間章4:その一瞬の羊たち

 暦の上では春ですが、ってことは暦以外は春ではない。

 ニュース番組でキャスターのおじさんが言ってから早一ヶ月、ようやく暦に季節が追いつくころには、三学期が終わりを迎えていた。

「明日からは春休みですが、二週間はあっという間ですね。計画的に宿題を進めて、そして長期休暇の前には毎回言っていることですが、体調や事故には十分気を付けてください。四月になれば、皆さん、三年生ですね」

 教壇に立つ担任の木村先生が、あたしたち一人ひとりの顔を見渡した。

「この二年三組は、明るくて、皆で協力し合える、とてもいいクラスだったと思います。それを象徴するのが文化祭での劇でした、舞台に出る人も、裏方も、一生懸命に取り組んで、生徒投票で二年生の中では一位に選ばれましたね。頑張りを知っていただけに、先生もとても嬉しかったです。……春休みが終わって三年生になって、同じクラスになる人も違うクラスになる人もいますが、このクラスで学んで、達成してきたことを活かして、頑張りましょう」

 先生の穏やかな声に振り返られて、この一年は優しく締めくくられる。

「では、日直の赤川さん、号令をお願いします」

「はい。起立」


 桜はまだ咲いていないけど、コートを着なくなって、マフラーも巻かなくなって。三月十九日の帰り道は、もうすっかり春だ。今日は先生たちの会議があるとかで、部活動は全面禁止なので、斜めから陽の差す青空の下、あたしは歩いて帰る。

 ああ、今日で「中学二年生」は終わり。このクラスは一年生から仲の良い友達も多くて楽しかったし、全体的にも雰囲気がよかったから、終わっちゃうのは寂しいなあ、なんて柄にもなくしんみりしてしまう。……と同時に、三年生になったら何組なのか、誰と一緒のクラスなのか、今から気になる。中学生は過去のセンチメンタルと未来の現実の狭間で生きているのだ。

 ふと、道行く先に、見慣れたシルエットが見えた。

「明日香ちゃん!」

 名前を大声で呼ぶと、空に向かって一眼レフカメラを構えていた明日香ちゃんが、カメラから目を離してあたしの方を見た。目が合って、ぱあっと笑う。

「のばら!」

「何やってるの? 新聞部の取材?」

「ううん」

 通学カバンを肩にかけた明日香ちゃんは、どうやら下校中のようだ。

「今日は部活動禁止でしょ。今はね、シェラタン探ししてるの」

「シェラタ……、ああ、明日香ちゃんが探してる、羊の……」

「そうそう」

 言いながら、明日香ちゃんはカメラを再び空へ向け、シャッターを切った。少し方向を変えて、パシャ、パシャと数回。軽やかな音だ。

 カメラを下ろしてボタンを操作し、モニターに今撮ったばかりの青空を映す。拡大した画像に顔を寄せて、片目で、あるいは斜めから見てみたり。しばらくいろいろやっていた明日香ちゃんは、やがて顔を上げた。

「うーん、まぁこのモニターじゃ見えないよねえ。現像して、虫眼鏡で見て確認かな。あんまり期待できなさそうだけど……」

「カメラで撮ると、シェラタンの残り風が写るんだっけ?」

「うん、白っぽい影みたいに」

「心霊写真みたいだね……」

 言いながら、あたしもカメラを覗き込む。白っぽい影、白っぽい影……。

「うわッ!」

「わっ」

 大きな破裂音と、痛いという直感がして飛び退いた。夢中で探しているうちに、うっかり明日香ちゃんに触れてしまったみたいで、「静電気」が起きてしまった。

「びっくりしたー、ごめんね明日香ちゃん。大丈夫?」

「……ん、大丈夫」

 触れてしまったらしい右手を押さえながら、明日香ちゃんがあたしを窺った。だけどそれ以上何も言わない。明日香ちゃんが大人しいなんて珍しいなあ、シェラタンが写ってないから落ち込んでるのかな。

「この後も写真を撮るの? あたしも一緒に行こっか?」

 なんだか心配だったのでそう言うと、明日香ちゃんはちょっと驚いたように目を丸くして、でも首を横に振った。

「ううん、いいよ。……たぶんねー、写真を撮っても写らない、気がする」

「えっ、どうして」

「最近、全然写らないんだよねぇ」

 肩をすくめて、明日香ちゃんはカメラの電源を切った。

「わたしは二年前、シェラタンたちとはぐれた後、その残り風を追って、ここ光原市にたどり着いたの。光原市内にいるわけではなさそうだったんだけど、残り風を見ればどこへ行ったか分かるから手がかりがいっぱいあるし、地形的に光原市は結構『穴』が開きやすくて『裏』と近いから便利だし、それでここを拠点にしたのね。目論見どおり、すぐに一匹見つけることはできたんだけど」

 盛大なため息をつく。

「それからなかなか見つからなくってさぁ……『穴』が開きやすいってことは魔物がよく迷い込んでくるってことで、つまりシェラタン以外の魔物の残り風もいっぱい写っちゃうってことでしょ。外れを掴まされているうちに、肝心のシェラタンの残り風はどんどん薄くなっちゃうし」

 そこで一度言葉を切って、明日香ちゃんは足元を見た。

「……光原市から離れたところに拠点を移そうかなって、考えたりもしてる」

「ええ!? 引っ越すの!?」

 思わぬ言葉に、思わず大声を上げてしまった。

 だって、さっきあたしは三年生でのクラス替えを心配していたっていうのに、それどころか引っ越してどこかへ行っちゃうなんて。

「……そうなっちゃったら、寂しいなあ」

 あたしの言葉に、明日香ちゃんの返事はなかった。どうかしたのかな、と思って見ると、なんだか呆れたような、少し寂しそうな、そんな困った表情をしていた。

「あのねえ、のばら。わたし、魔物なんだけど」

「知ってるけど」

 何を今さら、と呆れると、明日香ちゃんはもっと呆れたような表情をして、それから長いため息とともにその顔を手で覆った。

「あぁぁ……、のばらのそういう、友達を大事にするところというか、素直なところは、明日香ちゃんとしては大好きなんだけど」

 指の隙間からあたしを見てくる。明日香ちゃんが何を言いたいのかよく分からなくて、困った顔をしていると、ふ、と明日香ちゃんが今度は軽く息を吐いて肩の力を抜いた。

「……あのね、さっきの話だけど。光原市から移動するとして、じゃあどこを拠点にするかって、まだ決めたわけじゃないから。すぐに光原市を出たりはしないよ」

 よかった、と言おうとして、その前に明日香ちゃんが「でもね」と続けた。いつも明るく笑顔の明日香ちゃんが、これまでに聞いたことのないような真剣な声色で。

「のばら。あんまりわたしのことを信用しちゃだめだよ。わたしは仲間を探すためにこちらに来た魔物なんだから」

「……明日香ちゃん、どうして急にそんなことを言うの」

「それはね、あのエクソシストたちのことも、そうだから」

 明日香ちゃんは真剣すぎて少し怒ったようにも見える顔で言う。

「あいつらだって任務を遂行するためにこの光原市に、守本中学校にやってきてるんでしょ。……わたしはのばらたちと過ごす毎日が好きだよ、だけどわたしがここにいるのはシェラタンを探すためだから、やっぱり一番にはそのために行動するんだよ。それはたぶんあいつらも一緒でしょ、任務の遂行のためにやってきたんだから、一番には任務の遂行のために行動する」

「……うん」

「それは悪いことじゃなくてむしろそうあるべきなんだけどさ、だからこそのばらは、わたしのこともあいつらのことも、全部を信用しきっちゃだめだよ。わたしはわたしの世界のために、あいつらはあいつらの世界のために、動いてるんだから。……もちろん、わたしが魔物だからあいつらに対して多少疑り深くなってるってのは、否定できないんだけどさぁ……」

 だんだんと声が小さくなっていく。両手の人差し指をあわせてもじもじして、縮こまりきった明日香ちゃんは、突如 大きな声を上げて両手を突き上げた。

「むがーっ!!」

「わ、どうしたの明日香ちゃん!?」

「……いいの!」

 まるで駄々っ子みたいな感じで、明日香ちゃんが喚いて渋い顔をしてぶんぶんと首を振る。

「いい! わたし、やっぱりもうちょっと写真を撮ってから帰る!」

「じゃああたしも、やっぱり付き合おっか」

「もー!? 今言ったばかりだってのに」

「だって、明日香ちゃん」

 猛然と抗議しようとする明日香ちゃんに、あたしは笑いかける。

「そう言う明日香ちゃんこそ、あたしのこと心配して、言ってくれてるよね」

「……もー!!」

 どうやら、急に騒ぎ始めたのは、そのことに自分で気付いたからだったらしく。図星を指された明日香ちゃんは、顔を覆って地団太を踏み始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る