第134話 父親

 浴室は湯が発する湯けむりによって視界がほとんど遮られていたが、混浴スペースにはすでに何名かの住人が入浴をしている声が聞こえてきていた。


「ルシアー! 先に入っているからね」

「はーい。今ピヨちゃんを洗ってますから、もう少ししたら行きますね~」


 女性用に仕切られた洗い場の奥からルシアが弾んだ声で返事をしてくれていた。先に身体を洗ってもらったらしいルリが、のそのそと洗い場スペースから出てきたが、出会った時に比べるとすでに数倍の大きさに成長しており、小型の馬と言えるほど体躯に成長している。本人は成長期だからと言っているが、絶対にルシアの料理を食べ過ぎであるような気もする。そんなルリも入浴ルールを守るために胴体には入浴着を巻いているのだが、普段から毛皮を纏っているルリに入浴着は必要かと思ったが、口にするときっと頭をガジガジされると思うので口を紡ぐことにした。


「ルリちゃん、おいら達って入浴着いるんのきゃ? おいら達っていつも裸……」


 あっ! ハチ、それは地雷発言だぞっ!


 ハチの言葉に目をクワっと見開いたルリが電光石火の早さでハチに近づくと、その頭に牙を突き立てていた。


「はぐはぐ、ハチちゃん。そんなこと言ったらダメなんだからね。雰囲気が大事なの!」

「いだい、いだい。ルリちゃん痛いがね。分かった、分かったがね! 雰囲気大事。ああぁ、そこは痛いいいい」


 きっと甘噛みであると思いたいが、不用意な発言をしたのはハチなので身をもってルリに謝罪をしてもらおうと思う。女子は怒らすと怖いのだ。ハチ……よ。


 ルリに頭を噛まれたまま、ズリズリと引き摺られて浴槽の方へ移動していった。けれど、基本はイチャイチャしている二人なんで一緒にお風呂に入ればすぐに仲直りしているはずだ。


「僕も一緒に入っていくる」

「あんまり走らないようにな! 足元滑るからな」

「はーい。気を付けるよ」


 ミックも混浴スペースの方へ駆け出していったが、床は濡れていて滑りやすいので転ばないように声をかけておいた。残ったオレは自分の楽しみ用に作った二人用の浴槽の方に移動して身を沈める。湯はルシアも長湯ができるようにぬるめになるように調整してあった。しばらく、身を沈めて身体を温めていたら背後から声がかかる。


「ツクルにーはん、お待たせでした。ピヨちゃんの身体を洗い終えましたからそちらに入らさせてもらいますね」


 ファッ――――――――――――――――!! 混浴きたのっ! ルシアたんとの混浴は何回でもドキドキしちゃうぜ!


 ちゃぷんという音とともに背後から浴槽にルシアが入ってくる気配が背中越しに伝わってくる。入浴着を着ているとはいえ、ルシアたんと肌が触れあうこの入浴の時間がオレにとっては朝のモフモフタイムと並ぶ最重要な癒しの時間であるのだ。


 前までは露天風呂であったので、ルシアの姿が湯煙で隠されることも無かったが、温浴施設として新しく作った浴場は全天候型の屋内の浴場であるため、湯煙が立ち込めていて、その煙がまた風情を掻き立てる役目を果たしている。


 ルシアの尻尾と思われる毛が背中越しに触れてくる感触が伝わってくる。すぐ後ろにルシアがいると思うだけで、視界を覆う湯けむりも楽しめるもの変わっていく。元々、風呂に浸かることはゲームや仕事の疲れを癒すため好きなことの部類に入っていたが、このクリエイトワールドに転生してからは、元の世界では得られなかった気を許せる仲間や心から好きだと言える女性と一緒に楽しむ娯楽として俺の心を癒してくれているのだ。


 みんなで楽しくワイワイと暮らしていけたらいいな……。魔王を討つことでしかこの世界を守れないのであれば、イクリプスの思惑に乗るのも癪だがルシアとの生活や俺が作っている街に住んでくれている住民達を救ってやりたい。世界全部とかはすごいプレッシャーになるので、自分と縁を結んでくれた人達が笑って暮らせる場所を守ると考えるくらいがちょうど良かった。


 そんなことを考えていると、ルシアがそっと近づいてきて背中に尻尾が強く当たるくらいの位置にきている。今まで何度も混浴はしていたが、いつもここまで近くまでには寄ってきたことはなく、背中越しとはいえルシアの姿を想像すると心臓の音が浴室に響きそうなほど高鳴ってしまっている。


 ファッ―――――――――――――――――――!! ルシアたんっ! 近いよっ! そんなに近づいたら、色々なものが俺に当たっちゃうからぁああああ!


 積極的なルシアの動きに翻弄されて心はかき乱されていき、湯煙で周りの人の姿も見えないことも相まって、俺もいつもより積極的な行動にでていた。


 ちょっとだけならルシアたんも許してくれるよね……。煙で見えないし、尻尾を触るくらいなら怒らないはずだ。


 ゴクリと生唾を呑んだ俺は振り返ることはせずに身体を寄せてきているルシアの方で手を動かし、背中に当たっている尻尾にタッチしていこうとしていく。手探りで湯の中にあった尻尾らしき物を掴むとルシアの身体がビクンと震えた。湯の中で触るルシアの尻尾はフサフサではなく、ザラザラとした感触で意外と太い感触を伝えてきていた。


 意外と尻尾の元は太いのか……。やっぱフサフサになったあとの尻尾の方がいいな。


 さわさわと感触を確かめるべく触っていると、ビクンビクンと身体を震わせていルシアも気が付いたようで、トントンと背中を叩いてきた。これ以上やると嫌われてしまうので、慌てて手を離し、何でもなかったような顔をして振り向くことにした。だが、振り向いた先にいた人を見て湯の温度が氷点下にさがるような冷たい汗が一斉に俺から流れ出していった。


 ファッ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!! ピヨちゃんっ!! なんで、ピヨちゃんが入っているの!! 嘘だ! これは夢だ! 俺はルシアたんと混浴をしていたはず、ちゃんとルシアの声もしていたし、尻尾も……尻尾……尻尾ぉおおおおおお!!


 目に飛び込んだのはピヨちゃんの尻尾である大蛇がキシャーと牙を剥き出し、本体のピヨちゃんもこちらを射殺す勢いの眼で睨みつけてきている姿だった。


 ピヨロ、ピピッ!! 


 ピヨちゃんのくちばしと大蛇の牙が同時に襲ってきた瞬間に俺の意識は違う次元に飛ばされてしまっていた。



「ツクルにーはん、大丈夫ですか? いくら狭かったからと言ってピヨちゃんの尻尾を勝手に触っちゃダメでしょ。そ、その尻尾が触りたいならウチの尻尾があるんですから……でも、お風呂じゃダメですよ。お部屋でなら……」


 ピヨちゃんによって違う次元に飛ばされた俺は入浴着を付けたルシアに膝枕してもらいつつ、おでこを撫でてもらうという至福の時間を過ごしている。


「い、いや。ルシアが入ってきたと思って……ピヨちゃんだと知っていたら触れたりはしなかったさ」


 ちょっとだけ膨らんだおでこをルシアの手が優しく撫でていってくれる。その手が額に触れるだけで心が落ち着き、すべてを委ねられる安心感に包まれていた。物心ついた時から母親は仕事で顔を合わせることも稀な生活を続けてきたため、俺はルシアに母親の影も求めているのかもしれない。


「フフフ、もう。ツクルにーはんはそそっかしい人ですわ。ピヨちゃんもわざとじゃないと分かったみたいですしね」


 ルシアが指差す方を見るとピヨちゃんが二人用の浴槽に入って、幸せそうに蕩けている姿が見えた。コカトリスのひよこであるが、マッサージと入浴が大好きというちょっと変わった魔物なピヨちゃんであるが、対俺に関しては最強の生物になる可能性を秘めている。


「ピヨちゃんは俺に厳しい」

「フフフ、ピヨちゃんはツクルにーはんに甘えてるだけですよ。ちょっと、やんちゃが過ぎますけどね。自分を受け止めてくれるとお人だと見抜いているから、あんなに甘えているんですよ。知ってます? ピヨちゃんはクロちゃんの面倒や年少組の面倒をしっかりと見ているみんなのお姉さん役をしてるんですよ。その役目をしっかりと果たしているあのピヨちゃんが甘えられるのは、ウチとツクルにーはんだけなんよ」


 ルシアが言っていることは俺も知っていた。狩猟に出ていない時は日中畑でワームを突きつつ、最近加わったクロちゃんの目付役もこなし、子供達が危ないことをしないか眼を凝らし、危険を未然に防いでくれているのを知っていた。


 そういえばピヨちゃんもまだ子供だったな。子供のわがままを聞いてやるのも親としての務めか……。


 ルシアと二人で育てることを決意しているピヨちゃんやクロちゃんは子供同じなので、子のわがままに付き合うのも俺が父親となるための試練だと思うことにした。


「俺達の子供だからしょうがないね。せいぜい娘に嫌われないようにしないとな」

「フフフ、そうですよぉ」


 ルシアに膝枕されながら、二人で笑い合っているとこの世界で骨を埋める決意を固めさせてくれることになった。

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