第47話 第二現地人

 三人称視点


 日暮れが近くなり始めた時刻に、スラっとした背の高い女性が、目の前に広がる綺麗に整理された庭園と生け垣を持ち、立派な防壁と幅の広い水堀に護られた館に視線を向けていた。


 ツクルの館に赤い瞳から視線を送っている女は、前髪をパツンと揃えて黒髪の長く垂らした髪を指先で弄んでおり、身に付けた鎧は露出度の高い革の鎧のようで、胸元は窮屈そうに盛り上がり今にも零れ落ちそうなほどのボリュームであった。


 この女の名はイルファ・ベランザール。人化の法を使って竜から人の身になったとされる高貴な竜人族の出であり、竜人族の証である喉元に鱗状の突起物が貼り付いている。


(……何が悲しゅうて、竜人族が、こぎゃん僻地のゴブリンやコボルト達の面倒ば、みなけらばいけんのかしら。まったく、ついとらんわね。魔王様に頭からお茶ばぶっかけたくらいで僻地任務とかって酷うなか? 確かに躓くものが無か場所で躓いたアタシも悪かったけど)


 ツクルの家に視線を向けているイルファは、誰も聞く者がいない愚痴を心の中でこぼしていた。彼女は魔族の中でも高貴とされる竜人族であるため、就職難にあえぐ他の魔族を押しのけ、一族のコネクションを使って、誰もが羨む出世コースである現魔王の給仕係として採用されていた。前途に期待を膨らませて初出勤したその日に、茶器に入った熱湯を魔王の頭にこぼした彼女に下った配転先は、最果ての魔王軍の砦のそのまた先にあるコボルトとゴブリンしかいない集落の守備隊長職であった。


(ゴブリンやコボルト達とは馴染めんし、やれ飯ば食わせれだの、むぞらしかカワイイ雌ば紹介せれだのせからしゅうてうるさくてかなわんわ)


 イライラとした表情をし始めたイルファのマントをゴブリンが引っ張る。


「何ね? 飯ならあん家から勝手に盗ってこればよかやろう。いちいち、ぬし等のやることに口出しはせんけん、自由にやればよか!!」


 イルファの許可を貰ったゴブリンやコボルト達が喜び勇んで、ツクルの家に向かい駆け出していった。すると、十数名が草地に足を取られて地面に勢いよく転倒し、悲鳴ともうめき声とも見分けのつかない声を上げて足を抑えていた。


「罠がしかけられとるん……虎ばさみか。酷か罠ば仕掛ける奴がおるな。この館の主は相当に根性のねじ曲がった奴やて思うわ。おい、ぬし等、罠があるけん慎重に攻めていかんば無駄死にするぞ。ぬし等が勝手に全滅するとアタシがまた砦の上司にがらるっ叱られるやろう!!」


 しかし、ゴブリンやコボルト達はイルファの言葉に耳を傾けようとはせずに、次々にツクルの館に向かって駆け出していく。そして、生け垣に到達したゴブリン達がショートカットをしようと生け垣に近づくと、バシュッという何かが跳ねる音と共にゴブリン達の腹に鉄の杭が生えていた。


(ひえぇっ!! グロい……あぎゃん残酷な罠まで仕込んであるんか、ご丁寧に鉄棒の先が尖らせてあるだなんて……この館の主は絶対にサディストや。こんまま、攻めたら絶対に全滅する気がする)


 イルファの懸念はすでに顕現しつつあった。二百名近くいたゴブリンとコボルトの部下達はすでに半数が罠に掛かって命を落とし、白煙を上げて素材となっていた。イルファは突撃をやめさせようと声を張り上げるが、仲間が罠に掛かったことも気にせずにゴブリンとコボルト達は花畑に次々に足を踏み入れていったかと思うと、スッと姿が掻き消えて見えなくなってしまい、断末魔の叫び声が花畑から一斉に聞こえてきていた。


(ああぁ……すらごつやろ。落とし穴まで仕込んであるだなんて……館の主はどれだけ防備ば備えとるんかしら、もしかしたら、もっと罠が)


 イルファが急に自分の足元を気にし始めた。ツクルによって仕掛けられた極悪な罠が自分の周りにも大量に仕掛けられているかと、疑心暗鬼に陥り一歩も動けなくなってしまう。ゴブリンやコボルト達もさすがに落とし穴があると分かると、怖気づいてイルファを置いて逃げ出し始めた。


「待ちなっせ。アタシば置いていくな。待て、待って、お願い置いていかんで、頼むけん一緒に連れて行ってよう!!」


 罠にかかる恐怖より、味方に置いていかれる恐怖の方が勝ったイルファは、ギクシャクと手足を動かして、生き残ったコボルトやゴブリン達が逃げ道に選んだ林の方へ走り出していった。


「止まれ、アタシば置いていくな。ぬし達が勝手に逃げ散るとアタシがお咎めば受けっと。やけん、アタシば置いていくなっ!!」


 逃げ出していく部下達の背を追って、一生懸命に胸を揺らして走るイルファであったが、林の中に入ると愕然としてしまった。なぜなら、先に逃げ込んでいた部下達が括り紐によって生け捕りにされて、いたる所で逆さ吊りになりぶら下がっており、ほぼ全滅していたからであった。


(ひぃいい!! ここも罠が仕掛けられとったなんて! これでアタシば残して部下達が全滅やと……すらごつだ。二百名いたのよ。すらごつばい)


 ツクルの館の凄さを目の当たりにしたイルファは、烏合の衆であったとはいえ、僅かな時間で二百名からの魔王軍を全滅させた、まだ見ぬ館の主に失禁しそうなほどの恐怖を感じていた。


(命あってん物種や。部下達には悪かばってん、こりゃ上司に報告せねばならんめえ。辺境のそんまた僻地に、雑魚とはいえ魔王軍ば壊滅さすっ城が残されとると知らすれば、上手うすりゃ中央に返り咲くっかもしれんわ)


 惨劇を目の当たりにしながらも打算を働かせたイルファが、ジリジリ後ずさりをしていくと、足元に何か糸が引っ掛かりプツンと切れる感触がした。


「ひょぇえええぇ!! 何でアタシまで罠に引っ掛かっとっと。バカバカ、大馬鹿~~~~!!」


 勢いよくしまった縄口に足を縛り上げられたイルファはすっ転んで逆さに吊るされると、大きく実ったおっぱいの重みで身動きが取れなくなってしまった。


(重か、重すぎる。よう育ったて思うばってん、ちょっと育ち過ぎた……って、そぎゃん悠長なことば言いよる場合じゃ……こんまま、逆さ吊りにされたままだと、その内頭に血が昇って苦しんで死んでしまう。そぎゃん、死に方は嫌)


 何とか足元の縄に捕まろうと身体を持ち上げようとするが、日頃から運動をサボってきていたイルファの筋力では自らの上半身を持ち上げることはできず、無駄に体力を消費していくだけだった。やがて、自分では助からないと悟ったイルファは辺りに誰かいるかもしれないと思い大きな声で助けを呼び始める。


「助けて!! 誰かいまっせんかぁっ!! 罠にかかって死にそうと。お願いやけん誰か助けて!!」


 必死に助けを呼ぶイルファであったが、一時間以上逆さ吊りされていて血が大分下がってきているようで、意識が飛びそうになりかけていた。

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