別の世界に飛ばされ、何らかの宿命などを背負って、または背負わさせて転移先の世界を救う勇者になるのが一般的だ。
ただ、それはあくまで日本人から見たマンガやアニメの題材に過ぎない事だが。
そういう文化の無かったベアトリーチェ達からは
この事実は日本というか地球の多くの人達には知られていない事らしい。
空想の産物が現実に起こるはずがないという理由で。
当時中学生くらいだった彼がどうしてセフィランディアの母星に来て世界を救ったのか。
そもそもこの話しには矛盾がある。
セフィランディアを救った時、シルビア姫はまだ生まれていない。
姫は今年で百二十七歳だ。しかも四人の子持ちでもある。
エターナリィが地球近郊に来たのは百年ほど前。
どう考えても話しに整合性が無い。
こういう時は都合のいい言葉がある。
過去にタイムワープした。そうすれば大抵の事は片付けられるし、マンガやアニメなら不思議は無い。
問題があるとすれば
ベアトリーチェは空想が大好きな乙女なので、色々と考察してしまう。だが、少女マンガが多い自分の知識では少年マンガのような発想力が足りなかった。
世界を救った勇者が日本のどこかに居るのは確かだが。
空想の産物ではない証拠というか現象は他にもある。
今も太平洋上に浮かぶ一大帝国。それもまた彼が救った国だと言われている。しかも、ごく最近。
嘘かまことか。
滅び行く星から切り離して持ってきたという。
二年ほど経つが未だに空中に浮いている浮遊する都市。
迂闊に海面に下ろすと水位が上がって世界各地の至る所が水没するといわれているので浮いたままだと言われている。
強風で飛ばされないように重い
セフィランディアとは違い宇宙船ではないので大陸が崩れると色々な大災害が予想される。
「……はっ!? ……つい妄想しちゃった……」
時刻は夜中の八時。
食事にお風呂。また明日も頑張らなければ。と、ベアトリーチェはマンガ本を閉じる。
日本に着てから様々な文化に触れて色々と驚かされた。
農作業が中心のセフィランディアにはあまり娯楽が無い。それが当たり前だと思っていた。
外は暗黒空間。
それでも自給自足の毎日は苦しくなかった。というか十年程度では分からないのかもしれない。
少なくとも姫が故郷を
途中でタイムワープでもして数百年は経っているのかもしれない。宇宙船の中で生まれたベアトリーチェには分からない世界が確かにある。
明日の授業に向けた準備を整えて就寝したのは十時過ぎ。
余裕を持って作業しても翌日になる事が多々ある。今は医師の指導の下、早く寝るようにしているけれど教師という仕事は大変だった。
自分が学生時代の頃は宇宙人という事で差別や偏見が多かったけれど、今はだいぶ認知度が高くなり大きな問題は起きていない。
その頃に比べれば日本は幾分か暮らしやすくなったと言える。
それもこれも巨大複合企業『ミリオンドリーム』のお陰かもしれない。
この企業の支援なくして宇宙人は就職活動が出来ないというほどお世話になっている。
阪神淡路大震災で地割れが起きるほどの被害を
地震大国日本と言われるだけあり、宇宙船で暮らしていた宇宙人にとっては脅威と言える自然災害。
今でも恐怖で身体が震えそうになる。
余震なのか、定期的に揺れを感じる事がある。
母親は慣れているようだが父親はテーブルの下に隠れる。どうやら父親に似たのかな、とベアトリーチェは苦笑する。
そんなことを考えながら服を脱いでいく。
さすがに就寝する時は包帯などは外す。誰にも見られなければいいのだから。
絶対に見られてはいけない、という縛りは無く、家族に素顔を見られて困ることは無い。多くの視線が集まらなければいいだけだ。
翌朝から学校に向かい、授業を始める。
今回の学校は何ヶ月持つだろうか。
都会に近いところは半年以内でクビになってしまうので。
出来れば一年は居たい。
折角教員免許を取ったのだから。
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