第三章-1:恋の話をしよう-11
「ちょっ」
「ノディくん、のばらちゃん、きっ、気をつけてねー!」
慌てたような伊吹さんの声と、瑞穂さんの若干緊迫した応援が聞こえてきたけれど、手を引っ張られてるあたしは、もつれる足をどうにかするので精一杯だ。
「ま、待って高橋っ」
「ん?」
正面のT字路をおじさんが左に曲がる。高橋、それから引っ張られるあたしもそれに続く。舗装のされていない砂利道、踏ん張るスニーカーがざりっと音を立てる。
「あっ、あの」
手を引っ張り返そうとするんだけど、走ってることもあってうまくいかない。高橋が少し振り返って、首を傾げる。
「どうしたのばら、忘れ物か」
「いや、忘れ物はしてないけどっ」
「そうか、それならよかった」
「そうじゃなくてっ……!」
「ああ、走りにくかったか?」
高橋の視線が少し下がって、掴んだ手を見る。
「確かに走りにくいけど、そ、そうでもなくって……!」
傾げる首の角度が深くなる。あたしたちの前では、おじさんが今度は十字路を右に曲がった。駅前通りから随分離れてしまって、周りはすっかり住宅街だ。
「そうでもないとすると、……ああすまない、最近冷え性気味なんだ。これでも頑張って生姜を摂取するように努めているから、心を広く持ってもらえると嬉しいんだが」
「確かにあんたの手冷たいけど、それで文句言ってる訳でもないんだってば!」
「なら何だ?」
真顔のまま高橋が尋ねてくる。うう、と少し躊躇ってから、でもたぶん高橋は察してなんてくれないし自分で言わなきゃいけないと諦めて、あたしは口を開く。
「さ、さっき伊吹さんが、あたしはもう付いてくるなって言ってたからっ……」
「……ああなるほど」
少し考えてから高橋は思い当たった、という風に頷いた。けれど続いて、「しかし」と言う。
「しかしのばら、これは魔物退治とは関係がないから、問題ないのではないだろうか」
「う」
た、確かにそうなんだけどっ、でも伊吹さんにそう注意された直後だから、魔物退治と関係なくったって遠慮したいじゃないか……!
「魔物退治じゃなくっても、それに伊吹さんに行っちゃだめって言われなくったって、そもそもあたしはそんな力もないし、資格もないし……、……高橋、何を取り出そうとしてるの」
「運転免許証。これがないと身分証明にいささか不便なのだが、この際仕方がない、のばらに貸してあげよう」
「なんで免許証!? ……もしかして、あたしが『資格がない』って言ったからそれをくれようとしてたりします? いらねえよ!!」
「だが俺が持っている資格と言えば、あとは漢検三級くらいしか……」
「あたしも漢検なら準二級を持ってるよ!! だからそもそもそういう資格じゃないんだってば……!」
なんだかそろそろ泣きたくなってきたんだけど、高橋は突き返された免許証を手に、いつも通りの無表情であたしを見る。
「しかしのばら」
あたしの名前を呼んで。
「お前はお前の世界を守るのではなかったのか?」
「それは、……」
それは確かにあたしが自分の口で言ったことなんだけど、あたしはもごもごと口の中で言葉にならない音を泡立たせることしかできない。そうこうするうちに高橋はふいっと前を向いてしまった。
「しかし、なかなか追いつけないな」
ああ、聞いてくれる気も、手を離してくれる気もしない。結局連れ回されて、いいのかこれ……。
現状は、高橋の言葉通り。普通に考えれば、推定四十代後半のおじさん相手に、二十二歳(仮)と現役陸上部の中学生が負けるはずがないと思うんだけど、今のところ全くおじさんとの距離は縮まっていない。
どうやら、あたしと高橋の前方十五メートル位を走っているこのおじさんは、この辺りの地理に詳しい人らしい。住宅街の合間の狭くて分岐の多い道を、迷うことなく進んでいく。こっちは二人で追っているから、狭い道が走りにくいのに! しかもおじさんはスピードがちっとも落ちていない。ひったくりをしたから必死で逃げているんだろうけど、それにしても強いなこの四十代後半(推定)! ああもう、鼓動が速い、息が切れてくる!
おじさんがまた十字路を右に曲がった。あたしたちも曲がって、……先におじさんの姿が見えない!
「えっ、ちょっ」
「左だ」
十字路の先にあった、次の十字路を左に曲がると、おじさんの姿が再び現れた。ま、捲かれるところだった……! 次はY字路を左。通りすぎた家から、犬の吠える声が聞こえてすぐ遠くなる。
「だが、これでは埒が明かないな」
高橋が右手を前に出す。そこに灯る、日光の下でもはっきりと分かる白い光。
「……って、いや、だめだろ! それっ、対魔物用でしょ!?」
「大丈夫大丈夫、ちょっと脅す……、おっと、舌を噛んだ。ちょっと驚かせるだけだ」
「舌を噛んだっていうか、完全に言い直したよね、今!?」
「しかし、あの財布には、俺の現時点での全財産が入っているんだ」
「全財産!? 持ち歩いてる方が悪いだろ、何円よ!!」
「家電と家具を買って、あと伊吹たちのうどん代を立て替えているから、残り四百八十円くらい」
「どこの小学生の所持金だよ! うどん代が返ってきてもまだ酷いだろそれ、明日からどうするつもりだったの!?」
「……本当だ。どうしようか、神の使い」
「知らねェェェ!!」
「まあそれは後で考えてもらうとして、光の話に戻そう。以前に説明したとは思うが、この白い光は、『裏』とこちらとの境界に干渉する力を持つ。すなわち、魔物に対しては絶大な効力を持つが、こちらの世界の存在に対しては当たったところでちょっとすーすーするくらいだ。ミント味のガムを噛んだ後に冷たいお茶を飲んだ程度なので、特に問題ない。大丈夫だ。よし」
うわあ、信用できねえ! でも、あたしが何か言う前に、高橋は右手を上げた。
「最終手段」
「またかお前ェェェェェ!」
「のばら、一瞬目をつぶれ。――発動!」
目を閉じて真っ暗になったはずの視界が、一瞬かっと白に染まる。
前方からおじさんの叫び声、そして転んだような、激しく砂利が散らばる音。
「返してもらうぞ」
高橋の声に、あたしは目を開ける。横に並んで走っていた高橋がスピードをあげて、あたしを追い抜いていく。目を押さえ、片膝をついた状態からなんとか慌てて立ち上がろうとするおじさんに向かって一直線、取り押さえようと手を伸ばす。
その手を、おじさんはかいくぐった。
まさに触れるその瞬間、立ち上がる方向を変えたのだ。走っていこうとしていた方向から、走ってきた方へ。不意をつかれて、高橋はおじさんを追い抜いてしまう。おじさん、強すぎるって! これが火事場の馬鹿力なのか。火事が起こってなくてこれだなんて、このおじさんは本当に火事場に遭遇したらもう相当すごいんじゃないか。
そして、走ってきた方に向かって立ち上がったおじさんは、その方向――つまりあたしに向かって、猛ダッシュしてきた!
捕まえるとか、身構えるとか、そういったことが頭から一瞬飛ぶ。真正面からおじさんに、ぶつかってこられるくらいの勢いで突っ込んでこられて、身体が動かなくなる。しまった、そうじゃない、捕まえなきゃ、なんとか手だけ伸ばす、その手が掴まれた。
声を出す暇もなく。おじさんはあたしの後ろにいて、あたしの手首はおじさんに握られていて、首におじさんの腕が回されていて。
この状況って。
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