第三章-2:あたしと魔界と逃亡者-4

 ジルさんのうどん屋さんを目指して、あたしが先頭に立って歩く。後ろから、「夢だとしたら、いつから夢だったんだ……」とおじさんの声が聞こえる。

 周りの家々の向こうに、駅前通り沿いの大きな建物が見える。大型家具チェーン店があるショッピングセンターも。うどん屋さんはあの近くだから、もうあと少しだ。

 ふと、見上げた空を、黒いものが横切った。

 カラスだ。一羽のカラスが大きな円を描くようにして飛んでいる。ゆっくりと降下して、少し先の電線に止まった。あたしたちがその傍へたどり着くと、カラスは飛び立って、また少し空を飛んで、さらに先の電線に止まる。

 なんだか、あたしたちを連れて行ってくれているみたいだ。不思議な気持ちになりながら、カラスの後に続く。

 やがて見覚えのある暖簾が見えた。その店の屋根に、カラスは舞い降りる。

「つきましたよ、うどん屋さん!」

「本当にうどん屋さんなのかい……」

 おじさんが怪訝そうな顔をするけど、これはジルさんがうどん屋さんでカモフラージュするのが悪い。じゃあ他の何でカモフラージュすればよかったのかって言われると困るんだけどさ。神社とかお寺とかがそれっぽいけど、突然そんなの建てるわけにもいかないしねぇ。

「あたし、先に中に入って様子を見てきますから。おじさんはここで待っていてくださいね」

「あ、ああ」

 入口の引き戸を開ける音が、静かな店内に響く。

 さて、このお店の、確かキッチンの奥に「穴」があるはずだ。

 カウンターの裏を覗き込む。

 そのとき、どこかから小さな声が聞こえた。

「……のばらさん?」

 なんだかあたしの名前が呼ばれた気がする。この声は。

「ジルさん!?」

「ああ、のばらさん!」

 思わず声を上げると、はっきりとした声があたしの名を呼んだ。ジルさん! ジルさんだ! どこにいるんだろう、声はすぐそばから聞こえたと思うんだけど。

 あたしはキッチンの中に入り、周りに並ぶ銀色の業務用の冷蔵庫やコンロを見渡す。大きなお鍋、食器や調理器具が適当に置かれている。

「ジルさー……んッ!?」

 何気なく上を見て、声がひっくり返った。

 天井に小さな穴が開いている。直径十センチメートルくらい。そこから縮こまった指がにゅっと十本出ている!

「ジルさんジルさん、天井から、ゆ、指が……!」

「え、指? ……あー、ごめんごめん。それ、僕の指。ちょっと待ってねー」

 天井の指がぐっと穴の縁を掴み、広げる。穴はするりと、直径五十センチメートルくらいにまで広がった。

「よーいしょ、っと!」

 明るい掛け声とともに、天井から逆さまに、上半身が生えてきた。

「うわあ! ……ジルさん!」

 上下が逆だけど、にっこり笑うその人は間違いなくジルさんだった。

「やあ、のばらさん。一時間ぶりくらいかな? さて、とっ」

 再び呑気な掛け声とともに、ジルさんは勢いをつけて穴から飛び出した。穴の縁に指をひっかけて、くるりと一回転、綺麗に足から着地。

 エプロンの皺を叩いて伸ばしてから、ジルさんはあたしの顔を覗き込んだ。

「遅くなって、ごめんねー。大丈夫だった?」

 ほっとする笑顔。ああよかったって、問答無用で力が抜ける笑顔だ。

「……大丈夫、です」

「うん、よかった」

 ジルさんは身体を起こして、穴に向かって呼びかける。

「のばらさんが見つかったよー! こっちに来れるかい」

「分かった、今行くわ」

 返事と同時に、穴からするりと飛び出してきたのは、伊吹さんだった。とん、と軽く着地する。……が、よろめいて、顔をしかめて調理台に手をついた。

「伊吹さん!」

「花折ちゃん、大丈夫?」

「平気です」

 はあ、と大きく息をつく。なんだか、ほっとしたというよりは、辛そうな息の吐きだし方だった。あたしの視線に気付いて、伊吹さんは少し口元で笑った。

「原さん、無事だったのね。よかった」

「う、うん。あたしは何ともないよ。でも伊吹さん、どうしたの、何だか辛そう」

「大したことないわ。さて」

 伊吹さんが背筋を伸ばす。

「財布をひったくったっていう犯人は? 一緒にいるの?」

「おーい、お嬢ちゃーん?」

 伊吹さんが辺りを見回したタイミングで、店の外からおじさんの声がした。あたしがなかなか戻らなかったからか、心細そうだ。

「おや、一緒にいたんだね。大丈夫だったの?」

「まあいろいろありましたけど、一応は」

「それならよかった。まずはあの人のことを片づけようか」

 ジルさんがカウンターから出て、店の戸を開ける。あたしと伊吹さんも後を追った。

 店から出てきたジルさんに驚いたようだったおじさんは、あたしを見つけて慌てて尋ねる。

「お、お嬢ちゃん、この人たちは一体!?」

「あー……えーっと、神の使い仲間です!」

「は?」

 後ろから伊吹さんの冷たい声が聞こえたし、ジルさんはぱちぱちと瞬きをしているけど、そういう設定であたしとおじさんはここまで来てしまったので、最後まで貫くしかない。うう、あたしだって、あれだけ否定してきた「神の使い」を自分で口にしたくはないんだけどさあ、仕方ない!

「神の使い仲間!! ねっ!!」

 あたしがジルさんに向かって強く言うと、ジルさんは勢いに押されて頷いた。

「う、うん。そうです」

「そ、そうか」

 ついでにおじさんも頷いた。よし、解決!

 あたしも深く頷く。と、ジルさんがそっと口元を耳に寄せてきた。

「……えーと、のばらさん、これはどういうこと?」

「途中で魔物に出会ってすり抜けたのがきっかけで、あたしはここが『裏』だって気付いたんですけど、おじさんがすごく混乱してて、でも本当のことを伝えるわけにもいかないし、とにかく落ち着かせようと思って口から出まかせを言っちゃったんです。あまりのファンタジー展開に、おじさんは今、これを夢だと思ってます」

 するとジルさんは目をぱちくりとさせた。

「のばらさん、ここが『裏』だって気付いてたの?」

「え、はい。いつもの街なのに、人が誰もいないし、代わりにすり抜ける魔物がわんさかいるから、『裏』なのかなって。……違いました?」

「ううん、合ってるよ。のばらさんの想像通り、ここは『裏』さ。なるほど、それでそんなに落ち着いてるんだね。僕の店に向かっていたのも、元の世界に戻るための『穴』があるって知ってたからか。やるなあ。それに君の機転で、彼がこれを夢だと思っているのも好都合だね」

 そう言いながら、ジルさんがおじさんに歩み寄る。すっと右手の人差し指を立てた。その先に、小さな黒い光が宿り、おじさんに向けられる。

「それならば、さあ、夢から覚めましょうか」

 言葉と同時にぱちんと黒い閃光が走った。黒いのに眩しいってなんだかおかしい、と思わず目を閉じてから思う。

 どさり、と音がして、あたしが次に目を開けたときには、おじさんは地面に倒れていた。

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