第7話 好きかもしれない
おばさんに先頭を歩いてもらって、悠真の部屋に向かう。
「悠真、ちゃんと着れたの?」
「たぶん、帯の巻き方あってるのかわかんないけど」
ドアの前でそう声をかけたおばさんは、悠真からの返事を聞いて中に入っていく。十秒ほど数えてから、そろりと首を伸ばして、部屋の中を覗いた。
「ちゃんとできてるわね」
帯を確認してから、おばさんが私の方を見る。続いてすらりとした着物姿の悠真が、振り向いた。
断言できる。
人生で、今、一番恥ずかしい。
「凛?」
「……もう、出掛ける?」
そろりと、顔を全部出して、ドアにくっつけたままの身体を半分だけずらす。
五秒かな、十秒かな、二十秒かもしれない。時間が止まってしまったかのようで、心臓の動きだけが、まだ生きているということを知らせてくれる。
「まだ四時半だから早いかしらね。約束は何時なの?」
おばさんの言葉が、静止した空間を動かしてくれた。
「……あぁ、花火大会の場所の、近くの駅に六時くらい。ちょっとまだ早いかも」
悠真はそう言って、時計を見て、それから窓の外を見た。
「じゃあ、飲み物もってきてあげるから、少しゆっくりしてから――あ、出掛ける前に写真あとで撮らせてね。家の前で」
返事を待たずにおばさんが部屋から出て行って、なんというか、心細い。小さい頃から何度も入った部屋の中に、足を進められない。
「入っても、大丈夫?」
「え? あ、うん」
思わず出た言葉に、悠真も不意打ちを受けたような返事を返してくる。すごく馬鹿なことを聞いてしまった。思い切ってドアから離れて、一歩足を出す。いつも座っているベッド脇の絨毯のところに、腰を降ろす。
「似合ってるかな……」
絨毯の模様を眺めながら、ぽつりと言った。
「……うん」
「悠真も、似合ってるね」
本当は、ちらりとしか見れていないし、似合うとか似合わないとかわからない。おばさんが飲み物を持ってくる足音が聞こえて、お盆の上に乗った麦茶が運ばれてきた。お礼を言うと、からかうような笑顔を向けてきて、そのまま部屋を出ていく。
悠真が麦茶を手に取って、私の前に座った。
話題が見つからなくて、目を右往左往させてしまう。男の子は何を話すんだろう。私は何を話せば良いんだろう。今まで何を話していたんだろう。
「メイクとかしてみたんだけど、変かな。落としたほうが良いかな」
じーっと、悠真が私を覗き込む。
「……可愛い、と思う」
言わせた? 無理矢理言わせた? 歯切れの悪い言葉を、そのまま受け取る気持ちにはなれなくて……。
「なんか、まつ毛長くなってる?」
「あ……うん、そういうのがあるの。普段しないから、変じゃないかなとか、気になって……」
へぇ、と覗き込んでくるものだから、目線をどこにやって良いかわからない。
「うん、可愛い。綺麗だよ」
短くそう言った彼が、私から少しだけ顔を離す。変だとか、気持ち悪いだとか、落としたほうが良いだとか言われなくて、でも心は余計に落ち着かなくなる。なんでそういう言葉を、するするとストレートに言ってしまえるのか。
「ありがと……も、もう出ようよ!」
そう言って思い切って悠真の顔を見れば、彼の顔が一目でわかるほどに、真っ赤に染まっていた。
あれ……。
「うん、そうしようか。写真撮るとか言ってたし……」
ぱっと立ち上がった悠真が外に出ていったので、私も追いかける。おばさんがスマートフォンを片手に出てきて、家の前で悠真と並んだところを何枚も撮られた。
「こうやって並んでるの撮るの、懐かしいわね。うちで花火したときとかに、こうやって写真撮ってたの覚えてる?」
おばさんが撮れた写真を私たちに見せながら、そう言った。覚えてる。けど、もうあの時とは違う。
写真の中にいるのは、まるで――付き合っている男女――のようだ。
他人の目からはどう映るのかを、この前悠真と出掛けた時にも少しは気にしていた。でもそのことを考えないようにしていた。私が中学二年で、悠真が中学一年のときには、そんなことを気にする必要などなかった。
三年の月日が、何もかもを変えてしまった。だから、写真を見せられて自覚する。
恥ずかしい。でもそれが決して、嫌な気分ではないということに気付く。
恐る恐る、悠真の顔を盗み見る。「あぁ、そういうことあったっけ……」と、おばさんの昔話に相槌をうちながら、苦笑いをしている。
私と行くのが嫌だったら、誘われていないはず。もし恋人みたいに見られてしまったとして、悠真は嫌だとか思わないのだろうか。
昔から好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、と、正直にまっすぐにものを言う子だったから、嫌だったら誘わないだろうし、私と浴衣を選んだりもしないはずだ。
そもそも、私が考えすぎで、悠真は何も考えてないのかもしれない。それが一番、ありえる話だと思った。
初めて履く下駄の感触に戸惑いながら、悠真も歩きにくい!と笑いながら、駅までの道を歩く。涼しそうだと思っていた浴衣は、意外と暑くて、早く日が落ちないかなと、まだ明るい空を見上げた。
商店街を通る頃には人通りも多くなってきて、浴衣姿の人もちらほらと見かけるようになった。自分たち二人が、周りからどう見られるのかということが気になって仕方がない。それでも、心がようやく落ち着いてきて、さっきから黙ったままの悠真に話しかける。
この浴衣のことを、はっきりとさせたかった。
「最後に一緒にお祭りにいったの覚えてる?」
「ええと、去年は俺受験で、その前は凛が受験だったから、最後って俺が中一の頃か……」
「そうそう、すごく久しぶりで、ちょっと楽しみ――なんだけど、この浴衣のお金って、悠真がアルバイトで……?」
強引な繋げ方だと、言ってから思った。悠真が固まって、うんうんと唸る。
「……うん。もしかして親に……」
「さっき、おばさんにお礼をって思って、でも、知らないって言われて……」
「ごめん嘘ついたけど、なんていうか」
しゅんとした表情の悠真に、慌てて言葉を被せる。
「あ、違うの……。浴衣、持ってなかったし、前のお祭りで、悠真が『浴衣着ないの?』って、言ったこと覚えてて、憧れというか、着てみたかったってずっと思ってて、だからありがとう。なんだか、すごく悪い気持ちもするけど……」
「そんなこと思わなくて良いよ。勝手に……押し付けた感じだし。なんかほんとは、彼氏とかからプレゼントされたほうが嬉しいものかもしんないけど」
彼氏とかはいないし、好きな人もいない。
誰からプレゼントされたら、一番嬉しかったのだろう……。良く考えれば、心の中に留めておくべきだった言葉を、私は知らず知らずのうちに口に出していた。
「……悠真からで、嬉しかったよ。ありがと」
本心だ。
私は、悠真のことが――。
「……よかった。俺も、覚えてるよ。凛が浴衣着たら、可愛いだろうなーって、あの時思った」
彼が中一の頃だったら、聞き流せた。でも、今はもう聞き流せない。すらりと伸びた背、大きくなった足の動きが止まって、少し微笑んだ悠真が私を見下ろした。前世はどこか外国の、イタリア人とかなんじゃないかと思うくらい、さらりと彼は言う。
「似合ってて、可愛い」
――好きかもしれない。
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