第70話呪印
悪魔は肩にまで届く襟足を指で軽く梳きながらセリムを見据える。
(先程の笑み…この状況を変える手段を持っていると言う事か…)
セリムが見せた笑みの意味を考えていた。
極めて厄介な能力を持つワーム相手ーーそれも複数に、防戦一方になっている現状では見せるものではない。
ワームを操っているかもしれない存在まで姿を現したのだ。ここは恥も外聞も捨て、逃げるのが最良の判断と言える。
しかし、セリムは逃げるどころか一歩もそこから動かず、逆に悪魔を挑発するような言葉を浴びせかけた。
余程の馬鹿かただの戦闘狂か。さもなくば死に急ぎ野郎以外考えられないだ行動だ。だが、その笑みが、この場にいる全てに勝てる事を意味しているのであれば、警戒すべき相手だ。
悪魔がここまで熟考しているのは、今までのセリムとワーム達の戦闘に原因があった。
あれだけの数に囲まれているにも関わらず、セリムの肉体には傷が殆どなかった。
普通であれば数十の敵に囲まれて攻められれば、余程の実力差がない限りは一方的にやられ、ボロボロになる。筈なのだが、傷が少ない。少なすぎるのだ。
そこに感じた異質な魂が何かしら作用しているのはでは思わせた。
とは言え、警戒しすぎることもない。一旦頭の隅に追いやる。
現状を見れば数の有利、個々のステータスの高さ、何より"再生"と言う
仮に、切り抜けられたとしてもその時は自らの力でねじ伏せてやろうと思っていた。
「笑みを浮かべる程余裕があるというならば、その笑み、今すぐ消してやろう。我が城へ来たことを後悔しながら死ぬがよい、人間」
決して人間が出せるような声ではない、ノイズがかかったような負の感情が乗った声だ。自身がここの主であり、敵は排除すべくワームに向けて命令を下した。
「やれ、ワームども」
やっと
構えをとりなおし、油断なく周囲のワームたちを睥睨する。一番最初に到達するであろう敵に視線を合わせると自らも走りだした。
瞬く間に縮まる両者の距離。セリムはもちろんワーム達も少しも臆する事なく突き進んだ。そして遂にワームの拳がセリムを射程圏内へと捉えた。
苛烈な殴打の連撃がワームグリードから放たれる。対抗するようにセリムもグリードの拳に正面から自らの拳を叩きつけた。
拳同士がぶつかると周囲に衝撃波が散る。ワームがセリムを押し潰そうと力を込めた時、ワームの腕が熱せられたように赤くなった。
突き出していない手でワームグリードの身体に触れ"振動魔法"により追撃を加えようと手を翳す。
追撃をしようとするが、周囲からの攻撃が迫って来ており、止む無く回避を選択した。空中に飛び上がり、拳をぶつけたグリードに
ステップを踏むようにトントンと他のワームの肩や頭に飛び乗って移動する。
(どの程度効くか… 他に手があるとは言え、効かなかったら…面倒だな)
効いてくれと適当に祈りながら攻撃を捌く。その最中、横目で雷槍を受けたワームグリードよ様子を確認する。
雷槍があたった部分がボコボコと音を立て肉が盛り上がり、再生が始まっていた。だな、再生速度が先ほどよりも多少、鈍ってるように見える。
(効果はあるが薄いのか…)
期待していた訳ではないが、効果の無さに舌打ちする。
戦いにおいて相手の情報を集めることは重要だ。有効な手段、戦術が立てられるからだ。そして策とは失敗した場合に備えて複数作るのが定石。
かくいうセリムも次善の策は立てていた。だが、使うかどうか今一つ踏み切れないでいた。
セリムとワーム達の戦闘を岩に座り眺めていた巻角悪魔は、攻撃を受けたワームを見て目を細めていた。
(再生速度が遅い。速度が落ちている、のか…)
原因は何なのか、魔力が切れるにしては早い。原因を特定するために体内に流れる
赤い瞳の中に黒色の幾何学模様が浮かび上がった。発光のおかげで、妖しい光を放っている。
原因を探るように観察し出す。
それは簡単に発見できた。思わず、鼻で笑う。
「そうゆう事か…」
再生能力を阻害するのに使った手は、魔力を乱すと言うものだ。
この世界において魔力とはありとあらゆるものに用いられている。魔法は勿論のことスキル、一般生活でもだ。
魔力を乱されれれば、魔力を用いた
何らかの対策を練っていれば乱された魔力でも手はある。出来ないならば、前提として魔力を乱されないようにするかことが必須。
戦場で魔力を乱されると言うことは即、死に繋がりかねない。再生"という術を持つワームにとっては余り効果がなかったが。
岩をトントンと数度叩きながら繰り広げられている戦闘を眺める。
(まさか先程の笑みの理由がこの程度ということはあるまい…)
異質な魂…その力を見極めんとセリムに目を向ける。
(…これ、は!? 何だこの内に渦巻く黒く重い…)
巻角悪魔が持つ目は本来、魂などといったものを見る力は一切ない。それ故に本来は見えない。だが、悪魔は見てしまった。見えてしまった。
セリムの内に渦巻く途轍もなく禍々しく邪悪な、呪いとでも呼ぶべき憎悪の塊を。
(この人間は何だ!?…何故こんなものが人間の形をしている)
自身には本来見えないはずのものが見え、挙句それが人間ではありえないものだ。意味が分からないと混乱した。
眼に通常の状態に戻すと、己が見たものの正体を見極めるべく戦闘の行方を追った。
悪魔が混乱しているなどと知る由もないセリムは、四本腕のワームに乱魔を打ち込んでいた。攻撃を繰り返しながら何とか殺せないかと模索中だ。
「フッ!」
黒手袋に付与された"硬化"を使い手袋自体を硬化。さらに"収束"魔法を用いて魔力を束ね硬度を上げている。
繰り出された拳は人型ワーム、ワームユマンの腹部へと吸い込まれるようにして決まった。あまりの威力に背中から衝撃が風となって駆け抜ける。
だが、殺すことは出来ず、直ぐに反撃を繰り出してくる
「円裂波!」
拳技"円裂波"。拳から円状の魔力の塊を射出し吹き飛ばす技だ
吹き飛ばされたユマンだが、その穴を埋めるように次から次へとモンスターが殺到する。
殴って蹴って消し飛ばして投げる。
(数が、多い… 乱魔を打ち込んでも再生能力は若干低下する程度だしよ…)
地団太を踏みたくなる気持ちを堪える。あまりにもしつこいワームの攻撃に、悪魔を倒して何とかするべきか? とも考えててしまう。
とはいえ、悪魔との戦闘中に割り込まれればそれはそれで面倒だ。
(なら、動きを止めるしかねぇか)
スキルを駆使し、ワームの大群の間を縫うように移動する。
肩や頭、膝、尻尾、腕… あらゆる所を踏み台に移動し大群を誘導、最後に中心部から真上にジャンプすると魔法を発動した。
「
バチッバチッという音が響くと、突きだした手にリングの形をした雷が浮かぶ。
程なくして完成したリングが放たれると、地面に触れる数㎝手前で雷円はエコーのように広がっていき、ワーム全ての足元を駆け抜けた。
「ヴィギャ!?」
雷円を受けたワームは、雷で身体が痺れ動きが止まった。これならば邪魔をされない。
呻きながら脱出しようとするが手足はおろか、全身が痺れて痙攣を繰り返していた。
「そのまま大人しっ!」
言いかけた言葉が止まった。
上から巨大な気配を感じ取った。
(何か来る!)
ピキピキと天井にヒビが入り、砂が顔に落ちる。
新手に顔を顰める。砂が口に入り込まないように閉ざす。程なくヒビが一気に数mにも広がった。
そこから出てきたのは最悪な存在だった。
「ヴォォォォォォ!」
姿を現したのは推定体長二十m超えのワームホールだった。
牙が幾列も並んだ口を広げ、セリムを飲み込まんと迫ってくる。
空中では自由に体勢を変えられず、魔法を衝撃を推進力とし回避を選択。
「ぐっ!…」
思考に費やした時間が仇となり、回避が間に合わなかった。外側へと飛び出た牙に腕を切り裂かれた。
"硬化"にて肉体を硬め、"鉄壁硬化"で服と肉体どちらも硬化している。にも関わらず。左腕は服も肉も関係なく裂けていた。派手に血が噴き出す。
そこへホールは尾の叩きつけの追撃。傷に意識が向いた一瞬の隙をつかれ、防御する暇もなく受けた。
派手に吹き飛ばされ壁に激突、吐血する。
「…」
牙によって裂けた腕。尾の叩きつけ。壁に激突した身体がギシギシと痛みを訴えてくる。
ワームホールが麻痺して動けないワームの群れに口を広げたまま飛び込む。悲鳴を上げる仲間諸共地面へと消えていった。
己の甘さを恥じた。
セリムは、ワーム・ホールが戦闘に参加しないことを前提に作戦を組み立てていたからだ。
最初の一度しか姿を見せず、その後は一切出て来なかった。その為に戦闘には参加しないものと思っていた。だが、実際は…だったら良いなと言う願望だったのだろう。
「我が頭に人間風情の血を垂らさないでもらいたいな」
岩に腰掛けていた悪魔が垂れてくる血を避けるように立ち上がった。セリムを見上げる。その目には嘲笑うかのような光を宿していた。
「やれやれ、大口をたたくからどの程度かと思えば…他愛ない。所詮は
壁から抜け出すと、地面へと落下するように降りる。着地するも、受け身を出来ずに地面を転がった。
「そう、だな。確かに、お前の言う通り、だ…」
身体を起こしながら肯定する。
ワームは多種多様な種類に、すさまじいステータスの塊だ。再生と言う反則スキルも所持している。
もしかしたらワームすらも倒せないかもしれない。そうなるとここへ来た意味がない。
死ぬのは嫌だぁとぼんやりと考える。
やらなければいけないことがあるのだ。こんな所で死ぬなど冗談ではない。
腹を括ったセリム。その顔には不適な笑みが浮かんでいた。
「殴られすぎて頭がおかしくなったか?」
「いや、死ぬのは、嫌だと思ってな」
「恐怖を感じたか…だが今更感じたとこで遅い。貴様は我と戦う事はおろか、あやつらにすら勝てはしない。ここでその灯火を費やすがよい」
「あぁ、そうだ。恐怖だ。死ぬのは怖いし痛い、何より苦しい。色々なものを失うからな。泣きたいなんてもんじゃないくらい
それは一度失った事があるからこそ分かる気持ち。
「だからこそ死から遠ざかる術は強くなる事で力をつけること、それしかない。その為に今まで色々殺してきたんだ。人もモンスターも…」
深く深呼吸し気持ちを整える。それから再び不適に笑った。
「悪かったな。ここからが本番だ。それと一つ訂正しとけ。生憎俺は
それだけ言うと無防備にも悪魔に背を向ける。麻痺から回復しつつあるワームの群れへと歩き出す。
ワームホールが喰ったおがげで、多少なりとも数は減っている。それでもまだ相当な数がいるが、セリムは臆することなく進む。
肩から手首近くまで裂けたコートを破るようにして脱ぎ捨てると地面に放りなげる。シャツも左腕の部分を引き千切った。
背を向けたまま首だけ動かし振り返った。まるで見ていろと言わんばかりの眼光を向けて。
(! これは…)
再び歩きだしたセリムに息を飲む。まるで喉に抜き身の刀を突き付けられているような息苦しさを覚えていた。
ワームの大群に向けて走り出すセリム。
物思いに耽るように瞳は閉じられている。一歩二歩三歩…進んでいくと薄く瞳が開かれた。
「
囁くように発せられた言葉。
それは第二次職業、異端児が専用スキル
呟かれた瞬間、セリムを覆うように禍々しいオーラが現れた。
不快。
その姿は生物に本能的恐怖を与える。
死。
黒く染まる姿は命を刈り取りにきた存在に見える。
その姿は生きとし生けるもの全ての脅威。
"死神"だ。
(違和感の正体はこれか!)
己が見た異質な魂。その正体に慄く。
左腕は墨汁でも浴びせられたように隈無く黒く染まり、悪魔の腕のようだ。首も黒くなっているが、所々だ。
死を体現したかのような姿になったセリムは、再度言葉を紡いた。
「…」
言い終えると同時に加速。水を得た魚の如く、先程までとは段違いの速度で走る。
一気にワームたちとの距離を詰めると四本腕のワーム、ワームグリードの手前で減速ーー靴を擦り、砂埃を舞い上がらせながら右の拳で胸部を殴りつけた。
当たった瞬間、今までに聞いたことのない程の大きな音がなった。
ドシン。
グリードが仰向けに倒れた。
殴られた胸部には穴が空き、地面が見えている。今までは殴られただけでは穴が開くことはなかった。
一撃で倒された同胞の姿を目にして、警戒、威嚇するかのように咆哮を上げた。
咆哮が響く中、
≪魂を喰らった事によりその全ての権利が譲渡されます≫
それは死を告げる声だ。
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