第二章ー2:あたしと悪魔と最終兵器-4

 寒い校舎裏で、我慢できるぎりぎりまで我慢して時間をつぶし。短い距離をゆっくりと、かつひっそりと歩き。

 そうして辿りついた二年三組の教室。これだけ粘って、皆が絶対に帰ってる時間のはずなのに、……どうしてこの教室だけ電気がこうこうと点いてるんだろう。うわ、ドア開けたくない……。

 開けるのを躊躇していると、ドアが、向こうから開いた。

「あー、のばら!!」

 それと同時に、雪崩れるようにして飛び出してくるクラスメイト。先頭は明日香ちゃんだった。

「ちょっとのばら、高橋先生と何してたの!?」

 興味津々です、といった感じの明日香ちゃんの言葉を合図に、「新任の」「若くて」「かっこいい」高橋先生に突然呼び出されたまま帰ってこなかったあたしを待っていたらしい皆による質問攻勢が始まった。

「どこ行ってたの!?」

「一時間も何してたわけ!?」

「木村先生も『さあ……』って言ってたし」

「わたしたちには知る権利があると思うよ!」

 質問の洪水、っていうか濁流? 圧倒されるあたしの耳に、最前列の明日香ちゃんから「高橋先生の年齢、聞いた?」っていう声が届いた。あ、そういえば聞くの忘れてた。いや、どうでもいいけど。

「え、えーと、皆、ひとまず落ち着いて」

 手で落ち着かせる仕草をすると、皆が目を輝かせてぴたっと止まった。質問の答えを待っている目だ。

 ……しまった。とにかく皆を落ち着かせようとしか考えてなかったから、答えが全く浮かばない。本当のことを言うと「魔物退治のための最終兵器探しを頼まれました。仕方ないから行ってきます、アディオス!」なんだけど、……言えるか!

「えーと、えーと、その」

 静まりかえる、教室前の廊下。

 ふと、靴音が聞こえた。遠くから近付いて来て、そこの角を曲がる。

「おいのばら、……」

 廊下の角から覗きこんだのは、高橋だった。

 高橋「先生」モードじゃない、高橋だった。

 あ、時が止まるって、こんな感じなのか。

 無表情な高橋の口の端がちょっとぴくぴくしてるのを見るに、どうやら、静かになっていたのであたししかいないと思ってたらしい。……しっかりしろよエクソシスト!

 あああ、高橋に呼び出されただけでこれだったのに、名前で呼びやがって!! どうする気なんだ馬鹿ぁ!

「……の楽譜がどこにあるか探しに行こうと思ってるんだけど、あれ、原さんとそのお友達かな、どうしたの?」

 ……無理矢理繋げやがった。いや、確かに「のばら」って曲、ありますけどね。シューベルトだっけ、二学期に歌ったけどね。ちょっと苦しくないか。

 でも、あたしの真っ当な不安は、杞憂に終わった。

「あっ、高橋先生!!」

「そうですー、わたしたち、原さんと同じクラスのー」

「明日の五時間目の授業でお世話になる、二年三組です!」

 恐るべし中学生女子。高橋の不自然な繋ぎも、急ごしらえで穴だらけの「先生モード」の笑顔も、高橋が目の前にいることで上がったテンションのおかげで、全く気付いていないみたいだった。今さら、背中を冷や汗が一筋、流れていった。ああ、焦った……。

「そうなんだ、よろしくね」

「そういえば高橋先生、のばらのこと、知ってたんですか?」

 相変わらず最前列に陣取る明日香ちゃんが、ずばっと尋ねる。もう二筋ほど汗が流れそうになったけれど、高橋は整った笑みを浮かべていた。

「ああ。原さんには、昨日、道に迷っていたところを助けてもらったんだ。そうしたら、僕が赴任する中学校の生徒だったから、びっくりして」

 やり過ごした安心感からか、高橋の先生モードは絶好調だった。普段無表情の癖に、ほんと調子いいなこいつ。

「それで、原さん」

「へっ、は、はい、高橋……先生?」

「原さん、音楽委員だって聞いたんだけど。音楽室に楽譜を探しに行きたいからついてきてくれないかな? 僕より、原さんの方が音楽室内のことは詳しいだろうから」

 そしてにっこりと笑顔。

「あ、はい、ソウデスネ……」

 立ち上がって高橋について行く。背中に、なんていうか「後でよろしくね!」という期待の視線を痛い程に感じたのは、気のせいにしておきたい……。


「どうして音楽室に来たの?」

 念のために左右を確認してから、小さな声で尋ねる。

 校舎の二階の端っこ、音楽室のドアの前。高橋がスーツのポケットから鍵を取り出した。

「『のばらの楽譜』とかいう謎の繋ぎを誤魔化すために、『音楽室についてきて』って言ったんだと思ってたんだけど」

「当初から目的地は音楽室だ。エクソシストは様々な場面に対応しなくてはいけないからな、誤魔化すところからこの程度のことを考えるくらい、朝飯前だ」

「自分でまずい状況を作っておいて、何言ってんだか。あ、そういえば、あたしが音楽委員だってどうして知ってたの?」

「最初に教室へ行ったときに、黒板に書かれていたのを見た。エクソシストには観察力も必要だ」

 古びた金属製の重いドアが、軋んだ音を立てながら開く。入り終えるとすぐに高橋がドアを閉めて、内側から鍵をかけた。

 あたしでも名前を知ってるような音楽家の肖像画が並ぶ室内。前の方の天井には、吊り下げ式のスクリーンが収納されている。中央に大きなグランドピアノが置かれていて、その周りを生徒用の椅子がぐるりと囲んでいる。

「それで結局、どうして目的地が音楽室だったの?」

「そりゃあ、音楽室に最終兵器があるからだろう。よし、探すぞ」

「……はい?」

 いや、ちょっと待ってよ高橋。ここ、普通の音楽室だよ!

「音楽室に!? 最終兵器があるの!?」

「そうだ」

 高橋は頷いた。

「俺が何のために音楽教師になったと思っているんだ? 答えはただ一つ」

 高橋が、長い人差し指をすっと立てる。

「音楽の素晴らしさを伝えるためだ」

 話繋がってねェェェ! それは始業式での挨拶だろ!

「おっと、間違えた。ごめんだっぴょん。俺が音楽教師になったのは、音楽室を自由に捜索するためだ。これまでの伊吹による潜入と、本部の調査の結果、最終兵器は音楽室にあるのではないかという結論に至っているらしいんだ」

「そう言われても、どこを見たって、一般的な音楽室にある物しかないよ?」

「先程も話したが、最終兵器は形を変えられている場合がある。今回はそのパターンなのではないだろうか。まあ、エクソシストが触れれば分かると聞いたし、問題はない」

「『エクソシストが触れば』ってことは、あたしは触っても分かんないんだ」

「まあそうだな」

 それって、ここにあたしがいる意味、あるんだろうか。そりゃあ、高橋よりはこの音楽室内の楽器や楽譜の配置は分かってるけど、そんなに役立つかなあ……。

「のばらは、そうだな、棚の奥などの怪しそうなところを探ってみてほしい。最終兵器は大抵金属製だから、それらしきものが出てきたら、俺に見せてくれ」

「……うん分かった、……あのさ高橋」

「何だ?」

 既に探す気満々らしく、音楽室内を見回してるけど。

 ……観察力がどうのこうの言ってたけど、気付いてないのか、こいつ。ドアの外、あたしのクラスの皆が集まってこっちを見てるよ……。

 しかも、皆から少し離れたところには、相当険しい顔をした伊吹さんの姿も見える。数人が伊吹さんに気付いて、ちらちらと視線を送っているけど、ちょっと怖いらしく話しかける人はいない。

 まあいいか。音楽室だから防音設備はそこそこ整ってるし、あたしと高橋がやってることも楽譜を探してるようにしか見えないだろうし。

 あたしはドアを見なかったことにして、音楽室の探索に向かうことにした。

 仕方がない。高橋に付き合うことになってしまったのはもうどうしようもないんだから、今日もそこそこてきぱき探して、さっさと帰れるようにしよう。

 よし、と大きく息を吐いて、あたしは駆け出した。

「あ、あった」

 ……駆け出した、っていうか、一歩進んだくらいだったんだけど。高橋の方を振り返る動きがぎこちないのが、自分でも分かる。

「……あのさ、高橋」

「どうした」

「それ、トライアングル、ですけど」

「ああ、そうだな」

 演奏するポーズ――つまり、右手に棒、左手に本体を吊るす紐を持って、高橋が頷く。三角形の銀色の楽器が、吊らされてゆっくりと回っていた。

 トライアングルが、エクソシストの最終兵器。って。

「やはり、形を変えられていたようだな。まあ言ってしまえば金属なんだから、何かの原料になってしまっている、ということはよくある話だ」

「……それ、去年の合奏コンクールで使ったんですけど……」

 しかもうちのクラスのトライアングル係は前園(まえぞの)という、よく言えば元気、普通に言えば大雑把で騒がしいタイプの男子だったから、練習期間を含めて少なくとも二ヶ月間、そのトライアングルは全力で叩かれ続けてたんだけど。

「いわくつきといえども金属であることは間違いないから、演奏には耐えうるだろう。それにしても、あっさりと見つかったな」

「伊吹さんの二年間って何だったの」

「さあ」

 軽く、高橋がトライアングルを鳴らしてみせる。キーン、と小さな高い音が響いた。どこからどう見てもトライアングル。

「その最終兵器、っていうかトライアングル、どういう風に役立つの?」

「いや、今のところさっぱり分からない。一旦本部へ戻って、過去の資料と照らし合わせて。使うのは、それからになるだろうな」

 高橋がスーツの内ポケットから黒い布製の袋を取り出して、トライアングルを仕舞う。

「何というか、のばらの手を借りないまま終わってしまったが、これで今回の俺の任務は完了だ。俺はこれから本部へ持って帰る」

「……あ、そう」

 本当にあたしは何もしなかったから、拍子抜けするんですけど。

 まあいいや。きっと、ここのところ高橋に連れ回されてばっかりだったからそう思っちゃうんだろう。何事も平和が一番。そもそもあたしは守本中学校二年三組の音楽委員に過ぎないんだから、これでよかった。

 ため息をついてから、あたしは顔を上げた。

「それじゃあ高橋、あたし、教室に戻るね。結局、荷物取りそびれてたし。今日は部活もないから、あたしも帰――」

「のばら!」

 突然、高橋が叫んだ。その声はいつもとは全然違う、――必死、な。

「伏せろ!」

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