第三章-1:恋の話をしよう-5
「伊吹ミズホと申します。マヤ、……ええと……花折の姉で、えと、先日まで仕事の都合で関東にて一人……暮らし、をしていたのですが、つい最近、光原市に戻り、……えー、またここで暮らす、ことになりましたよろしくお願いしますね!」
この間、手元のメモ(カンペ)を見ること五回。
たどたどしくメモを読み上げていたのが、最後はとにかく一刻も早くゴールしたかったらしく逆にものすごい速さで急き込むように言い、「言い切った!」という輝く笑顔で、彼女――ミズホさんは顔を上げた。
エスカレーター脇の休憩用ベンチ。あたし、ミズホさん、そしてぐったりとした伊吹さんの順で横に並び、あたしはミズホさんと向かい合うように身体を向けて座っている。
カンペを片手に持ち替え、もう片方の手でカバンから名刺を取り出し、いそいそとあたしに差し出すミズホさん。……名刺には、「水谷(みずたに)麻衣子(まいこ)」と書かれている。
「……あの、ミズホさん、名刺、」
「えっ? ……あっ、きゃあああ、やっちゃった!!」
戸惑いつつも指摘してみると、「ミズホさん」は叫び、わたわたと名刺をカバンに仕舞う。大慌てでカバンを探り直し、たっぷり三十秒後、「見つけた!」というやはり輝く笑顔で、彼女は名刺を再びあたしに差し出した。――「伊吹瑞穂」。
「瑞穂さん」の笑顔に押されて名刺を受け取る。
……そしてきらきらの表情であたしの反応を待つ彼女には申し訳ないんだけど。
あたしは、言う。
「……えっと、水谷麻衣子さん」
「はい! ……じゃない、わ、わたし、伊吹瑞穂だよ!!」
「声裏返ってます、麻衣子さん」
「えっ、そ、そんなことないよ!!」
喉をこすり、髪の毛を撫でつけ、姿勢を正す「伊吹瑞穂」――水谷麻衣子さん。彼女の向こう、崩れるようにベンチに座っていた伊吹さんが、うう、とうめきながら身を起こした。やがて伊吹さんはため息を吐き、麻衣子さんの肩をぽんと叩く。
「……うんお姉ちゃん、お疲れ様。お姉ちゃんは頑張った。期待した私が馬鹿だった」
「えっ、マヤコちゃんは馬鹿じゃないよ、お姉ちゃんの自慢の妹よ!」
「……そうだねお姉ちゃん」
もう一つ長いため息を吐き。伊吹さんが、あたしに向かって口を開いた。
「こちら、私の姉の水谷麻衣子。ただし、普段は伊吹瑞穂って名乗ってるからそう呼んで。っていうのは」
そう前置きして。
「エクソシストの仕事で様々なところに潜入する都合上、偽名を使うことがよくあるの。『伊吹瑞穂』も『伊吹花折』もその名前の一つ」
伊吹花折さん――「水谷マヤコさん」は、あっさりと認めた。
伊吹さんは、本当なら高校に通っている年齢だけど、守本中学校に隠された「最終兵器」を探すために中学生として学校に潜入していた。だから年齢を誤魔化しているってことは今までにも知っていたけれど、今言ったように名前だとか、他にも住所や生年月日、連絡先に家族構成……、きっといろんなことを偽っているんだろう。三年前に本当に中学生として過ごしていた「水谷マヤコ」のままじゃ、きっといろいろと不都合があるから。
「仕事中はもちろんだけど、思わぬところから綻びが生じないように、少なくともある任務に就いている間は一般生活においてもその名前を使っているから。間違えても水谷マヤコなんて呼ばないでよね……うちの馬鹿姉のようにッ」
「ご、ごめんねマヤ……花折ちゃんー。せっかく自己紹介用の原稿も作ってくれたのに……」
麻衣子さん、いや瑞穂さん――伊吹さんにそう呼べって言われたんだからその名前を呼ぼう――が伊吹さんに抱きつく。
どうやら、少なくともパッと見はしっかり者な伊吹さんとは対照的に、瑞穂さんは相当の天然さんらしい。
「ああもう、こんなところで抱き着かないでよ恥ずかしいッ!」
鬱陶しがる伊吹さんに乱暴に頭を叩かれていた瑞穂さんは、少し涙目になりながら顔を上げた。
「で、でもマヤ……、花折ちゃん」
「何よ」
瑞穂さんの視線は、そのままあたしへ移る。
「のばらちゃん、だったかしら、そこのお友達。花折ちゃん、今、のばらちゃんへの説明の中で当たり前のように『エクソシスト』って言ってたけど、それは大丈夫なの……?」
「あー……」
あたしを見、少し期待するような表情をしている瑞穂さんを見て、伊吹さんが面倒くさそうに答える。
「……いろいろあって、原さんは、私がエクソシストだってこと知ってるのよ。……だからってお姉ちゃんが原さんの前で本名ばらしたことが不問になるわけじゃないからねッ」
瑞穂さんがひゃー、と肩をすくめ目を瞑った。
「ったくもう、仕方ないんだから……」
「あっ、でもでも、花折ちゃん」
ぶつくさ文句を言う伊吹さんを、ふと何かに思い当たったようにぱっと目を開けた瑞穂さんが遮る。
「何よ」
「のばらちゃんは、エクソシストではないのよね? エクソシストが偽名を使ってる云々、ってことは知らなかったわけだし……」
首を傾げた瑞穂さんの視線が、あたしへ移る。
「あ、はい。あたしは」
瑞穂さんの疑問に答えようとして。
あたしの言葉は一度止まった。ええと、あたしは、
「のばら」
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