第5話

 この王国を治める王、騎士王、そしてアテナ様の意向により、行われる戦争は基本的に自衛を目的としたものに限られている。

 三者とも争いを好まない温厚な性格であるから当然と言えば当然だ。

何より、たとえ王都騎士王が争いを好む人であっても、守護神として君臨しているアテナ様が侵略を目的とした戦争など許さないだろう。


「よくぞ仲間を守ってくれた。アイギス、ガラテインの両名の功績を称えたい」


騎士王からの言葉と共に、広場に集まった騎士たちから盛大な拍手が送られる。

私は戦争の途中に負傷でリタイアしているから、こんな式典で恥を晒すわけにはいかないと言ったのだが、仲間達に根負けしてこうして大勢の騎士達の前に立っている。特にガラテインは、「負傷した後も隊全体の統率を図っていたのはお前だ。お前が受勲せんというのなら俺も辞退する」などと言い出したため、辞退するに出来なくなってしまった。

 式典が終わると、以前ガラテインと共に行こうと約束した店の前に隊の全員で来ていた。


「「「乾杯!」」」


 全員でエールの入ったジョッキを掲げ、そして一気に口元へと傾ける。

 喉を通り過ぎる爽やかな刺激と、鼻と舌に芳醇な果実の香りが満ちていく。

 身体にエールの香気が染み渡ったところで、例の今まで見たことのない料理が運ばれてくる。

 小麦粉を練った皮に、野菜や肉がくるまれている。とろりとしたソースの艶めきがなんとも食欲をそそる。

 がぶりと噛みついた瞬間に、肉汁やらなんやらが一緒くたになって口を満たす。

 うまい! 思わず心の中でそう叫んだ。エールとの相性も抜群だ。


「これはうまい! なあアイギス!」


ガラテインが言う。これには全く異論がない。

私が「いくらでも食べられる」と返すと、「では勝負するか?」とガラテインが吹っかけてくる。良いだろう。その勝負乗ってやる。



「お二人とも、無茶しすぎですよ……」


 店を出たところで動けなくなった私とガラテインを見て、オルファが若干呆れたように言う。

 あまりに料理がうますぎたのと、受勲で少し気持ちが高揚していたためだろう。

 いつもならこんなになるまで飲み食いしたりしないというのに……。


×××


 随分と懐かしく感じる。

 丘を登っていくと、見慣れた教会が姿を現す。

 以前来た時から、かれこれ三か月は経っているだろう。

 草原はいっそう緑を濃くし、色とりどりの花びらが風で舞い踊っている。

 彼女は来ているだろうか?少し不安になる。いや、私は祈りに来ているのだ。彼女がいなかったところでやることは変わらない。

ガチャリ。扉を開けると、教会内は暖かな光に包まれていた。

誰かがいる様子は無い。

いつも彼女が座っている最後列の席を見るが、やはり誰もいない。

彼女といるとき、いつも自分が座っている席で少し待ってみる。やはり来ない。

当たり前といえば当たり前だ。

遭遇率が高いので勘違いしていたが、彼女も毎日ここに来るわけではないのだろう。偶然、彼女と私の来る日が同じになることが続いただけだ。

毎度毎度会えるなどと思ってはいけない。

大人しく目を閉じ、祈りを捧げる。

体感ではそれほどの時間が経ったとは思わなかったが、まだ日が昇りきる前に来たのに、いつの間にか空が赤く染まっている。

私は、こういった穏やかな時間が好きなのかもしれない。

驚くほどに時間の過ぎた窓の外の風景を見て思う。

また少し時間が経って、外は完全に暗くなっていた。

今日は会うことが出来なかったが、また明日来ればいい。

 扉に手をかける。取っ手を引くと、扉が思った以上に軽い力で開き思わずのけぞってしまう。


「はぁっ、はぁっ、良かった。まだ、いてくれたのですね」


 開いた扉から私の胸に飛び込んできた彼女は、息を切らしながら笑顔を見せてくれる。


「こ、こんな遅くにパルテノンを出ていいのですか?」

「だ、大丈夫です。」


 息と服装を整えながら、彼女は椅子に座る。

 とりあえず私も隣に座ってみる。

 グルルルル。腹が鳴った。


「そ、そういえば! 少し料理というものに挑戦してみたんです!」


 私の腹の音を聞いてか、彼女がそんなことを言いだす。

差し出された箱からは、確かにいい香りが漂ってくる。


「あ、アテナ様が作ったのですか?」

「は、はい……。し、失敗ばかりでおいしいかどうかもわかりませんが……」


 箱を開けると、中の料理は確かに少し焦げていた。

 オムレツを少しつまんでみる。


「ど、どうですか?」


 彼女が、祈りを捧げるように手を合わせながら私に聞いてくる。

 神に祈られるというのは、なんとも不思議な経験だ。


「少し……、苦いですね」

「そ、そうですか……」

「でも、おいしいと思います。少なくとも私は」

「そ、そうですか!?」


 正直に伝える。

 味付けは私好みだった。苦いというのも本当だ。

 その後も、彼女は料理を食べ続ける私をまっすぐに見つめてきていた。

 初めての料理で不安なのはわかるが、少し食べにくいな。


「ごちそうさまです。おいしかったです」


 箱を彼女に返しながら言う。

 空腹だったおかげか、自分でもわかるほど幸せそうな顔をして食っていたように思う。

それにしてもだ。焦げていた部分を除き、味付け自体は凄くしっかりとしている。


「初めてとは思えませんね……。塩加減も絶妙でした」

「それは、色々と手伝ってもらったので……。ひ、一人では本当に何も出来なくて……」


 自信なさげに彼女が言う。


「…………たいです」

「え?」

「また、食べたいです。また、作ってきてははいただけませんか?」

「はい! また作ってきますね!」


×××


「おかしいと思ったんだ。アテナ様がいきなり料理など。お前が作らせたのか?」

「ち、違います! 私が自分から作りたいと思ったから……」

「これもお前が言わせたのか?」

「そうじゃないんです! 話を聞いてください!」


 パルテノンの前で、私は門番の女性二人から尋常でない殺気を受け続けている。

 いや、女性だと思わない方が賢明かもしれない。

 パルテノンの門番に選ばれるのは、幼少から特別な訓練を受けた女性達の中から、さらに選ばれ抜いた精鋭だという。

 その精鋭が二人、私を睨んでいる。本当に恐ろしい。


「アイギス、お前の勇名は届いている。だが、アテナ様に手を出してタダで済むと思うな。如何に王国の勇者であろうともだ」

「ジェルミ! やめなさい!」


 ほんの一瞬き、喉に突き付けられた槍の切っ先が寸前で止まる。

 もしアテナ様の声が無ければ、首が飛んでいたのだろう。

 遅れてやってくる認識に、呼吸が止まりそうになる。


「どいてくださいアテナ様。貴女を貶めた彼を、殺さなくてはいけません」

「ミニア! 剣を収めなさい!」


 ジェルミと呼ばれた門番の後ろで、もう一人の門番の女性――ミニアが大剣を抜く。アテナ様が必死に止めてくれているが、ミニアのぞっとするような剣気が肌を刺してくる。


「私は彼に何もされていません! 共に教会で祈りを捧げ、夜遅くなったので送ってもらっただけです! 彼を傷付けるのは私が許しません!」


 アテナ様が必死に叫ぶ。

 深いため息をつき、ミニアが大剣を収める。


「アイギス、貴方は王国に尽くす素晴らしい騎士だ。貴女をここで失うことは、アテナ様にも痛手となる。それは私達の望むところではない。今宵は見逃すこととしましょう。アテナ様に感謝することです」

「だが……」


 ミニアの言葉を引き継ぐように、ジェルミが口を開く。

槍の切っ先は、まだ喉元に突き付けられている。


「二度とアテナ様に近づくな。次は無いぞ」

「わ、わかった……」


 私が応えると、ジェルミは槍を収める。

 向きを変え、私はパルテノンを背にする。


「アイギス!」


 一歩目を踏み出そうとしたところで、アテナ様に呼び止められる。


「ごめんなさい……、こんなつもりじゃ……」


×××


 今日も彼女は来ない。

 夜も遅い。もう帰らなくては……。

 彼女と最後に会ったのは一ヵ月前。

 まだ、彼女とは一度も会えていない。

 あの時のことを思い出すと、今でも悔しい。

 強くなったという自負はあった。

きっと、一歩ずつでも彼女を守れる存在に近づけているだろうと思っていた。

 だが、現在彼女を守る存在である門番の双子――ジェルミとミニアの強さは、私より遥かに上だろう。

事実、私はアテナ様の声で槍が止まるまで、攻撃されていると気づくことすら出来なかった。

今……。少なくとも今、私が彼女を守ると言ったところで、それは唯の夢でしかない。誰に話したところで笑われるだけ。滑稽な道化だ。

強くならなくては……、強くならなくては、彼女の近くにいることは許されない。

少なくとも、あの門番の双子より彼女を守る存在にふさわしいと証明出来なくてはならない。


×××


 木刀の刃が頬をかすめる。

 かすり傷を恐れていては、こいつには勝てない。お互いにわかっている。

 木の槍を振るい、足元を払う。躱すために一瞬跳躍した身体を、返す槍で狙う。

 パキンと音がして、木刀の一本を叩き折る。

 舞う刀身が地面に達する前に、もう一撃を狙う。

 しかし、奴のもう一本の木刀に迎撃され槍が真っ二つになる。

 武器は無い。だが、ここで引くわけにはいかない。誰よりも強くならなくてはならない。そのためには、武器が折られた程度で敗北などは許されない。

 宙に舞う折れた木の槍の切っ先を捕まえ、奴の喉元へと走らせる。

 同時に、奴の木刀の切っ先が私の喉元に迫る。


「そこまでです!」


 オルファの鋭い声が響き渡る。

 切っ先が、お互いの喉元でピタリと止まる。

 真剣であれば、両者死亡による引き分けといったところか。

 同じ隊の部下たちが見つめる中、私とガラテインの勝負は引き分けに終わる。


「凄いですねお二人とも! その若さでその強さ。正直鳥肌が立ちます」


 オルファが褒め称えてくれる。


「ぼ、僕はもう何が何だか……」


 シェアトが、若干おろおろしながら言う。


「互角の実力に人望と作戦を立てる頭脳。もうあんたがアイギスさんに勝てるところが無いな」

「うるさいぞディエイ!」


 憐れむディエイに、ガラテインが怒鳴る。

 互角じゃダメだ。あの双子の門番は、こんなものではなかった。

 これでは彼女を守る存在になれない。まだ足りない。

 何度槍を振るっても、あの門番より強くなれるイメージが出来ない。

 いや、あの双子の門番を超えるだけではダメだ。

 守りたい相手は、騎士王さえ超える実力を持つ女神なのだから。


「あ、アイギスさん? 血が……」


 シェアトが顔を覗き込んでくる。血?

 ポタリと音がして、地面に血が滲む。

 あごに伝った血を追うように手を触れると、唇が切れている。

 無意識に自分の唇を噛み切ってしまっていたらしい。


「少し、顔を洗ってくる」


 一人修練場を離れ、水場で顔を洗う。

 苛ついているとは自覚していたが、唇を噛み切ったことにさえ気づかないとは。

 いったい、どうしたら彼女に手が届くのだろう。

 足りないものならいくらでもある。だが、どうすれば手に入るのかがわからない。

 少なくとも――


「ガラテイン程度に互角ではダメだ」

「おいおい、少し様子がおかしいと思って来てみればひどいことを言うな」


 バッと後ろを振り向くと、ガラテインが呆れたような顔をしながら立っていた。


「お前は陰口だとかは嫌うのだと思っていたが……。最近少しおかしいぞ? 悩みがあるなら俺が聞くが……」

「別に話すことは無い」


 迂闊だった。まさか口に出てしまうとは思わなかった。

 その場を足早に立ち去ろうとすると、ガラテインに腕を掴まれる。


「本当におかしいぞ? さっきの発言といい、今の苛立ち具合といい、いったい何があった?」

「うるさい。お前に話したところで解決するものでもない。そもそも関係ないだろう」

「関係ない? 人を程度呼ばわりしておいて随分な言い草だな」

「事実だ。お前に何が出来る?」


 ズダン。音がして、身体が壁に叩きつけられる。

 私の胸ぐらを掴みながら、ガラテインが睨みつけてくる。


「むかつく野郎だな。なんだ? 見下してるならはっきり言え!」

「見下しているわけではないがな。前々から言おうと思っていた。お前程度の実力で騎士王を目指そうなど笑い話にもならん。二度と口にするな」


 ガツン。視界が衝撃で一瞬暗くなる。

 この野郎、殴りやがったな?


「俺が騎士王を語るなだと? お前こそ、その口二度と開くな」


 ガツン。再び殴られる。

 口の中が切れたようだ。舌の上には血が這い、鉄の味が伝わってくる。

 ああ、本当に腹が立つ。


「お前、いつか言っていたよな? 守りたい相手がいると。お前に守られる相手は不運だったな。こんな人を見下すような人間に守られているなど」


 もう、我慢ならん。

 怒りに任せ、ガラテインの顔に向け拳を振り抜く。


「私に守られる者が不幸だと? もう一度言ってみろ!」

「ああ何度でも言ってやる! お前に守られる相手は不幸だ! そもそも! お前に誰かを守る程の力があるとは思えんしな!」


 お互いに拳を振り抜く。

 頬を正確に打ち抜き合い、よろめきながら倒れる。

 この目の前の男に腹が立つ。

 臆面も無く自らの夢を語るこの男が、どうしようもなく腹が立つ。


「お二人とも! 何をしているんですか!」


 開け放たれた扉から、オルファやディエイ達が入ってくる。


「てめえら冷静になれ!」

「や、やめてください!」


 ディエイとシェアトが私の身体を地面に押さえつける。


「何があったんですか!」


 ガラテインの身体を押さえつけるオルファが聞く。


「お前らは黙っていろ! 邪魔をするな!」


 オルファとラグレムに押さえつけられたガラテインが力づくで立ち上がる。


「どれだけ馬鹿げた腕力なんですか! 騎士二人でも」


 無理やりにこちらに迫るガラテインの進行を必死で阻止しながら、オルファが漏らす。


「騒がしいな。どれ、私に任せなさい」


×××


 目の前には鉄格子の扉がある。

どうやら錠もしっかりと掛けられているようだ。


「冷静になったかい?」


 落ち着いた声が耳に届く。

 鉄格子の扉の奥にいる礼装姿の老騎士が、こちらに優しく微笑んでいる。


「君達がどんな理由で喧嘩をしていたのかは知らないけれど、仲間を困らせるのは感心しないね。それに、冷静にならなければ言いたいことも伝わらないよ?」

「奴とわかり合おうなど、最初から考えていません」

「ふむ。原因はなんだい?」

「貴方に言っても仕方のないことです」

「そうか、困ったな……。譲る気は無いのかい?」

「ありません」

「これは簡単には解決しそうにないね。向こうも同じ調子だし……」


 老騎士が、あごに手を当て悩んだようなポーズをとる。

 やがて「ふう……」と深く息を吐き、私の目をまっすぐと見てくる。


「君は、騎士同士の決闘を見たことがあるかい?」

「? 一応は……」

「ならよかった。二人には決闘を行ってもらう」


×××


 儀礼用の純白の鎧に袖を通し、使い慣れた槍を握る。

 結局、引くに引けないところまで来てしまった。

 薄暗い通路をゆっくりと歩いていくと、太陽に照らされた闘技場が姿を現す。

 砂埃が舞う中、私とは反対側からガラテインが姿を現す。


「これより、騎士アイギスと騎士ガラテインの決闘を執り行う。決着は相手に敗北を認めさせることによってなされるものとし、我が王国の理念に則り、命を奪うことは認められない」


 王国の紋章が入った鎧を着た審判騎士が、決闘のルールを読み上げる。

 お互いに握らされている武器には、刃が抜けないように鞘が括り付けられている。


「そして、ここにいる全王国騎士は、この決闘を見届ける証人となる」


 闘技場の客席を埋め尽くす騎士達が、私とガラテインを見つめている。


「それでは、決闘を始める!」


 審判騎士の号令と共に、お互いへ向かって駆ける。

 間合いに入るその瞬間、地面を踏みしめ右に握った槍を鋭く突き出す。

 しかし空を切った槍を縫うように、ガラテインの一閃が私の肩を打つ。

 しびれが身体を襲う。

既に、ガラテインは次の一手を繰り出そうとしている。

 させない。ここで追撃を食らうわけにはいかない。

 左の拳をガラテインの腹に打ち込む。


「がっ……」


 衝撃で後ろに下がったガラテインに、痺れの残る右腕で無理やりに振るった一閃を見舞う。顔を横に薙ぎ払われたガラテインが、一瞬動きを止める。

 口からは血が滴り、地面を濡らしている。

 もう一撃……、ここで追撃をかければ決着が――

 ガツン。一瞬で視界が地面に叩きつけられる。

 ガラテインめ、隙を作って誘いやがった。

 地面に身体が倒れ込む前に、鋭く身体を捩じり体勢を戻す。

 

「どっちも完全に互角じゃねえか。しかも、すげえ……」

「ええ。本当にすごい。強いとは思っていましたが、これは……」


 並みいる歴戦の騎士達が、皆一様に息を飲んでいる。

 二人の放つ一撃ごとの重みが、一挙動の鋭さが、全てが目を奪う。

 無駄なく研ぎ澄まされた刃のように、丹念に打ち込められ強靭さを増した鋼のように、まるで身体が武器で出来ているかのように、二人は鋭い一撃を放ち続ける。

 今、私が一呼吸を終えるまでの間に、アイギス殿とガラテイン殿は五回もの応酬を繰り広げていた。

 隣にいるディエイをシェアトは、その呼吸さえ忘れてしまっているようだった。

 最初は決闘の空気も相まって興奮を隠しきれずにいた騎士達が、今は張り詰めた空気に固められたかのように音の一切を起こさない。

 静まり返った闘技場に、二人が全力で撃ち合う音だけが響く。

 瞬きすらも許されないだろう応酬を、二人は幾度も繰り返す。



「いい加減、負けを認めたらどうだ? ガラテイン」

「馬鹿言え、認めるのはお前の方だ」


 高い位置にあった太陽が、いつの間にやら空を赤く染め始めている。

 何度の応酬を繰り返しただろう?

 鞘がついていなければ致命傷だったであろう攻撃を何度も受けた。

 もう、身体が痛みという感覚を忘れてしまっている。

 ガラテインと戦っている意味も、よくわからなくなってきた。

 どうせただの意地の張り合いだ。どちらかが謝れば、それで済むような。

 だが、負けたくない。

 この男にだけは、ここで死んだとしても負けたくない。

 それだけが確かだ。

 しかし、お互いにわかっている。きっと決着はつかないだろうと。

 いつだって二人で研鑚を積んできた。

 もう、お互いの癖も手札も知り尽くしている。

 どう躱せばいいのか。どう流せばいいのか。考えずとも、自然と身体が動いてしまう。

 ああ、そういえば、とっくに身体は限界なんだったな。

 一撃。ガラテインが放った一撃が、胸を打つ。肺からこぼれ出る息を吐き切ると、今度は血が喉を満たした。

 一撃。私は負けじと、ガラテインの頭を薙ぎ払う。必死に意識を繋ぎ止めようとしているのがわかる。それでもガラテインは、地面を踏み鳴らし留まる。

 二撃。お互いに繰り出した突きが、肩を打ち抜く。もうお互いに左肩は動かない。腫れ上がっているのが、鎧の上からでもよくわかる。

 もう一撃。そう思って踏み出したところで、身体を支え切れなくなり倒れ込む。

 くそ。ガラテインの奴に、こんな決定的な隙を晒すとは。

 立ち上がろうにも、全身が地面に縫い付けられているかのように動かない。

 思えば、騎士になりたての頃もガラテインと組まされたな。

 決着がつかず、お互いに「もう一度」と言い合った。

 結局、何度やっても引き分けなのだ。それが、こんなところで決着しようとは。


「両者、戦闘不能。決闘は引き分けとする」


 引き分けか……。

まさか、限界が来るのも同じだとは。


「まさか、お前が倒れるとはな。情けないぞ」

「お前も同じだろうが」


 ガラテインに呼び掛けると、そんな返事が来る。

 審判騎士は、役目を終えたとばかりに静かに退場していった。


「アイギス、お前の守りたい人を、俺にも教えろ。俺が騎士王を目指す理由も教えてやるから」

「……お前のは別に聞かなくても良い。以前ディエイから聞いた」

「あのお喋りめ。後で締め上げてやる」


 客席からは次々と騎士達が退場していき、闘技場には二人だけになる。


「アテナ様」

「は?」

「だから、アテナ様だ。私が守りたいのは」

「お前、本気か? というか、女神と知り合いなのか?」

「本気だ。時々、共に教会で祈りを捧げている」

「まさかとは思うが、好きなのか?」

「まさかも何もない。好きだ」


 ガラテインが、呆れたようにため息をつく。

 国の全土に散らばった兄弟分を守るためだけに騎士王を目指すお前も大概だと思うがな。


「そりゃあ、騎士王如きに後れを取るわけにもいくまいな」


 呆れたように言いながら、ガラテインが笑う。

 自虐的なのか私を馬鹿にしているのか。その様子が面白くて、私も思わず笑ってしまう。


「そうか、騎士王すらも及ばぬ女神を守りたいと抜かすのか。ふっふっふっ……」

「おいおい、馬鹿にしているのか?」

「いや違う」


 ガラテインが、改まったように真剣な声音になる。


「お前が女神を守る騎士になりたいというのなら、俺も張り合う甲斐がある。俺はいずれ騎士王になる。だから、お前もなれよ」

何とか身体を起こすと、真剣な顔をしたガラテインが見える。


「ああ、必ずなる。だが、強くなるためには研鑚を積む相手が必要だ」

「…………俺でよけりゃ、いくらでも相手する」


 そう言って、ガラテインが拳を突き出してくる。

 私もそれに合わせるように拳を突き出し、お互いに笑い合う。


「頼りにしているぞ。ガラテイン」



「彼らに決闘を持ちかけたのは父上ですよね?」

「ああ、そうだ。彼らの実力をじかに見ることが出来て良かった」


 思わずため息が出る。

 実力が見たいからといって、全王国騎士を巻き込んで決闘まで執り行うと言うのか。


「だが、お前も見れてよかっただろう?」

「それについては否定しませんが……」

「お前が憧れるのもよくわかる。少なくとも、あの歳の私よりは遥かに強いよ」


 嬉しそうに父上が笑う。

 父上は、既に引退を考えてもいい歳だ。後継者が欲しいというのはよくわかる。


「彼らなら、私が届かなかった神格にも」

「まさか、彼らに神格を得させようとお考えなのですか?」

「ああ。彼ら次第ではあるがな。神格を得た騎士がいれば、この国も安泰だろう」

「ですが、人の身で神格を得る者など、歴史上でも片手で足りる程しかいません。もし彼らが失われるようなことがあれば、私は父上を許しません」

「まあ、そう威嚇するな」


 父上は笑う。

 闘技場の方を見ると、倒れたアイギス殿とガラテイン殿に向かって駆けだす人影が見える。


「お前も行かなくていいのか? オルファ」

「ええ、行きますよ」


×××


「シェアト、敵はいるか?」

「い、いえ! 敵影確認できません!」

「よし。進むぞ」


 後ろのガラテイン達に合図を送り、前方へと歩を進める。

 随分と歩いたところで、シェアトから制止を受ける。


「あ、アイギスさん」

「敵か。およそ十人。まだ気づかれてはいないな」

「はい。今なら先手が打てます」


 シェアトが自ら提案し、敵小隊の先頭を歩く騎士へと矢を向ける。

 正射必中とはよく言ったものだ。

 シェアトは、まるで時が止まってしまったかのようにまっすぐと矢をつがえている。寸分違わずに敵の騎士の頭を射抜くであろう姿に、思わず見とれてしまう。


「ああ、頼んだぞシェアト」

「はい」


 シェアトの応えと共に、ヒュッと空を切る音がする。

 ドサリと先頭の騎士が倒れる音を合図に、ガラテインが敵小隊の中央に躍り出る。

 奇襲で反応が遅れる騎士達を次々と斬っていく。


「アイギス!」

「わかっている」


 最後に、逃げ出そうとしていた一人を私が貫く。

 倒れた騎士に心の中で静かに祈りを捧げ、槍を引き抜く。


「シェアト! 他はいないか?」

「は、はい! 敵影確認出来ません!」


 その瞬間だった。

 視界の端に紅い光が走ったかと思うと、シェアトの胸を貫いた。


「シェアト!」

「アイギスさん?」


 理解の追いつかないシェアトの口から、大量の血がこぼれていく。


「いやはや、よくも俺の手塩にかけた精鋭達を殺してくれたな」


 シェアトの胸から紅い槍を引き抜きながら男が言う。

 シェアトがぐったりとその場に崩れ落ちる。


「よくもシェアトを」


 ガラテインが背後から男に斬りかかる。

 しかし、袖から現れた二本目の槍で軽々と弾かれてしまう。


「そこをどけ!」


 ガラテインの一撃で一瞬の隙が出来た男の胸元に一閃を放つ。

 ガキンと鋼同士のぶつかる音がして、男がふわりと後方へ飛ぶ。

 普通の人間ならば、ほぼ同時ともいえる前後からの攻撃を裁くことなど出来ない。

 只者ではない。

十二人いる小隊のど真ん中に一人で乱入することといい、索敵能力の高いシェアトの背後を簡単にとったことといい、この相手では人数差がそのまま有利と言えるかわからない。


「逃げろ!」


 私はすぐ足元に倒れるシェアトを抱え、その場への離脱を指示する。


「逃げるのか? せっかく俺が来たんだ。もう少し遊んでいけ」


 男の声が聞こえる。

 やはりだ。間違いじゃない。

 私の一閃を受けた瞬間に見えた奴の顔は、明らかに笑っていた。

 私達を試すかのような、新しい遊びを思いついた子供のような、無邪気とも言える笑顔。仲間の命が奪われ、今まさに自分の命が狙われている瞬間にする顔ではない。

 冗談ではない。あんな男と遊んでいたら、命が何個あったとしても足りない。


「まあ、懸命だと思うぞ? お前たちが俺に勝てないのは事実だ」

「なっ……!」


 全力で走ったはずだ。奴が立ち止まっている間に、引き離したはずだ。

 なのに何故――


「私の前にいる!」


 私の前に立つ男が、槍をこちらに向けて止まる。


「その荷物を降ろしたらどうだ? 確実に心臓を貫いた。既に冷たくなり始めているだろう?」

「黙れ!」

「俺は評価しているのだ。俺の胸元にあそこまで切っ先を近づけた者はそういない」


 嬉しそうに笑い続ける男が言う。

 だが、私に逃げる隙ほど甘いわけでも無い。


「逃げろアイギス!」


 救援に駆け付けたガラテインが、剣を男に向けながら言う。


「すまない! 頼むぞガラテイン!」




「そうだ忘れていた。お前も評価に値するぞ? 今日はいい日だな。これほど研ぎすまされた強さを持つ者とは、そうそう出会えるものではない」


 男が、そう言ってケラケラと笑う。

 緊張感のない野郎だ。だが、実力は確かなのだろう。

 先程の俺とアイギスの連携を無傷で捌き切るなど、あまりに人間離れしすぎている。まさかな。だが、可能性は捨てきれない。

 考えていると、男の一撃が迫る。

 思考の読み合いも何もない。ただ速く、ただ鋭い一撃。

 それを躱して、男の伸びきった腕に一撃を入れる。

 超人的な反射で躱され腕を切り落とすには至らなかったものの、奴の皮膚を裂くことには成功した。滴り落ちる自らの血を見て、男が笑う。


「やはり、評価に値するぞ」


 ただの狂人か? いや、そうであってくれ。


「そらいくぞ?」


 男が、両手に握った二本の槍で連撃を仕掛けてくる。

 目にもとまらぬ速度で襲い来る切っ先を、ぎりぎりで弾き返し続ける。

 この男には読み合いというものが無い。

 圧倒的な速さと鋭さで打ち込んでくるだけなら、どこぞの馬鹿と戦うより幾らかマシだ。


「一手一手が甘い」


 さらに二撃、男の胴に打ち込む。

 両肩から両脇までを交差するように切り裂かれた胸を押さえ、男が後ずさる。


「くっくっくっ」


 男が笑う。

 それほど浅い傷ではないはずだ。

 本来ならば動けなくなるほどの傷のはずなのだ。

 だというのに、男は口角を吊り上げながら笑っている。


「何をそんなに笑っている」

「ん? 何をだと? 決まっているだろう。この瞬間が楽しいからさ」


 男はそう言うと、両手に槍を握り直す。

 ぽつぽつと空中に現れた光の粒が、二本の槍に吸い込まれていく。

 最悪だ。

 人間離れした身体能力に、光を纏い始めた二本の槍。

 読み合いが無いのも、最初から圧倒的に強い存在であるとするならば納得がいく。


「ガラテインさん!」

「オルファ! 来るんじゃない!」

「んなこと言ったって、お前ひとりでどうにかなる相手じゃねえだろ!」

「ディエイ! お前まで」


 気が付けば、オルファとディエイが男を挟むようにして立っている。

 二人の緊張感が、近づかなくとも伝わってくる。


「お前達のような凡人が来るところではないぞ?」

「そんなの、やって見なきゃわかんねえだろうが!」


 男の言葉に、ディエイが食って掛かる。

 男は「ふう」とため息をつくと、笑うのをやめてこちらを見た。


「邪魔が入った。お前のような強者との戦いに、雑魚の介入があってはつまらない。次に会う時まで、死んでくれるなよ?」


 男がそう言って槍を地面に突き立てる。

 強烈に突きたてられた衝撃で地面が揺れる。

 凄まじい地鳴りが聞こえる。


「この程度、越えてくれるよな?」




 重い。

 背負ったシェアトの身体の重みが、ずっしりとのしかかってくる。

 背中が濡れてきた。

 シェアトの血ですっかり赤く染まってしまった私の背中は、まるで雨に打たれた後のようだ。


「シェアト!」


 返事は無い。

 胸に耳を押し当てるが、心臓の音は聞こえない。

 傷の位置は、そのまま心臓の位置だ。

 背中から正面までを貫かれている。

 半分開いていたシェアトの目を、そっと閉じる。

 せめて、安らかに眠ってくれ。

 ズン。腹に響くような地鳴りがした。

 大地が震える。

 後ろを振り向くと、私が駆け抜けてきた場所は一瞬にして様相を変えていた。

 木々の生い茂った山の斜面は抉り取られ、土の層が剥き出しになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る