第二章ー1:明日の夜、高いところで-10

「ぎゃあ!?」

 思わず奇声を上げて飛び退き、それから改めて高橋にしがみつき直すという非効率極まりない反射行動をしたあたしとは対照的に。

「そこか」

 高橋は一歩踏み込んで、流れるような動きで振り返りながら、マントの下へ右手を突っ込む。

 高橋にしがみついていて同じ方向を見ていたあたしは、揺れる視界の中で、正面、つまりものを投げようとしていた「そこ」に人影を、見た。さっきあたしたちが出てきた屋上の扉の脇に、人が、いる!

 高橋の右手が何かを掴み、大きく振りかぶって、思い切り、それを投げつける。振り降ろされた腕は風を切り、音を立てる。放たれたそれはものすごいスピードで、

「あ」

 ……正面ではなく、左斜め六十度くらいの方向へ飛んでいった。

 高橋は野球でピッチャーがボールを投げ終えたときの姿勢のまま。あたしは高橋の背中にしがみついていたので中途半端に中腰の体勢のまま。そしてそこに見える人影は頭を庇おうと腕を前に出しかけた格好のまま、ぽかんとその軌道を見ていた。

 投げられた何かは、屋上のフェンスに当たって、減速してもまだ速いスピードで斜め上へ跳ね返る。ぐしゃりという鈍い音がしてからぽおんと浮かび上がり、人影の上を通り越して、屋上の扉へ。上にはほうきが載っている。その穂先は、人影の方へ飛び出ていて。

 投げられた何かは、ほうきの穂先を掠めた。穂先が押され、てこの要領でほうきが立ち上がる。ガシャン、と大きな音がした。ほうきの柄には、長い間放置された間に引っ掛かっていたらしい、金属製のバケツとチリトリがついてきている。

 ほうきの柄と、バケツとチリトリが、加速しながら落ちていく。屋上の扉のすぐ傍にいた、人影へ向かって。

 そこでようやく、あたしと、そしてその人影は、気付いた。けれどもう遅い。バケツとチリトリが狙い澄まして落ちていく。人影がよろめき、一緒にコンクリートの地面へ。

「え、え、えっ、……きゃああああっ!」

 悲鳴は、それよりも大きな金属製のバケツとチリトリがコンクリートに落ちる音で、見事にかき消された。一拍遅れてほうきも、数回跳ねて、転がった。

「……えーっと……」

 ほうきの転がるのが止まったのを見届けて、あたしは声を出す。

 高橋が無言で体勢を起こした。何かを投げた右手を見て、それから一つ、頷く。

「狙い通り」

「絶対嘘だろ!!」

 何だよ今の、高度なドミノ倒しみたいな出来事は!

「のばら、運も実力のうちだぞ」

「自分で運だって言っちゃってるし! やっぱ狙い通りじゃないんじゃん!」

「しかし、俺だって努力して運を味方につけているんだ。そうして得た運ならば、実力と同一視していいのではないだろうか」

「……一応聞くけど、どんな努力してるの」

「早寝早起きをする、交通事故には気をつける、休みだからと言ってはしゃがない」

「なんで冬休みのしおりなんだよ!」

 それで運がよくなるなら、世の小学一年生は全員おみくじで大吉引いてるわ! 巫女バイト中に見かけた、凶を引いちゃって泣いていたあの女の子に謝れ!

「ああ、それで気付いたのだが、もう八時前か。早寝するためにも、そろそろ、目の前のこれを何とかした方がいいな」

 左手首にはめた腕時計を見て、高橋が歩き出す。

 そうだ。バケツとチリトリをまともに受けて倒れている人影が、そこにいるんだった。だけどそういえば、聞こえた悲鳴は、女の子のものだった。それに、聞き覚えがあるような……。

 高橋は人影にすたすたと近付き、まず手前に転がるペットボトルを拾い上げた。投げたのは、どうやら、コンビニで買っていたお茶だったらしい。それをマントの中へまた仕舞って、高橋が右手に光を灯す。

 ぱあっと、周りが明るくなった。

 転がるほうき、バケツ、チリトリに囲まれて、……女の子がうつ伏せに倒れていた。あたしと同じ、守本中学校の制服を着ていて、長く黒い髪とひざ丈のスカートがコンクリートの上で無造作に広がっている。

「うーっ……」

 女の子が動いた。もぞもぞ、と身を起こす。

「……い、たたたた……、何、」

 可憐な声で言いながら、頭を押さえ、彼女は、顔を上げた。

 ――あ。

 その瞬間、自分を照らす眩しい光に目を瞑り、身をすくめる。

「きゃあっ、眩しッ……」

「やっぱりお前か」

 白い光の元、はっきりと浮かび上がった彼女の姿に向かって、高橋は一つ息を吐き、名を呼んだ。

「伊吹花折」

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