第二章ー1:明日の夜、高いところで-11
名を呼ばれた彼女――伊吹さんは、一瞬ぎくりと身を硬くして、けれどすぐに高橋をじろりと睨んだ。高橋が、右手の光を少し弱める。
そう、目の前で、転がるほうきとバケツとチリトリの中でぺたりとお尻をついているのは、間違いなく、風紀委員長の完璧人間・伊吹さんだった。
「伊吹さん!? どうしてこんな時間にここにいるの?」
あたしが思わず高橋の後ろから飛び出すと、伊吹さんはあたしをちらりと見て、今度は少しばつの悪そうな顔をした。すぐに視線は高橋の方へ戻って、鋭くなったけれど。
……風紀委員の仕事でもあったんだろうか? ううん、そんなはずはない、だって玄関や窓は全て閉まっていて、先生も生徒も全員帰っている時間なんだ。伊吹さんはあたしたちと同じく、どこかから侵入して、ここにいる。
一体、どうして? それに。
「ちょっと高橋、どうして伊吹さんの名前、知ってるの!?」
「ん? ああ、お前たちも知り合いなのか」
あたしと伊吹さんの服装を見比べて、高橋が言う。
「う、うん、学校が同じで、学年も一緒だけど。『お前たちも』って、……高橋と伊吹さんも、知り合いなの?」
尋ねながら、そういえば、と思い出す。年始の神社バイトには伊吹さんもいたんだった。
……まさか伊吹さんも、そのときに目をつけられて、神の使いがどうこう言われて魔物退治を手伝わされてるの!?
もしそうだったらそこに転がっているバケツを全力で投げつけてやろうかと思っていたら、高橋が頷き、口を開いた。
「知り合いだ。同僚だからな」
え?
「……同……僚?」
妙な言葉が聞こえた気がして繰り返す。高橋はもう一つ頷いて、あっさりと言った。
「俺と同じく、エクソシスト」
……。
え、ええ!?
「いっ、伊吹さん、エクソシストなのー!? なんで!?」
思わず伊吹さんを指差して叫んでしまう。声は思いっきり裏返っていた。
でも、だって、だって、伊吹さんがエクソシストって、どういうこと!?
「な、なんでって、『なんで』は私の台詞だわ」
あたしの大声に一瞬たじろいだ伊吹さんは、けれどすぐに気を取り直した。屋上の扉の壁に左手を添えて、立ち上がる。背筋を伸ばし、伊吹さんは正面から高橋を見据えた。
「どうしてあなたがここにいるの?」
長い髪を風に揺らし、鋭い視線で。
「光原市近辺は私の担当。担当地域以外への介入は禁止されているはずよ。しかも一般人を連れて。どういうこと?」
伊吹さんに問い詰められているのは高橋なんだけど、伊吹さんが怒っているとなんだかあたしまで悪いことをしている気分になって思わず高橋の袖を引っ張る。
「え、そ、そうなの高橋? まずいことやってんの!?」
「ほへはほうはは」
「って、何食ってんだお前ぇぇぇぇっ!」
この状況で、よくものを食べようって気になったな!
口の中のものをよく噛んで、しっかり飲み込んでから、高橋が言う。
「おにぎり」
「聞いてないから! そういう意味で言ってるんじゃないから!」
「え、海苔がついている? 悪いが、どこについているか教えてくれないか」
「聞き間違えのレベルですらねえよ、海苔の前に耳掃除しろ!」
「そうか。ところで海苔は」
「ついてません!!」
「それはよかった。ところで伊吹、何の話だったか」
そして何事もなかったかのように伊吹さんに尋ねる。別にあたしは高橋の何かってわけでもなんでもないのに、なんだか申し訳ない気持ちにすらなってきた。
「……どうしてあなたがここにいるのって話よ。担当地域以外への介入、しかも一般人を連れて! どちらも禁止のはずよ、なのにあなたが突然この周辺をうろつき始めたから、一部始終を見させてもらったのよ。そうしたら『穴』まで消し出して。どういうつもり? 返答によってはただじゃ済まないわよ」
伊吹さんが語気を強めて、指を高橋へ突きつけた。高橋は「ああ、そうだった」と頷いてから、頭を掻く。
「それはそうだが、別に、趣味でうろついていたわけじゃない。光原市近辺の『穴』が空きっぱなしになっているというから、命令で来ただけで」
「命令……?」
すると、高橋の答えを聞いて、伊吹さんが一瞬うろたえた。どうしたんだろう、とよく見る前に、その色は伊吹さんの顔から消えていたけれど。
伊吹さんが一つ咳払いして、高橋を睨み直す。
「……ま、まあいいわ。だけど、もう一度言うけれど、ここは私の担当なの。ここのところ『穴』の数が多かったから、手が回り切らなくていくつか消し切れていなかっただけで、何の問題もない。あなたの力は必要ないわ、私一人で十分よ」
強い調子で言い切り、少し鼻を上げて、右手で髪をかき上げる。
でもまあ、確かに、伊吹さんだったらなんでも優秀に一人で出来てしまうのだろう。はじめから最終手段をぶっ放し、マイペースにおにぎり食べてる奴とは違って。……って、今度はお茶を飲んでるし!
「いい、分かった? 分かったならさっさと本部にでも戻りなさい、一般人は帰して」
「それはそうと」
伊吹さんの言葉を聞いているのかいないのか、高橋がペットボトルの中身を見ながら言う。さっき投げたせいですごく泡立ってるんだけど、それが気になるらしい。そして、顔はペットボトルを向いたまま、視線だけを伊吹さんに移す。
「光原市近辺の担当は、やっぱり伊吹だったんだな」
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