第19話

 あの日からおよそ8年。妹を守るという強い動機のお陰で彼は夢の守人としてメキメキと成長した。

 いまは私の日常と化している市内の探索も悟が考え出したものだ。腕を磨き、決して賢くはない頭をひねって夢の守人としての務めを果たしてきた。すべては妹を守るため。いや、守るためだった。


 悪夢から守ってやらないとならない浅間澪はもういないのだから。


「そう考えると、いまの私がしていることはとんでもない詐欺行為ね」


 悟はいまでも夢の守人を続け、こうして私に夢を見せてくれている。

 だけどそうすることで、そうし続けることで彼が得るものなど無い。過去に一度だけ「このまま守人を続けていいの?」と尋ねたことがあったが、そのとき悟は「ナイトメアを放っておくのは寝覚めが悪いし、朝飯が不味くなる」とだけ答えたがそれでいいのだろうか。


「その頃から、かしらね。罪悪感なんて抱くようになったのは……」


 この美しい光景を独り占めすることにひどくおさまりの悪さを感じてしまうのだ。時の流れとは本当にままならない。いっそのこと悟が加齢と共にこの素晴しい夢を見なくなってしまえば(精神の成長によって夢も変化するので当然その可能性はある)こんな想いをしなくてすむのに。

 私たちの契約は終わり、仕方ないというカタチで私たちの関係は終結する。しかし、彼の夢は変わらない。そして、そうである以上私が悟から離れることなどありえない。

 何も変わらなければいい。だけどそれが叶わないのなら、もういっそ変わってしまえ。そんな無責任な想いにられ叫びたくなる。


 いつのまにか日は完全に没し、空は夜の女王の黄金色の光と藍色のベールに包まれている。私の心中を知ってか知らずか世界は姿を変えていた。りんとしながらも何処か切ない藍色の空を見上げていると、もしかしたら自分を慰めてくれているのではと馬鹿げた妄想が膨らんでくる。


「……こういうとき、あなたが起きてくれたらって思ってしまうわ……悟……」


 膝の上にある寝顔をみつめる。夢の中で眠る彼が起きることは決してない。たとえ私との契約が終わったとしてもそれは変わらない。だから、いまの言葉は罪だ。そう言わせた想いもきっと罪だ。絶対に悟に聞かせてはならない私の罪。


「………」


 風に揺らめく草葉の音だけがかすかに聞こえる静寂のなか、私はひとり胸のざわめきを疎んだ。平静をたたえる空と、心中ざわめく私とはただただ遠い。気づくと私の手は空に触れようと伸びていた。


「この空のようになれたなら……」


 あるいは――

 眠る悟を見下ろす。きっと彼は私の立場になってもこんな気持ちを抱かないだろう。たとえ抱いたとしても、私のようにただ立ち尽くすなんてことはないだろう。


「だけど、そのとき……悟はなにを……」


 選ぶのだろう?


 空を目指した腕が弛緩しかんしてしまった。垂れ下がった手に悟の肩が触れる。思わずギュッとその肩を掴んでしまう。これ以上は止めよう。いまは空を眺めているべきだ。


「………」


 うつむいていた顔をなんとか上げる。いくらか落ち着きを取り戻せた。今度こそは空を――


「ながめて……って? え?」


 天のある箇所が不自然に白んでいた。まるでやすりで塗料を剥がしているかのようにその白い部分が荒々しく拡がり、世界を無粋にもけがし始めた。


「まずい! もうなの!?」


 悟の肩に手をかけ意識を集中する。早く夢の世界から帰還きかんしなければならない。


「速く、速く……!」


 無粋な白の侵食は激しくなり、私の愛しい世界を破壊する。それに苛立ちを感じながらも私は作業を終える。早く夢から覚めないと危険だ。主に私が。


「覚えてなさいよ!」


 私は叫び届かぬ相手に非難を浴びせる。届いてしまったら、それはそれで困るのだが。


「本当にいつかタダじゃおかないわよ!」


 だからせめてココでだけではこいつを罵ってやる。この世界をぶち壊す犯人を。


「澪!」


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