第四章-1:四月の桜とピアノ-1

 あたしたちが住むこの街で、桜が咲き、そして花びらを散らすのは、別れの季節ではなく始まりの季節だ。


 満開の淡い色の花に縁取られた校舎の前にたむろする、黒い制服姿の生徒たちはまるで壁。遅刻というほどではないけれどちょっと出遅れたあたしは、なんとか背伸びをしたり、見つけた僅かな隙間から前へ進んだりしようとするんだけど、先頭――クラス替えの結果を示す張り紙への道のりは遠い。

 今日は四月七日、我が守本中学校の始業式。あたしたちの目下の興味は、進級に伴うクラス替えによってどのクラスになったのか、そして誰と一緒にクラスになったのか、だ。何度迎えたってこの日はどきどきしてしまう。期待のような、怖さのような。すでに決まっている結果を見るだけだってことは分かっているけれど、なかなか前に進めないこの状況に気持ちがはやる。確認し終わった女の子たちが、友達とはしゃいだり、あるいは励まし合ったり慰め合ったりしているのが目にも耳にも入ってくるのでなおさらだ。くそう、もうちょっとあたしの背が高ければなあ!

 やがて、少しずつ前のほうの生徒たちが確認と一はしゃぎを終えて玄関に入っていって、ようやくあたしにもクラス名簿が読めるようになった。一呼吸して、覚悟を決めて、張り紙をにらみつける。

 三年一組。原、原、原、原、原……、ない。

 三年二組。原、原……。

 自分の名字を心の中で唱えながら、一心不乱に、羅列された名前を追っていく。

 ――突然、背後に衝撃。

「うわ!?」

「おはよう! 今年も一緒のクラスだね、のばら!」

 集中していたところに飛びつかれて、大きな声が出た。それよりももっと大きな、はしゃいだ声で、抱きついてきたのは……。

「明日香ちゃん!」

 友達の初瀬明日香ちゃんだった。

「びっくりした、もう」

「のばらは二組だよ!」

 クラス替えというイベントでテンションが上がっているのか、春という季節と桜に舞い上がっているのか、ともかくあたしのことなんて気にせず、明日香ちゃんが張り紙を指差す。仕方なくその言葉に従って、さっき途中まで見ていた二組の続きを見てみると、……あ、あった! 原のばら。出席番号は三十一番。

 ちなみに、三十一番「原のばら」の一つ前は、三十番「野村春奈」。じゃあ同じクラスだと言った「初瀬明日香」はどこにいるのかといえば、いない。

 明日香ちゃんが見間違えたわけではない。先生がうっかり忘れていたわけでもない。明日香ちゃんは、この学校の生徒ではないのだ。その正体は、この世界のすぐそばにあってこの世界とは違う世界――通称「裏」から来た羊の魔物。気付かないうちに集団に紛れ込んでしまうという特技を持つ明日香ちゃんは去年と同様、今年も自然に守本中学校の一クラスに紛れ込むことにしたらしい。だから名簿に記載はないし、教室の机も一つ足りなくなるし、印刷物も毎回足りない。でも皆、不思議だなあ、よく分からないけど余っている机を取ってこようか、印刷物ももう一部コピーしてくるね、って深く考えずに自然と受け入れてしまう。

 そういうわけで明日香ちゃんにはクラス替えなんて関係ないし、自分の好きなクラスを選んで紛れ込んでるわけだから「一緒のクラスだね!」っていう言葉はおかしいんだけど。春の青空の下、生徒たちとその向こうの桜を背景にはしゃぐ明日香ちゃんはとても嬉しそうなので、いいってことにしておこう。あたしも明日香ちゃんと同じクラスなのは嬉しい。

「今年もよろしくね、明日香ちゃん」

 そう言うと、明日香ちゃんは満面の笑みで「うん!」と頷いた。

 さて、自分のクラスが分かったところで、次に気になるのは誰と同じクラスなのかってことだ。改めて三年二組の名簿を先頭から順に見る。一番・赤本堅太郎。二番・井畑昌樹、三番……伊吹花折!

「わっ、伊吹さん、同じクラスなの!?」

「あら、原さん、同じクラスね」

 あたしの声のトーンが一つ高くなるのと、隣から涼やかな声が聞こえるのとが同時だった。思わずそちらを見ると、むっとした顔の伊吹さんが長く艶やかな黒髪を耳にかけているところだった。

「私が同じクラスだってことに、そんな嫌そうな声を出さなくたっていいんじゃない?」

「え、ええっ、違うよ伊吹さん、びっくりしたってだけ!」

「そうかしら?」

「やっほー花折ちゃん、私も三年二組にしたよ!」

「げっ、あなた、まだいるの」

 明日香ちゃんが両手でピースサインをしながら宣言すると、伊吹さんは嫌そうに短く呻いた。とたんに明日香ちゃんが口を尖らせる。

「ちょっとー、花折ちゃん、酷くない!?」

「自分の胸に手を当ててから、もう一回言ってくれる?」

 伊吹さんがげんなりした顔をする。明日香ちゃんは素直に自分の胸に手を当て、それからもう一回言った。

「花折ちゃん、酷くない!?」

「……三年二組に『したよ』って、他の子には口を滑らさないようにしなさいよ」

「するわけないでしょ、私はしたたかで賢い羊さんなの! 花折ちゃんめ、そんなふうに余裕ぶっていられるのも今のうちだぜ!」

 びしっ、と胸を張って指さしてみせる明日香ちゃんに、伊吹さんは頭を抱えた。

 他の子に言ってはいけない「三年二組に『したよ』」という言葉を伊吹さんには言っても構わないのは、伊吹さんもまた訳ありの存在だからだ。伊吹さんは、「裏」からこちらへ迷い込んだ魔物たちを退治する側の人間、通称「エクソシスト」。本来なら高校に通う年齢なんだけど、仕事のために守本中学校に生徒として潜り込んでいる。あたしたちよりずっと飛び抜けて大人っぽくてしっかり者で頭がよくて……と見せかけて、実は些細な弱点が多くて面倒見のいい努力家だってことが最近分かってきた。ただ、明日香ちゃんの横で朝からげっそりしている様子を見ると、……今年はさらに伊吹さんの心労がかさむんだろうな……。

「それにねえ花折ちゃん」

 明日香ちゃんが憤慨した様子で続ける。

「『まだいるの』はこっちの台詞なんだけど!」

「はあ?」

 伊吹さんが眉根を寄せる。

「花折ちゃんが守本中学校に潜り込んでるのは、この中学校に隠されていた『最終兵器』を探すためだったんでしょ。でももう見つかったじゃない。急に転校すると怪しいだとか、新生活を始めるまでの猶予期間が必要だとかで、三月までここにいるのは分かるよ。……どうしてしれっと進級しちゃってるの! どうしてまだ守本中学校にいるのよエクソシストー!」

「はあ。理由なんてあなたに言うわけないでしょ」

「なんて薄情!! 友達だって思ってたのに、花折ちゃんの人でなし!」

「魔物に言われたくないわね!?」

 なんだかレベルの低めな罵り合いになってきたのは置いといて、……確かに言われてみればその通りだ。今年の一月に「最終兵器」は見つけ出されて、回収されている。目的を達成した伊吹さんがその後もこの守本中学校にいる理由って何だろう。

 伊吹さんとは最終兵器を巡る出来事やその後のあれこれを通じて仲良くなったから、まだ一緒に学生生活を過ごせるのは嬉しい。けれど、今ここにいる理由が分からないなら、いつまで一緒にいられるのか分からないんじゃないか。いつかどこかに、ふっといなくなってしまったり、するんだろうか。

 そして気付く。それに当てはまるのがもう一人、いることに。

 あたしを「正月に巫女バイトをしていた」という理由で気軽に魔物やら何やらが闊歩する世界に巻き込み、その後同じく最終兵器を探すために守本中学校に音楽教師として赴任してきたエクソシスト。彼もまた、最終兵器が見つかった後も引き続き教師をしながらこの街で魔物退治をしていたけれど、この四月からも同じなんだろうか。だって、出産のためにお休みすることになった先生の代わりに来た臨時講師ってことだったし、そもそも本来来るはずだった先生をちょっとこうしてああしてどうこうしたとも言ってたし、……もしかして、年度が変わった四月からは本物の講師が来る、なんてことないだろうか。そういえば春休みに入ってから今日まで全然会ってない。今までは、魔物退治中のところに出くわすこともしょっちゅうだったのに。えっ、まさか……。

「のばらー? どうしたの、早く教室に行こうよー!」

 明日香ちゃんの言葉にはっと顔を上げれば、もう玄関前にはあたしを含めて数人の生徒がまばらに立っているだけだった。

「う、うん!」

 返事をして駆け出して。新しい上履きを出して、履き替えて。三階にある三年生の教室への慣れない階段、慣れない廊下を歩いて。あたしの胸には、不安な思いが渦巻いていた……。

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