第5話 ふたりの時間


 お昼にショッピングを楽しんで、食事をして、なんだか高校生みたいで、でもそんなことを言えば、きっと悠真も由依のように笑うに違いない。ふやけそうな顔を我慢しながら、フードコートに向かった。


 食事代も出すという悠真をなんとか説得して、パスタを頼む。

 二万円から七六〇円が差し引かれたお金を、家用のお金とは別に管理する。ちくりと胸が痛む。

 向かいに座った彼は、たこ焼きとお好み焼きを買ってきていた。粉もの&粉もの――なことには何も言わないでおく。


「何かあった?」


 悠真の言葉に、私は首を横に振る。

 

 こんな風にふたりで長い時間いることが、久しぶりだった。

 終業式のあの日、悠真が誘ってきたのを断ったことを思い出して、『久しぶり』になったのは私のせいだったのかもしれない。

 悠真の受験のせいでもあるし、その前は私の受験もあったし、気兼ねなく遊べていた頃を思い出そうとすれば、悠真が中一で、私が中二の頃の記憶ばかりだ。

 買ってもらった浴衣が気になって、そわそわしてしまう。


 たこ焼きをぽんっとテーブルの真ん中に置いた悠真が、そのひとつをサクッと突き刺して食べた。パスタとたこ焼きは合わないような気がする。


「何かほかに見るものある?」


 化粧品のことを思い出す。けどその間、悠真は暇にならないだろうか。


「悠真は?」

「ないけど、何か見るなら付き合う」


 付いてこられるのは気まずい感じがして、どうしようかと悩む。悠真が女の子だったら、話はもっと簡単になるような気がした。気持ち悪いとか、してもそんなに変わらないんじゃとか、そんな風に思われる気がした。

 そういうことに興味を持っていると、知られるのも少し嫌だ。


「悠真は何か適当に見ててよ。えと……」


 何か理由を探す。一緒じゃ困る理由を。


「下着見たいなとか思ってたから、一緒に行ったら変かもしれない」


 少し慌てた表情の悠真につられて、私も内心慌ててしまう。残ったたこ焼きをふたりでつついて、「本屋さんとか見てくる」と言った悠真を見送ったあと、急いで化粧品売り場に移動する。隠れて悪いことをしてる後ろめたい気分は、ガラスと照明と、きらきらと光る売り場の光景にかき消された。


 大人っぽい空間に、入ってはいけない気がして踵を返す。

 エスカレーターの傍にある売り場の案内図を見る。どうしよう、下着を買って、戻ろうかなと考えたところで、ドラッグストアの文字が目に入った。

 救われた気がした。きっとあのきらきら光る売り場で取り扱っているものは高いに違いないし、ドラッグストアで売ってるコスメだったら、私が買ってもおかしくない気がした。

 由依はどこで買ったんだろうと思いながら、ドラッグストアに入る。この前教えてもらって、携帯に忘れないようにメモしておいたリストを片手に、普段、通り過ぎるだけのコーナーに足を運ぶ。


 何種類もあって、どれが良いのかわからなくて、手にとって説明を読んだりしているだけで、二十分程過ぎた。あまり長くいると変に思われないかなと、周りをちらりと伺って、ため息をつく。

 

 ビューラーやマスカラのようなあまり悩まなくて良い感じのものを先に小さなカゴに入れて、クリーム、アイラインはブラウンが良いと言われてたので、迷いながらもカゴに入れていく。

 色付きのリップが、目に留まった。『しっかり発色なのにナチュラルで、これ一本で大丈夫』みたいな説明が、簡単そうに見えた。

 変だったら、すぐ拭き取ってしまえば良いと思って、思い切ってカゴに入れる。最後に化粧落としを忘れないようにして、『拭くだけ』と書かれている商品を手に、レジに持って行く。

 お金を支払って、いつも通りのドラッグストアの袋に入ったそれを手にする。全部で五千円ちょっとだった。さっきの化粧品売り場で買っていたら、きっと高かったに違いない。

 生活必需品じゃないものを、こんなに一気に買ったのは初めてで、浮かれてしまう。

 けれども、少しだけ胸が痛い。


 携帯を見ると40分は経っていた。もし袋を見て何か聞かれたら、下着を見たけど買わなくて、ドラッグストアでちょっと日用品を買っていた、ということにしよう。中身は絶対に見せない。

 メールを送る。


『終わったよ』

『わかったー。今どこ?』

『結局買わなくて、ドラッグストアで日用品買って、今1階のエスカレーターのところ』


 しばらくして悠真が上の階からエスカレーターで降りてきた。


「じゃあ帰ろうか」

「うん」


 母に見つかることだけは避けたかった。浴衣をプレゼントしてもらって、化粧品も買ってもらったことにしても、合計すれば一万円を超える。こんな風にものをもらったら、きっと母は悠真の家に連絡するだろうし、どこかで嘘がばれてしまう気がした。

 説明できないお金で買ったものを、家に持ち帰るのは避けたくて……悠真の家に置かせてもらって、お祭りの前に準備すれば……。

 でもそうすると、悠真に化粧とかするのがばれてしまう。

 どう思われるだろう。

 どっちみち、お祭りで浴衣を着てメイクをして会ったらばれてしまうのだから、悩むこと自体が変な気がしてきた。頭が混乱して、どうしようもなくて、母親に知られるのだけは、避けたい。

 

「このあと悠真の家に行って、浴衣とかお祭りの日まで置いてても良い?」

「え、どうして?」

「悠真の家にお祭りの前行って、そこで着替えてからみたいな感じで考えてて」

「そっか、うん。良いよ」


 拍子抜けするほど簡単に頷いてくれて、安心した。

 去年の夏から、今年の一月くらいまで、勉強を見る名目でわりと頻繁に訪れていた彼の家が近付いて来る。こんな風に、勉強のこと以外で訪ねるのは、久しぶりのことだった。

 普通の一軒家。それは私から見ると普通ではなくて、広くて、綺麗で、憧れてしまう。

 

 掃除の行き届いた玄関を上がって、悠真の部屋に向かう。ベッドと机とクッションがあって、変わったことと言えば、机の上の教科書が高校のものになっていたことくらいだ。


「座っててよ、飲み物とってくる」

「うん」


 絨毯の上に座って、悠真が置いていった浴衣の袋の片方を開ける。買ってもらった浴衣を、あらためて見る。あのときは百合の花が可愛い気がしたけど、こうして改めて見るとアサガオも可愛い。

 小学生の頃、クラスメイトみんなで育てた記憶がある。咲いても、でもすぐにしわしわになってしまうそれを水につけて、色のついた水を作った。綺麗だった。


 買った化粧品も浴衣と一緒の袋に入れてしまって、脇に寄せる。

 麦茶を持ってきた悠真が、それを絨毯の上に置いて、ベッドに座る。「暑かったー」と言って悠真が仰向けに転がった。その光景が、彰人さんがソファーに座っていた姿と重なってしまって、思わず目を背けてしまう。

 男の人はそういうのを本当に、したがってるのかなとか、悠真はそういう気持ちが出てくる年頃なんだろうかとか、色々と考えてしまう。


「夏休みって、何してるの?」

「うーん、友達と遊んでることが多いかな。しばらく勉強はもうしたくない」

「そっか。この前ごめんね」

「この前?」


 起き上がった悠真が、私を見下ろす。

 あの日、断ったことが引っかかっていて、つい口に出てしまう。


「終業式の日」

「あぁ、別に……なんていうか、嫌だったら誘わない」

「嫌とかじゃなくて、友達と遊んだほうが楽しいんじゃないのかなとか思って」


 言ってしまったあとに、なんだか拗ねているような言葉にも思えて、悠真の顔を見てしまう。その表情が少し悲しそうに見えて、「違う、なんというか、男の子同士のほうが……みたいな意味で」と、慌てて取り繕う。


「それは……うん、あんまり女子のこととかわかんないけど……凛と遊んでて、楽しくないとかじゃないから。凛は凛だし」


 小さな声で、ぼそぼそと自信なさそうに言って、悠真は私の前に座った。悠真が続ける。


「なんか嫌だったら言ってよ」

「嫌とかは、全然なくて……」


 こういう感じじゃなかったのに、空気に耐えられなくて、何を話したいのかも自分ではわからなくて、楽しく遊んでいたころのことを必死で思い出す。中学の頃一緒に遊んだゲームのことを思い出して、咄嗟に口を開く。


「ねぇ、久しぶりにゲームしようよ」

「あぁ、うん。いいよ」


 リビングに移動してソファーに座る。彼がテレビの横の棚からゲーム機を引っ張り出してきて準備する姿を眺めていた。


「そういえばゲームとかずっとしてなかったんだよね」

「全然ってわけじゃないけど、受験でほぼ禁止されてたから」


 苦笑いをした彼が電源を入れると、懐かしい画面がテレビに映った。

 操作を思い出しながら、小学校や中学校の記憶が蘇る。

 悠真は持ち主だからやっぱり強くて、なのでずっと負けが続いたときには、直接的な邪魔をしたこともある。

 腕を掴んだり、くすぐったり、悠真の顔の前に手の平をかぶせて、一瞬だけ目隠ししたり。邪魔をする私が片手になってしまうので、それでもあまり勝てることはなかったけれど。


 ――負け続けている。

 持ち主なんだから、手加減して、少しは勝たせてほしい。


「ずるい、強い」

「ちょっ――なんだよ」


 私の左で笑いながら抗議の声をあげる悠真の腕を掴んで、操作の邪魔をする。体重をかけて押し倒そうとするけれど、大きくなった悠真は昔みたいに転がっていかない。


「転がらない」

「成長したからな」


 少し気取った口調で、勝ち誇った笑みを浮かべる悠真が腕を動かして、こっちに振り向く。すごい力でソファーに倒されて、天井が見えた。コントローラーを手放してしまっていた。

 ゲームの音が聞こえてきて、私は悠真の腕を離した。右肩に、悠真の手が当たっている。少しだけ重い。

 天井から視界を少し下げると、悠真が私の身体を見ていた。


「ごめん」


 そう言って、笑顔の消えた悠真が私から手を離す。

 起き上がって、ワンピースの肩の布がずり落ちてしまっていることに気付いて、慌ててもとに戻した。


「ええと、もう一回勝負!」


 居心地の悪い空気をかき消したくて、コントローラーを掴んで、大きめの声で言った。悠真が返事をしてくれて、少しだけ安心する。

 楽しい。けど、もうあの頃には戻れない。

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