間章3:原材料は愛と友情とカカオ豆-1

「のばら、一生のお願いがあるんだけどッ!!」

 ぱんッ! と両手を勢いよく合わせ、前のめりの姿勢の明日香ちゃんが上目遣いであたしを見てくる。ちなみに明日香ちゃんは、何かお願い事をするときに大抵「一生のお願い」と言うので、あたしが知るだけでも二十回は人生を繰り返していると思う。

 金曜日のお昼休み。食べ終わったお弁当を片づけながら、あたしはしぶしぶ聞き返す。

「……えーと、一応尋ねるけど、お願いって何?」

「さっすが! さっすがのばら! 一生の親友!!」

数ある明日香ちゃんの一生のうちの一つの親友になれるとは光栄だわ……。

「あのね、明日、のばらのお家に遊びに行ってもいい? 台所を借りたいの」

「台所? ……ああ」

 その言葉でぴんときた。

 今日は二月十二日金曜日。なるほど、明後日はバレンタインデー。つまり明日は、バレンタインデー前最後の休日だ。

「チョコレートのお菓子を作りたいってこと?」

「正解でーす!」

 明日香ちゃんは満面の笑みで、背筋を伸ばし、親指をぐっと突き立てた。

「明日香ちゃん、誰かにチョコレートをあげるの?」

「ん? ああ、違う違う。男子にあげるんじゃなくてー、友チョコってやつをね! 配ろうと思って」

 恋する女の子が相手の男の子に気持ちを伝える一大イベント、バレンタインデー。一方でこの日は、女の子が仲の良い友達と手作りお菓子を交換し合う、いわゆる「友チョコ」という遊びが繰り広げられる日でもあるのだ。

「愛され羊キャラの明日香ちゃんとしては、こういうイベントにはがっつり参加して、友情の輪を広げておかないといけないでしょ」

 そして今度は笑顔を潜めさせて、口元に手を添えて小声で言う。

「だけど、わたしってこっちの世界に迷い込んだ魔物だからさー、台所がないんだよね、っていうか家がないんだよね」

「ないんだ……」

「ないよぉ! だから、台所を貸してほしいなって。のばらも友チョコ作るでしょ? 一緒に作ろうよぉ」

 去年、あたしたちは小学校上がりたての中学一年生だったので、バレンタインデーにお菓子を持ってくる子はごく一部だった。部活なんかで先輩たちが楽しそうに手作りお菓子を持ち寄っているのを見て、あたしも今年はやってみたいなあと思っていたんだけれど、毎日毎日部活に明け暮れる女子中学生にチョコレート菓子を作る暇なんてなく。作るとするなら、あたしも明日の土曜日になる、んだけど。

「作るつもりだし、あんまりお菓子作りが得意じゃないから誰かと一緒に作りたいのはやまやまなんだけど、台所を使っていいかはお母さんに聞かないと分かんないよ」

「それもそっかあ……、あ!」

 しょんぼりとした明日香ちゃんだったけれど、すぐに何か思いついたらしく、ぱっと顔を輝かせて人差し指を立てた。

「そうだ、あの人になら貸してもらえるかも! のばら、一緒にお願いしに行こ!」

「え? 誰? 誰に?」

「いいからいいから!」

 明日香ちゃんは「静電気」が起きないようにあたしの制服の袖を掴むと、ぐいぐいと引っ張る。されるがままに教室を出て、そのまま隣の二年一組の教室へ。

 スパーン、と気持ちよく扉を開け、よく通る大きな声でその名を呼んだ。

「花折ちゃ――ん!!」

「ぶッ」

 まさかの人選に、あたしと、そして優雅にお茶を飲んでいる最中に大声で名を呼ばれた伊吹さんは、同時に吹き出した。

 明日香ちゃん、伊吹さんに台所を借りるっていうの!? 驚くあたしを置いて、明日香ちゃんはうきうきと、手を後ろに組んでぴょこぴょこと弾むように伊吹さんの席へ近づいていく。

「ねー、ねー、かーおりちゃんっ」

「ゲホッ、ゲホッ、……な、何かしら」

 可哀想に、お茶が気管に入ってしまったらしい伊吹さんが、咽ながら答える。

「あのね、明日、花折ちゃんの家に遊びに行ってもいい?」

「……はぁ?」

 とたんに伊吹さんが怪訝そうな顔をする。

「どういうつもり?」

「実はですねー、明後日はバレンタインでしょ。チョコレートづくりをしたいから、花折ちゃんのお家の台所を貸してほしいの! 花折ちゃんって、お姉さんと二人暮らしでしょ?」

 えっ、そうなの? と言いかけて、先月に高橋の家具を買いに行ったときに、伊吹さんとその姉の瑞穂さんに出会った時のことを思い出す。そういえば二人で、クッションや雑貨を買いに来てたんだっけ。あれは、二人で暮らしてるからだったのか。

 なるほどなあ、とあたしが納得していると、伊吹さんがものすごい顔であたしを見ていた。

「……原さん、私が姉と二人暮らしってこと、この魔物に言った……?」

「ええ!? 言ってない言ってない、あたしも今知った!! この間家具屋さんで二人を見かけたとき、そうは思い至ってなかったもん!」

「ふっふっふ、魔物たるわたしにかかれば、エクソシストの家族構成を知るくらい、朝飯前なのだー! 花折ちゃん、油断しちゃいけないぜ!」

「……何? 覗き見? 盗聴? 不法侵入? めでたいわね、どれでも訴えられるわ、どれがいいかしら」

「嘘!! 嘘です!! 嘘だから!! 高橋先生に聞いただけだから!!」

「あッッの阿呆!!」

 伊吹さんの手に握られたコップがバキンと音を立てた気がした。

 額にくっきりと青筋を浮かべながら、感情を押し殺すようにゆっくりと伊吹さんが言う。ここだけ、ただでさえ低い気温がさらに五度くらい下がったみたいだ。

「……で? なんだったかしら、私の家の台所を借りたいんですって?」

「うん、そうなんだよね! お菓子を作りたいの!」

「それを学校に持ってくるのかしら? ……頼む相手を間違えてるわよ、私は風紀委員長なんだけど?」

 成績は学年トップ、スポーツ万能、生徒と先生の満場一致で選ばれた風紀委員長、それがこの伊吹花折さんなのだ。そうだ、そんな彼女が、学校にチョコレートを持ってくるのを許すわけがないし、学校に持ってくるためのチョコレートづくりに協力してくれるはずがない。

 けれど明日香ちゃんは、にこにこと笑っている。一体何を考えているんだろう。

 怪訝そうな顔をする伊吹さんの耳元に、明日香ちゃんが口を寄せる。桜色の唇が小さく動き……。

「ッ!!」

 伊吹さんが息をのみ、顔がさあっと青ざめた。わなわなと唇を震わせる伊吹さんに向かって、いたずらが成功したかのような意地悪い笑みで明日香ちゃんが手を振る。

「じゃあ、明日の十三時にね、花折ちゃん!」

「ちょ、ちょっと、明日香ちゃん!?」

 そして、来た時と同じように、あたしの袖を掴んで教室を出て行く。

「明日香ちゃん、伊吹さんに何を言ったの……?」

「『花折ちゃんって、高いところと低いところと先っぽと酸っぱいものと犬と熱いものと水泳と花粉と鳩が苦手なんだっけ?』って」

 なるほど、数多くある彼女の苦手なもので脅したのか。この鬼、悪魔め……いやまあ、魔物なんだけど。というか伊吹さん、鳩も苦手だったんだ……。

「これで場所は無事確保ー! ねえねえのばら、わたしクッキーを作りたいんだけどいいかな? 一度にいっぱい作れるし! 可愛くデコレーションしてさあ」

「……うん、いいんじゃない?」

「やったー! あと何人か誘って、そうだなー、しっかり者の星川さんあたりに材料買うのはお願いしよっかな! それと、お菓子作り得意って言ってた大谷さんならクッキー型とかも持ってそうだから誘おうっと。わーい、楽しみになってきたなー!」

 持てる人脈をフル活用する計画らしい。したたかというか何というか。

「じゃあのばら、明日は十二時四十分に、守本駅の改札口に集合ね!」

 心の底から楽しそうに、明日香ちゃんは廊下を駆けていった。

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