第三章-1:恋の話をしよう-6

 不意に後ろから声がして。思考が途切れた。思わず振り返り見上げた先に、……あ。高橋が立っていた。

 そうだ。伊吹さんによる事情説明が始まるか始まらないかくらいのときに、たぶん「マヤコ」は伊吹さんの本名なんだってことに気付いたんだろう、「ああ、そういえばそうか」と勝手に納得して、買い物の続きをしてくるって言ってどこかへ行ってしまっていたんだった。

「待たせた。買い終わったぞ」

「……え、あ、うん。……って!」

 はっと我に帰る。ほんとだ、大きなビニール袋を両手に提げてる。ってことは。

「買い終わったって、高橋、……きちんと買えたの?」

 二十二歳を相手に失礼な質問かもしれないけど、思わず聞いてしまう。すると高橋は表情を変えずに、ポケットから財布を出し、その中からレシートを引っ張り出してあたしに差し出した。

 ざっと上から見て、下から見て、もう一度上から見て。掃除機、冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機、パイプベッド、マットレス、布団一式、物干し竿、ローテーブル、ラグ、ハンガー、ごみ箱、カラーボックス、フライパンと鍋の四点セット、食器七点セット。思わず三回確かめたけど、

「……買えてる……」

 つっこみどころのない、まともな買い物をしてる……。

「一人暮らしを始める人向けのコーナーがあったからな。店員に聞いて適当なものを選んだ。大きな品物は配送してもらうことになった」

 レシートには、配送票の控えがホッチキスで留めてあった。

 配送予定日は明日の夕方。その下に、やっぱりやたら綺麗な字で住所が書かれている。「光原市守本一丁目1-5 ブラン守本408号室」。守本一丁目って、あぁあの辺りかなあ、と思い浮かべる。その下には「高橋ノディ」と、始業式で言っていた名前が記されていた。

「あの、高橋、さん? っていうの?」

 様子を覗っていた瑞穂さんがそう言い、高橋とあたし、そして伊吹さんを順に見る。高橋が途中でいなくなってしまったもんだから、二人は挨拶していなかったのだ。まったく。

 伊吹さんがもう何度目かのため息をついて、高橋を指差した。

「この人はエクソシスト。お姉ちゃん、仕事で会ったことはない? 高橋ノディっていうんだけど」

「……ノディ」

 瑞穂さんは高橋を見て、その名前を繰り返した。一瞬、思い当たる節を探しているのか笑みが消えたけれど。一拍置いて、「うーん」と困ったような声とともに表情を崩し、右手を差し出す。

「これまでにお会いしたことはない気がするわ。花折の姉の、伊吹瑞穂です。よろしくお願いしますね」

「あぁ、よろしく」

 高橋はあっさりと返し、軽く握手をして、手が離れた。

 その様子を見終わって、あたしはなんとなく、もう一度レシートに視線を落とした。

 高橋。高橋ノディ。

 こうして改めて文字で見ると、なんだかとても奇妙な感じがした。すでに呼び慣れて馴染んでいるのに、それでも目の前のこの人にはどこか合わないような。掴みどころがなくて、どこか遠くにあるような。

 ……。

 ……「伊吹花折」が偽名なように。

 ……「高橋ノディ」も、そうなんだろうか。

 今更だけど、こいつは一体、何者なんだろう。

 って、空から高橋が降ってきて出会ったときにも当然思ったことなんだけど、改めてふと思う。何者なんだろう。本当は、……どんな人なんだろう。この間の音楽の授業で明日香ちゃんが年齢を聞いたら二十二歳って答えていたから、へえそうなんだなあって素直に思っていたけれど、伊吹さんが年齢詐称しているように、それも本当なんだかどうなんだかなあ……。

「……」

 「ねえ高橋、さっき伊吹さんから、エクソシストは大抵偽名を使ってるって聞いたんだけど、高橋もそうなの?」。

 尋ねる言葉はしっかり文章になって頭の中に浮かんだんだけれど、あたしはそれを、どうしてだろう、いつものようには口に出せなかった。……聞いていいのかな。いや悩むまでもなくいいだろー、相手は高橋なんだし、……。

 あたしの視界に、不意に大きな手が割り込んだ。高橋があたしの手からレシートを取ったのだ。

「まあそういうわけで、のばら、おかげで無事に光原市で生活をする準備ができた。ありがとう、待たせたな」

「……遅いー」

 口を尖らせてみせて言った、その言葉は、出てきた。でもなんとなく、その後に彼の名前は呼ばなかった。高橋が腕時計に目をやる。

「疲れたのか? そうだな、長い時間付き合ってもらったし、遅くなったが昼ご飯を食べるか」

「やったー!」

 この言葉は、もっと簡単に出てきた。

 そう、お腹が空いてたんだ! 空きすぎて、空いているかどうかが分からなくなってきてたし!

「せっかくだから、伊吹たちも一緒に」

「げっ、い、いいわよ私たち家でご飯」

 反射的に伊吹さんが断るけれど、

「わあ、じゃあ一緒に行きたいなあ、ねっ花折ちゃん」

「……」

 瑞穂さんに満面の笑みを投げかけられて、ぐったりと壁にもたれかかった。ま、まあ、人数が多い方がご飯は楽しいよね!

「ねえ、何食べる? 何食べる!?」

「何だかいきなり元気になったな。……そうだな、しかし疲れていると言っていたのだから」

 ……あれ。

 疲れてるとか、元気になるとか、このキーワードは今までの経験からして、牛乳の流れなんじゃ……。

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