第9話 輝いて、消える花火

 あの日、花火に誘う悠真からのメールがなければ、私は何事もなく今も家と図書館を往復するような生活をしていたに違いない。

 そんなのは嫌だった。

 私も、夏を過ごしたかった。キラキラとした憧れのクラスメイトたちのように、遊んでみたかった。だから、必要なことだった。今日を楽しめなければ、全部意味がないものになってしまう気がした。

 

 人で混雑する夜店が並ぶ道を歩いていると、前を歩いていた悠真が振り返った。

「ひとまず色々買って、それから花火見やすそうな場所に移動する感じで良い?」

「いいよー。何買おうかな~……たこ焼きは絶対に買うとして……」

 

 私が返事をしようとする前に、恵未ちゃんがそう返す。

 辺りの店を見ると、かき氷やクレープ、チョコバナナ、串焼きやお好み焼き、焼きそば、綿菓子、お祭りの定番の品々が並んでいる。同じものを売ってるお店でも、店によって少しずつ違うし、値段も違ったりするから、どれがいいかなと迷ってしまいそうだ。

 お金の心配をしなくて良いというのは気が楽で、はぐれないようにみんなで一緒に行動しながら、私はクレープとお好み焼きを買った。焼きそばが入ってるタイプのお好み焼きで、たぶん広島風というものだ。綿菓子も買いたい。でも両手がふさがってしまってもう買えそうにない。

 クレープを先に食べてしまえば……。


「あ、もっておきますよ。さっき袋もらったんで」


 藤下君が私の左手に持ったお好み焼きのパックを見ながらそう言った。彼の右手には既に三パックくらい何かが入っている。


「大丈夫……ですか?」

「大丈夫っす」


 コンビニで会ったとき、暑くて座り込んでしまった感じだったので疲れているのかなと思ったけれど、元気そうだ。大丈夫かな。


「ええと、ありがとう。重くなったら言ってくださいね」

「大丈夫っすよー」


 どういう風に話していいかわからなくて、なんとなく口調がぎこちない気がしてきて、ずっしりと重みの増した袋を横目に、私は綿菓子を買ってしまった。食べるのは小学生の頃以来かもしれない。あとでみんなにもおすそ分けしよう。


「たこ焼き四パックください」


 とても聞きなれた声のするほうを見ると、悠真がたこ焼き屋さんの前でそんなことを言っていた。というより聞き間違えでなければ、四パックと言っていた気がする。


「長峰、お前買いすぎ」

「買いすぎとかない。たこ焼きはいくらあっても困らない」

 

 黒須君が悠真に詰め寄り、悠真はのらりくらりとそれをかわす。二人のやりとりに思わず笑ってしまう。


「悠真、まだたこ焼き好きなんだね。そういえばこの前も買ってたね」

「お祭りのたこ焼きは別格だから。よし、冷める前に場所選ぼう。他に食べたいものあったらその都度買ってくる感じで」


 ずっしりと袋に入れられたたこ焼きをぶら下げて、悠真はそう言った。こういうところは昔のままで、なんだか懐かしい。

 

「って、なんか美味しそうなの買ってる」

「え?」


 悠真の視線が私の右手に注がれる。あぁ、クレープのことか。


「あっちのほうで売ってたよ。気付かなかった?」

「気付かなかった……」


 恵未ちゃんも愛華ちゃんも買ってるけれど、女子三人だけでささっと買ってしまったせいか。しょんぼりとする悠真は、なんだか小さい頃のままのようで、少しだけ可愛い。


「じゃあひとくちなら良いよ」

「買った本人がまだ食べてないのにもらえないって、というかいいよたこ焼きあるし」


 苦笑いしながら、悠真が袋を持ち上げる。


「うわぁ、凛先輩が食べたあとでないと食べたくないって、もうそれ……」

「は……いや、そういうんじゃないし!」


 恵未ちゃんが突然間に入ってきて、それに対して悠真が慌てる。

 あぁ、そうか。そうだ。そんなの、普通に男女の間でしたら、変な勘違いが生まれてしまいそうだ。というか、私もひとくちあげるとか、何を言っていたのだろう。

 けれど、からかわれて慌てている悠真を見るのは面白い。

 楽しそうで、それは輝いていて、私が憧れた光景で……そこから切り離された世界に、私はぽつんとひとり、立っているような感覚がした。


「凛先輩?」

 

 恵未ちゃんが私に声をかけていることに気付いて、はっとする。


「ご、ごめん。何?」

「移動ですよー。何かぼーっとしてたので……どうかしました?」

「何でもないけど、ごめん」

「大丈夫です?」


 こくりと頷く。悠真や、他の友達も私をじっと見ていて、気恥ずかしくなってくる。


「じゃあ、行きましょ~」


 ぞろぞろと移動する中、悠真が隣に来る。みんな前を歩いていて、どのあたりが良いかな、などと話している。たぶん、どこからでも綺麗に見えるけれど、できるだけ静かなところが良いなと思った。


「電車に乗る前も一度座り込んだけど、ほんとに平気?」

「平気、大丈夫だから」


 クレープをひとくち食べて、口の中にふんわりとした甘味が広がる。そのままひとくち分なくなったそれを、悠真のほうに向ける。


「はい、あげる」


 自分でも、なんてことしてるんだろうと思う。でも、食べてくれたらいいな。そうしたら、私もあの中に入れる気がした。


「……いや、良いって」


 そうだよね。その通りだ。あの頃を思い出して、悠真と私の距離が遠くなったと感じる。私が遠ざけてしまったのか、悠真が遠ざかっていったのか、その両方なのか。違う生き物になった私たち。離れた距離を縮める術がわからない。


「昔は普通に食べてたのに……」

「それは……」


 賑やかな辺りの喧騒に埋もれてしまう小さな声でそう言って、クレープを引っ込めようとしたとき、悠真がそれにかじりついた。

 クレープの生地が歯型の形に切り取られて、もぐもぐと食べる悠真の横顔。視界の隅に恵未ちゃんの顔が見えて、私はそっちを見ることができなかった。


「おいしい?」

「うん、うまい。けど、ほら、からかわれるから……」

「……うん」

 

 クレープを食べ終わる頃、川沿いにたくさんの人が座る中、少し空いているゆったりと斜面になった場所を見つけた。悠真と恵未ちゃんが持ってきたシートを広げてくっつけて、そこに荷物を置く。

 男子たちが飲み物を買ってくるからと言って、なので私たちは先にくつろいでしまっている。

 

「浴衣ってつかれるー」


 恵未ちゃんがそう言ってどさっとシートに座り込んだ。愛華ちゃんがその背中をどんっと押すのに合わせて、ぺたりと恵未ちゃんが寝そべった。


「めぐ、これからが花火大会だよ!」


 その通りなのだけれど、私も疲れがどっと出てくる。シートに腰を降ろして、足をさする。歩きにくいし、暑い。足の指もちょっとだけ痛む。けれども、空を見上げると星空がとても高くて、わずかに流れる風が心地いい。

 夜空を見上げていると、突然背中に冷たいものがあたって、びくりとしてしまう。


「な、なに!?」


 驚いて振り向くと、悠真が缶ジュースを手にしていた。冷え冷えになったそれを受け取る。


「お茶とジュースどっちがいい?」

「あ、ええと、お茶で。あ、いくらだった?」

「あとで良いから」

 

 横目に見ると、恵未ちゃんと愛華ちゃんはお金を渡しているのが見える。


「え、でも今」

「良いから」


 なんとなく有無を言わせない強引な感じで、浴衣の時みたいだ。私がお金持ってないと思っているのかな……。きっとそうだ。


「ありがと」


 受け取って、なんだかやっぱり心が痛い。すっきりとしない。

 どんっという音が聴こえた。

 夜空に花が咲いていた。


「あ、はじまった」


 頭上から聞こえる悠真の声は、少しだけ弾んでいた。おぉーという声が、辺りに響く。次々と打ちあがる花火が、空を埋め尽くしていく光景に、思わず私も声が漏れた。


「とりあえずたこ焼きだ」


 たこ焼き四パックの袋を大事そうに抱えて、悠真が私の隣に座る。アルバイトをした本当の理由は、たこ焼きを好きなだけ食べたかったからなのかな、などと思ってしまうほど、満足そうに空を見上げながらもぐもぐと食べる彼の姿は、幸せそうだ。

 私の視線に気付いたのか、悠真が目の前にたこ焼きを持ってくる。


「さっきクレープもらったから。というか四パックは食べきれないからみんなで分ける……」

 

 爪楊枝の先にあるたこ焼きにかぶりつく。美味しい。

 ふと、周りが気になって見渡す。みんなと目が合って、それからさっと視線をどこかに向ける。悠真は、どう見られているとか、気にしてないんだろうか。全てわかった上で、こんな行動をしているのだろうか。


「悠真、みんなで一緒に……!」

「え? うん」


 私は少し焦っているというのに、何でもないことのように悠真は返事をして、残りのたこ焼きを取り出して、みんなでつつきながら空を見上げた。


 青や赤、金色の花々が、夜空に輝いては消えていく。メイクして、浴衣を着て、みんなと一緒に花火を楽しんで、今日の私はあの憧れたクラスメイトのように、輝いて見えるだろうか。

 隣に座った悠真と私の距離は五センチ。シートが狭いから、仕方ない。寄りかかれば、触れてしまう距離。他愛のない話をしながら、その距離がどうしても気になってしまう。


 あれほど綺麗に輝く花火も、一瞬で夜の闇の中に消え去っていく。

 メイクして、浴衣を着て、花火を観に来たというのに、今日という日が終われば、地味で、貧乏で、みじめで、そんな私に戻ってしまう。誰にも見られたくないし、誰とも関わりたくない、そんな姿に戻ってしまう。

 

 今日という日を楽しめなければ、意味がないと思っていた。

 でも、今日という日を楽しむだけでは、意味がないと感じた。

 消え去る花火は思い出として残るけど、私は思い出になりたくはない。あの日の凛は綺麗だったね、なんて思われたくない。


 でも、今日でさえ私は綺麗なのかわからない。輝いているのかわからない。とがった石が心の中で跳ねるたびに思うのだ。

 私は、汚れている。

 

 きっと悠真もいつかは、彼女が出来て、その子と遊んで、私とはたまにすれ違うときに挨拶をするくらいになって、遠くに行ってしまって……。


「凛……?」


 悠真の顔が視界に入る。その後ろでは、先ほどと同じように花火が広がっている。ただ、なぜか視界はぼやけていて、そこでようやく自分が泣いていることに気付いた。


「な……に?」


 自分の手が、彼の浴衣の腕の裾を握りしめていることに気付いて、慌てて離す。


「ちょっとトイレ行ってくる。凛もいくだろ?」

「う、うん」


 咄嗟の言葉に頷く。


「はーい、凛先輩、暗いから足元気をつけてね」


 下駄に足を通して、差し出された悠真の手を取る。

 悠真の手は綺麗で、なのに私の手は……汚れている。それがとても申し訳なくて、それなのに離すことができない。

 メイクと浴衣で飾り立てた私を見て綺麗と言ってくれたけれど、はぎ取ってしまえば私はどうしようもないことをしてしまった人間だ。憧れたものを手に入れたくて、無理をして、欲に目がくらんで、駄目な人間になってしまった。

 

 隠し通して、彼の前では綺麗なままでいたい。けれども、全てを吐き出して、寄りかかって、楽になりたいという気持ちもある。そんな自分勝手な都合を、悠真に押し付けて良いわけがないと、頭ではわかっているはずなのに。

 

 私の手を引いて歩く悠真に、何を言ったら良いのか。


「ごめん」


 必死に紡いだ言葉とともに、溜まっていた涙が溢れた。

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