第四章-1:四月の桜とピアノ-3

 その後無事に委員は全員決まった。最後に教室の掃除をして、今日はおしまいだ。

 去年の三年二組が残していった、卒業式の案内なんかの掲示物を捨てたので、初日なのにごみ袋がいっぱいになってしまった。ちょうどあたしが最後にちりとりのごみを捨ててしまったので、そのまま袋をしばって、学校の北側にある裏庭の焼却炉に捨てにいく。

 裏庭は一日中校舎の影になっている。ごみを捨てるか、運動部員が校舎一周ランニングで通りがかるかくらいでしか人が来ないので静かだ。敷いてある砂利を踏んで鳴らしながら歩く。

 ふと、あたしではない、砂利を踏む音がした。

 他にもごみ捨てに来た生徒がいるのかなと思ったけど、それっきりなので誰かが歩いているわけではないみたいだ。あたしが進む先から聞こえたので、誰かなと見回しながら歩いていたら。

「……げっ」

 校舎の影に見えたのは、スーツを来た金髪男性。出た、諸悪の……いやそこまで悪ってわけでもないけど、とりあえずなんかいろいろの根源、高橋!

 まだ文句を八個考えられていなかったので、あたしは足を止める。頭の中で文句を整理しながら(高橋が謎だらけなのが悪い、春休みに全然会わなかったのが悪い、新年度も音楽教師をするのか前もって教えてくれなかったのが悪い、結局しれっと音楽教師をやっているのがいらっとする、安寧の音楽委員立候補を躊躇わせられて腹が立つ……今のところ五つだ)、高橋の様子を覗き見る。

「……」

 内容は聞こえないけど、何かしゃべっているみたいだ。ポーズからして、電話かな? あ、黒い二つ折りの携帯電話を耳に当てているのが見えた。

 あまり抑揚のない、つまりは「先生」モードではない普段の高橋の喋り方。携帯電話も、前に魔物退治をしているときに電話をかけるために使っていたものだから、エクソシストとしての電話なのかな。

「……了解した」

 小さくだけど声が聞こえてきた。

「万事問題ない。……問題ないが、……今回、当初の予定期間を超えて任務を続けることになったのはなぜだ? ……いや、そうじゃない、そういうつもりは、」

 静かに立ち止まっていたつもりが、風で揺れたごみ袋が足に当たって、がさりと音を立てた。はっと高橋が振り返る。少し驚いたような顔だったけれど、あたしだと気付いて表情を緩めた。緩めたと言っても、真顔の範囲内で。

「のばらか」

「う、うん。どうしたの? こんなところで」

 言うはずだった文句はまだ揃っていないけれど、なんだか妙なタイミングになってしまって、あたしたちは話し始めた。

「電話だ。大した用じゃない」

 振り返った時に切ってしまっていたのか、高橋は携帯電話を折り畳んでスーツのポケットに仕舞った。

「のばらはごみ捨てに来たのか」

「うん、そこの焼却炉に」

「なるほど」

 高橋は一つ頷くと、あたしの手に持つごみ袋に手を伸ばした。

「……えっ、何!?」

 思わずごみ袋を遠ざけると、高橋はきょとんとした。真顔の範囲内で。

「重そうだったから、焼却炉まで持って行こうかと」

「い、いらないっ」

 首を横に思いっきり振る。あたしは今、高橋に文句を言うつもりをしているのだ。そんなときに感謝が必要なことをされてしまったら、文句が言えなくなってしまうじゃない!

 高橋は不思議そうな顔をする。真顔の範囲内で。

「どうした? もしかして他人に触れることすら許されないトップシークレットなごみだったのか。それなら大変だ。このことは内密にするから、どうか俺のことは消さないでくれ、神の使い」

「何それ怖ッ!! そんな大事なもの、三年二組のごみ箱から生み出されねえよ!!」

「しかし内緒の話は、路地裏でこっそりするよりも街を歩きながらの方がいいと先日見たスパイ映画で言っていた。木を隠すなら森の中という日本のことわざもあるし、大事なものを処分するときもごく普通のごみに混ぜた方がいいということなのではないか? そうだな、俺も次からそうしよう」

「高橋は一体何を捨てようとしてるの!?」

「のばら。言ったら秘密にならないだろう」

「そんな諭すような言い方やめてくれる――!?」

 ああもう、なんであたしは学校の裏庭でごみ袋を守りながら諭されてるんだ! まだ文句の数が足りていないけれど、このまま高橋のペースに巻き込まれるわけにはいかない!

「あたしは! 高橋に文句を言いたいんだけど!!」

 びし、と指差してやると、高橋は首を傾げた。

「文句?」

 そして少し考えた後、あたしにきちんと向き直った。そ、そんなにしっかりと聞く体勢をとられると言いにくいんだけど……!

「う、その、文句っていうか……ああもう、なんで四月になっても守本中の音楽教師をやってんのよ!! あ、いや、やってるのが悪いわけじゃなくて、やっててもいいけど、それならそれで言っておいてよ! 春休みも全然出会わなかったし、いや高橋に出くわしたいわけでもないけど! ともかく引き続き音楽教師をやってる理由くらい教えてよ、今回は何の目的で守本中学校にいるわけ!?」

 気恥ずかしさを勢いで誤魔化すにも限度があって、あれ、しまった、音楽委員の件を言い忘れた。どんな顔をすればいいか分からなくなって、怒ってんだか何なのか微妙な表情のまま、ちらっと高橋を見上げる。

 高橋は……一瞬、本当に無表情だった。

 何かを言おうとして薄く開いた口はそのまま、動くことをやめて。

 高橋は普段から表情に乏しいけれど、不意を突かれたようなその無表情は、明らかにいつもの高橋じゃなかった。様子のおかしさに、あたしはおずおずと尋ねる。

「あの、高橋、聞いちゃいけない話だった?」

 高橋ははっとした。真顔の範囲内で。

 一度閉じて、それから開きなおした口で、高橋は話し出した。

「いや、そんなことはない。むしろ神の使いであるのばらには伝えておいた方がいいだろう。ホウレンソウは大切だ、と言うからな」

「……ホウレンソウって何のことか知ってるの?」

「『報告する』、『連絡する』、『そういえば玄関のドアに鍵をかけただろうか、心配なので確認する』」

「何で最後、家を出て百メートルくらい歩いて急に心配になった人になってんの!?」

「……ところで、俺は今朝玄関のドアに鍵をかけただろうか、神の使い」

「自分で言って不安になってんじゃねえよ!!」

 高橋はしばし不安そうな顔をしていたけれど、「いや、鍵をかけたはず。大丈夫だ」と言って頷いた。

「さて、俺が今日も音楽教師としてこの守本中学校にいる理由を説明しよう。まず、そもそも音楽教師としての仕事がまだ残っている。本来ここに着任するはずだった音楽教師の任期の分は、俺が音楽の授業を担当しなくてはいけない。そしてもう一つの理由として、ジルが以前言っていたと思うが、この光原市に発生する『穴』の数が増えている。その対応のためにも、まだしばらくはこの街に滞在することになる、というわけだ」

 前の音楽の先生は出産と育児のためにお休みしていて、その先生が戻ってこられるまでの代わりの講師ってことで高橋がやってきたのだ。それなら四月になろうと、前の先生のお休みが終わるまでは高橋は守本中学校にいないといけないよね。

 それに光原市の「穴」が増えているって話も、確かにジルさんが言っていた。光原市の担当は伊吹さん一人だったけれど、高橋が来たうえに、伊吹さんのお姉さんである瑞穂さんも最近加わった。そんな状況で高橋がいなくなるってことはないか。

 まともな理由だったので安心した。前は「最終兵器を探す」なんてとんでもないこと言ってやってきたもんね。それに、この理由なら、高橋はこれからもしばらくは光原市にいるみたいだし、安心……。

 ……ちょっと待って、それじゃ高橋にずっといてほしいみたいじゃない! い、いや、いてほしくないわけじゃないけど……。

「どうしたのばら、顔が赤くなったり眉をしかめたりして。すっぱいものでも食べたのか?」

「今あんたと向かい合って喋ってて、すっぱいものを食べる時間あった!?」

「確かに、口にものを運ぶ様子はなかった。それはつまり、頬に隠し持っていたということでは?」

「ということでは? じゃねえよ、あたしはハムスターか!!」

「そんなに長い間頬にすっぱいものを隠していると、口内の粘膜が荒れるだろう。そんなときには牛乳を飲むといい」

「飲むか――!!」

 差し出された牛乳を掴んで高橋のスーツのポケットに突っ込んで返し、あたしは勢いのままゴミ袋をゴミ捨て場に投げ込んだ。よし、すっきり。

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マイワールド・クロスネス 一水ケイ @heaven5b

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