伝やんとお稲荷さんのばっちゃま

・・・伝やんお稲荷さんの崖に通う・・・

 伝やんは、もう四日も続けてこのお稲荷さんの崖にきているのである。

春先だというのに耳当てを付け、後ろに首当てまで付いた防寒帽を被り腰にはしょいヒモを幾重にもくくりつけた異様な恰好で通い続けているのである。

それも薄暗くなる宵の口である。

 お稲荷さんの崖下は、三十段くらい急な石段が続きそこからは三百メートル位の物凄い急な崖道である。

 人二人がやっとすれ違えるほどの細道で左側に竹薮がツタ類にからまれ鬱蒼とせり出し、その根本の岩石の間からは湧水がいたる所から染み出し崖道を覆い、右方に下方に流れ出している。

 右側は、落ち込むような崖の淵に雑草がまるで小木の様に大きく生い茂り、崩れ落ちた岩石が所処にゴロン、ゴロンと引っ掛かり蔦、ヤブガラシが幾重にも絡まりあっている。

 夏でもひんやりし、日中でも薄暗い感じである。


 伝やんはこんな所に、四日も通っているのである、しかも夕暮れ時にである。


(今日いなかったら、やめるべ!)


恐る恐る石段に足をかけながら、伝やんは自分にそう言い聞かせていた。

 いつも、いつもこの石段を心臓が張り裂けそうになるほど、ドキ、ドキし首を前に出せるだけせり出し、ネコの目ん玉のごとく、目ん玉を広げられるだけひろげ、

ソロリ、ソロリと石段を降りきって二十歩、三十歩進んで何もない事に内心ホッとして、また引き足、さし足、引き返し階段を登り、町中へ出て、あの広い明るい一本道の農道を通って那珂川の橋を渡り興野の部落に帰っているのであった。


(俺は絶対捕まえてやる!あのキツネめを、だけど、いなければ仕方なかっぺ)

今日いなかったら伝やんの言い訳が立つのである、大義名分が伝やん自身に立つのである。

明日から来なくても良いのである。

もう一人の伝やんに、


「お前は頑張った。けどいないのなら仕方ない、明日からここへは来なくていい」


と言えるのであった。

 なんとなく気が軽くなった伝やん、

 それでもソロリ、ソロリと石段を降りていく。

 階段の中段位まで今日が最後だと念じ、降りて行く。


・・・それからほんの数秒もしない内だ。

伝やんの血という血は充血し、逆流してしまった。

足は、石段にピタリと吸いついて止まり、手は傾いた体を支えるかの様に宙を押して止まったままだった。

目は、今度はカエルの目の様に飛び出しある一点を凝視したままだった。


石段を降りきった所に何かがある!いや何かがいる!

締め付けられる様な心臓に口をパク、パクさせながらソロリ、ソロリと二歩、三歩と階段を降り・・・


(絶対ごみ屑だべ・・・絶対ごみ屑だよ)


心に念じながら祈り続けたが、闇になれた伝やんの目ん玉に映るのは、


 伝やんを凝視する大きな目ん玉であり、

 ほっれきった髪の束であり、

 竹笹がこびりついた様な汚れきった半纏はんてん

 いや、何かの物であり、何者かのようでもあった。


「出た!」


・・・悲鳴と叫び・・・

一瞬足は、半回転し、石段を登り始めようとしたが後ろを向いた瞬間に伝やんの体は、宙に浮き、石段の下に叩きつけられるか、はたや右の崖下に放り投げられる錯覚に襲われ、暫く動くことができなかった。

 あの物体が、枯れ木のような手らしき物が、フラ、フラと動きゆっくりとコイ、コイと伝やんを招いていた。

 伝やんは、その凝視する目ん玉に操られるように、夢遊病者の様に、フラ、フラとその汚れ切った物体に近づいてしまったのである。

 その物体は大変年老いた小柄な薄汚れたバッサマであった。

伝やんは、薄汚れた小柄なバッサマを見て、

始めて少し余裕が出てきた。

そして、


(この野郎!今度はバッサマに化けて、この俺をまた騙す気だな、ふざけるんじゃない!)


ムラ、ムラと恐怖を通り越し反対に怒りが沸き上がって来た。

出来るだけやさしい声で、

そして落ち着いて、


「バッサマ、バッサマどうしたや、大丈夫か」

「いや、兄ちゃんおらあ、下平のもんだけど、ここまで来たら階段で足くじいちゃつて」

「おまけに、雨も降りだし、痛いし、滑るし危なくってどうしたもんだ、困っていたんだっぺ」


腰にまいた腰ひもを左手に二~三度くるりと巻き付け、防寒帽の首当てがしっかり首を守っているかを確かめ。


「バッサマ、そりゃていへんだ、お、俺がおぶって行ってやっぺ」

「ほれ、しっかり、つかまれや」


伝やんはバッサマを負ぶいながら、みんなに聞いていた茶飲み話を必死に思いだしながら繰り返していた。


 たった一人、興野でキツネめを捕まえた秀やんの話。


「キツネめ、灯りが見えると逃げる気になっから、絶対に逃げられないように縄か、何かでしっかりと、すぐ括り付けないとなんねえど」


酔っぱらった村の親父連中の話、


「稲荷様の崖道にゃ、時々綺麗なオナゴがでんだ、そして、怖くて一人では帰れないんでご一緒させて下さいなんで小声でささやくんだ。そして途中まで降りてくると必ず姿を消してしまう。ほらあの崖の途中にある水飲み場、あそこだんべ」

「あそこまできて、後ろふりむくともういねえんだ。オナゴがいねえんだ」

「そうだそうだ。あそこまで来ると不思議にオナゴいなくなるんだよな~」

「俺も、あそこでカカアに買ってきた土産取られた。」

「俺なんか、下まで降りたらついて来てるはずのオナゴいねえの始めて気づいてよう、カカアに買ってきたモンペと土産の菓子袋そっくり無くてよ、てえへんだったよ。あんたモンペ代まで酒飲んでしまったんじゃねえのってよう」


そう言い合って大笑いして


「水飲み場迄来ると、もう下の下平の灯り見えからよう・・・キツネも逃げ出すんじゃねえの」


伝やんはもう怖いのも忘れ必死に


(ヒモ、水飲み場、ヒモ括る、水飲み場)


と繰り返しながらバッサマを負ぶって崖坂を一歩、一歩降り始めていた。

崖下の途中に竹といで出来た水飲み場がうっすらと姿をあらわした。

水飲み場が見え始めた時、伝やんは言った。


「バッサマ、真っ暗だし、あ、あ、雨も降っているし、足滑ってあぶねえから、しょいっこ紐でもう一回しっかり負ぶうからよ」


「で丈夫だ、しんぺえ(心配)ねえ、こんままでええよ~」


「いいから・・・いいからあぶねえべ」


伝やんは無視して、しょいっこ紐を結びなおし、しっかりとバッサマを背中に括り付けた。


水飲み場は、もう後七歩~八歩に近づいていた。

伝やんの血流は、ドックン、ドックンと波打ち逆流を始める。

竹といに流れ落ちる湧水が、ポチャ、ポチャ、ポチャ~ンとやけに大きく響きだし、伝やんの背中には、全神経が集中した。

 背中がピリ、ピリと痺れ、足はこれ以上は開かない程に大股になっていた。

 ドスン、ドスンと大股になっていた。

今まさに水飲み場を通り過ぎようとした時・・・


「アンちゃん、アンちゃん」

「苦しいべ~もっとちょつくら、ゆっくり行くべ」

「しょいっこの紐、少しゆるめるべ~アンちゃん」

背中のバッサマは伝やんの腰の辺り、脇腹辺りを数回コツ、コツと小突いた。


「うわ~なんだ、なんだ」、「こいつ何する気だ~」


伝やんの体は、二度~三度ピク、ピクと大きく硬直しドクン、ドクンと逆流していた血流は全て両足先に流れぶったまった。

 それがいっぺんにはじけた様に、伝やんの体は、大きく飛び跳ね、宙に舞った。


「ヒェー」、「ヒェー」


叫び声は、崖坂にこだました。

伝やんは、真っ暗な崖坂を転がるように駆け出していた。

眼下に灯る小さな灯りを頼りに・・・


 背中のバッサマは驚いた。

アンちゃんが、いきなり叫び声を上げ駆け出したんだから。

ドスン、ドタ、ドタと飛び跳ねる度にしょいっこ紐がバッサマの脇下や両足の膝裏に食い込む。

頭は何度も何度も、伝やんの後頭部に頭突きをかますかの様に打ち付けられた。

「痛えべや・・・痛えべや」


「アンちゃんどうしたべや、ほれ、下ろせ。死んじゃうべや、ほれ下ろせ」


バッサマも必死である、伝やんの頭を後ろからぴっぱり、たたき、捻じ曲げる。


(ナンマイダブ、ナンマイダブ)


小石を蹴上げ、砂利を踏み、水をはじき、伝やんは闇の中を念仏を唱えながら、転がんばかりに、つんのめり駆け、降りる。


 この異様な雰囲気に先ず最初に気づいたのは・・・崖下の犬どもであった。

「ウー、ワン、ワン」、「ウー、ワン、ワン」唸り吠えだした。


(やっぱり・・・背中はキツネめだ。犬が唸っている)


伝やんの恐怖は頂点に達していた。

伝やんの姿は、崖下の家々の灯りに映し出される位にまで、家々に迫っていた。

 

 犬どもの異常な吠え声に・・・数人の部落の男どもが・・・


「なんだ!」、「どうした・・・何事だ!」


家々から、おっとりがたなで顔を出した。

その目前を、バッサマを背負った異様な風体をした男が転がんばかりに駆け抜けていく。

バッサマは叫ぶ!


「助けてくれ、殺される、助けてくれ、殺される」


慌てた男どもは、手元の棒切れ、鍬を手に駆け出した。


「人さらいだ。バッサマさらいだ」

「てえへんだ!みんな出てこい、バッサマさらいだ」

「バッサマが、さらわれた」

伝やんはもう、何もわからなかった。

家々に囲まれた細い砂利道を、かっとび、田畑に向かうぬかるんばかりの畔道を、ぶっとんだ、ただただ両足だけが、暗闇を舞い、踏みしめ、ぶっ飛ぶ。


 伝やんの頭の中では、


(仲間を取り返そうと、何匹ものでっけいキツネ共が、逆毛を立て牙をむき、追いかけてきていた)


追いつかれたらかみ殺される。

あの広い農道まで、

あの道路の街灯まで、


 灯りを目指して必死の伝やんは、何度かあぜ道の凸凹に足を取られ、つんのめる。

泥は顔に跳ね、目に、口に飛び込む、心臓はぶち破れんほどにでっかくなり鼓動する。

 もうちょつと、あそこまで、そう思った瞬間、

伝やんの片足は思いきっり、あぜ草に覆われた小石にからむ、小石の上であぜ草がつぶれてすべった。

伝やんの体は大きく右に傾き、そのまま半回転し勢いをつけて宙に舞いあぜ道の田んぼにつ込んだ。

 もうろうとする意識の中で・・・

でっけいキツネ共がすざまじい唸り声をあげ、伝やんに迫っていた。

背中のキツネめも、勝ち誇ったように、とうとう伝やんの防寒帽の首当てをとおりこして、そのするどい牙を伝やんの首筋にあてていた。



 


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