第三章-1:恋の話をしよう-7

 駅前通りから少し入ったところにある、小さな店。

 あたしと高橋、そして一緒にご飯を食べに行くことになった伊吹さん姉妹は、うどん屋さんの前にいた。

「牛乳じゃないのかよッ!!」

 あれだけ牛乳をプッシュしてたくせに!?

「牛乳が飲みたかったのか? ……それにしても、のばらの方から牛乳を飲みたいと言ってくる日が来るとは思わなかった。いや、いいことだ。好き嫌いはよくないからな」

「飲みたいとは言ってないから、牛乳じゃないのって言っただけだから!!」

「ええと、よく分からないのだけれど、のばらちゃんは牛乳が嫌いなの?」

「いやそういうわけじゃないです、高橋が変な勧め方をするから断ってただけで!」

「しかしうどんは消化にいいらしいぞ」

「確かにそうだけれども話繋がってねェェェェェ!!」

「まあ、牛乳は後でコンビニで買ってやるから。とりあえず入るぞ」

 そう言って、高橋は引き戸を開け、さっさとうどん屋さんに入ってしまった。牛乳は買ってくれなくていいけど、あたしも慌てて追う。

「いらっしゃいませー……、あれっ」

 店に入ると同時、迎えてくれた男の店員さんの声は、少し驚いたように高くなった。

「ノディじゃん!」

 そして、高橋の名前を呼ぶ。

 声のした方を見てみると、カウンターの中に、ラテンヨーロッパ系っぽい男の人が立っていた。少し色の濃い焼けた肌に、癖のある短い黒髪。歳は高橋と同じくらいだろうか。驚いたような表情を残しながらも優しい垂れ目を細めて、高橋に向かって手を振っている。高橋は軽く手を挙げてそれに応えた。店員さんは、高橋の後ろにいるあたしに目を移す。

「お嬢さんもいらっしゃい! ……っと、その後ろは瑞穂さんに、ってことは花折ちゃん? 久しぶりだねー!」

「あらー、うどん屋さんってジルくんの店だったの」

「お久しぶりです」

 瑞穂さんは親しげに応え、伊吹さんは澄ました顔で言う。あたしはわたわたと会釈して、高橋の袖を引っ張る。

「高橋たちの知り合いの人なの?」

「ああ」

 小声で尋ねると、傍にあった四人掛けの椅子に荷物をもたれかけさせながら、高橋が答える。

「知り合いってことは」

「名前はジル=ノウェア、うどん屋兼エクソシスト。早い話が仕事仲間だな」

 ……うどん屋兼、ってとこにはつっこむべきなのかどうなのか。なぜその二つを兼ねた。

「よろしくねー」

 でもその前に、そのジルさんがあたしに向かってにこにこ笑いながら手を振ってくるから、あたしは慌ててお辞儀をした。

「は、原のばらです、えーと」

 名前を言って、自分のことを説明しようとして。

 ……あれ、あたしって何なんだろう?

 さっきも瑞穂さんに自己紹介をしようとして詰まったことを思い出した。そうだ、あたしって、何なんだろう。魔物退治に付き合わされてはいたけれど、ただの守本中学校二年生であって、何も兼ねてない。

「あたし、高橋……先生に、中学校で音楽を習ってるんですけど」

 とりあえず、確実に言えることで説明しておく。……なんだか、この説明じゃ、ただの先生と生徒なんだけど……。別に、だからなんだってわけじゃないけどさあ。

 ふと視線を感じて振り返ると、伊吹さんと目が合った。伊吹さんは特に何も言わずに、すっと視線がずれる。うわ、自己紹介なんかで戸惑ってるところを見られてしまった。なんだか恥ずかしい。

「ああそういえば、ノディは今、中学校の先生をやってるんだっけ。ええと、のばらさん、ね。よろしくー。ああ、お水持ってくから、適当に掛けといて」

「どうも」

 そう返事した高橋は、すでに椅子に座ってメニューを見ていた。早いなお前。

 棚からコップを取り出し始めたジルさんにもう一度会釈して、あたしはその隣に座った。あたしたちの向かいの席に、伊吹さんと瑞穂さんが着く。

 お店の中にいるのはあたしたちだけだった。置かれているガスストーブから暖かさは伝わるけれど、窓際なのでひんやりする。

 高橋が、見ていたメニューを机の上に置いて、あたしたち三人の方へ向けてくれた。ラミネート加工されたシンプルなメニュー。きつねうどん、天ぷらうどん、山菜うどんに山かけうどん、カレー、しっぽく、肉、衣笠、卵とじ、餅、ざる、釜揚げ、……エクソシストを兼ねているにもかかわらずやたらとバリエーションが豊富だ。

「それにしても、伊吹姉妹にノディって、初めて見た組み合わせなんだけど」

 カウンターの向こうから、細かい氷の入った水を注ぐ音。

「どういう経緯?」

「つい先日、諸々の事情で、俺と伊吹が一緒に仕事をした。その仕事に関連して、俺とのばらが知り合っていて。そして今日、俺とのばらがそこの家具家電店で買い物をしていたところ、伊吹姉妹に出くわして、そういえばジルの店が近いことを思い出して、ちょうどお昼時だったので立ち寄ってみた」

「組み合いたくて組み合ったわけじゃないわよ、まったく」

 ふん、と伊吹さんがそっぽを向く。

「あはは、花折ちゃんは相変わらずだねえ」

「相変わらずで結構です」

「じゃあ伊吹はうどんを食べないのか」

「食べるわよ!」

 机の上のメニューを自分の方に引き寄せる伊吹さんを見て、ジルさんがまた笑った。

 そのメニューを横からうきうきと覗き見ている瑞穂さんに、あたしは尋ねる。

「『初めて見る組み合わせ』……そういえば、瑞穂さんと高橋は初対面だってさっき言ってましたよね」

「そうねー。エクソシストはいっぱいいるから、全員を知っているわけじゃないし。同じ地区を担当しているとか、同じ任務についているとかでない限り、知らない人も多いのよね」

「伊吹さんも?」

「私は数度、一緒に仕事をしたことがあるけど、こいつのことあんまり好きじゃないし」

「ちょ、当人を目の前に……でも、ジルさんとは、みんなわりと知り合いなんだね」

「わりと有名人だから」

「有名人?」

 聞き返したときに、ちょうどジルさんの声が被さった。

「っていうかさー、ノディ、『高橋』って何?」

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