第6話

 青白い粉雪のようなものが舞っている。それは青い光と白い光を放ちながら螺旋らせんを描くように流れる。その流れの終着には波ひとつ無い泉のようなものがある。

 緑がかった石でできた遺跡。その中央に半径2メートルほどの円形の水面があり、そこへ向かって天井から青白い光の粒子とでも呼ぶべきものが流れ込んでいる。

 何度見ても言葉では説明しきれない幻想的な風景。まるで夢のような光景だ。いや、実際これは夢の世界の光景なのだ。悪魔の中でも夢魔と呼ばれる存在であるムウにいざなわれることで俺はここへとやって来たのだ。


「って、ムウは?」


 辺りを見回すが彼女の姿が見当たらない。いつもならすぐここで合流するというのに。


「お待たせ」


 しばらくきょろきょろしていると突然死角からムウが声をかけてきた。


「なんだ、いたのか。探したぜ」

「それは悪かったわ。ちょっと準備運動をしてたのよ」

「へぇ~……えっ?」


 何かが引っかかる。夢の世界に来る前になにかあった気がする。


「ときにムウさん、どんな準備運動を?」


 目の前にいるムウは何と言うか、スッキリした表情を浮かべている。そのいい顔に不安を感じながら尋ねると彼女は爽やかにサムアップしながら答えた。


「寝ているあなたを折檻せっかんしたわ! 往復ビンタで!」

「何してくれてんの!?」


 信じられない。寝ている無防備な相手を折檻せっかんすること自体も、それをそんなに爽やかに告白出来る神経も。いや待て、悟。何か理由があるに違いない。ムウとは8年の付き合いだ。彼女は悪魔で、性格もズバリそのまま悪魔的だけど優しいところだってちゃんとありつつやっぱり悪魔的な俺の相棒じゃないか。

 対話を諦めては駄目だ。そこから相互理解が始まり、本当の意味で相手を尊重することが出来るようになるんだ。


「ムウ、どうしてそんなことを?」


 顔が引きつるのを我慢して質問する。すると彼女は毅然きぜんとした態度で答えた。


「あれはあなたの為でもあるのよ悟。だからちゃんと回数も考慮したわ」


 ほら、理解に苦しむ主張をしているけど、ちゃんと回数を考慮したと言っているじゃないか。そんなに何回も叩かれたら痛いもんな。さすがムウ。悪魔だけど俺の相棒だね。


「そ、そっか。で、ムウ。何回ビンタしたの?」


 すると彼女は両手を上げた。右手の指を全開にし、左手は親指だけ折った状態で。つまり指で数を示しているのだ。5と4、そうか9回か……意外と少ないな。


「54よ」

「54発!?」

「54往復よ」

「2倍で108発!?」

「煩悩の数ね。心を込めて叩いたわ。憐れなあなたに魂の救済があるようにって」


 やはり所詮は人と悪魔。長い付き合いがあっても分かり合えない溝があるのだろう。分かり合えないって悲しいな。というか、悪魔が魂の救済なんて言うなよ。


「いいじゃない。あなたいま『そうか9回か……意外と少ないな。そんなんじゃ俺のM男心は全然満足出来ないぜ』って顔してたわよ?」


 ビックリするくらい正確に心を読んでる前半と全く事実と合致しない後半のギャップに頭痛を覚える。


「そんなことはない。もし仮にそうだとしても9回から108回は回数増えすぎだろ?何倍だよ?」

「12倍ね。それくらいぱっと計算しなさいよ、アホル」


 ほんとにこいつは口が減らない。どうやら俺たちにはまだ対話による相互理解はハードルが高すぎるようだ。いいだろう、ならこっちにも考えがある。


「……マタタビ」

「は?」

「明日郊外の花屋からマタタビを買ってくる!」

「なっ……!」


 突然のマタタビ購入宣言にムウの余裕が一瞬で消し飛んだ。夢の世界の住人、夢魔である彼女だが現実世界での彼女は基本的に猫の姿をしていて、その性質にも猫のそれが色濃く現れている。

 つまりムウはマタタビで酔っ払うのだ。そして泥酔でいすいすることはプライドの高い彼女にとって許容し難い事柄であるのだ。


「私をふにゃふにゃにしてどうするつもりよ!? さては、また肉球をもみしだいたり、耳毛や尻尾をもふりたおす気ね!? このケダモノ!」

「やかましい! よくも寝てる俺を折檻せっかんしてくれたな、この悪魔!」

「だからといってそんな卑劣な手段に訴えるなんて最低よ。ケダモノ!」


 こうして俺たちは「悪魔!」「ケダモノ!」という言い合いを始める。幻想的な光の柱を背にしながら子供のような喧嘩をするなんて我ながら度し難い。だけどもっと度し難いのはそんな俺たち二人(?)がひょっとしたら人類の命運を左右するかもしれない立場にいるってことだ。

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