間章3:原材料は愛と友情とカカオ豆-3

 二月十三日土曜日、お昼の十二時四十分。

 明日香ちゃんの言葉通り、材料の買い物を頼まれたらしく重そうなスーパーの袋を持った星川七瀬ちゃんと、きっとクッキー型やボウルなんかの道具が入ったこれまた重そうな紙袋を持った大谷未來さん、そして明日香ちゃんとあたしの四人が、守本駅の改札口に集まった。

 七瀬ちゃんはあたしが所属する陸上部の副部長で、クラスも同じだからよく一緒に過ごしてる友達なんだけど、大谷さんは部活も吹奏楽部だし同じクラスになったこともないから、あんまり話したことがない。でも、明日香ちゃんがテンション高く登場して騒がしく喋りながら歩き出すもんだから、珍しい組み合わせのあたしたちもなんだか楽しくなってきて、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら伊吹さんの家への道を行く。

「でもさあ、明日香、よく伊吹さんの家にお邪魔できることになったね? っていうか、よく伊吹さんにそれを持ちかけたよね」

 七瀬ちゃんが半分呆れたような顔で言う。先頭を行く明日香ちゃんが、にやりと笑いながら振り返った。

「ふっふ、愛され羊キャラの明日香ちゃんにかかれば、花折ちゃんだってイチコロよ」

「明日香さぁ、その『愛され羊キャラ』って何なの?」

「ほら、わたしってゆるふわだから?」

「お前その図々しさで……」

 九割方呆れたような顔で七瀬ちゃんが言うけど、あたしはそのネタのぎりぎりっぷりに冷や汗が出てきた。みんな、まさか明日香ちゃんが羊の魔物だなんて夢にも思ってないだろうから、ばれやしないだろうけどさあ。

 くすくすと大谷さんが笑う。

「初瀬さんすごいね、こうやって先頭を行ってるってことは、伊吹さんの家への行き方を知ってるんでしょ? 行ったことあるの?」

「ううん、初めて!」

「へえ、じゃあ伊吹さんが教えてくれたの? すごいねえ」

 ……いやいや、伊吹さんが教えるとは思えないんだけど。一体どうやって知ったんだか。恐るべし、初瀬明日香。

 他愛ない、かつぎりぎりなおしゃべりをしている間に、伊吹さんの住むマンションに到着した。六階建ての綺麗な建物だ。その五○三号室に、伊吹さんの部屋はあった。

「……いらっしゃい」

 なんとか整えた笑顔でドアを開け、伊吹さんが迎え入れてくれる。

「わーいっ、お邪魔しまーす!!」

 玄関で靴だけ揃えて、早速部屋に突撃する明日香ちゃん。

「こんにちはー」

「お邪魔します!」

「……お邪魔します……」

 七瀬ちゃん、大谷さん、あたしの順で続く。……本当にすみません伊吹さん、お邪魔します……。

 レースのカーテン越しに日の光が入る、明るく広いダイニングキッチンと、パーテーションで区切られたリビング。外観同様、部屋の中もとても綺麗だ。きちんと整頓してあって、ナチュラルな雰囲気の家具やソファが置かれている。あ、ソファに置かれているピンクのクッション、先月に家具屋さんで会った時に伊吹さんと瑞穂さんが買ってたやつだ。

「そういえば、瑞穂さんは?」

 あたしが小さく耳打ちすると、伊吹さんはじろりと下からあたしを見てきた。

「……出かけさせたわよ。面倒の芽はできる限り摘むに限るわ……」

「……あ、はい……」

「……そして、生えてしまった面倒は、できる限り早く刈るに限るわ」

 そう低い声で早口に言い切ると、にこりと笑顔を浮かべ、声のトーンを一気に二段階くらい上げた。

「初瀬さん、早速だけど、お菓子作り、しましょ?」

 明日香ちゃんが堂々とソファに座っているのを見て、若干顔が引きつりかけたけど、そこで笑顔を保ったのはさすが伊吹さんだった。精神力がすごい。

「うん、そうだね!」

 ぴょこん、と明日香ちゃんがソファから立ち上がる。腕まくりをし、腰に手をあてて。

「よーし、じゃあお菓子作り、始めましょう!」


 お菓子作りが得意でよく作るらしい大谷さんのおかげで、クッキー作りは着々と進んでいく。

「じゃあ次は小麦粉を測るね。小麦粉は三百グラム、少しずつ入れて……」

「え?」

「あああああ初瀬さんそんなどばっと一気に、げほッ、げほッ!!」

 ……訂正。クッキー作りはなんとか進んで、……るの?

 明日香ちゃんが小麦粉の袋を真逆さまにして、一気にボウルにぶちまけてしまった。白い粉が部屋中に舞う。

「ちょ、ちょっと!? 何やってるの」

 少し離れたリビングから、ぎゃあぎゃあ騒ぐあたしたちの様子を見ていたらしい伊吹さんが、悲惨な様子を感じ取ったらしく寄ってくる。髪の毛に小麦粉をつけた明日香ちゃんが伊吹さんに泣きつこうとする。

「花折ちゃーん!!」

「うわッ、やめなさいよ!」

 明日香ちゃんに触れると「静電気」が起きてしまうのと、あとはたぶん明日香ちゃんが小麦粉まみれだったので、伊吹さんは避けた。明日香ちゃんはべちょん、と床に突っ伏した。

「あああもう、後で床を拭きなさいよ!?」

「ううー、花折ちゃんも手伝ってよぉ」

「はぁ? 大谷さんがきちんとやってるのに、あなたが適当に小麦粉を入れたんでしょうに。台所を貸すうえに手伝いもなんて、しないわよっ」

 髪を軽くはたいて、伊吹さんがリビングへ戻っていく。……が。

「じゃあこのバターを、電動泡立て器で混ぜてね。きちんと押さえないとバターが飛び散って」

「え?」

「あああああ初瀬さんバターが飛び散ってる!!」

「明日香に任せちゃだめだ、わたしがやる! 大谷さん、この小麦粉はどうしたらいいの? 入れる!?」

「あ、待って、それは少しずつふるい入れて……」

「え?」

「星川さんそんなどばっと一気に、げほッ、げほッ!!」

「……え、えっと、明日香ちゃんも七瀬ちゃんもだめそうだからあたしがやろっか?」

「じゃあ、小麦粉が一気に入っちゃったけど、とにかくそれを混ぜよっか。……原さん違う電動泡立て器じゃなくてヘラで混ぜないと粉が」

「え?」

「飛び散、げほッ、げほッ!!」

「こらあああああああ!!」

 悲鳴のような怒号とともに、今度こそ伊吹さんが飛び込んできた。入れ替わるように、明日香ちゃん、七瀬ちゃん、あたしがぽいぽいぽいっと台所から弾き出され、伊吹さんの細くて長い人差し指がびしっと突き付けられた。

「星川さん!!」

「は、はいッ!!」

「雑巾を持ってきてッ! 原さんはバケツ! 水入れて濡らして拭く!! 大谷さんは!」

「はいぃっ」

「私と一緒にこのクッキー生地もどきをなんとかクッキー生地にする!! はい、ヘラ!」

「あのー花折ちゃん、わたしは」

「初瀬さんはそこで反省してなさいッ!!」

「はい……」

 ぶち切れてしまった伊吹さんに誰も逆らえるわけなく、指示されるがままに働いて、三十分。

 そこにはつやつやした、見事なクッキー生地が現れていた。

「す、すごー……」

 感嘆の声を上げる七瀬ちゃんに、ふんっ、と伊吹さんが長い黒髪を払う。

「元々大谷さんがきちんとしていたから、リカバリーくらい訳ないわよ」

「まさか伊吹さんが手伝ってくれるとは」

「これ以上部屋を汚されたくないし、私の家の台所を使ったっていうのに酷いクッキーを作られる訳にはいかないってだけよ、勘違いしないで」

「とか言ってー、花折ちゃんもやっぱりクッキーを作りたかっ」

 ゴン、と、例えるならば頭とまな板がぶつかるような音がして、明日香ちゃんが床に沈んだ。

 とにもかくにも、あたしたち全員分のクッキーを作るのに十分な量の生地が出来上がった。

 これを大谷さんが平らに伸ばして(さすがにあたしたちはもう手を出さなかった)、それぞれ思い思いの型で抜く。あたしはクマさんの形。そっと持ち上げて、オーブン用の鉄板に敷いたクッキングペーパーの上に並べていく。焼き上がったときにくっつかないよう、少し離して置くこと、って伊吹さんが教えてくれた。なんだかんだで、伊吹さんは世話を焼いちゃう性格らしい。

 みんなが並べ終わったら、予熱したオーブンに入れて、百八十度で十五分。

 ああ、甘くて香ばしい匂いが漂ってくる。

 待ちきれなくて、オーブンの前で顔を寄せ合って覗き込む。ぴー、と焼き上がったことを知らせるアラームが鳴って、大谷さんが重い蓋を開ける。溢れる熱気と、たまらない香り。クッキーの出来上がりだ!

「熱っ、熱、……んー、おいしいー!」

「こら明日香、何いきなり食べてんの!」

「味見! うん、うん、おいしくできてる!」

 いい具合に焦げ目のついたクッキーを、網の上に置いて冷ます。

 明日香ちゃんが七瀬ちゃんの持ってきたスーパーの袋からまた新しい材料を取り出した。茶色、白、ピンクのチョコペン、アラザン、ハート形の小さな砂糖菓子、溶かして使うチョコレート。

「このままでもおいしいけど、せっかくだからデコレーションしよー!」

「よーし!」

 甘い匂いと、並んだデコレーション材料に、あたしたちのテンションが上がる。

「のばらはクマさんだから、顔を描く?」

「そうだね!」

 早速あたしはチョコペンを手に取った。

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