第二章-2:あたしと悪魔と最終兵器-5
「え、何、高橋……きゃああ!?」
高橋が飛びかかってきた。あたしは何も出来ないまま、高橋と一緒に床に倒れこむ。
一拍遅れて、音楽室が爆発した。「爆発」、……そうとしか思えなかった。閃光、揺れ、轟音。そうしてようやくあたしは、床とぶつかった背中に痛みを感じる。
あたしに覆い被さっていた高橋が、素早く身を起こした。高橋の視線の先を見て、あたしは絶句した。
音楽室の、南の校庭に面した側の窓ガラスが、全て砕け散って、音楽室に散乱している。窓枠はぐにゃりと歪み、壁に大きな亀裂が入っている。飛び散った埃が、冬の曇り空の薄い日差しの中で舞っていた。
「……な、に……今の」
ようやく出せたのは、自分でも分かるくらいの呆けた声。高橋はあたしに答えることなく、スーツの上着を脱ぎながらあたしに背を向け、立ち上がった。上着からぱらぱらと、光るものが落ちる。ガラスだ。
身を起こそうと、何気なく床に手を着いて、あたしはすぐに離した。痛い、という言葉になって、その反射を理解する。あたしの周りにも、光って見えるだけの小さいものから、はっきりと鋭い先端の形が分かる大きさのものまで、ガラスが散らばっていた。……ガラス。
はっとして高橋の背中を見る。白いカッターシャツに、点々と、血が、滲んでいる。――怪我してる!
「高橋、大丈夫!?」
あたしも立ち上がろうとするけれど、足に力が入らない。浮かせかけたお尻がどすんと落ちた。うわ、恥ずかしい。ちょっと情けない。もう一度、と力を入れたとき、目の前に、あたしの手よりもずっと大きな手が差しだされた。
「のばらは?」
高橋はいつも通りの顔をして、いつも通りの声でそう言う。一瞬躊躇する間に、向こうから、あたしの手が掴まれた。強い力で引っ張り上げられる。足が、しっかりと地面に着いた。
「あ、あたしは何ともないけどっ、高橋は」
「特に何も問題はないが」
「だって、背中!」
「ああ、見た目ほど痛くはないから」
見た目、と言いながら高橋は自分の背中を全く見ず、ばらばらになった窓を睨みつけていた。……違う。その向こうの、黒い影を。
「……悪魔か」
低い声で呟いて、高橋は窓に駆け寄った。あたしも慌てて後を追う。
ガラスが無くなり、変形した枠だけになった窓の、向こう。薄灰色の寒々とした空に、人の形をした、黒い何かが浮かんでいる。ゆったりと動かされる、一対の蝙蝠のような羽。頭に生えている、ゆるくカーブした角。爛々と光る、赤い目。鱗の付いた奇妙に細い手足の先には鋭い爪。先端の尖った、細い尻尾。「悪魔を描いて下さい」って言われたら描くような悪魔が、そこに、いる! ……って何事!?
「悪魔、って、魔物とは違うの!?」
「ある意味では魔物と同じだが、しかし魔物よりも、性質が悪い」
手に持っていたスーツの上着を揺らしてガラスの破片を落とし、再び羽織る。その間、視線は「悪魔」から動かないままだ。
「『悪魔』は、不幸な魔物たちの姿だ。……デネボラたちのことを思い出せば分かると思うが、魔物はあちらから攻撃を仕掛けてくるようなことはなく、異なる世界の住人である俺たちに対しては比較的温厚と言える。だが、異なる世界に紛れ込んでいるという負担がかかり続けるうちにやがて、あるいは突然の大きなストレスを受けると、本能的な、生き残るための攻撃性が呼び起こされることがある。それが、俺たちが『悪魔』と呼ぶ状態だ。攻撃的、好戦的。どうやらさっき軽く最終兵器を鳴らしたことが、……ちょっとまずかったっぽいぴょん」
「最後の部分、誤魔化さなかったッ!? いや、誤魔化しきれてないけど!!」
「……しかし、そうはいっても、確認するために鳴らしたのだから、大した力は入れていない。あの程度で変化する例など、聞いたことがない。最終兵器の威力があまりにも強すぎるのか、逆に弱く打ちすぎて悪影響でも出たか? それにしても限度があるだろうし、なら、何か別の要素があるのか、しかしそんなもの確かめる術もない、……くそっ」
挙げた可能性を自分で否定して、高橋が小さく舌打ちをする。本気でまずい、おかしい事態らしい。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
気持ちは焦る。だけど、この場にいるにはいるけど、あたしに何が出来るっていうんだろう。
「ともかく、普通に打てば、少なくとも悪い影響は出ないだろう。どう効果が出るか分からないのが多少不安だが、一度、最終兵器を使うか」
仕舞ったばかりのトライアングル――最終兵器を、黒い袋から取り出す。
それを見てなのか。宙に浮かぶ悪魔の赤く輝く目が突然、見開かれた。
口が開く。真っ黒な牙が露わになり、真っ黒な口の奥から、この世のものとは思えない咆哮が響き渡る。鼓膜が、胸の奥が、びりびりと震える。
「な、何よぉっ……!?」
悪魔がその左腕を掲げた。
遠くにいるはずなのに、左腕がどくんと脈打つのが、はっきりと見えた。
高橋がはっとして叫ぶ。
「来る、右へ避けろ!」
それとほぼ同時に。悪魔が叫び、殴るように振り抜かれた左の上腕から、何本もの腕がぎゅるぎゅると伸び、猛スピードでこちらへ突っ込んでくる!
言われるままに、後ろへ跳ぶ。残っていた壁、窓枠をぶち抜いて、悪魔の腕はまっすぐに、高橋の方へ。
「高橋!?」
「……ちッ」
取り出しかけていたトライアングルを左手でまとめて握り、高橋が左へ跳ぶ。一本目が床を抉る。そのまま腕は、めくれ上がった床のパネルを掴み、戻っていく。二本目が生徒用の椅子を薙ぎ払う。椅子がこっちにまで飛んできて、あたしは思わず顔をかばった。あたしよりももっと上を飛んでいった椅子は、壁に当たって、跳ね返って床を転がる。
三本目を避ける。グランドピアノに突き刺さる。
けれど避けた先、目の前に、四本目が迫っていた。高橋の、左手へ、伸びる。
ぎり、と緑の目を細めて、寸前で高橋は避けた。かすった左腕の服が切れる。そのまま前へ踏み込み、高橋は右手を突きだした。
「最終手段ッ」
かああ、と右手に光が集まる。
「発動!」
白い光が黒い悪魔と薄暗い冬を照らし、弾けた。不意をつかれたのか、悪魔はまともにそれを受け、ふらりと高度を下げる。やがて、どん、と音を立て、悪魔は南校庭に落下した。起き上がろうとするも、途中でがくりと沈んでしまう。弱っているようだった。ただ、最終手段を受けたのに、悪魔はまだはっきりとそこにいる。
「さすがに、一発で『裏』には帰ってくれないか」
額の汗を拭い、荒い息を落ち着かせながら、高橋が力を抜く。
「だ、大丈夫……?」
一連の何かを、口も閉じられずにただただ見ていたあたしは、恐る恐る近付いた。
「大丈夫」
高橋が即答する。もう息は元に戻っている。……あたしの視界に、高橋の左腕が入った。さっき魔物に掠められた部分の上着とシャツがまとめて切れていて、その下、白い肌が、酷く爛れ、血が滲んでいた。あたしが見ていることに気付いたのか、すっと、高橋が左腕の角度を変える。見えなくなった。
「明らかに最終兵器を狙っているな。狙う先が、俺の左側ばかりだった。悪魔が最終兵器を狙う理由が全く分からないが」
右手で頬を掻き、眉をひそめる。
「誰が渡すか、と言いたいところだが、さて、どうしようかこれは……」
その時、どんどんどんっ、と音楽室のドアが叩かれた。防音用の分厚いドアが打ち鳴らされるくらい、激しく。
「何、……あああ――っ!」
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