第4話
支度を終え、扉を開ける。
「生きて帰ってきてくださいね」
「ああ、心配には及ばない」
心配そうに言うアリスに、微笑みながらそう返す。
いつも通りだ。戦いに勝利し、この家に帰ってくる。
これでも強くなった自信はある。
本人には言わないが、ガラテインという頼もしい仲間もいる。
そう簡単に負けはしない。
「行ってくる」
見送りのアリスにそう告げて歩き出す。
門から出ると、待っていたガラテインが手を振ってくる。
「相変わらず綺麗だな、お前の妹は」
「見ていたのか。手を出したら命は無いと思え」
ガラテインの軽口に釘をさしておく。
大事な妹を、こんなふざけた男に渡すつもりは毛頭ない。
×××
「アイギス! ガラテイン! 少し来い!」
王都に着いた瞬間に、先輩騎士から声を掛けられる。
私とガラテインが駆け寄っていくと、先輩騎士が肩に手を置いてくる。
「なんでしょうか?」
「この度の戦争では、お前たち二人に隊を一つ任せたい」
「隊を!? 本当ですか!?」
先輩騎士の言葉に、ガラテインが強く反応する。
隊を任せる。それはつまり、騎士としての実力を認められたということだ。
部下を従え、部下と共に戦い、時に部下を守る存在となる。
私達にはその実力があると――
「認められたってこと……ですか?」
「そうだ」
先輩騎士が微笑む。
思わず、隣にいるガラテインと顔を見合わせる。
「責任重大だ」
私たちの采配次第で、隊員の命を危険に晒す可能性があるのだ。
既にプレッシャーで押し潰されそうになっている私を見て、ガラテインが不敵に笑う。
「だが、それでこそ騎士だろう?」
こんな時、奴は頼もしい。
自信に満ち溢れていて、常に成功の可能性だけを模索し続ける。
奴のこの不敵な笑顔が、私の不安を払ってくれる。
そんな私たちの様子を見て、先輩騎士が思わず吹き出す。
「はっはっは! お前たちなら助け合って何とかやっていけるさ」
そう言って背中を叩いてくれる。
「だが、仲間の命を背負う責任だけは忘れるなよ」
最後にそう言い残して、先輩騎士が去っていく。
一度深呼吸をする。
私は、仲間を正しく導けるだろうか?
もう一度生きて、愛する者の元へと帰らせることが出来るだろうか?
私自身、命を落とさないとも限らない。
「不安そうな顔をするなアイギス。言われただろう? 助け合えば良いと」
そう言いながら、ガラテインが脇腹を小突いてくる。
「うるさい。言われずともわかっている」
私も、同じように脇腹を小突き返す。
心配性の私は、いつでも不安そうな顔をしてしまう。
これでは、部下となってくれる仲間も安心してついてきてはくれまい。
時に励まさなければならない存在が、これではあまりに頼りない。
「頼りにしているぞ、ガラテイン」
「任せておけ」
×××
一時間もしないうちに、私とガラテインはとある一室に呼び出されていた。
「計一〇名、君達が仲間となってくれるのか。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします。アイギス殿」
一〇名の部下を代表して、何とも聡明そうな若者が手を差し伸べてくる。
互いに手を取り、強く握りしめる。
「やはり、噂通りの強者のようですね。ガラテイン殿と共に挙げられた功績は、ベテランの騎士にも劣らないと聞きます。信じていますよ」
聡明そうな若者――オルファがつぶやく。
「信じる? そんな言葉を軽々しく口にするな。会って数分で何が『信じています』だ」
こちらに睨みを利かせてくる若者――ディエイがそう言う。
ああ、そうか。命を預けるのだ。
そこでやっと私は理解する。
やり方こそ違えど、オルファもディエイも目的は同じだ。
私達を、試そうとしている。
当たり前のことだ。命を預ける相手が、それに足る者かどうかを推し量るなど当たり前ではないか。本気で生きたいと願う者ならば当たり前のことなのだ。
だが、今の私には、彼らに認められるだけの力が無い。ならば――
「私には、君達をまとめ上げるだけの力は無い。守り切れるという保証も無い。だから、助けてくれ。私に足りないところがあれば、君達に補ってもらいたい」
思いを告げる。
今、この場にいる私では隊長として役不足なのは事実。ならば、せめて偽らない本心を告げよう。お互いに助け合える存在でありたいと願う私の心を。
「「「……………………」」」
オルファ達が黙り込む。
言葉を間違えたか? 本心を伝えることでしか信頼してもらう方法が無いと考えたのは甘かったのだろうか?
私が不安に思っていると、オルファが再び手を差し伸べてくる。
「改めてよろしくお願いします、アイギス殿。私達に出来ることがあれば、何でも言ってください。全力で応えましょう」
私が手を取ると、オルファがそう言う。
まっすぐと私を捉えるオルファの瞳には、確かに信頼があるように思えた。
他の者達も同様のまなざしを私に向けてくる。
この者達の向けてくれる信頼に報いなければならない。私が自分を奮い立たせていると、ガタンと音がなって椅子が倒れた。
窓を背にして立つディエイが、こちらを睨みつけている。
「挨拶を交わせば仲間か? 弱さを見せあえるのが信頼か? どこに敵がいるかもわからねえのに、随分と口が軽いんだな」
そう言うと、バタンと音を立てながら部屋を出て行ってしまう。
何か、彼の逆鱗に触れるようなことを言ってしまったのだろうか?
こちらを睨みつける顔は尋常ではなかった。
「俺は良かったと思うがな」
ガラテインが、俺の肩に手を乗せながら言う。
「あのタイプには合わなかったというだけだ。ディエイは俺に任せておけ」
「ああ、頼んだ」
×××
修練場に行くと、砂埃を立てながら剣を振る若者がいる。
鋭く、無駄が無く、まっすぐな剣だ。
ただ漠然と剣を振っているだけの者ではこうはならない。
よほど彼に剣を教えた者が良かったのか、もしくは、彼自身に明確な目的があるのか。おそらくは後者だろう。世界中の全てに睨みを利かせているんじゃないかと思うほどの彼の目には、間違いなく何かが映っている。
静かに彼に近づいてみる。
よっぽど集中しているのか、背後から近づく俺には気づくそぶりも無い。
「ディエイ、少しいいか?」
声をかける。
その瞬間、驚いたようにバッと振り向いた彼が俺の喉元に切っ先を突き付けてきた。仲間に切り殺されてはかなわないと、俺は両手を挙げ降参のポーズをとる。
「なんだ、あんたか……」
「おいおい、随分な言い草だな。一応は上官なんだが……」
「上官っていっても、歳は同じだろうが」
言い返されてしまう。
上官として説教ってのは、このタイプには効かなそうだしな。
さて、どうしたものか。
「ディエイは、何故騎士になったんだ?」
「あんたに言う必要があるのか?」
「……………………」
だめだ。ディエイに会話をする気が無い。
これほどまでに硬いガードを無理やりこじ開けようものなら、余計な壁を作られてしまうことだろう。まあいい。押してダメなら引いてみろだ。
「俺が騎士になった理由を聞きたいか?」
「興味ねえよ」
ディエイは短くそう返すと、再び剣を振るい始めてしまう。
「興味ねえって、そりゃねえだろ? 少しは聞いていけ」
「うるせえ。しつこいとその首斬り落とすぞ」
ディエイがそう言って再び切っ先を俺の喉元に突き付けようとしてくる。
俺はその瞬間に間合いを詰め、ディエイの手首をつかみ足を軽く払う。剣を構えた姿のまま週に浮かんだディエイは、そのまま地面に背中を着いた。
「…………てめえ」
俺を睨みつけ、ディエイが言う。
まったく、先に剣を向けてきたのはお前だろうが。
俺は剣を奪うと、地面で仰向けに倒れるディエイへと切っ先を向けた。
「剣を向けるというのはこういうことだ。仲間に訓練以外で軽々しく真剣を向けるな。それも『首を切り落とす』など、騎士の言うことではないな」
「……わかったよ」
俺の言葉に、素直にディエイが頷く。
剣を下げ手を伸ばすと、これまた素直に手を取ってくれる。
「俺の騎士になった理由、聞きたくなったか?」
立ち上がったディエイに向けて、再び同じ質問を繰り返す。
「どうせ聞くまでしつこく繰り返すんだろ? 仕方ねえから聞くよ」
「そうか! そんなに聞きたいか! ならば教えてやろう!」
「うぜえ……」
ディエイが心底いやそうな顔をする。
俺はそれを無かったことにして話を始める。
「俺には、五十八人の兄弟がいる」
「五十八人!?」
「ああ。といっても同じ孤児院で育っただけだが、血のつながった家族のいない俺たちにとっては何よりも大切な絆だ。勉強して商人になった者、里親に引き取られた者、今はもうどこにいるとも知れないが、それぞれが元気で生きていることを願っている」
今でも思い出される優しく懐かしい風景。
昔は学者をしていたという物知りな父と、いつでも優しく料理上手な母。
晴れの日は兄弟皆で畑を耕し、嵐が来れば建物の修繕をした。
喧嘩もよくしたな。
母の作ってくれたスープにじゃがいもが入っているだのいないだの、お前の方が多いだの少ないだの。あの人が作る料理はとてもおいしいから、よく争いの種になる。そんなときは決まって仲裁してくれる二人がいた。
兄弟の誰かが病に倒れれば、物知りな父が薬湯を作ってくれたな。その恐ろしいほどの不味さが評判となり、孤児院にいる誰もが病の一つも起こすまいと必死になったものだ。
成長した兄弟たちは少しずつ孤児院を離れ、それぞれの道を歩き始めた。
どこで暮らしているかもわからない者も多いが、俺がこの王国を守っていれば帰る場所はある。だから――
「俺は騎士王になる。この国を守り、兄弟の……家族の居場所を守る。それが俺の騎士となった理由だ」
「騎士王か……」
ディエイがつぶやく。
騎士王――この国を守護する騎士の長に与えられる称号だ。国の治安や防衛という側面に対して国王と同等の権限を有し、全王国騎士への指揮権を一任される存在。
言うは易いが、生半可なことではない。
騎士の頂点に立てるだけの実力を備えていることは大前提。
そのうえで、全王国騎士をまとめ上げるだけのカリスマ性とさえいえるほどの手腕、国の内外の情勢に通じる知識力と情報力、国の防衛を任される以上は勝利を手繰り寄せるための戦術も欠かせない。
未だ俺には足りないことだらけだ。
「さて、俺は話したぞ? お前の理由も聞かせてもらおうか」
完全に聞き手に回っていたディエイは、突然の言葉に詰まる。
そしてゆっくりと息を吐き、観念したように話し始める。
「これくらいしか、出来ることが無かったからだ。家族を戦争で失い、この身一つで出来ることが俺には戦うことしかなかった」
ディエイは、それだけ言うと口を閉ざしてしまう。
言いたくない何かがあるってことか……。
まあだが、この男からこれだけ聞けたのだ。十分だろう。
「もう一つ、出来ることを追加しておけ」
「……なんだよ」
「俺に守ってもらうことが出来る。騎士王となる人間に守ってもらえるんだ。光栄に思え」
「…………………………」
「なんだ? 光栄過ぎて言葉も出ないだろ!」
「うぜえ」
ディエイが心底疲れ切ったような顔でそんなことを言う。
「つか、そんな傲慢な野郎が誉れ高い騎士王なんかになれるわけねぇだろ! 謙虚さとか色々足りなすぎだ!」
×××
「やはり、こういうタイプには拳で語るのが一番だったな」
「「「…………………………………………………………」」」
戻ってきたガラテインは、開口一番そんなことを言いながらボロボロになったディエイを部屋の中に放り投げた。
仲間として連れ戻しに行ったんじゃないのかだとか、説得しに行ったはずではなかったのかだとか、当たり前の疑問はひとまず置いておこう。こいつは本当に――
「どうしようもない大馬鹿だな」
「ああそうだな。こいつは、俺が騎士王になれないなどと言い出した大馬鹿者だ」
「ディエイではない。お前だガラテイン。戦争に行く前に仲間を瀕死にする大馬鹿者が」
怒鳴る気にもなれず、ため息交じりに言う。ディエイを追って部屋を出たお前を、一瞬でも頼もしいと思った自分が恥ずかしい。
「何を言う! こいつが口で言ってもわからんから仕方なく実力でわからせてやったのだ!」
「お前こそ何を言っている! お前の枯葉にも劣る矜持に巻き込まれる者が不憫でならん。大方『謙虚さが無い』などと図星を突かれて逆上したのだろう。だから後輩の騎士に尊敬されんのだ」
「………………」
私の言葉で、ガラテインが黙り込む。
冗談のつもりであったが、思いのほか鋭く抉ってしまったようだ。
いや、そもそも後輩騎士に本当に人格を指摘されてしまうガラテインが悪いのだ。
「はあ…………」
深めにため息をつく。
もう、これ以上深く聞く気は無い。
あまりにくだらなすぎて、話を聞いているこちらまで馬鹿になってしまう。
「と、とりあえず、来る実戦へ向けての作戦会議などしてみてはいかがでしょうか?」
「ぼ、僕もそれが良いと思います……」
オルファの提案に、臆病そうな若者――シェアトが同意する。
そうだった。こんな馬鹿の話に付き合っている暇は無い。
これから始まる戦争に向けて、生き残るために全てを尽くさなくてはならない。私たちの行動が、部下となってくれる仲間の命まで左右するのだから。
「早速だが、それぞれの得意なことと苦手なことを教えてくれ。自分のことでも、仲間の誰かのことでも構わない」
「私は、苦手は無いようにしています。逆に、これと言って得意なものも無いですが」
私の言葉に、真っ先にオルファが反応する。
苦手を無くすというのは、如何にも真面目で聡明そうなオルファらしいと言えるだろう。
「ぼ、僕は弓が得意です……」
おどおどと手を挙げながらシェアトが言う。
これも性格をよく反映しているように思う。
この臆病そうなシェアトが剣を持った相手に対して勇猛果敢に向かっていく姿は、凄く失礼ではあるが想像出来ない。
「アイギス殿、シェアトの弓の腕は一流ですよ。少なくとも、私はシェアトが的を外したところを見たことがありません」
「へえ、それは凄い。私もガラテインも弓はからっきしでな。これで作戦の幅も広がる」
「ぼ、僕はそんな褒められたようなことは……。まだまだです……」
オルファの絶賛を受け、シェアトが縮こまってしまう。
本人は自信なさげだが、本当に心強い。今まで飛び道具による後方支援が出来る者がいなかったため、作戦もそれを排したものに限られてきた。
私やガラテインなどは碌に弓の訓練をしたことが無いから、まともに的に当てた試しがない。それどころか、騎士になりたての頃に二人揃って先輩騎士から「二度と弓を使うな!」と言われてしまっている。少し矢が暴発したくらいで大げさな。
ともあれ、オルファのお墨付きであるシェアトの腕は本当に確かなのだろう。
「俺は、剣が得意だ。つか、剣しか出来ねえ」
ボロボロになって床で伸びていたディエイが、ようやく起き上がって言う。
「はっはっはっ! 唯一の特技であの程度では、先が思いやられるな!」
「うるせえ!」
ガラテインが茶化すと、ディエイが顔を真っ赤にして言い返す。
打ち解けた様子なのはありがたいが、いちいちガラテインの馬鹿に話の腰を折られるというのも癇に障る。
「そういう反抗的な態度は、俺に勝てるようになってから言ってもらおうか!」
「そういうところで謙虚さが足りねえって言ってんだよ!」
「弱者の声など俺には届かん!」
「ガラテイン……」
低く、落ち着いた声でガラテインの名を呼ぶ。
騒がしかった部屋が一転、水を打ったように静かになる。
私の声が真剣なものであると悟ったオルファやディエイ達は、思わずといった様子で一歩下がる。
「ど、どうしたアイギス?」
さすがにガラテインも様子を察したのか、探りを入れるように聞いてくる。
気付きが早かったことは褒めてやろう。だが、それでは私の気は収まらん。
「ガラテイン。私達は二度の戦争を経験して、事前の準備の重要さというのを理解している。そうだな?」
「あ、ああ……、そうだ」
「つまり、この作戦会議がいかに重要かも理解している。間違いないな?」
「あ、ああ……、間違いない」
少しずつ、ガラテインの中から余裕がなくなっていくのがわかる。
私の質問に大人しく肯定を返すだけの人形になっている。
「次、作戦会議の邪魔をしたら、その口をこの槍の切っ先で塞いでやるから覚悟しておけ」
「……わかった」
私は、ただの一瞥もくれることなくガラテインとの会話を終える。
静かになったガラテインは、その後一切の言葉を発することは無かった。
×××
木々の間を駆け抜けていくと、敵国の騎士がこちらに向かって槍を構えるのが見える。私は自前の槍で敵の槍を弾き飛ばすと、そのまま流れるように首筋を裂く。パックリと開いた皮からは赤い肉が見え、その一瞬後には大量の血が地面を濡らした。
「しゅ、周囲に敵はいません!」
後方で警戒をしていたシェアトが、駆け寄りながらそう言う。
やはり違うな。と、私は感心してしまう。
シェアトは、その臆病さ故か索敵能力が高い。目や耳などを使った索敵はもちろん、足跡などの痕跡から敵の人数や現在の居場所までをピタリと言い当てる。
おかげで、私を含めた遊撃部隊は思う存分安全に力を振るうことが出来る。
「一度休憩を取ろう。シェアト、どこかいい場所は無いか?」
「え、えっと、向こうに川がありました。崖に囲まれている場所にあって、敵の接近は予測しやすいかと……」
「よし、ではそこにしよう」
シェアトが指し示した場所に行くと、頃合いの魚が泳いでいそうな川がある。
交代で見張りをしながら魚を食い終わると、ポツリポツリと雨が降り出すのを感じた。
「水嵩が増すかもしれん。移動しておくか」
木々の間をすり抜けるようにして山道を登っていくと、少しずつ雨足が強くなっていくのがわかった。
随分と歩いた気がする。雨は一向に止む気配が無い。
それどころか、さらに強さを増していくように思う。
このまま山にいてもいいものだろうか? いつ土砂崩れが起きてもおかしくない。だが、行く当てもない。この足元の悪い中、敵国の騎士と乱戦になるのは避けたい。
ズルリ。足元でそんな音がする。
その瞬間、地面と空が入れ替わる。全身を打ちつけながら斜面を転げ落ち、やがて平坦になった場所でようやく止まった。
「アイギス! 無事か!」
遠くからガラテインの声が聞こえる。
まったく、敵国の騎士に聞かれたらどうするつもりなんだ。
「無事だ! だが、直ぐには戻れそうにない! 雨が止んだら、さっきの川で落ち合おう!」
姿の見えない仲間に向けて叫ぶ。
どうか、仲間以外には届かないでくれ。そう願いながら声を張り上げた。
「ああ! こちらは俺に任せろ! 無事でいろよ!」
ガラテインの声が聞こえる。どうやら通じたようだ。
あちらには、ガラテイン以外にシェアトやオルファもいる。問題は無いだろう。
「ああ、本当に任せたぞ」
聞こえるはずのない小さな声で、そうつぶやく。
我ながら、よくもまだあんな大声を出せたものだと感心する。
腹から突き出た鋭い枝を撫でる。
ズキリズキリと痛むのは、決して幻ではないだろう。
今敵に出くわせば一巻の終わりだな。いや、出くわさなくとも結末は変わらないかもしれないが……。
ああ、畜生。色んな事が足りていない。何もかもが足りていない。
皆を無事に愛する者の元へと送り届けるという義務があったのに。それを放棄して私はここで死ぬのか?
それだけではない。
以前ガラテインと王都を歩いているときに見つけた店に行く約束、あれも果たせないのか。見たことが無い料理を出す店だったから、一度は行ってみたかった。いったいどんな味がするのだろうか……。
オルファには、槍の稽古をつけてほしいと頼まれていたな。彼は器用だから、教えればすぐに上達しただろう。シェアトの索敵能力は本当にすごかった。彼からは色々と学ぶことがあっただろうに。
アリスはこれからどんな男と恋愛をし、結婚するのだろうか? 兄として、それを見届けずに終わるのは胸が痛い。父や母に謝るのも忘れていたな。家を継がずに勝手に騎士となり、こんなところで命を落とすのはあまりに身勝手だろう。
謝ると言えば、アテナ様にまだあのことを謝っていない。
きっと怒っているだろう。顔も見たくないだろう。
だが、せめて一言、謝ることをしたかった。
ああ、思い返せば、まだ死ねない理由ばかりが浮かんでくる。
少し休もう。少しでも、体力を温存しよう。せめて、少しでも長く生きられるように……。
×××
あたたかい。そんな感想を抱きながら目を開ける。
目の前には、ごつごつとした質感を体現したような岩壁が広がっている。
傷はまだ痛むが、慣れてきたためか随分とマシに感じる。
「まだ寝ていてください」
起き上がろうとすると、声で制されてしまう。
どうやら死後の世界ではないらしい。
よく耳をすませば、遠くから雨の音が聞こえてくる。
「傷は痛みますか?」
「ええ、まだ痛みます」
素直に応える。
ああ、本当に色んなことが足りていない。
そもそも、雨で悪くなった地面に足を滑らすなど、少し考えればわかることだ。
なぜ細心の注意を払わなかったのか。
注意を払ってさえいれば、こんな無様を彼女に晒すことにもならなかっただろうに。
「心配しましたよアイギス。本当に死んでしまうのではないかと思いました……」
「また、助けられましたね」
彼女に出会う度、私は助けてもらっている気がする。
私はそれを仇で返すようなことばかりをしているというのに。
「偶然通りかかって良かったです。アイギスの声がした気がしたので、もしやとは思ったのですが……」
「そうですか……。ありがとうございます」
感謝を伝えることしか出来ない自分がもどかしい。
寝たまま顔だけを彼女の方に向ける。
相変わらず、戦場だというのに彼女は美しい姿のままだ。
一切の傷のない身体に、純白の鎧を纏っている。
いや、一つだけ見つけた。
私を運ぶときに付いたのか、少しだけ血と泥が滲んでいる。私はある意味、初めて彼女の鎧に血をつけた騎士となったわけだ。
私が見ているのに気づいたのか、彼女はこちらに目を合わせようとしてくる。
思わず、目を逸らしてしまった。
「あの……、この間は逃げてしまってごめんなさい」
少し沈んだような声で彼女が言う。
なぜ彼女が謝っているのだ。
「それは! 私が……っ!」
反論しようとして無理やりに身体を起こそうとすると、ズキリと鋭い痛みが走る。
起こしきれなかった身体は地面へと吸い寄せられ、私は再び岩の天井を見上げる。
「大丈夫ですかっ!?」
「だ、大丈夫です」
とっさに駆け寄ろうとする彼女を言葉で制すると、私は一度深呼吸をする。
ちゃんと言わなくてはいけない。
「すみませんでした……」
声を絞り出す。
傷の痛みだけではない。胸が締め付けられるような、まるで、私に呼吸をさせるのを阻むかのような不思議な力が働いている。
それでもどうにか声を絞り出した。
消えてしまいたい。
同じ空間にいるのが耐えられないと、身体が訴えてくる。
あつい。いつの間にか私の身体は、炎を纏っているのかと思うほどに熱い。
「私も、すみませんでした……」
また彼女が謝る。
何故謝るのだろう……。彼女の気持ちがわからない。
「抱きしめられたのは……、その……、初めてだったので……」
「……えっ!?」
「そ、そもそも、近づいてくる相手はみな敵意を持った者ばかりだったので、攻撃されたのかと勘違いしてしまって……」
「……………………」
もはや言葉にならない。
いったい今までどんな生き方をしてきたのだこの人は……。
「今、馬鹿にしましたね!? 仕方ないじゃないですか! 今までずっと戦うために生きてきたんですから!」
「そ、そうでしたね……。はい。そうでした」
「やっぱり馬鹿にしてますよね!?」
彼女が怒ったような顔をしながら迫ってくる。
ま、まあ、馬鹿にしてはいないものの、驚いたことは事実だ。
まさか、抱きしめられた経験も無いとは。
いや、パルテノンの厳重警戒を見れば、当然と言えば当然なのだが。
「戦争と教会以外はパルテノンから外に出るのを禁じられていますし、周囲には女性しかいなかったので……」
俯きながら、少し言い訳めいた調子で彼女が言う。
ある種のコンプレックスのようなものがあるのだろうか?
ともあれ、嫌われてしまったのでなくてよかった。
「雨、止みませんね」
彼女が言う。
私がそれに頷くと、「ここから出るのはもう少し先になりそうですね」と微笑みながら返してくれる。
今、ここは戦場で、隣にいるのは戦いを司る女神だ。
なのに、それを全て忘れさせるような穏やかな時間が過ぎる。
お互いに、言葉を紡ぐことなく雨が止むのを待っている。
退屈だと思っているのだろうか? そう思って彼女の顔を見ると、目が合う。
優しく微笑み返す彼女に、それは杞憂だと悟る。
いつか教会で共に祈りを捧げたような、そんな時間が私達にはちょうどいいのだと自然にそう思った。
「雨、止まないといいですね」
彼女が小さくつぶやく。
小さな声で「私もそう思います」と返すと、少し赤らんだ顔で嬉しそうに笑ってくれた。
彼女も、この時間を心地いいと思ってくれているのだろうか?
少しずつ雨が小降りになってきた。
傷も、彼女の手当てが良かったおかげか動ける程度には回復している。
緑色に滲んだ布から、薬草特有の苦い香りが漂ってくる。これが痛みをやわらげてくれているのだろう。
そろそろ仲間も心配しているだろうと思い、ゆっくりと立ち上がり外に出てみる。
「また、あの教会に来てくださいね?」
「はい」
×××
少し濁りの残った川を眺めながら、沿うように上流へ向かって歩いていく。
もう随分と日が落ちてきている。
太陽が沈み切る前までには仲間と合流したい。そう思いながら、槍を杖代わりに進む。
「やっと……、見つけた」
遠くで手を振るシェアトが見える。
真っ先に私に駆け寄ってきたシェアトは、腹の傷を見ていつも以上に慌てふためいていた。
「い、今すぐ手当てしないと! あ! で、でも薬草が塗ってあるし、さ、触らない方が良いのかな? ど、どうすれば」
「あ~……、大丈夫だシェアト。もう手当は済んでいる」
慌てふためくシェアトをなだめ、野営の準備をしている仲間の元へ歩く。
「おう、遅かったな」
「ああ、少し遅れた。いない間にお前に任せた小隊が壊滅しないかとひやひやしていたぞ」
「馬鹿言え。お前よりもうまくまとめていた」
「いや、あんたさっき『アイギスが日が落ちるまでに戻ってこなければ俺が探しに行く!』って騒いで大変だったじゃねえか」
「黙っていろ」
ガツンと音がして、ガラテインの拳がディエイの顔面に直撃する。
なんだかんだ心配してくれていたということか。
野営の準備を進めていた仲間達も、私に気付いてこちらに駆け寄ってくる。
「オルファ、スティス、ラグレム、セディン、アルス、フォーミ、ガロド、ノクト、心配をかけた」
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